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第三章 母の面影 一
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一
ナーヴェが木工職人と竹細工職人を頼んだその日の午後には、職人達が城に集まったと、亜麻色の髪の従僕ルーチェが知らせに来た。
広間に集められているという職人達の許へ行こうとして、ナーヴェは困った顔でピーシェを見た。
「この格好だと、少し障りがあるんだけれど、何とかならないかな……?」
確かに、パルーデがつけた痣はかなり薄くなったとはいえ、まだ微かに残っており、胸元も、職人達へ指示を出す立場としては開き過ぎだ。
「畏まりました。少々お待ち下さいませ」
ピーシェは一礼して一度部屋を辞し、戻ってきた時には、手に、ナーヴェの男物の長衣と筒袴を持っていた。一見して、綺麗に洗濯して保管されていたことが分かる皺のなさだ。
「ありがとう」
ナーヴェは笑顔で礼を述べて、さっさと胸開きの長衣を脱ぎ始める。一部始終を眺めていたレーニョは、慌てて部屋を出た。
広間には、十数人の職人達が集められていた。殆どは男だが、中には若い女も混じっている。
(アッズーロには、もっと男女平等を進めて貰ったほうがいいかな……?)
そんなことを思いながら、ナーヴェは広間を見下ろす階段の上に立った。職人達はすぐに気づき、そしてざわめいた。当然だろう。長く青い髪は、それだけで異質だ。加えて、王の宝の容姿も、既に国中に伝わっているはず。
(ぼくの容姿は、確かに演出としては最高だね、アッズーロ)
微笑んで、ナーヴェは口を開いた。
「みんな、忙しい中、急に集まってくれてありがとう。ぼくは、王の宝ナーヴェ。このレ・ゾーネ・ウーミデ侯領に、葦と楡を材料にした紙作りを伝えるために王都から来た。この新しい紙作りには、杉や檜を使った道具と、竹を使った道具が必要だ。だから、きみ達に集まって貰った。今日から、ぼくの指示通りに、道具を作っていってほしい」
声が通ったのを見届けてから、ナーヴェは言葉を続ける。
「まずは、材料を揃えたい。きみ達の伝手を使って、明日中に、杉材と檜材、そして竹ひごを、この広間に、できるだけ用意してほしい。ただ、その前に、木工職人の代表と、竹細工職人の代表を決めて、ぼくに教えてほしいんだ。今後、細かい指示は、その代表達を通して出す」
職人達はまた一頻りざわめいてから、それぞれの職人集団で集まり、話し合いを始めた。ほどなくして、二人の男が階段下に進み出てきた。
「木工職人のトゥオーノです」
「竹細工職人のネーロです」
トゥオーノは金髪に小麦色の肌をした肩幅の広い男、ネーロは黒髪に黒い肌の細身の男だった。
ナーヴェは階段を下りていって、二人とそれぞれ握手した。
「宜しく。ぼくのことは、ナーヴェと呼んで」
「畏まりました」
「それでは、竹ひごを集めて参ります」
各々一礼すると、トゥオーノとネーロは、それぞれの職人集団と言葉を交わしながら、城の外へ出ていった。
「如何でございますか?」
階段の上から、パルーデの声が響く。
「使えそうな職人を集めたつもりですが」
「ありがとう」
ナーヴェは階段の上に現れたパルーデを見上げて、微笑む。
「こんなに早く集めてくれるとは思わなかったよ」
「伝手があったのですよ」
パルーデは笑う。
「あのトゥオーノの娘はフルミネ、ネーロの娘はノッテ。どちらも、この城で行儀見習いを兼ねて働いておりました。ノッテは今、王都の館におりますが、フルミネは木工職人になっておるので、今後お目にかかることがあるやもしれませぬ」
