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46. 凛々しき王女
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「アウグスト王太子殿下とフロレンティーナ王女殿下は、先日の会談におけるヒューゴ第二王子殿下の発言についての謝罪を我々に伝えるため、はるばる来訪されたのだそうだ」
「え……」
陛下のお言葉に、私たちは目の前の二人に視線を戻す。痛みに耐えるような表情を浮かべたアウグスト王太子が、少し声を震わせる。
「さようでございます。我が実弟ヒューゴがイルガルド使節団との会談の席で、軍の投入をほのめかす発言をしたとの報告を受け、謝罪に馳せ参じました。奴の……第二王子の言葉は王国の総意ではなく、国王や王太子である私の承認も得ぬままの身勝手なものに他なりません。王家を代表し、まずはそのことを深くお詫び申し上げます」
そう言うと、アウグスト王太子は目を伏せ、謝罪の意を示した。
「第二王子にはこのような恫喝めいた振る舞いを二度とさせぬよう、王国内で責任をもって対応します。本日の来訪は、対話をこそ望むという我々の意思表示です」
どうやらアルーシア側の開戦宣言は取り消すということのようだ。アウグスト王太子の言葉にホッとした反面、別の不安も湧き上がる。この方……もう何年も政から遠ざかって離宮に籠もっていたのよね……? 今の時点で、一体どこまでの権限が与えられているのかしら。大丈夫なのかな……。
すると、私の不安を見透かしたかのように、アウグスト王太子が言葉を続ける。
「……私はこれまで、心を病み臥せってしまった妻を支えることを言い訳に、家族で離宮に移り、政からは目を背けてきました。男児をなせなかった罪悪感や劣等感、周囲からのプレッシャーに押し潰されそうになり、王太子という立場でありながら、王国の未来に対する責任から逃げたのです。ですが、このフロレンティーナは違いました」
そう言うと、アウグスト王太子は慈しむような眼差しで実娘である王女を見つめる。
「娘が生まれて以来何年もの間、この父が情けなく引きこもっているのを尻目に、フロレンティーナは真摯に学び続けていたのです。私たち夫婦がただ落ち込み、世間から隠れるように過ごしている時、フロレンティーナは教育係たちから多くのことを吸収し、知識として身に付けていた……。心弱い我々両親とはまるで違い、この娘は強く凛々しく成長していきました。そしてそのことにすら、私は最近まで気付いてもいなかったのです……」
アウグスト王太子の言葉には、自分を深く責めるような響きがあった。父親が自分のことを語っている間、フロレンティーナ王女は微動だにせず、きりっとした顔つきで背筋を伸ばして立っている。……そしてなぜだか、その深青色の瞳で私のことを一心に見つめている。穴があきそうだ。悪意は一切こもっていないけれど、その強い眼差しに思わずたじろいでしまう。
「先日、イルガルド使節団が帰国された後、娘が凄まじい剣幕で私のもとへとやってきて、こう言いました──」
『お父様!! いい加減に目をお覚ましになって!! この大国が今どういう状況におかれているか、ご存じありませんの? 交易はどんどん細り、民の暮らしは苦しくなる一方なのですよ? あれほど豊かだったこのアルーシア王国がここまで急激に追い詰められているのには、相応の原因があるはずです。そう思い、私はとことん調べました。そして……周辺の中小国のことを一切顧みない我が国の横暴な政治の在り方に気付いたのです。国々は皆我が国から離れ、互いに手を取り合い健全な交易を始めているのですわ! 自業自得で取り残された我が国は、さらにヒューゴ叔父様の軽率な言動によって絶体絶命の危機に陥っています。お父様、どうかお立ちください。大国を立て直す責務は、王太子であるあなたにあるのですよ!』
(……この王女……本当にすごいわ……)
王太子の話を聞きながら胸がいっぱいになり、鳥肌が立った。両親が打ちひしがれひっそりと過ごしているそのそばで、王女はそれに引っ張られることなくただ一人前を向き、この八年間を生きてきたのだ。もちろん、そばに侍っていた教育係たちの仕事も素晴らしかったのだろう。けれどこの幼さで、大人たちが、女性たちが目を逸らし、また知ろうともしてこなかった歴史ある大国の実情を見抜いたのだ。そして王族の一員として、自分の務めを果たそうとしている。
「立派だろう? アルーシアの王女殿下は」
その時、ふいにトリスタン王弟殿下の声が玉座のそばから聞こえ、私は我に返った。
「……はい。まことに……」
半ば呆然と答える私に向かって、フロレンティーナ王女が淀みのない声で言った。
「ラザフォード子爵、私は自国のことを、そしてこの大陸全土のことを様々調べていくうちに、あなた様の歩みを知りました。我が国を離れた後、イルガルドにて数々の交渉をまとめ、諸国の信頼を勝ち取られてきたこと。女性であることを理由に退けられてきた立場から、外交の中枢にまで上られたそのお働きに、心から敬意を抱いております」
「まぁ……。光栄ですわ、王女殿下」
きらきらと輝く瞳で、彼女は真っ直ぐな言葉で私を褒めてくださる。少しくすぐったくて、でもとても心が温かくなった。この王女の心は、すでに立派に自立している。
王女は胸の前で両手を強く握り合わせた。
