【完結済】結婚式の夜、突然豹変した夫に白い結婚を言い渡されました

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54. 焦る夫の失態

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 私はあくまで淡々とした態度で彼の執務室へと入る。

「お呼びと伺いましたが。いかがなさいましたか?」
「……これだ」

 私の姿を認めた彼は、机の前から書類の束をかざす。取りに来いと言っているのだろうか。私は渋々彼のそばまで歩み出る。
 私が近付くと、彼は手にしていた書類を音を立てて机の上に放り出した。ぞんざいな態度にカチンとくる。
 けれど私は黙ってその書類を取り上げた。それを確認し、一瞬固まってしまう。

「……これは」
「異論を受け付けるつもりは毛頭ない。黙ってサインを」

 何を勘違いしたのか、ラウル様は強張った口調でそんなことを言いながら私から目を逸らした。その表情も、普段より随分余裕がないように見える。

(異論など、もちろんございませんが)

 手元の書類に改めて視線を落とす。
 それは離縁の手続きに関する正式な書類だった。ラウル様のサインだけが、すでに済ませてある。

「……よろしいのですか。こんなところまで進めてしまって。ヘイワード公爵の帰国をお待ちになった方がいいと思いますが。いくら何でも、お義父様が不在の間に離縁の手続きまでしてしまうとなると……」

 あくまでも彼のためだった。私にとってこの書類は大変都合がいいのだから。けれど、ヘイワード公爵に何の許可もとらず勝手にオールディス侯爵家の娘と離縁してしまえば、さすがにラウル様も無事では済まないと思ったから。情けをかける必要などないのだけれど、私は思わず目の前の男を庇うようなことを言っていた。
 だけど、そんな優しさは完全に無駄だったとすぐに知る。
 ラウル様は苛立ちを露わにし、私を睨みつけながら言い放った。

「くどいな君は! 父が不在の今だからこそ手続きを済ませておきたいんじゃないか。父を通せば話が長くなってしまう……。君は私の本心を知ったはずだ。私はロージエを愛している。それなのに、愛の欠片もない結婚生活にそんなにも縋り付きたいのか。プライドはないのか、プライドは。曲がりなりにも侯爵家の令嬢なのだから、気高き誇りを持つべきじゃないのか」

 ……一体何をこんなに焦っているのだろう。
 私はまじまじとラウル様の顔を見つめた。目の前の彼は、どう見ても冷静ではない。まるで追い詰められた小動物のように激しく動揺し、とにかく一刻も早く離縁の手続きを済ませてしまいたいと狼狽えている。そう感じた。

(もしかして……ロージエさんが妊娠しているから? それが真実だから世間体を気にして、彼女のお腹の小さいうちに妻に迎えようとでも考えている……?)

 問い詰めてみたいけれど、私がそのことを知っていることをラウル様は知らない。はず。ブライト男爵か、彼女自身がラウル様に伝えていないのならば。
 ラウル様から「聞いたのだろう」と言ってこないということは、まだ知らない可能性が……。
 私が黙ったまま思考を巡らせていると、彼はついに舌打ちし、机の上に拳を打ちつけた。ドン、という乱暴な音に驚く。ラウル様の目は血走っていた。

「何か言ったらどうなんだ! 私と君との間に愛はない。私は君のような女性を愛することはないと結婚当初から言っている。ヘイワード公爵家の財産で優雅な暮らしを送る未来なら、さっさと諦めてくれ。私は真実の愛で結ばれたロージエを妻にするんだ!」

 もはや狂気じみたラウル様の様子に、徐々に恐怖心が湧き上がる。これ以上刺激しない方がいいかもしれない。頭ではそう分かっていながらも、私は聞かずにはいられなかった。

「……ロージエさんは男爵家のお嬢さんですわよね? 公爵の許可なく私と正式に離縁してしまって、その後はどうなさるおつもりなのですか? ヘイワード公爵家に、特別裕福でも歴史ある名家でもない、社交界の末端に位置する男爵家のお嬢さんを妻に迎えたいと、跡継ぎを生ませたいと、そう仰るおつもりですか? それを公爵がお認めになると……?」
「うるさい! 黙れ、ティファナ・オールディス!」

 痛いところを突かれたからか、ラウル様はついに大声を上げ、私の目の前まで歩み寄ってきた。そして至近距離から私の顔を指さして血走った目で怒鳴りつける。

「そんなことはお前の知ったことじゃない! 俺とロージエが二人で乗り越える問題だ。いや、問題でさえない。父に真実の愛を認めてもらえばいいだけなのだから。たしかに普通に考えれば、俺たちは身分違いの、決して結ばれることのない恋人同士だ。だが! 過去に例外が全くないわけじゃない! 俺たちだって乗り越えられる! そのためにはお前の存在が邪魔なんだよ! つべこべ言わずに早くサインをしろ!!」

 ……どう見ても普通じゃない。何かがあったんだ。ロージエさんの妊娠かもしれないし、他の理由があるのかも。

(本当に盲目なのね……)

 恋は恐ろしい。冷静沈着で優秀なはずの男を愚か者にも変えてしまうし、その人生全てを狂わせてしまうこともある。
 かつて見たことがないほど取り乱したラウル様は別人のようで、その姿を見ながら私は考えた。とにかくもう、この部屋から出よう。このままここにいたら何をされるか分かったものじゃない。

「……分かりました。この書類は部屋に持ち帰り、熟考させていただきますわ。このように怒鳴りつけられながら半ば脅されるかたちで重要な書類にサインなど、したくありませんので」

 そう言って私が部屋を出ようと、彼から顔を背けたその時だった。

「……お前という女は……! いつまでごねるつもりだ! 俺とロージエの邪魔をするな!!」

 そう叫ぶとラウル様は私の肩を乱暴に掴み、強引に自分の方に向き直らせる。そして狂ったように腕を振り上げ、私の左頬をしたたかに引っ叩いたのだった。






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