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第七章 壊れた宝 四
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四
「ペルソーネの報告では、楽団作戦は上手くいったそうです」
立ち上がったヴァッレが、凛とした声を響かせ、卓に着いた大臣達に現況を説明する。
「テッラ・ロッサ内には、『奇跡の復活』の噂が既に広まっていますが、同時に、『処刑された王の宝は偽者だった』というテッラ・ロッサ王家の宣伝も広まっています。テッラ・ロッサ王家の思惑としては、わが国が憐れな少女を偽者に仕立て上げ、『奇跡の復活』演出のため、見殺しにしたと国民に宣伝することで、わが国の権威を落とそうというものでしょう。王の宝に似せるため、わざわざ身篭った少女を使ったと、わが国は酷い言われようです」
「では、作戦は上手くいっておらんではないか」
道路担当大臣ストラーダ伯カッメーロが眉をひそめた。
「いえ、そうとは限りません」
ヴァッレは冷静に応じる。
「ナーヴェ様が、歌や語り掛けなど、多くの布石を打って下さっていたお陰で、楽団作戦も『奇跡の復活』も、多くのテッラ・ロッサ国民に受け入れられています。テッラ・ロッサの国民感情は、かなりわが国寄りになっていると言えるでしょう。ナーヴェ様が、語り掛けの中で水路についても言及して下さったので、次の水路作戦も進め易くなっていると思われます」
ヴァッレは、大臣達の卓から一歩離れたところの椅子に腰掛けたナーヴェに微笑み掛けた。
「楽団作戦の連中の引き揚げは、どうなっておる?」
アッズーロが問うと、ヴァッレは笑みを浮かべて答えた。
「昨日の昼過ぎに鳩を飛ばし、退去を命じました。既に国境を越えているはずです」
「そうか。ならばよい」
アッズーロは頷き、命じた。
「では、水路作戦の詳細を詰める。まずはナーヴェ、どこに水路を通すべきか説明せよ」
「うん」
頷いたナーヴェが椅子から立とうとする。アッズーロは王座の肘掛けを叩いて言った。
「発言は座ったままでよいと言うておいたであろう! そなたは立つでない!」
宝は、困った顔で応じた。
「そんな大きな声は出さないで。それに、ちょっと立つくらい、大丈夫だよ?」
「頼むから、言うことを聞け」
アッズーロが軽く頭を押さえながら言うと、ナーヴェは溜め息をついて椅子に座り直した。大臣達が、呆気に取られた様子で、二人を見比べている。アッズーロは顔をしかめて頬杖を突いた。
「では、地図を見て貰いながら説明するよ。ガット、いいかい?」
ナーヴェが涼やかな声で切り出し、控えていたガットが緊張した面持ちで進み出て、手にしていた地図を、大臣達が着く卓の上に広げた。ナーヴェ自身が、昨夜、アッズーロの執務室の机で羊皮紙に描いた地図だ。思考回路に蓄積した記録を参照していると言って、何も見ず、すらすらと描いたさまは、相変わらず見事だった。
「カンナ河からクリニエラ山脈のどこに水路を通すかだけれど」
ナーヴェは、椅子ごと少し卓に近づいて、地図の上に手を伸ばした。確かに、立ったほうが説明し易そうだが、アッズーロは頬杖を突いたまま沈黙を保った。ナーヴェは、地図上の一点を指差し、話し始めた。
「まず、カンナ河のどこから水を引くかだけれど、中流からではなくて、もっと上流からにしたほうが、高低差が生まれるから水路を造り易いし、綺麗な水を送ることができるという利点がある。という訳で、水路の出発点は、カンナ河の水源近く、クリニエラ山脈のここをお勧めするよ。それで、クリニエラ山脈をそのまま貫通させれば距離は短くて済むけれど、隧道を造るとなると、工事としては危険度が増す。だから、できるだけ山を迂回して水路を通すほうがいい。ここから、山肌に水路を穿っていって、こう通すんだ。ここは、大して距離がないから、谷に水道橋を造って水路を渡す。ここに沈殿槽を造っておくと、水が更に綺麗になる。山脈から平地に掛けても水道橋を造って、なだらかに水を流していく。テッラ・ロッサ国内に入った後は、ここに丘があるんだけれど、そんなに高くはないから、地下水路にして通せばいい。ここまで行けば、配水槽を造って、各地へ水路を繋いでいく。街中の高低差を乗り越えるには、管の原理を使えばいい。水を満たした管を使えば、高いところから、更に高いところを通して、低いところへ水を流せるという原理だよ。水路の管は陶磁器を用いるといい。金属の管だと、毒素を出すからね。水路の高低差は一粁当たり三十四糎下がるくらいの傾斜にすると、管をあんまり傷めないから、水路が長持ちするよ」
怒涛の説明に、大臣達は皆、言葉を失ってしまっている。アッズーロも少々疲れを感じながら、口を開いた。
