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第七章 幸せの予約
64 前を向くために(2)
しおりを挟む覚悟はしていた。――ホフマン伯爵家の方々と公の場で会うこともある。
そんな日も来るかもしないと……。
まさか、こんなにも早く、そんな日が訪れるとは思わなかったが……。
「そんな!! シャルロッテは、数日前に婚約を破棄されたばかりなのよ?! そんなのって……」
エカテリーナが大きな声を上げた。
すると、侯爵もつらそうな顔をして言った。
「仕方ないんだ。ずっとこの事業に関わっていた前ホフマン伯爵が亡くなったとはいえ、この事業を牽引してきたのは、あくまでも『ホフマン伯爵家』だからね……。招待しないわけにはいかない」
私は、ランゲ侯爵の目を見て言った。
「――大丈夫です。いつか……、公の場で、会う日が来るかもしれないということは――覚悟していましたので……」
「シャルロッテ……」
エカテリーナがつらそうな顔でこちらを見ていた。
すると侯爵が言いにくそうに口を開いた。
「もう一つ知らせることがあってね……これは、サフィール王子殿下のご提案なのだが……。ホフマン伯爵子息とシャルロッテの『婚約破棄』は、『なかったこと』にした方がいい、とおっしゃっているんだ」
「え?」
私は何を言われたのかわからなくて、思わず侯爵を見つめた。
すると、エカテリーナが侯爵の執務机に手をついて言った。
ダン!!
「どういうことなの?」
「こんなことを言うのは、シャルロッテ嬢を傷つけるとはわかっているのだけどね……。
17歳までの婚約は、一般的には無効ということになるんだ。今回は、個人契約のような形で婚姻を契約したようだが……本来なら正式な形とは呼べないんだ。
君は今後、女性としてこの事業に携わることになる、恐らく君を見くびる者もいるだろう。そんな時、君に婚約破棄の過去があることを知らせることはリスクになるんだ」
「婚約破棄をなかったことに……知られることがリスク……」
――婚約破棄をなかったことにする。これでも私は、7歳から、ハンスの婚約者として幼いながらにプライドを持って生きてきたつもりだ。その時間をなかったことに?
なぜだろう、足元から何かが崩れ落ちるような感覚があり、私は必死で足に力を入れた。
「ああ。今なら皆、前ホフマン伯爵が亡くなったことは、当然知っている。
だからこの際、今回の事業の移行は、『前ホフマン伯爵の試験に合格した君が後継者として宝石を学び、事業を継承した』という形にしてはどうか、と言われたんだ。サフィール殿下の話では、嘘……というわけでは、ないのだろ?」
前ホフマン伯爵から、私がマッローネダイアを見抜いたことで、ハンスの婚約者にしたと聞いたことがある。確かに、ハンスとの婚約という話を抜きにすれば、私は、前ホフマン伯爵の石を見抜く試験に合格して、ハンスと共に、教えを受けたと言っても間違いではない。
――そう、確かに間違いではないのだ……ここは頷くべきだろう。絶対に頷くべきだ。
でも……。身体が動かなった。私は確かに婚約破棄をされたが、ハンスの婚約者だったのだ。
私が、両手を握りしめていると、ランゲ侯爵が口を開いた。
「これは、伝えようかどうしようかと、迷ったのだが……ホフマン伯爵子息からは、他の令嬢との婚姻の予定もあるので、それで構わないとの返答を貰っている」
「え? ハンスも了承して……」
「ああ。この件は、ホフマン伯爵子息から回答を貰い、その後ホフマン伯爵家のご両親、シャルロッテ嬢のご両親に打診したところ、両家のご両親共『全てはシャルロッテ嬢の判断に従う』とのことだった」
「私に……」
私は目を閉じて、私が身内になることを、心から楽しみにしてくれていた前ホフマン伯爵に心の中で呟いた。
(伯爵、ごめんなさい。私がいつか、あなたの孫になるからこそ、真剣に教えて下さったのに……あなたの教え子だとだけ名乗る私を、どうか天国からお許し下さい)
私は、顔を上げて、ランゲ侯爵をじっと見つめながら言った。
「わかりました。婚約破棄はなかったことにします。よろしくお願い致します」
「そうか……すまない。シャルロッテ嬢」
「シャルロッテ……」
ランゲ侯爵とエカテリーナのつらそうな顔が見えて、笑おうとしたが上手く笑えなかった。
フワリと身体にあたたかさを感じて顔をあげると、エカテリーナに抱きしめられていた。
私は、このあたたかさにしばらく甘えることにしたのだった。
☆==☆==
その数日後、学院では……。
