【完結済】結婚式の夜、突然豹変した夫に白い結婚を言い渡されました

鳴宮野々花@書籍4作品発売中

文字の大きさ
72 / 74

71. 醒めない悪夢(※sideラウル)

しおりを挟む
 朝目覚めるたびに、ほんの一瞬期待する。もしかして、私は長い悪夢を見ていただけなのではないかと。
 そして体を起こして周囲を見回し、また今日も絶望する。ああ、やはり悪夢などではない。現実なのだ。ここはヘイワード公爵邸の私の部屋とは全く違う。朽ちかけた木材がむき出しの、今にも潰れてしまいそうな古びた家。その中のカビ臭い一室。視界の端に何かが動くの捉えそちらに目をやると、一匹の小さなムカデがうぞうぞと這い回っていた。
 うんざりしながらその不気味な虫を見ていると、一人の醜い女がおそるおそるといった風に部屋の中を覗き込んできた。

「……あ、ラ、ラウル様。起きてらっしゃったんですね。おはようございます」
「…………」
「昨日のパンの残りがありますけど、召し上がりますか? ちょっと固くなっちゃってますけど。スープも、具があまりないですし、少しだけですが……。キッチンのテーブルに置いてありますから、どうぞ。私は仕事に行ってきますね」

 女はこちらが苛立つほどにウキウキした口調でそう言うと、さっさと家を出て行った。何がそんなに楽しいんだ。こんな治安の悪い路地裏の、こんなオンボロの家に住んで。美味い食べ物も美しい衣装も寝心地の良いベッドも何もない、こんな惨めな生活で。何故そんなに満たされた顔をしていられるんだ。腹立たしい。

 俺はのろのろと立ち上がり、重い体を引きずってキッチンに向かう。キッチンといっても、そこはヘイワード公爵邸の大きな厨房とはまるで違う。狭くて不潔な居心地の悪い一角だ。
 私の足音に反応したネズミが壁の穴から逃げていくのを見送りながら、私はギシギシと音を立てる粗末な椅子に浅く腰かける。……何だこれは。見るからに不味そうな薄い色のスープの中には、小さな人参の欠片が浮いている。その横に置いてあった拳ほどの大きさのパンを手に取り、渋々口に運ぶ。……全く味がしない。乾燥し固くなったパンは食感も悪く、たった一口食べただけなのに飲み込むのに苦労した。私は残りを細かく千切って薄いスープに浸し、顔を顰めながら咀嚼した。

 外に出て路地を歩きながら、どうにかこの現実から逃れる術はないかと、今日も無駄なことを考える。そんなことは不可能なのに。父に見捨てられ無一文で平民となった私は、自分の力だけで生きていくしかないのだから。父は容赦なかった。私に当面の生活をするだけの金も、ましなところで働けるような紹介状も、何もくれなかった。本当に身一つで屋敷から追い出されたのだった。それでも、ティファナの実家オールディス侯爵家への慰謝料を全額支払ってくれただけよかったのかもしれない。あの借金まで抱え込んでいたら、私は気が狂っていたかもしれない。
 ……いや、いっそのこと狂ってしまった方が楽だったのだろうか。



「馬鹿野郎!! 何をちんたらしてやがるんだてめぇ!! そんなちまちま運んでたんじゃあっという間に夜になっちまうだろうが!! もっとたくさん持ってさっさと運べよ、このクズ!!」
「……す、すみません……」

 粗野で乱暴な男に尻を蹴飛ばされ、屈辱を噛み殺しながら散らばった木材をかき集め運ぶ。……私が辿り着いたのは、こんな肉体労働の現場だった。

 ヘイワード公爵邸を追い出された私は、王都で何か職を探さねばと駆けずり回った。しかし条件の良い高級店などはどこも私を雇ってはくれず、私は途方に暮れた。そのうち見知った貴族たちと鉢合わせることが何度かあり、居心地の悪くなった私は身を隠すように王都から離れた。
 その頃、私を探していたらしいロージエに見つかり、彼女は私を追いかけてついて来たのだった。

「わ、私もティファナ様のご実家にお金を支払わないといけないんです。一度父が私を連れてどこか遠くへ逃げようとしたのですが、オールディス侯爵家の見張りの人に見つかってしまい……。今も私と父には監視がついています。父は結局領地を返上し、爵位を失いました。全ての私財を整理してお金を作ったけれど、それでもオールディス侯爵家に支払う金額はまだまだ途方もなくて……。一生かかってでも、働いて慰謝料を支払わないと。……でも、ラウル様がおそばにいてくださるなら、私頑張れます」
「……。何故私が君と一緒にいなくてはならない。自分が私にしたことを忘れてしまったのか。私は君を許してはいない。君のせいで私の人生は台無しになってしまったのだからな」

 冷たくそう言い放ちながらも、私の内心は無様に揺れていた。私は孤独と恐怖に押し潰されそうになっていたのだ。これから先どうやって生きていけばいいのか。人生で学んできたことは何一つ役には立たない。もう経営する領地もなければ、知識を駆使して会話を交わす社交の相手もいない。まともな仕事さえ見つからない。
 今の私に何ができる。誰一人助けてはくれないこの状況で、これからどうすれば……。
 すると、そんな私の不安を見透かしたかのようにロージエは言った。

「で、ですが、ラウル様もヘイワード公爵家を追放されて、今は一人ぼっちなのですよね? 私のような者でも、おそばにいた方が心強いのではないですか? 一人では苦しくても、二人で肩を寄せあって生きていけば、きっと気持ちが楽になりますわ」
「…………」