「――成るほど」
ナーヴェは、思考回路にまた一つ、パルーデの情報を蓄積した。
深夜、ナーヴェの部屋を訪れたパルーデは、昨夜以上に、執拗だった。
(この分だと、明日の、朝食も、吐いて、しまう、か、な……)
肉体の肌に与えられる刺激に耐えながら、ナーヴェは暗い天井を見つめる。
(今日の、昼食と、晩餐は、量を、抑えた、から、吐かずに、済んだ、けれど……)
肉体は、いつになれば、この生活に慣れてくれるだろう。またも廊下に座り込んでいる、レーニョとポンテの体調も心配だ。
(ぼくは、大丈夫だと、安心させ、たい、のに……)
これでは明日も、心配させてしまう。
(肉体を、作る、時に、もっと、考えれば、よかった……)
培養槽を出る時から、ずっと助けられてきた肉体。
(アッズーロ……)
昨夜と同じだ。思考回路に、暗褐色の髪に青い瞳、白い肌の青年の記録が巡る。納得がいかない様子で口にしていた数々の文句。乾酪に蜂蜜を掛けて食べていた顔。深夜の執務机で報告書を読む姿――。特に必要もないのに、次々と記録を閲覧してしまう。
(これ、も、不具合……)
自分は、急速に壊れていっているのではないだろうか。
(アッズーロ……)
開けていても、大して意味のない両眼を、ナーヴェは喘ぎとともに閉じた。
王の宝がレ・ゾーネ・ウーミデ侯領に来て三日目。職人達は、立派な杉材や檜材、竹ひごの束を馬車や荷車に積んで、続々と城に集まってきた。
「なかなか、酷い有り様ですわねえ」
広間の階段の上に立ったパルーデは、扇を口元に当て、嘆息した。美しい木目の床を誇る広間が、木材と竹ひごに覆われて、見る影もない。だがその中で、男物の長衣を纏った王の宝は、トゥオーノとネーロに説明を聞きながら、運び込まれる材料を生き生きと見て回っている。男物の長衣は、着替えとして幾枚か持ってきているようだ。製紙に関わる時に、それを着ることは、パルーデも黙認している。
(ピーシェの話では、王の宝の体調は優れないとのことであったが……)
弱味を見せる気はないらしい。
(気丈なことよ)
そういう姿にもそそられる。
(さて、今夜はどう愛でようかねえ)
扇の陰でにやりと笑いながら、パルーデは三階にある自身の執務室へ戻った。
執務室では、一人の少女が待っていた。
「おや、ノッテ、何かあったのかい?」
パルーデの問いに、やや癖のある黒髪を襟足で切り揃え、黒い肌と黒い双眸を持つ少女は、跪いて告げた。
「一週間後、王がお忍びで、この領へいらっしゃいます」
「まあまあ」
パルーデは扇を弄びながら声を立てる。目的は何だろうか。
「王の宝の身を案じて、だろうかねえ?」
「そこまでは、現時点では分かりかねます」
ノッテは淡々と答えた。
「まあ、いい。また何かあったら、知らせておくれ」
パルーデは扇を振った。
「御意のままに」
ノッテは一礼すると、執務室の床板の一箇所を開いて、中へ姿を消した。この城には、秘密の通路があちこちに巡らせてある。パルーデが毎夜ナーヴェの部屋へ行くのも、秘密の通路を通ってだ。
「なかなか、面白いことになってきたねえ」
パルーデは執務室の窓から、眩しい外を眺めた。
侯城から少し離れたところまでは、人目につかないところを走り、それから街道に戻って歩き始めたノッテは、前方から来る馬車に道を譲って端へ寄った。ところが馬車は通り過ぎず、手綱を引いて馬に足を止めさせた御者が、声を上げた。
「ノッテ? やっぱりノッテじゃない!」