「あの……ハンス・ホフマン様、少しよろしいでしょうか?」
ホフマン伯爵子息ハンスは、ひとけのない廊下で、知らない令嬢に呼び止められていた。
「何か?」
ハンスが答えると、令嬢がオドオドしながら言った。
「実は……今回のマッローネダイアの流通の件で、早めに回答を頂けないかと……父が申しておりまして……もしよろしければ、正式な文書は後でもよろしいですので、概要だけでも説明していただけないでしょうか?」
ハンスは、令嬢が何を言っているのか、全く理解出来ずに、ますます眉を寄せた。
「マッローネダイアの流通の回答? 失礼ですが、どちらの方ですか」
ハンスの不審そうな顔に、令嬢は、驚いた顔をした後に悲しそうに答えた。
「え? ああ……申し遅れました。私はBクラスのマリア・コラージュと申します。昨年も、ハンス様と、同じクラスでした」
令嬢は、今まで話をしたことはなかったが、2年も同じクラスにいるし、実はその前も同じクラスになったことがある。ハンスはホフマン伯爵家の嫡男だ。さすがに仕事上の繋がりのある、自分の名前は当然知っているだろう、と思っていた。
まさか、自分のことを知らないということは思わず驚いてしまった。
「ああ、すみません。コラージュ……というと、コラージュ伯爵家ですね」
ハンスは、令嬢にあやまると、今度は不思議そうに答えだ。
「ええ」
「そのような方がなぜ、宝石のことを?」
「え? あの、私の領は織物に特化した領でして……いつもホフマン伯爵家の方に、宝石の流通についてのご回答を頂いていて……(もしかして、最近、書類に添えられているお手紙の字が美しい字に変わって、てっきりハンス様だと思っていたけれど……ハンス様の字ではないのかしら?)」
令嬢は、てっきりハンスに聞けば、答えてくれると思っていたので、何も知らないハンスを、不思議に思いながらも、説明をした。
「織物関係の方が宝石の流通を……? ――また改めて返事をします。申し訳ないですが、慣れていない者が仕事をしているせいで、混乱しているのもしれない」
「ああ、……前ホフマン伯爵がお亡くなりになったばかりですしね……」
「私がなんとかします。安心してお待ち下さい」
「そうですか……それでは失礼致します」
ハンスの言葉に令嬢は『何かおかしい』と、疑問に思いながらも、ホフマン伯爵家と揉めるのは、得策ではないし、自分の判断で事を荒立てるわけにもいかない。
「(家に戻って、お父様に報告した方がよさそうね)」
令嬢は足早にハンスの元を去って行った。
ハンスは令嬢を見送りながら、小さく呟いた。
「やはり……シャルだけでは無理だったんだ……サフィール王子殿下ではなく、ランゲ侯爵と話をしなければ……」
そう決意して、教室に向かったのだった。
☆==☆==
ハンスが屋敷に戻ると、丁度、早馬が着いたところだった。
「おかえりなさいませ、ハンス様」
執事があいさつをすると、ハンスは、先ほど、早馬から受け取ったであろう手紙を持っていた執事に話しかけた。
「それ、どこから?」
執事は、一瞬戸惑った後に答えた。
「……ランゲ侯爵家からです」
「見せて」
ハンスが手を伸ばすと、執事が言いにくそうに言った。
「ですが、旦那様宛てですので……」
「いいよ。急ぎかもしれないだろ?」
執事はハンスに逆らうことが出来ずに、封筒を手渡した。
ハンスは、執事からペーパーナイフを借りて封を開けると、執事に言った。
「シャルのお披露目式か……これは私が出よう。確認したいこともあるし」
「ハンス様、どうされたのですか?」
執事が慌てて尋ねると、ハンスが制服の上を脱ぎながら答えた。
「もう少し先だけど、ランゲ侯爵家で、シャルのお披露目式があるんだそうだよ」
「え? シャルロッテ様の?! ですが、旦那様宛てに来たということは、旦那様がご招待をされたのでは……」
「私は王都にいるんだ。祖父がいない今、社交は、私の仕事だろ? 私が代わりに出ると、父上に伝えてくれ」
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ハンスは立ち止まると、真剣な顔で執事を見なら言った。
「いいから、伝えて」
執事は、何かを言い淀んだ後に口を開いた。
「畏まりました。旦那様には、『ハンス様がご出席します』とお伝え致します」
「ああ。頼んだ」
ハンスは自室に戻ると、小さく息を吐いて呟いたのだった。
「――なぁ、シャル……つらいなら、助けてって……言ってくれよ……」
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