 冗談じゃない。何故この私がこんな身も心も醜い女と肩を寄せあって生きていかねばならないのだ。こいつさえ現れなければ、私は道を踏み外すことなどなかったはずなのに。

 しかし私は結局、この女と共に生活するようになった。
 想像を絶する貧しく惨めな暮らしに絶望する私の隣で、ロージエはいつも穏やかに笑っていた。






しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

忘れられた幼な妻は泣くことを止めました

帆々
恋愛
アリスは十五歳。王国で高家と呼ばれるう高貴な家の姫だった。しかし、家は貧しく日々の暮らしにも困窮していた。 そんな時、アリスの父に非常に有利な融資をする人物が現れた。その代理人のフーは巧みに父を騙して、莫大な借金を負わせてしまう。 もちろん返済する目処もない。 「アリス姫と我が主人との婚姻で借財を帳消しにしましょう」 フーの言葉に父は頷いた。アリスもそれを責められなかった。家を守るのは父の責務だと信じたから。 嫁いだドリトルン家は悪徳金貸しとして有名で、アリスは邸の厳しいルールに従うことになる。フーは彼女を監視し自由を許さない。そんな中、夫の愛人が邸に迎え入れることを知る。彼女は庭の隅の離れ住まいを強いられているのに。アリスは嘆き悲しむが、フーに強く諌められてうなだれて受け入れた。 「ご実家への援助はご心配なく。ここでの悪くないお暮らしも保証しましょう」 そういう経緯を仲良しのはとこに打ち明けた。晩餐に招かれ、久しぶりに心の落ち着く時間を過ごした。その席にははとこ夫妻の友人のロエルもいて、彼女に彼の掘った珍しい鉱石を見せてくれた。しかし迎えに現れたフーが、和やかな夜をぶち壊してしまう。彼女を庇うはとこを咎め、フーの無礼を責めたロエルにまで痛烈な侮蔑を吐き捨てた。 厳しい婚家のルールに縛られ、アリスは外出もままならない。 それから五年の月日が流れ、ひょんなことからロエルに再会することになった。金髪の端正な紳士の彼は、彼女に問いかけた。 「お幸せですか?」 アリスはそれに答えられずにそのまま別れた。しかし、その言葉が彼の優しかった印象と共に尾を引いて、彼女の中に残っていく_______。 世間知らずの高貴な姫とやや強引な公爵家の子息のじれじれなラブストーリーです。 古風な恋愛物語をお好きな方にお読みいただけますと幸いです。 ハッピーエンドを心がけております。読後感のいい物語を努めます。 ※小説家になろう様にも投稿させていただいております。

今から婚約者に会いに行きます。〜私は運命の相手ではないから

毛蟹
恋愛
婚約者が王立学園の卒業を間近に控えていたある日。 ポーリーンのところに、婚約者の恋人だと名乗る女性がやってきた。 彼女は別れろ。と、一方的に迫り。 最後には暴言を吐いた。 「ああ、本当に嫌だわ。こんな田舎。肥溜めの臭いがするみたい。……貴女からも漂ってるわよ」  洗練された都会に住む自分の方がトリスタンにふさわしい。と、言わんばかりに彼女は微笑んだ。 「ねえ、卒業パーティーには来ないでね。恥をかくのは貴女よ。婚約破棄されてもまだ間に合うでしょう?早く相手を見つけたら?」 彼女が去ると、ポーリーンはある事を考えた。 ちゃんと、別れ話をしようと。 ポーリーンはこっそりと屋敷から抜け出して、婚約者のところへと向かった。

私を裏切った夫が、後悔しているようですが知りません

藤原遊
恋愛
政略結婚として、公爵家に嫁いだ私は 愛のない夫婦関係を「仕事」だと思い、正妻の役目を果たしてきた。 夫が愛人を持つことも、 その子を屋敷に迎え入れることも、黙って受け入れてきた。 けれど―― 跡取りを、正妻の子ではなく愛人の子にする。 その言葉を、人前で軽く口にした瞬間。 私は悟ったのだ。 この家では、息子を守れないと。 元々、実家との間には 「嫡子以外の子は実家の跡取りにする」という取り決めがあった。 ならば話は簡単だ。 役目を終えた私は、離縁を選ぶ。 息子と共に、この家を去るだけ。 後悔しているようですが―― もう、私の知るところではありません。

その結婚は、白紙にしましょう

香月まと
恋愛
リュミエール王国が姫、ミレナシア。 彼女はずっとずっと、王国騎士団の若き団長、カインのことを想っていた。 念願叶って結婚の話が決定した、その夕方のこと。 浮かれる姫を前にして、カインの口から出た言葉は「白い結婚にとさせて頂きたい」 身分とか立場とか何とか話しているが、姫は急速にその声が遠くなっていくのを感じる。 けれど、他でもない憧れの人からの嘆願だ。姫はにっこりと笑った。 「分かりました。その提案を、受け入れ──」 全然受け入れられませんけど!? 形だけの結婚を了承しつつも、心で号泣してる姫。 武骨で不器用な王国騎士団長。 二人を中心に巻き起こった、割と短い期間のお話。

私のことは愛さなくても結構です

毛蟹
恋愛
サブリナは、聖騎士ジークムントからの婚約の打診の手紙をもらって有頂天になった。 一緒になって喜ぶ父親の姿を見た瞬間に前世の記憶が蘇った。 彼女は、自分が本の世界の中に生まれ変わったことに気がついた。 サブリナは、ジークムントと愛のない結婚をした後に、彼の愛する聖女アルネを嫉妬心の末に殺害しようとする。 いわゆる悪女だった。 サブリナは、ジークムントに首を切り落とされて、彼女の家族は全員死刑となった。 全ての記憶を思い出した後、サブリナは熱を出して寝込んでしまった。 そして、サブリナの妹クラリスが代打としてジークムントの婚約者になってしまう。 主役は、いわゆる悪役の妹です

【書籍化決定】愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...