御者台を見上げれば、麦藁帽子の陰からこちらを見下ろしているのは、かつて一緒に働いていたフルミネだった。
「フルミネ、何故こんなところに……」
「木工職人として、木材を運んでるのよ」
茶褐色の髪を編んで垂らしたフルミネは、快活に言う。
「王の宝が城にいらっしゃってね、何でも、葦や楡から紙を作る方法を教えて下さるとかで、その紙作りに必要な道具を、杉や檜から作るらしいのよ」
「それは凄い……」
既に知っている情報だったが、ノッテは初めて知ったかのように相槌を打った。そこへ、幼い声が響いた。
「お母さん、早く行こうよお」
五、六歳に見える金髪の少年が、フルミネの傍らから顔を出してせがんだ。
「ジャッロ、危ないから座ってて」
フルミネは少年を片腕で座らせ、ノッテへすまなそうな笑顔を向けた。
「これ息子のジャッロ。凄く手が掛かるのよ。引き留めてごめんね。また近くに来たら、声掛けてね」
「分かった」
頷いたノッテを残して、馬車は侯城へと走っていった。
(まさか、子どもができていたとはな……)
フルミネと道を違えてからの歳月が思われる。
(みんなのために、草木紙生産が上手くいくといいな)
「どうか、幸せに……」
呟いて、ノッテは再び街道を王都へと歩き始めた。
「ピーシェ、ノッテが来ていた」
廊下でサーレに告げられて、ピーシェは眉をひそめた。ノッテは王都の館を拠点に、諜報活動をしているはずだ。
「何があったの?」
「王が一週間後、お忍びでこの領へ来る、と」
「目的は?」
「まだ不明」
「そう。とりあえず、報告ありがとう」
短い会話を終えて、ピーシェはサーレとすれ違った。そのまま、ピーシェは考えながら廊下を歩く。
(王がこの領へ来る、それもお忍びで……?)
目的は、草木紙生産の進捗確認だろうか。だがそれなら、秘密にせず、公然と来ていいはずだ。或いは、パルーデとテッラ・ロッサとの取り引きの証拠でも掴みに来たのだろうか。しかし、それは王自らすることだろうか。誰か間諜を放ってさせればいいのではないか。
(そもそも、王はこの領へ、既に何人もの間諜を放っているはず)
新王アッズーロは油断がならないと、パルーデも常々言っている。
(でも、それなら、一体何のために――)
行き着いた部屋の前で、ピーシェは一つの可能性に思い至った。扉を軽く叩いて開け、中へ入ると、王の宝が青褪めた顔で寝台に横たわり、女官のポンテが椅子に座って付き添っていた。
「広間で倒れられたと聞きました。御様子は?」
問いながらピーシェが寝台へ歩み寄ると、王の宝は閉じていた目をうっすらと開けて微笑んだ。
「大丈夫だよ。少し、眩暈がしただけだから」
無理もない。連日の睡眠不足と食欲不振、加えて本格的に始動した草木紙生産の多忙。体がもつはずがない。
(王は、この方を心配して、こっそりここへ来るのかもしれない)
王の宝の性格と、置かれている状況を知っていれば、案じるのは当然だろう。況してや、その状況に追い込んだのが自分であれば、尚更だ。
「とりあえず、寝ていて下さい。林檎果汁を取って参ります。喉を通るようでしたら、お飲み下さい」
淡々と応じて、ピーシェは王の宝の部屋を出た。厨房へと階段を下りる途中で、今度は向かいからルーチェが来た。ピーシェはすれ違いざま、小声で告げた。
「ノッテが知らせに来た。王がお忍びでこの領へ来る」
「何で……?」
ルーチェは大きな目を更に大きくして足を止めてしまった。ルーチェはこの城に入って一番日が浅いので、こういうところが困る。
「目的はまだ不明」
素っ気なく言って、ピーシェはさっさと階段を下りた。
(陛下が、お忍びでいらっしゃる……!)