「では、各々の担当において、次回までに意見をまとめよ。今日はこれで散会とする」
「「仰せのままに」」
大臣達は立ち上がり、一礼して三々五々、会議室を辞していった。以前は、アッズーロとナーヴェが退室するまで待たせていたのだが、人を待たせているとナーヴェが急いでしまい、危なっかしいので、ナーヴェがいる時は、先に退室するよう申し付けたのだ。大臣達を見送ってから、アッズーロは王座から立ち上がり、ナーヴェに声を掛けた。
「さて、われらも部屋へ戻り、昼食としよう」
「うん」
頷いたナーヴェの表情が、暗い。アッズーロは椅子に座って大人しく待つ宝のところまで行き、その頬に触れた。
「どうした? 浮かぬ顔だぞ?」
「いや、何でもないよ」
ナーヴェは答えて、アッズーロの手を取り、ゆっくりと立ち上がった。その細い体を支えて歩き出しながら、アッズーロは重ねて尋ねた。
「疲れたのではあるまいな?」
「ううん。大丈夫だよ」
微笑んだナーヴェの横顔が、寂しげだ。アッズーロは鼻を鳴らした。
「気になるではないか。素直に理由を言うがよい」
「大したことではないんだよ」
前置きして、ナーヴェは告げる。
「ただ、大臣達に、多分、他の人達にも、何となく怖がられているなあと思って……。さっきも、説明のために卓に近づいたら、少し避けられた感じがあって。まあ、仕方ないんだけれど。そもそも、ぼくは人ではないんだし、『復活』なんてしてしまったら、怖がられるのも仕方ないよね……」
確かに、処刑された時の貫頭衣を纏ったまま、即位の際と同様に青い光の演出を加えて神殿から外へ出たナーヴェは、アッズーロが予め命じて集めておいた臣下達に、驚きを持って迎えられていた。
(否、われが演出をさせ過ぎた所為か、寧ろ遠巻きにされておった……)
しかし、そのようなことは大した問題ではない。
「怖がりたい奴には、怖がらせておくがよい」
アッズーロはナーヴェを支えて歩きながら、言い切る。
「そのほうが、われは安心だ。余計な心配をせんで済む」
「『余計な心配』?」
ナーヴェは、小首を傾げてアッズーロを見た。
「いや、まあ、それはよい」
アッズーロは言葉を濁した。嫉妬などということは、教えたくもない。ところがナーヴェは、拗ねたように呟いた。
「きみはぼくのことを訊き出すのに、自分のことは隠すんだね……」
アッズーロは絶句して、足を止めた。本体の中で赤面したのに続けて、初めての反応だ。これでは、まるで痴話喧嘩だ。
(それで、「人ではない」なぞ、誰が信じるか)
この青い髪の少女は、もう充分に人だ。
アッズーロは回廊の真ん中で、衝動のままにナーヴェを抱き寄せ、口付けた。ナーヴェは抵抗はしないが、驚いたように身を竦めている。アッズーロは暫くしてから口を離し、宝を抱き寄せたまま、その耳元へ囁いた。
「誰ぞ不埒な輩がそなたに、こういう狼藉を働く心配をせんで済むということだ。そなたが怖がられておるほうが、われは安心なのだ」
くすりと、ナーヴェはアッズーロの耳元で笑った。
「きみは本当に、心配性だよね……」
この宝は、男も女も虜にする己の魅力を全く自覚していないらしい。アッズーロは嘆息すると、ナーヴェの体を支えて再び歩き始めた。
アッズーロの寝室では、フィオーレが昼食の仕度をして待っていた。レーニョが随分と回復したので、フィオーレも女官としての仕事に戻っているのだ。
卓には、蜂蜜を掛けた乾酪と、干し杏と、林檎果汁が用意されていた。
「ありがとう。大好物ばかりだ。嬉しいよ」
ナーヴェは目を輝かせて卓に着く。食べることに対する宝の感動は相変わらずだ。向かいに座りながら、アッズーロは頬を弛めた。異変は、その直後に起こった。
「命達よ、いただきます」
いつも通りに行儀よく言って、乾酪を一欠片食べたナーヴェが、急に口を押さえて屈み込んだのだ。
「どうした? 毒か!」
椅子を蹴って立ち上がり、駆け寄ったアッズーロに、ナーヴェは小さく首を横に振った。
「これは、もしや……」
同じく駆け寄ってきたフィオーレが、アッズーロを見る。
「陛下、ナーヴェ様のこれは、悪阻、ではないでしょうか……?」
ナーヴェが、今度は小さく頷いた。
「『悪阻』……」
アッズーロは、どう反応すべきか迷いながら、ナーヴェの背を撫でた。宝は、蒼白な顔色になって口を押さえている。
(人であれば、身篭ってこうなるは、当たり前のことだ。われはまだ、そなたを完全な人として捉えられてはおらぬらしい……)
アッズーロは反省して、フィオーレに求めた。
「悪阻であれば、われには対処法が分からん。おまえに任せる」
「仰せのままに」
