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48. 父の思い
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(……落ち着くのよ。ただロージエさんの父君であるブライト男爵がそう言ったというだけの話。今の段階では、まだ何の信憑性もないわ)
虚言である可能性も、多いにある。醜聞を恐れる高位貴族たちを、それをネタに強請ってやろうとしているのかもしれないし、あるいは他にも考えが……。
どうにか冷静になろうと頭を回転させるけれど、王宮の図書館の前で鉢合わせした時の、あの二人の睦まじい雰囲気、漂う親密な空気が脳内を占領し、全身が小刻みに震える。ラウル様への愛情などない。けれど、もしもこれが本当の話なら、私は一体何のために結婚したのだろう。
父の視線を痛いほど感じ、私は両手をグッと強く握りしめると、静かに深呼吸をした。父は話を続ける。
「男爵は、娘に手を付けられた挙げ句に子までなしたのだから、このままなかったことにされては困ると。要は、可能であればラウル殿に娘と結婚してほしい、だがティファナとラウル殿の離縁が難しいのならば、娘をラウル殿の愛妾とし、今後生まれてくる子どもと娘の面倒をしっかり見ていってほしいと。そういうことを主張していた」
「……。……では、まずは事実確認をいたしましょう。お母様の出産の時や、私の体調が思わしくない時に何度かお世話になったあのマーニー先生にお願いするのはどうでしょうか。あの先生でしたら腕も確かで信頼できますし、一度ロージエさんの診察を……」
「ティファナ」
冷静を装い言い募る私の言葉を、父がやんわりと、けれどきっぱりとした口調で遮った。
「事実に相違ないのだな。お前は知っていたのか。ラウル殿が、そのロージエ・ブライトという女性と親密な関係になっていることを」
「……はい」
私は悟った。もう誤魔化しはきかないのだと。ここで「ラウル様に親密な女性がいるという事実はありません」などと主張しても、どうせいつかはボロが出るだろう。
そう諦めた私は、無様に震える声で小さくそう答えた。父の顔を見ていられずに、私は膝の上に置いた自分の両手に視線を落とした。
父は黙っている。私も何から伝えればいいか分からず、口を開くことができない。
「……いつからだ」
しばらくすると、ようやく父が重々しい声を発する。
「いつからそんな状況になっていた。ラウル殿とお前の結婚生活は、いつ破綻したんだ」
私の顔色や態度で、これがただの浮気ではないことを察したのだろうか。父はそんなことを尋ねた。惨めさと申し訳なさに、このまま消えてなくなりないとさえ思った。
「……最初からです、お父様。結婚式の日の夜、私はラウル様から宣言されました。この結婚は白い結婚だ、と。君のような女性を好きになることなどないと。互いの両親が他界するまでの辛抱だと思って、この表面上の結婚生活を乗り切り、時が来れば離縁しよう、と……」
「……」
「……ですが、ロージエさんとの仲が深まり、その気持ちさえも変わられたようです。話し合いの場を持ったある夜、告げられました。ロージエを愛している、早急に離縁しようと。……ラウル様は、私のことを傲慢で腹黒い女だと。ロージエさんから聞かされた言葉のみを信じ、私の訴えには一切耳を貸してはくださいませんでした。あの人は、ラウル様は、ロージエさんのことだけを心から信頼しているのです」
そこまで話した途端、私の感情は決壊した。突然大粒の涙が次々に溢れ、嗚咽が止まらなくなる。必死で我慢しようと両手で口を塞ぐけれど、抑えることができない。涙は私の顔中を濡らし、情けなくむせび泣く声が室内に響いた。
「……ティファナ」
「ごめん、なさい……っ! お父様……、本当に、ごめんなさい……っ! わ、私は……また失敗してしまいました……っ。お父様やお母様があんなにも望まれていた、王太子殿下の婚約者の座を得られなかったばかりか……、ヘイワード公爵家のご子息との結婚さえ、破綻してしまった……。私が、至らなかったばかりに……!」
「ティファナ、もういい。もういいんだ」
いつの間にか父は私のそばに来ていた。隣に腰かけ、私の肩を抱くようにして背中をそっと擦ってくれる。その労りが、ますます私の心を抉った。
「私は……期待に応えられなかった駄目な娘です……! こんな風に、お父様にご迷惑をかけることになって……、また、失望させてしまった……。最高の教育を受けさせてもらって、大切に育てていただいたのに、私は……!」