レーニョは、従僕の少女達に気づかれぬよう廊下の角に隠れたまま、複雑な思いに揺れていた。
この城の従僕達の言動に注意を払い始めて二日目。すぐに貴重な情報を得ることができた。しかし、アッズーロが来る目的を考えると、心が沈む。
(陛下は、きっと、ナーヴェ様の身を案じて来られるのだ。だが、現状は最悪だ。わたしも、ポンテ殿も、ナーヴェ様を守れていない……)
アッズーロは、怒るだろうか。悲しむだろうか。想像もつかない。
(思えば、あの方が誰かにこれほど執着されるのは、お母上が身罷られて以来、初めてだな……)
レーニョは、少女達が充分に遠ざかり、他の足音や気配もないことを確かめてから、王の宝の部屋へ向かった。広間で忙しく指示を出していた王の宝は、とうとう倒れて、見守っていたレーニョ自身が部屋へ運んだのだ。痩せて、軽い体だった。その後は、できることがなかったので、ポンテに任せ、城内を見回っていたのである。
扉を叩いて中へ入ると、ポンテが振り向いて言った。
「ピーシェ殿が、今、林檎果汁を取りに行って下さいました」
「そうですか」
頷いて、レーニョは寝台へ歩み寄り、身を屈めた。王の宝は、青白い顔で目を閉じている。けれど、一階へ下りたピーシェが戻ってくるまでに伝えねばならない。
「ナーヴェ様」
呼び掛けると、王の宝は目を開き、澄んだ青い双眸でレーニョを見上げた。
「心配かけて、ごめん」
囁くような謝罪の言葉に、レーニョは首を横に振り、小声で告げた。
「一週間後、陛下が、お忍びでこちらへいらっしゃると、ここの従僕達が話しておりました」
「――そうなんだ……」
王の宝は、複雑な様子で微笑んだ。やはり、ナーヴェとしても、アッズーロに現状を知られるのは、気が進まないのだろう。
「……でも、多分――」
王の宝は、何か言い止して口を閉ざした。次いで、優しく目を細めて言った。
「――ありがとう」
直後、扉を叩く音がして、ピーシェが瓶と木杯を抱えて入ってきた。
ナーヴェが木工職人と竹細工職人を頼んだその日の午後には、職人達が城に集まったと、亜麻色の髪の従僕ルーチェが知らせに来た。
広間に集められているという職人達の許へ行こうとして、ナーヴェは困った顔でピーシェを見た。
「この格好だと、少し障りがあるんだけれど、何とかならないかな……?」
確かに、パルーデがつけた痣はかなり薄くなったとはいえ、まだ微かに残っており、胸元も、職人達へ指示を出す立場としては開き過ぎだ。
「畏まりました。少々お待ち下さいませ」
ピーシェは一礼して一度部屋を辞し、戻ってきた時には、手に、ナーヴェの男物の長衣と筒袴を持っていた。一見して、綺麗に洗濯して保管されていたことが分かる皺のなさだ。
「ありがとう」
ナーヴェは笑顔で礼を述べて、さっさと胸開きの長衣を脱ぎ始める。一部始終を眺めていたレーニョは、慌てて部屋を出た。
広間には、十数人の職人達が集められていた。殆どは男だが、中には若い女も混じっている。
(アッズーロには、もっと男女平等を進めて貰ったほうがいいかな……?)
