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71. 醒めない悪夢(※sideラウル)
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朝目覚めるたびに、ほんの一瞬期待する。もしかして、私は長い悪夢を見ていただけなのではないかと。
そして体を起こして周囲を見回し、また今日も絶望する。ああ、やはり悪夢などではない。現実なのだ。ここはヘイワード公爵邸の私の部屋とは全く違う。朽ちかけた木材がむき出しの、今にも潰れてしまいそうな古びた家。その中のカビ臭い一室。視界の端に何かが動くの捉えそちらに目をやると、一匹の小さなムカデがうぞうぞと這い回っていた。
うんざりしながらその不気味な虫を見ていると、一人の醜い女がおそるおそるといった風に部屋の中を覗き込んできた。
「……あ、ラ、ラウル様。起きてらっしゃったんですね。おはようございます」
「…………」
「昨日のパンの残りがありますけど、召し上がりますか? ちょっと固くなっちゃってますけど。スープも、具があまりないですし、少しだけですが……。キッチンのテーブルに置いてありますから、どうぞ。私は仕事に行ってきますね」
女はこちらが苛立つほどにウキウキした口調でそう言うと、さっさと家を出て行った。何がそんなに楽しいんだ。こんな治安の悪い路地裏の、こんなオンボロの家に住んで。美味い食べ物も美しい衣装も寝心地の良いベッドも何もない、こんな惨めな生活で。何故そんなに満たされた顔をしていられるんだ。腹立たしい。
俺はのろのろと立ち上がり、重い体を引きずってキッチンに向かう。キッチンといっても、そこはヘイワード公爵邸の大きな厨房とはまるで違う。狭くて不潔な居心地の悪い一角だ。
私の足音に反応したネズミが壁の穴から逃げていくのを見送りながら、私はギシギシと音を立てる粗末な椅子に浅く腰かける。……何だこれは。見るからに不味そうな薄い色のスープの中には、小さな人参の欠片が浮いている。その横に置いてあった拳ほどの大きさのパンを手に取り、渋々口に運ぶ。……全く味がしない。乾燥し固くなったパンは食感も悪く、たった一口食べただけなのに飲み込むのに苦労した。私は残りを細かく千切って薄いスープに浸し、顔を顰めながら咀嚼した。
外に出て路地を歩きながら、どうにかこの現実から逃れる術はないかと、今日も無駄なことを考える。そんなことは不可能なのに。父に見捨てられ無一文で平民となった私は、自分の力だけで生きていくしかないのだから。父は容赦なかった。私に当面の生活をするだけの金も、ましなところで働けるような紹介状も、何もくれなかった。本当に身一つで屋敷から追い出されたのだった。それでも、ティファナの実家オールディス侯爵家への慰謝料を全額支払ってくれただけよかったのかもしれない。あの借金まで抱え込んでいたら、私は気が狂っていたかもしれない。
……いや、いっそのこと狂ってしまった方が楽だったのだろうか。
「馬鹿野郎!! 何をちんたらしてやがるんだてめぇ!! そんなちまちま運んでたんじゃあっという間に夜になっちまうだろうが!! もっとたくさん持ってさっさと運べよ、このクズ!!」
「……す、すみません……」
粗野で乱暴な男に尻を蹴飛ばされ、屈辱を噛み殺しながら散らばった木材をかき集め運ぶ。……私が辿り着いたのは、こんな肉体労働の現場だった。
ヘイワード公爵邸を追い出された私は、王都で何か職を探さねばと駆けずり回った。しかし条件の良い高級店などはどこも私を雇ってはくれず、私は途方に暮れた。そのうち見知った貴族たちと鉢合わせることが何度かあり、居心地の悪くなった私は身を隠すように王都から離れた。
その頃、私を探していたらしいロージエに見つかり、彼女は私を追いかけてついて来たのだった。
「わ、私もティファナ様のご実家にお金を支払わないといけないんです。一度父が私を連れてどこか遠くへ逃げようとしたのですが、オールディス侯爵家の見張りの人に見つかってしまい……。今も私と父には監視がついています。父は結局領地を返上し、爵位を失いました。全ての私財を整理してお金を作ったけれど、それでもオールディス侯爵家に支払う金額はまだまだ途方もなくて……。一生かかってでも、働いて慰謝料を支払わないと。……でも、ラウル様がおそばにいてくださるなら、私頑張れます」
「……。何故私が君と一緒にいなくてはならない。自分が私にしたことを忘れてしまったのか。私は君を許してはいない。君のせいで私の人生は台無しになってしまったのだからな」
冷たくそう言い放ちながらも、私の内心は無様に揺れていた。私は孤独と恐怖に押し潰されそうになっていたのだ。これから先どうやって生きていけばいいのか。人生で学んできたことは何一つ役には立たない。もう経営する領地もなければ、知識を駆使して会話を交わす社交の相手もいない。まともな仕事さえ見つからない。
今の私に何ができる。誰一人助けてはくれないこの状況で、これからどうすれば……。
すると、そんな私の不安を見透かしたかのようにロージエは言った。
「で、ですが、ラウル様もヘイワード公爵家を追放されて、今は一人ぼっちなのですよね? 私のような者でも、おそばにいた方が心強いのではないですか? 一人では苦しくても、二人で肩を寄せあって生きていけば、きっと気持ちが楽になりますわ」
「…………」
冗談じゃない。何故この私がこんな身も心も醜い女と肩を寄せあって生きていかねばならないのだ。こいつさえ現れなければ、私は道を踏み外すことなどなかったはずなのに。
