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58. 幻想(※sideラウル)
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いてもたってもいられず、私はそのままロージエの屋敷を目指した。
場所は知っていたが、ここへ来るのは初めてのことだ。王都の端の方、ブライト男爵家のタウンハウスは、随分と古びた小さな屋敷だった。ここをタウンハウスと呼んでいいものかと疑問に思うほどに。
出てきた中年女の使用人に来訪を告げ、ロージエを呼び出してもらうと、玄関ホールに現れたのは彼女の父だった。
「これはこれは……、ヘイワード公爵家のご令息が、我が家にお越しくださるとは。いやぁ、何とも嬉しいことです。娘に会いにわざわざ? はは、聞いていた通り、二人の仲は順調そのもののようで」
目を糸のように細め、こちらを品定めするように見つめながらそう言うブライト男爵の言葉に、居心地の悪さを感じる。ロージエは私とのことを、父親にどこまで話しているのだろうか。
既婚者でありながら彼女に手を出している後ろめたさから、私はつい目を逸らしてしまう。
「……はじめまして。ヘイワード公爵家のラウルと申します」
「はは。よーく存じ上げておりますとも」
線の細い頼りなさそうなブライト男爵は、私の動揺を見透かしたかのようにニヤケながらこちらを見ている。
「あなた様のようなご立派なお方が、我が娘の面倒を見てくださるとは。いやぁ本当にありがたい。早くご挨拶したいと思っておりました。どうぞラウル殿、娘とこのブライト男爵家を末永くよろしくお願いしますよ。くれぐれも、どうぞ」
まるで蛇がまとわりつくようなねっとりとしたブライト男爵の口調に、逃げ道を塞がれるような圧迫感を覚える。どう答えていいやら思案していると、ようやくロージエが現れた。
「ラッ、ラウル様……! どうしてここへ……? んもう、お父さんったら! ラウル様と何話してたん!? 変なこと言わんどってよ」
「ははは。何も変なことなど言っとらんよ。幸せな二人を祝福して、今後のブライト男爵家のことをお願いしとっただけさ」
「やだぁ。恥ずかしいから止めてー」
「…………」
戯れるように話す父娘から目を逸らし、私はあらためて屋敷の中を見渡した。
古びて痛んだ小さな屋敷。みすぼらしい身なりをした使用人の女。妙に田舎臭い喋り方をする、行儀作法のなっていない野暮ったい父娘。
これまで私が生きてきた世界とは、私の周囲にいた人々とは、あまりにも違う場所。
何故だろう。あれほど恋い焦がれ、燃え上がっていたはずのロージエに対する想いが、まるで大量の氷水を頭から浴びせられたかのように急速に冷めていく気がした。言いようのない焦りと不安。
私は……もしかして、とんでもない過ちを犯してはいないだろうか。
そう思い至った途端、心臓が嫌な音を立てはじめる。
「ご、ごめんなさいラウル様……っ。何かお急ぎのお話が……?」
「……少し、二人きりで話せるだろうか」
ブライト男爵の視線を意識しながら、私は小さな声でロージエにそう言った。
案内されたロージエの部屋を見て、ますます気持ちが沈んでいく。最低限の調度品だけが置かれた、狭苦しく暗い部屋。その中にいる愛しいはずの女は、いつもより色褪せて見えた。
この屋敷全体が私に覆いかぶさってくるような、今後の私の人生の重荷としてのしかかってくるような、そんな息苦しさを感じる。
「ラウル様……。さっきまでお会いしていたのに、こうして私を訪ねてきてくださるなんて。すごく嬉しいです」
「……君の母君は、この屋敷に?」
「あ、はい。母は気鬱の病がありまして、部屋からほとんど出てこないのです。ご挨拶もできなくて、ごめんなさい」
「……いや」
私を見上げるロージエの瞳は、いつものように気弱で頼りない。そこがたまらなく可愛らしい。……はずなのに。
私は先ほどブライト男爵と会話をした時に感じていたわずかな疑問を口にした。
「……男爵は、君の父君は、君の妊娠について触れてこなかったな」
「……え……っ?」
「妊娠を知って激怒していたのだろう? その張本人である私が姿を現したというのに、何も言ってこられなかった。田舎の伯爵の後妻にしようと躍起になっているとも言っていたが、むしろ男爵は私に、君やブライト男爵家をよろしく頼むと嬉しそうに言っておられた」
「……そっ……!? そ、そう、ですか? それは……、はい、ラ、ラウル様が、こうして来てくださったので……その、誠意を? か、感じたのだと、思います……」
絵に描いたように狼狽えながら顔面蒼白になり、突然目を泳がせはじめるロージエ。何と分かりやすいのだろう。先ほどのサリアの言葉が思い出され失望が胸を覆い尽くす中、頭の片隅で冷静に考える自分がいた。やはりこの娘は愚鈍な馬鹿だと。上手く誤魔化すことさえできない。
無意識のうちに、私は言葉を発していた。
「ロージエ……全部、嘘だったのか……? ブライト男爵が君を伯爵の後妻に据えようとしているというのも、君が妊娠したというのも……」
「っ!! あ……、ち、ちが」
「君はサリア嬢の母親の口利きで、王宮勤めをするようになったのか? サリア嬢からこの私を籠絡し、あるいはサリア嬢のことを上手く推薦でもし、私と妻のティファナとの仲を破綻させるよう動けと命じられて、私に近付いてきたのか?」
「…………っ!! ど……どうして……」
まるで化け物でも見るような目つきで私を見ると、一歩後ずさりガクガクと震えるロージエ。失望に変わってこの胸を埋め尽くしたのは、耐えがたい悲しみだった。