「ティファナ。もう止めなさい」
父の強い言葉に、私はハッと口をつぐんだ。おそるおそる顔を上げると、私を見つめる父の眦がかすかに朱を帯びていた。
「そんな風に自分を責めるな。お前は何も悪くない。お前はいつでも、精一杯努力してきたじゃないか。私も母さんも、いつもお前の努力を誇っていた。駄目な娘などと思ったことは一度もない。自分を卑下するのは止しなさい」
「……おとうさま……っ」
思いもかけなかったその優しい言葉に、ますます涙が溢れてくる。嗚咽しながら全身を震わせる私の背を擦りながら、父は低く噛みしめるように言う。
「……まさかお前が、こんなにまで苦しんでいるとは……。ヘイワード公爵のご子息との結婚を決めたのは、実直で優秀なラウル殿ならば、きっとティファナを幸せにし、生涯守っていってくれるだろうと思っていたからだ。ヘイワード公爵家を立派に継ぎ、二人で支え合いながらしっかりやっていけるだろうと。……だが、お前にそんな辛い思いを強いてまで、この結婚生活を続けることに何の意味があろうか。母さんも天国でどれほど嘆いているか。……ティファナ、もういい。ラウル殿とは離縁させる。お前を幸せにしてくれる、もっと良き相手を探す。結婚早々妻をないがしろにし、信頼関係を構築することも拒否し、挙げ句の果てに職場で女を作るような浅はかな男など、こちらから切り捨てるとしよう。……すまなかった、ティファナ。お前の苦しみに気付いてやることもできずに。私の方こそ、駄目な父だ」
「……っ! ふ……っ、」
父の言葉の一つ一つが、私の心の傷に染み渡る。痛い。痛くて、温かい。まさか父が、こんなにも私のことを思ってくれていたなんて。
私の背を擦り続ける父に、私はしゃがれた声で問いかけた。
「……ですが、……お父様……、ヘイワード公爵とお父様との関係が……」
「そんなものはどうでもいい。これで壊れてしまうような仲ならばそれまでさ。公爵との友人関係よりも、お前の幸せを守る方がはるかに大事だ」
「……お父様……っ」
迷うことなく発せられた父のその言葉に、また新たな涙が溢れる。この王国に生きる貴族である以上、ヘイワード公爵との良好な関係を維持することが大切でないはずがないのに。
「……ごめんなさい、お父様……」
「謝罪は二度とするな、ティファナ。お前は何も悪くないと言ったはずだ」
「……。ありがとうございます、お父様」
びしょびしょの顔を上げてそう伝えると、父は少しだけ微笑んだ。
虚言である可能性も、多いにある。醜聞を恐れる高位貴族たちを、それをネタに強請ってやろうとしているのかもしれないし、あるいは他にも考えが……。
どうにか冷静になろうと頭を回転させるけれど、王宮の図書館の前で鉢合わせした時の、あの二人の睦まじい雰囲気、漂う親密な空気が脳内を占領し、全身が小刻みに震える。ラウル様への愛情などない。けれど、もしもこれが本当の話なら、私は一体何のために結婚したのだろう。
父の視線を痛いほど感じ、私は両手をグッと強く握りしめると、静かに深呼吸をした。父は話を続ける。
「男爵は、娘に手を付けられた挙げ句に子までなしたのだから、このままなかったことにされては困ると。要は、可能であればラウル殿に娘と結婚してほしい、だがティファナとラウル殿の離縁が難しいのならば、娘をラウル殿の愛妾とし、今後生まれてくる子どもと娘の面倒をしっかり見ていってほしいと。そういうことを主張していた」
「……。……では、まずは事実確認をいたしましょう。お母様の出産の時や、私の体調が思わしくない時に何度かお世話になったあのマーニー先生にお願いするのはどうでしょうか。あの先生でしたら腕も確かで信頼できますし、一度ロージエさんの診察を……」
「ティファナ」
冷静を装い言い募る私の言葉を、父がやんわりと、けれどきっぱりとした口調で遮った。
「事実に相違ないのだな。お前は知っていたのか。ラウル殿が、そのロージエ・ブライトという女性と親密な関係になっていることを」
「……はい」
私は悟った。もう誤魔化しはきかないのだと。ここで「ラウル様に親密な女性がいるという事実はありません」などと主張しても、どうせいつかはボロが出るだろう。
そう諦めた私は、無様に震える声で小さくそう答えた。父の顔を見ていられずに、私は膝の上に置いた自分の両手に視線を落とした。
父は黙っている。私も何から伝えればいいか分からず、口を開くことができない。
「……いつからだ」
しばらくすると、ようやく父が重々しい声を発する。