そんなことを思いながら、ナーヴェは広間を見下ろす階段の上に立った。職人達はすぐに気づき、そしてざわめいた。当然だろう。長く青い髪は、それだけで異質だ。加えて、王の宝の容姿も、既に国中に伝わっているはず。
(ぼくの容姿は、確かに演出としては最高だね、アッズーロ)
微笑んで、ナーヴェは口を開いた。
「みんな、忙しい中、急に集まってくれてありがとう。ぼくは、王の宝ナーヴェ。このレ・ゾーネ・ウーミデ侯領に、葦と楡を材料にした紙作りを伝えるために王都から来た。この新しい紙作りには、杉や檜を使った道具と、竹を使った道具が必要だ。だから、きみ達に集まって貰った。今日から、ぼくの指示通りに、道具を作っていってほしい」
声が通ったのを見届けてから、ナーヴェは言葉を続ける。
「まずは、材料を揃えたい。きみ達の伝手を使って、明日中に、杉材と檜材、そして竹ひごを、この広間に、できるだけ用意してほしい。ただ、その前に、木工職人の代表と、竹細工職人の代表を決めて、ぼくに教えてほしいんだ。今後、細かい指示は、その代表達を通して出す」
職人達はまた一頻りざわめいてから、それぞれの職人集団で集まり、話し合いを始めた。ほどなくして、二人の男が階段下に進み出てきた。
「木工職人のトゥオーノです」
「竹細工職人のネーロです」
トゥオーノは金髪に小麦色の肌をした肩幅の広い男、ネーロは黒髪に黒い肌の細身の男だった。
ナーヴェは階段を下りていって、二人とそれぞれ握手した。
「宜しく。ぼくのことは、ナーヴェと呼んで」
「畏まりました」
「それでは、竹ひごを集めて参ります」
各々一礼すると、トゥオーノとネーロは、それぞれの職人集団と言葉を交わしながら、城の外へ出ていった。
「如何でございますか?」
階段の上から、パルーデの声が響く。
「使えそうな職人を集めたつもりですが」
「ありがとう」
ナーヴェは階段の上に現れたパルーデを見上げて、微笑む。
「こんなに早く集めてくれるとは思わなかったよ」
「伝手があったのですよ」
パルーデは笑う。
「あのトゥオーノの娘はフルミネ、ネーロの娘はノッテ。どちらも、この城で行儀見習いを兼ねて働いておりました。ノッテは今、王都の館におりますが、フルミネは木工職人になっておるので、今後お目にかかることがあるやもしれませぬ」
「――成るほど」
ナーヴェは、思考回路にまた一つ、パルーデの情報を蓄積した。
深夜、ナーヴェの部屋を訪れたパルーデは、昨夜以上に、執拗だった。
(この分だと、明日の、朝食も、吐いて、しまう、か、な……)
肉体の肌に与えられる刺激に耐えながら、ナーヴェは暗い天井を見つめる。
(今日の、昼食と、晩餐は、量を、抑えた、から、吐かずに、済んだ、けれど……)
肉体は、いつになれば、この生活に慣れてくれるだろう。またも廊下に座り込んでいる、レーニョとポンテの体調も心配だ。
(ぼくは、大丈夫だと、安心させ、たい、のに……)
これでは明日も、心配させてしまう。
(肉体を、作る、時に、もっと、考えれば、よかった……)
培養槽を出る時から、ずっと助けられてきた肉体。
(アッズーロ……)
昨夜と同じだ。思考回路に、暗褐色の髪に青い瞳、白い肌の青年の記録が巡る。納得がいかない様子で口にしていた数々の文句。乾酪に蜂蜜を掛けて食べていた顔。深夜の執務机で報告書を読む姿――。特に必要もないのに、次々と記録を閲覧してしまう。
(これ、も、不具合……)
自分は、急速に壊れていっているのではないだろうか。
(アッズーロ……)
開けていても、大して意味のない両眼を、ナーヴェは喘ぎとともに閉じた。
王の宝がレ・ゾーネ・ウーミデ侯領に来て三日目。職人達は、立派な杉材や檜材、竹ひごの束を馬車や荷車に積んで、続々と城に集まってきた。