しかし私は結局、この女と共に生活するようになった。
想像を絶する貧しく惨めな暮らしに絶望する私の隣で、ロージエはいつも穏やかに笑っていた。
そして体を起こして周囲を見回し、また今日も絶望する。ああ、やはり悪夢などではない。現実なのだ。ここはヘイワード公爵邸の私の部屋とは全く違う。朽ちかけた木材がむき出しの、今にも潰れてしまいそうな古びた家。その中のカビ臭い一室。視界の端に何かが動くの捉えそちらに目をやると、一匹の小さなムカデがうぞうぞと這い回っていた。
うんざりしながらその不気味な虫を見ていると、一人の醜い女がおそるおそるといった風に部屋の中を覗き込んできた。
「……あ、ラ、ラウル様。起きてらっしゃったんですね。おはようございます」
「…………」
「昨日のパンの残りがありますけど、召し上がりますか? ちょっと固くなっちゃってますけど。スープも、具があまりないですし、少しだけですが……。キッチンのテーブルに置いてありますから、どうぞ。私は仕事に行ってきますね」
女はこちらが苛立つほどにウキウキした口調でそう言うと、さっさと家を出て行った。何がそんなに楽しいんだ。こんな治安の悪い路地裏の、こんなオンボロの家に住んで。美味い食べ物も美しい衣装も寝心地の良いベッドも何もない、こんな惨めな生活で。何故そんなに満たされた顔をしていられるんだ。腹立たしい。
俺はのろのろと立ち上がり、重い体を引きずってキッチンに向かう。キッチンといっても、そこはヘイワード公爵邸の大きな厨房とはまるで違う。狭くて不潔な居心地の悪い一角だ。
私の足音に反応したネズミが壁の穴から逃げていくのを見送りながら、私はギシギシと音を立てる粗末な椅子に浅く腰かける。……何だこれは。見るからに不味そうな薄い色のスープの中には、小さな人参の欠片が浮いている。その横に置いてあった拳ほどの大きさのパンを手に取り、渋々口に運ぶ。……全く味がしない。乾燥し固くなったパンは食感も悪く、たった一口食べただけなのに飲み込むのに苦労した。私は残りを細かく千切って薄いスープに浸し、顔を顰めながら咀嚼した。
外に出て路地を歩きながら、どうにかこの現実から逃れる術はないかと、今日も無駄なことを考える。そんなことは不可能なのに。父に見捨てられ無一文で平民となった私は、自分の力だけで生きていくしかないのだから。父は容赦なかった。私に当面の生活をするだけの金も、ましなところで働けるような紹介状も、何もくれなかった。本当に身一つで屋敷から追い出されたのだった。それでも、ティファナの実家オールディス侯爵家への慰謝料を全額支払ってくれただけよかったのかもしれない。あの借金まで抱え込んでいたら、私は気が狂っていたかもしれない。
……いや、いっそのこと狂ってしまった方が楽だったのだろうか。
「馬鹿野郎!! 何をちんたらしてやがるんだてめぇ!! そんなちまちま運んでたんじゃあっという間に夜になっちまうだろうが!! もっとたくさん持ってさっさと運べよ、このクズ!!」
「……す、すみません……」
粗野で乱暴な男に尻を蹴飛ばされ、屈辱を噛み殺しながら散らばった木材をかき集め運ぶ。……私が辿り着いたのは、こんな肉体労働の現場だった。
ヘイワード公爵邸を追い出された私は、王都で何か職を探さねばと駆けずり回った。しかし条件の良い高級店などはどこも私を雇ってはくれず、私は途方に暮れた。そのうち見知った貴族たちと鉢合わせることが何度かあり、居心地の悪くなった私は身を隠すように王都から離れた。
その頃、私を探していたらしいロージエに見つかり、彼女は私を追いかけてついて来たのだった。
「わ、私もティファナ様のご実家にお金を支払わないといけないんです。一度父が私を連れてどこか遠くへ逃げようとしたのですが、オールディス侯爵家の見張りの人に見つかってしまい……。今も私と父には監視がついています。父は結局領地を返上し、爵位を失いました。全ての私財を整理してお金を作ったけれど、それでもオールディス侯爵家に支払う金額はまだまだ途方もなくて……。一生かかってでも、働いて慰謝料を支払わないと。……でも、ラウル様がおそばにいてくださるなら、私頑張れます」
「……。何故私が君と一緒にいなくてはならない。自分が私にしたことを忘れてしまったのか。私は君を許してはいない。君のせいで私の人生は台無しになってしまったのだからな」
冷たくそう言い放ちながらも、私の内心は無様に揺れていた。私は孤独と恐怖に押し潰されそうになっていたのだ。これから先どうやって生きていけばいいのか。人生で学んできたことは何一つ役には立たない。もう経営する領地もなければ、知識を駆使して会話を交わす社交の相手もいない。まともな仕事さえ見つからない。
今の私に何ができる。誰一人助けてはくれないこの状況で、これからどうすれば……。
すると、そんな私の不安を見透かしたかのようにロージエは言った。
「で、ですが、ラウル様もヘイワード公爵家を追放されて、今は一人ぼっちなのですよね? 私のような者でも、おそばにいた方が心強いのではないですか? 一人では苦しくても、二人で肩を寄せあって生きていけば、きっと気持ちが楽になりますわ」
「…………」
冗談じゃない。何故この私がこんな身も心も醜い女と肩を寄せあって生きていかねばならないのだ。こいつさえ現れなければ、私は道を踏み外すことなどなかったはずなのに。
しかし私は結局、この女と共に生活するようになった。
想像を絶する貧しく惨めな暮らしに絶望する私の隣で、ロージエはいつも穏やかに笑っていた。
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