真実の愛は、私だけが夢見た幻想だったというわけか。
場所は知っていたが、ここへ来るのは初めてのことだ。王都の端の方、ブライト男爵家のタウンハウスは、随分と古びた小さな屋敷だった。ここをタウンハウスと呼んでいいものかと疑問に思うほどに。
出てきた中年女の使用人に来訪を告げ、ロージエを呼び出してもらうと、玄関ホールに現れたのは彼女の父だった。
「これはこれは……、ヘイワード公爵家のご令息が、我が家にお越しくださるとは。いやぁ、何とも嬉しいことです。娘に会いにわざわざ? はは、聞いていた通り、二人の仲は順調そのもののようで」
目を糸のように細め、こちらを品定めするように見つめながらそう言うブライト男爵の言葉に、居心地の悪さを感じる。ロージエは私とのことを、父親にどこまで話しているのだろうか。
既婚者でありながら彼女に手を出している後ろめたさから、私はつい目を逸らしてしまう。
「……はじめまして。ヘイワード公爵家のラウルと申します」
「はは。よーく存じ上げておりますとも」
線の細い頼りなさそうなブライト男爵は、私の動揺を見透かしたかのようにニヤケながらこちらを見ている。
「あなた様のようなご立派なお方が、我が娘の面倒を見てくださるとは。いやぁ本当にありがたい。早くご挨拶したいと思っておりました。どうぞラウル殿、娘とこのブライト男爵家を末永くよろしくお願いしますよ。くれぐれも、どうぞ」
まるで蛇がまとわりつくようなねっとりとしたブライト男爵の口調に、逃げ道を塞がれるような圧迫感を覚える。どう答えていいやら思案していると、ようやくロージエが現れた。
「ラッ、ラウル様……! どうしてここへ……? んもう、お父さんったら! ラウル様と何話してたん!? 変なこと言わんどってよ」
「ははは。何も変なことなど言っとらんよ。幸せな二人を祝福して、今後のブライト男爵家のことをお願いしとっただけさ」
「やだぁ。恥ずかしいから止めてー」
「…………」
戯れるように話す父娘から目を逸らし、私はあらためて屋敷の中を見渡した。
古びて痛んだ小さな屋敷。みすぼらしい身なりをした使用人の女。妙に田舎臭い喋り方をする、行儀作法のなっていない野暮ったい父娘。
これまで私が生きてきた世界とは、私の周囲にいた人々とは、あまりにも違う場所。
何故だろう。あれほど恋い焦がれ、燃え上がっていたはずのロージエに対する想いが、まるで大量の氷水を頭から浴びせられたかのように急速に冷めていく気がした。言いようのない焦りと不安。
私は……もしかして、とんでもない過ちを犯してはいないだろうか。
そう思い至った途端、心臓が嫌な音を立てはじめる。
「ご、ごめんなさいラウル様……っ。何かお急ぎのお話が……?」
「……少し、二人きりで話せるだろうか」
ブライト男爵の視線を意識しながら、私は小さな声でロージエにそう言った。
案内されたロージエの部屋を見て、ますます気持ちが沈んでいく。最低限の調度品だけが置かれた、狭苦しく暗い部屋。その中にいる愛しいはずの女は、いつもより色褪せて見えた。
この屋敷全体が私に覆いかぶさってくるような、今後の私の人生の重荷としてのしかかってくるような、そんな息苦しさを感じる。
「ラウル様……。さっきまでお会いしていたのに、こうして私を訪ねてきてくださるなんて。すごく嬉しいです」
「……君の母君は、この屋敷に?」
「あ、はい。母は気鬱の病がありまして、部屋からほとんど出てこないのです。ご挨拶もできなくて、ごめんなさい」
「……いや」
私を見上げるロージエの瞳は、いつものように気弱で頼りない。そこがたまらなく可愛らしい。……はずなのに。
私は先ほどブライト男爵と会話をした時に感じていたわずかな疑問を口にした。
「……男爵は、君の父君は、君の妊娠について触れてこなかったな」
「……え……っ?」
「妊娠を知って激怒していたのだろう? その張本人である私が姿を現したというのに、何も言ってこられなかった。田舎の伯爵の後妻にしようと躍起になっているとも言っていたが、むしろ男爵は私に、君やブライト男爵家をよろしく頼むと嬉しそうに言っておられた」
「……そっ……!? そ、そう、ですか? それは……、はい、ラ、ラウル様が、こうして来てくださったので……その、誠意を? か、感じたのだと、思います……」
絵に描いたように狼狽えながら顔面蒼白になり、突然目を泳がせはじめるロージエ。何と分かりやすいのだろう。先ほどのサリアの言葉が思い出され失望が胸を覆い尽くす中、頭の片隅で冷静に考える自分がいた。やはりこの娘は愚鈍な馬鹿だと。上手く誤魔化すことさえできない。
無意識のうちに、私は言葉を発していた。
「ロージエ……全部、嘘だったのか……? ブライト男爵が君を伯爵の後妻に据えようとしているというのも、君が妊娠したというのも……」
「っ!! あ……、ち、ちが」
「君はサリア嬢の母親の口利きで、王宮勤めをするようになったのか? サリア嬢からこの私を籠絡し、あるいはサリア嬢のことを上手く推薦でもし、私と妻のティファナとの仲を破綻させるよう動けと命じられて、私に近付いてきたのか?」
「…………っ!! ど……どうして……」
まるで化け物でも見るような目つきで私を見ると、一歩後ずさりガクガクと震えるロージエ。失望に変わってこの胸を埋め尽くしたのは、耐えがたい悲しみだった。
真実の愛は、私だけが夢見た幻想だったというわけか。
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