「なかなか、酷い有り様ですわねえ」
広間の階段の上に立ったパルーデは、扇を口元に当て、嘆息した。美しい木目の床を誇る広間が、木材と竹ひごに覆われて、見る影もない。だがその中で、男物の長衣を纏った王の宝は、トゥオーノとネーロに説明を聞きながら、運び込まれる材料を生き生きと見て回っている。男物の長衣は、着替えとして幾枚か持ってきているようだ。製紙に関わる時に、それを着ることは、パルーデも黙認している。
(ピーシェの話では、王の宝の体調は優れないとのことであったが……)
弱味を見せる気はないらしい。
(気丈なことよ)
そういう姿にもそそられる。
(さて、今夜はどう愛でようかねえ)
扇の陰でにやりと笑いながら、パルーデは三階にある自身の執務室へ戻った。
執務室では、一人の少女が待っていた。
「おや、ノッテ、何かあったのかい?」
パルーデの問いに、やや癖のある黒髪を襟足で切り揃え、黒い肌と黒い双眸を持つ少女は、跪いて告げた。
「一週間後、王がお忍びで、この領へいらっしゃいます」
「まあまあ」
パルーデは扇を弄びながら声を立てる。目的は何だろうか。
「王の宝の身を案じて、だろうかねえ?」
「そこまでは、現時点では分かりかねます」
ノッテは淡々と答えた。
「まあ、いい。また何かあったら、知らせておくれ」
パルーデは扇を振った。
「御意のままに」
ノッテは一礼すると、執務室の床板の一箇所を開いて、中へ姿を消した。この城には、秘密の通路があちこちに巡らせてある。パルーデが毎夜ナーヴェの部屋へ行くのも、秘密の通路を通ってだ。
「なかなか、面白いことになってきたねえ」
パルーデは執務室の窓から、眩しい外を眺めた。
侯城から少し離れたところまでは、人目につかないところを走り、それから街道に戻って歩き始めたノッテは、前方から来る馬車に道を譲って端へ寄った。ところが馬車は通り過ぎず、手綱を引いて馬に足を止めさせた御者が、声を上げた。
「ノッテ? やっぱりノッテじゃない!」
御者台を見上げれば、麦藁帽子の陰からこちらを見下ろしているのは、かつて一緒に働いていたフルミネだった。
「フルミネ、何故こんなところに……」
「木工職人として、木材を運んでるのよ」
茶褐色の髪を編んで垂らしたフルミネは、快活に言う。
「王の宝が城にいらっしゃってね、何でも、葦や楡から紙を作る方法を教えて下さるとかで、その紙作りに必要な道具を、杉や檜から作るらしいのよ」
「それは凄い……」
既に知っている情報だったが、ノッテは初めて知ったかのように相槌を打った。そこへ、幼い声が響いた。
「お母さん、早く行こうよお」
五、六歳に見える金髪の少年が、フルミネの傍らから顔を出してせがんだ。
「ジャッロ、危ないから座ってて」
フルミネは少年を片腕で座らせ、ノッテへすまなそうな笑顔を向けた。
「これ息子のジャッロ。凄く手が掛かるのよ。引き留めてごめんね。また近くに来たら、声掛けてね」
「分かった」
頷いたノッテを残して、馬車は侯城へと走っていった。
(まさか、子どもができていたとはな……)
フルミネと道を違えてからの歳月が思われる。
(みんなのために、草木紙生産が上手くいくといいな)
「どうか、幸せに……」
呟いて、ノッテは再び街道を王都へと歩き始めた。
「ピーシェ、ノッテが来ていた」
廊下でサーレに告げられて、ピーシェは眉をひそめた。ノッテは王都の館を拠点に、諜報活動をしているはずだ。
「何があったの?」
「王が一週間後、お忍びでこの領へ来る、と」
「目的は?」
「まだ不明」
「そう。とりあえず、報告ありがとう」
短い会話を終えて、ピーシェはサーレとすれ違った。そのまま、ピーシェは考えながら廊下を歩く。
(王がこの領へ来る、それもお忍びで……?)