「いつからそんな状況になっていた。ラウル殿とお前の結婚生活は、いつ破綻したんだ」
私の顔色や態度で、これがただの浮気ではないことを察したのだろうか。父はそんなことを尋ねた。惨めさと申し訳なさに、このまま消えてなくなりないとさえ思った。
「……最初からです、お父様。結婚式の日の夜、私はラウル様から宣言されました。この結婚は白い結婚だ、と。君のような女性を好きになることなどないと。互いの両親が他界するまでの辛抱だと思って、この表面上の結婚生活を乗り切り、時が来れば離縁しよう、と……」
「……」
「……ですが、ロージエさんとの仲が深まり、その気持ちさえも変わられたようです。話し合いの場を持ったある夜、告げられました。ロージエを愛している、早急に離縁しようと。……ラウル様は、私のことを傲慢で腹黒い女だと。ロージエさんから聞かされた言葉のみを信じ、私の訴えには一切耳を貸してはくださいませんでした。あの人は、ラウル様は、ロージエさんのことだけを心から信頼しているのです」
そこまで話した途端、私の感情は決壊した。突然大粒の涙が次々に溢れ、嗚咽が止まらなくなる。必死で我慢しようと両手で口を塞ぐけれど、抑えることができない。涙は私の顔中を濡らし、情けなくむせび泣く声が室内に響いた。
「……ティファナ」
「ごめん、なさい……っ! お父様……、本当に、ごめんなさい……っ! わ、私は……また失敗してしまいました……っ。お父様やお母様があんなにも望まれていた、王太子殿下の婚約者の座を得られなかったばかりか……、ヘイワード公爵家のご子息との結婚さえ、破綻してしまった……。私が、至らなかったばかりに……!」
「ティファナ、もういい。もういいんだ」
いつの間にか父は私のそばに来ていた。隣に腰かけ、私の肩を抱くようにして背中をそっと擦ってくれる。その労りが、ますます私の心を抉った。
「私は……期待に応えられなかった駄目な娘です……! こんな風に、お父様にご迷惑をかけることになって……、また、失望させてしまった……。最高の教育を受けさせてもらって、大切に育てていただいたのに、私は……!」
「ティファナ。もう止めなさい」
父の強い言葉に、私はハッと口をつぐんだ。おそるおそる顔を上げると、私を見つめる父の眦がかすかに朱を帯びていた。
「そんな風に自分を責めるな。お前は何も悪くない。お前はいつでも、精一杯努力してきたじゃないか。私も母さんも、いつもお前の努力を誇っていた。駄目な娘などと思ったことは一度もない。自分を卑下するのは止しなさい」
「……おとうさま……っ」
思いもかけなかったその優しい言葉に、ますます涙が溢れてくる。嗚咽しながら全身を震わせる私の背を擦りながら、父は低く噛みしめるように言う。
「……まさかお前が、こんなにまで苦しんでいるとは……。ヘイワード公爵のご子息との結婚を決めたのは、実直で優秀なラウル殿ならば、きっとティファナを幸せにし、生涯守っていってくれるだろうと思っていたからだ。ヘイワード公爵家を立派に継ぎ、二人で支え合いながらしっかりやっていけるだろうと。……だが、お前にそんな辛い思いを強いてまで、この結婚生活を続けることに何の意味があろうか。母さんも天国でどれほど嘆いているか。……ティファナ、もういい。ラウル殿とは離縁させる。お前を幸せにしてくれる、もっと良き相手を探す。結婚早々妻をないがしろにし、信頼関係を構築することも拒否し、挙げ句の果てに職場で女を作るような浅はかな男など、こちらから切り捨てるとしよう。……すまなかった、ティファナ。お前の苦しみに気付いてやることもできずに。私の方こそ、駄目な父だ」
「……っ! ふ……っ、」
父の言葉の一つ一つが、私の心の傷に染み渡る。痛い。痛くて、温かい。まさか父が、こんなにも私のことを思ってくれていたなんて。
私の背を擦り続ける父に、私はしゃがれた声で問いかけた。
「……ですが、……お父様……、ヘイワード公爵とお父様との関係が……」
「そんなものはどうでもいい。これで壊れてしまうような仲ならばそれまでさ。公爵との友人関係よりも、お前の幸せを守る方がはるかに大事だ」
「……お父様……っ」
迷うことなく発せられた父のその言葉に、また新たな涙が溢れる。この王国に生きる貴族である以上、ヘイワード公爵との良好な関係を維持することが大切でないはずがないのに。
「……ごめんなさい、お父様……」
「謝罪は二度とするな、ティファナ。お前は何も悪くないと言ったはずだ」
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