「我がアルーシアも、一刻も早く変わらねばなりません。再び国を立て直し、新たな仕組みを築くために……どうかラザフォード子爵、我々にお力をお貸しいただけませんか。私はあなたから学びたいのです。大陸の小国たちを豊かな国々に作り変えたその素晴らしいお知恵を、この私にも授けていただけませんか」
「え……」
陛下のお言葉に、私たちは目の前の二人に視線を戻す。痛みに耐えるような表情を浮かべたアウグスト王太子が、少し声を震わせる。
「さようでございます。我が実弟ヒューゴがイルガルド使節団との会談の席で、軍の投入をほのめかす発言をしたとの報告を受け、謝罪に馳せ参じました。奴の……第二王子の言葉は王国の総意ではなく、国王や王太子である私の承認も得ぬままの身勝手なものに他なりません。王家を代表し、まずはそのことを深くお詫び申し上げます」
そう言うと、アウグスト王太子は目を伏せ、謝罪の意を示した。
「第二王子にはこのような恫喝めいた振る舞いを二度とさせぬよう、王国内で責任をもって対応します。本日の来訪は、対話をこそ望むという我々の意思表示です」
どうやらアルーシア側の開戦宣言は取り消すということのようだ。アウグスト王太子の言葉にホッとした反面、別の不安も湧き上がる。この方……もう何年も政から遠ざかって離宮に籠もっていたのよね……? 今の時点で、一体どこまでの権限が与えられているのかしら。大丈夫なのかな……。
すると、私の不安を見透かしたかのように、アウグスト王太子が言葉を続ける。
「……私はこれまで、心を病み臥せってしまった妻を支えることを言い訳に、家族で離宮に移り、政からは目を背けてきました。男児をなせなかった罪悪感や劣等感、周囲からのプレッシャーに押し潰されそうになり、王太子という立場でありながら、王国の未来に対する責任から逃げたのです。ですが、このフロレンティーナは違いました」
そう言うと、アウグスト王太子は慈しむような眼差しで実娘である王女を見つめる。
「娘が生まれて以来何年もの間、この父が情けなく引きこもっているのを尻目に、フロレンティーナは真摯に学び続けていたのです。私たち夫婦がただ落ち込み、世間から隠れるように過ごしている時、フロレンティーナは教育係たちから多くのことを吸収し、知識として身に付けていた……。心弱い我々両親とはまるで違い、この娘は強く凛々しく成長していきました。そしてそのことにすら、私は最近まで気付いてもいなかったのです……」
アウグスト王太子の言葉には、自分を深く責めるような響きがあった。父親が自分のことを語っている間、フロレンティーナ王女は微動だにせず、きりっとした顔つきで背筋を伸ばして立っている。……そしてなぜだか、その深青色の瞳で私のことを一心に見つめている。穴があきそうだ。悪意は一切こもっていないけれど、その強い眼差しに思わずたじろいでしまう。
「先日、イルガルド使節団が帰国された後、娘が凄まじい剣幕で私のもとへとやってきて、こう言いました──」
『お父様!! いい加減に目をお覚ましになって!! この大国が今どういう状況におかれているか、ご存じありませんの? 交易はどんどん細り、民の暮らしは苦しくなる一方なのですよ? あれほど豊かだったこのアルーシア王国がここまで急激に追い詰められているのには、相応の原因があるはずです。そう思い、私はとことん調べました。そして……周辺の中小国のことを一切顧みない我が国の横暴な政治の在り方に気付いたのです。国々は皆我が国から離れ、互いに手を取り合い健全な交易を始めているのですわ! 自業自得で取り残された我が国は、さらにヒューゴ叔父様の軽率な言動によって絶体絶命の危機に陥っています。お父様、どうかお立ちください。大国を立て直す責務は、王太子であるあなたにあるのですよ!』
(……この王女……本当にすごいわ……)
王太子の話を聞きながら胸がいっぱいになり、鳥肌が立った。両親が打ちひしがれひっそりと過ごしているそのそばで、王女はそれに引っ張られることなくただ一人前を向き、この八年間を生きてきたのだ。もちろん、そばに侍っていた教育係たちの仕事も素晴らしかったのだろう。けれどこの幼さで、大人たちが、女性たちが目を逸らし、また知ろうともしてこなかった歴史ある大国の実情を見抜いたのだ。そして王族の一員として、自分の務めを果たそうとしている。
「立派だろう? アルーシアの王女殿下は」
その時、ふいにトリスタン王弟殿下の声が玉座のそばから聞こえ、私は我に返った。
「……はい。まことに……」
半ば呆然と答える私に向かって、フロレンティーナ王女が淀みのない声で言った。
「ラザフォード子爵、私は自国のことを、そしてこの大陸全土のことを様々調べていくうちに、あなた様の歩みを知りました。我が国を離れた後、イルガルドにて数々の交渉をまとめ、諸国の信頼を勝ち取られてきたこと。女性であることを理由に退けられてきた立場から、外交の中枢にまで上られたそのお働きに、心から敬意を抱いております」
「まぁ……。光栄ですわ、王女殿下」
きらきらと輝く瞳で、彼女は真っ直ぐな言葉で私を褒めてくださる。少しくすぐったくて、でもとても心が温かくなった。この王女の心は、すでに立派に自立している。
王女は胸の前で両手を強く握り合わせた。
「我がアルーシアも、一刻も早く変わらねばなりません。再び国を立て直し、新たな仕組みを築くために……どうかラザフォード子爵、我々にお力をお貸しいただけませんか。私はあなたから学びたいのです。大陸の小国たちを豊かな国々に作り変えたその素晴らしいお知恵を、この私にも授けていただけませんか」
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