目的は、草木紙生産の進捗確認だろうか。だがそれなら、秘密にせず、公然と来ていいはずだ。或いは、パルーデとテッラ・ロッサとの取り引きの証拠でも掴みに来たのだろうか。しかし、それは王自らすることだろうか。誰か間諜を放ってさせればいいのではないか。
(そもそも、王はこの領へ、既に何人もの間諜を放っているはず)
新王アッズーロは油断がならないと、パルーデも常々言っている。
(でも、それなら、一体何のために――)
行き着いた部屋の前で、ピーシェは一つの可能性に思い至った。扉を軽く叩いて開け、中へ入ると、王の宝が青褪めた顔で寝台に横たわり、女官のポンテが椅子に座って付き添っていた。
「広間で倒れられたと聞きました。御様子は?」
問いながらピーシェが寝台へ歩み寄ると、王の宝は閉じていた目をうっすらと開けて微笑んだ。
「大丈夫だよ。少し、眩暈がしただけだから」
無理もない。連日の睡眠不足と食欲不振、加えて本格的に始動した草木紙生産の多忙。体がもつはずがない。
(王は、この方を心配して、こっそりここへ来るのかもしれない)
王の宝の性格と、置かれている状況を知っていれば、案じるのは当然だろう。況してや、その状況に追い込んだのが自分であれば、尚更だ。
「とりあえず、寝ていて下さい。林檎果汁を取って参ります。喉を通るようでしたら、お飲み下さい」
淡々と応じて、ピーシェは王の宝の部屋を出た。厨房へと階段を下りる途中で、今度は向かいからルーチェが来た。ピーシェはすれ違いざま、小声で告げた。
「ノッテが知らせに来た。王がお忍びでこの領へ来る」
「何で……?」
ルーチェは大きな目を更に大きくして足を止めてしまった。ルーチェはこの城に入って一番日が浅いので、こういうところが困る。
「目的はまだ不明」
素っ気なく言って、ピーシェはさっさと階段を下りた。
(陛下が、お忍びでいらっしゃる……!)
レーニョは、従僕の少女達に気づかれぬよう廊下の角に隠れたまま、複雑な思いに揺れていた。
この城の従僕達の言動に注意を払い始めて二日目。すぐに貴重な情報を得ることができた。しかし、アッズーロが来る目的を考えると、心が沈む。
(陛下は、きっと、ナーヴェ様の身を案じて来られるのだ。だが、現状は最悪だ。わたしも、ポンテ殿も、ナーヴェ様を守れていない……)
アッズーロは、怒るだろうか。悲しむだろうか。想像もつかない。
(思えば、あの方が誰かにこれほど執着されるのは、お母上が身罷られて以来、初めてだな……)
レーニョは、少女達が充分に遠ざかり、他の足音や気配もないことを確かめてから、王の宝の部屋へ向かった。広間で忙しく指示を出していた王の宝は、とうとう倒れて、見守っていたレーニョ自身が部屋へ運んだのだ。痩せて、軽い体だった。その後は、できることがなかったので、ポンテに任せ、城内を見回っていたのである。
扉を叩いて中へ入ると、ポンテが振り向いて言った。
「ピーシェ殿が、今、林檎果汁を取りに行って下さいました」
「そうですか」
頷いて、レーニョは寝台へ歩み寄り、身を屈めた。王の宝は、青白い顔で目を閉じている。けれど、一階へ下りたピーシェが戻ってくるまでに伝えねばならない。
「ナーヴェ様」
呼び掛けると、王の宝は目を開き、澄んだ青い双眸でレーニョを見上げた。
「心配かけて、ごめん」
囁くような謝罪の言葉に、レーニョは首を横に振り、小声で告げた。
「一週間後、陛下が、お忍びでこちらへいらっしゃると、ここの従僕達が話しておりました」
「――そうなんだ……」
王の宝は、複雑な様子で微笑んだ。やはり、ナーヴェとしても、アッズーロに現状を知られるのは、気が進まないのだろう。
「……でも、多分――」
王の宝は、何か言い止して口を閉ざした。次いで、優しく目を細めて言った。
「――ありがとう」
直後、扉を叩く音がして、ピーシェが瓶と木杯を抱えて入ってきた。
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