フィオーレは頷いて、室内にあった手桶を素早く持ってくると、ナーヴェに手渡した。ナーヴェはそこへ、すまなそうに乾酪の欠片を吐き出す。その背をさすり続けながら、アッズーロは今後について考えを巡らせた。やはり、妊娠していて不安定な体調のナーヴェを、会議や謁見に同席させ続けるのは、酷なのかもしれない――。
フィオーレは次に、室内に用意してあった桶から木杯に水を汲んできて、ナーヴェに手渡した。ナーヴェはその水で口を濯いで、また手桶へ吐き出す。何度かそれを繰り返してから、ナーヴェは顔を上げた。
「ありがとう……。もう大丈夫」
「おつらいでしょうが、何か口になさらないと、お体がもちません」
フィオーレはナーヴェの手から手桶を受け取りながら、言い含める。
「干し杏と林檎果汁は、召し上がれそうですか?」
「うん。大丈夫だと思う」
ナーヴェは頷いて、椅子に座り直し、卓上の食べ物を見た。アッズーロもまた椅子に戻り、注意深く宝の様子を見守る。まず干し杏を手に取ったナーヴェは、その端を少し齧った。慎重に咀嚼し、微笑む。
「うん、大丈夫。これは食べられそうだよ」
「ようございました……!」
安堵した声のフィオーレに励まされるように、ナーヴェは林檎果汁の木杯を手に取った。ちびりちびりと飲んで、ナーヴェはまた微笑む。
「これも大丈夫。とても美味しい」
「安心致しました。では、乾酪の代わりとなるものを、厨房で幾つか見繕って参ります」
フィオーレは一礼して、手桶を手に、寝室を辞した。
「その乾酪を寄越せ。われが食す」
アッズーロは手を伸ばしてナーヴェの乾酪の皿を取り、自分の前へ置いた。
「ありがとう」
ナーヴェは干し杏をもぐもぐとしながら、ふわりと笑んだ。食べ物を無駄にすることには、依然、相当な抵抗があるらしい。
(そういう慎ましいところも、好かれる所以か)
アッズーロは小さく息をつき、乾酪を口へ運びながら教えた。
「何度も言うが、体がつらいなら、会議にも謁見にも出席する必要はないぞ?」
「分かっているよ。でも、悪阻は病気ではないから」
ナーヴェは予想通り、欠席を拒んだ。
(与えられた役割を頑なに果たしたがる。それも、こやつの美徳の一つではあるが……。われは、まだまだ、こやつの行動の理由を、心の奥底で何を考えておるのかを、知らんな……)
アッズーロがまた小さく息をついてから林檎果汁を飲むと、ナーヴェが形のいい眉をひそめた。
「どうしたの? いつにも況して溜め息が多いよ? ぼくのことは心配しなくていいからね?」
「たわけ」
アッズーロは盛大に溜め息をついて軽くナーヴェを睨む。
「そなたの心配をするは、われの自由だ。第一、心配をするなと言う者ほど心配なのが、世の常であろう?」
「……まあ、そうだね……」
ナーヴェは、誰かを思い浮かべたのか、少し遠い目をして納得した。
「そう言えば、ヴァッレから聞いたのだが」
アッズーロは話題を変える。
「そなた、テッラ・ロッサで、作戦のためとはいえ、随分と酷い歌を歌っておったそうだな? 『悲しいよ、愛する王国、きみはぼくを捨てたね』だったか?」
「同情を惹くために、ちょっと替え歌にしただけで……、その言いようのほうが、酷いと思うけれど……」
ナーヴェは呆れ顔をしてから、告げた。
「ぼくにはまだ、嘘をつくという機能がないからね。事実と異なることを言おうと思ったら、歌を歌うとかの、抜け道を用意しないといけないんだよ」
「『今のところ』ではなく、『まだ』となったか」
指摘したアッズーロに、ナーヴェは目を伏せて答えた。
「ぼくは、もう壊れている。『嘘をつくという機能がない』というのは、正常な状態においてのことだからね。学習機能とは無関係に、ぼくはいつ嘘がつけるようになっても、おかしくないんだよ」
「『壊れるがよい』とは言うたが、それだけは困りものだな。そなたの『大丈夫』が、いよいよ信じられんようになる訳か」
真面目に考え込んだアッズーロの向かいで、ナーヴェはぽかんと口を開けた後、苦笑する表情で、くすくすと笑い声を立て始めた。
「ペルソーネの報告では、楽団作戦は上手くいったそうです」
立ち上がったヴァッレが、凛とした声を響かせ、卓に着いた大臣達に現況を説明する。
「テッラ・ロッサ内には、『奇跡の復活』の噂が既に広まっていますが、同時に、『処刑された王の宝は偽者だった』というテッラ・ロッサ王家の宣伝も広まっています。テッラ・ロッサ王家の思惑としては、わが国が憐れな少女を偽者に仕立て上げ、『奇跡の復活』演出のため、見殺しにしたと国民に宣伝することで、わが国の権威を落とそうというものでしょう。王の宝に似せるため、わざわざ身篭った少女を使ったと、わが国は酷い言われようです」
「では、作戦は上手くいっておらんではないか」
道路担当大臣ストラーダ伯カッメーロが眉をひそめた。
「いえ、そうとは限りません」
ヴァッレは冷静に応じる。
「ナーヴェ様が、歌や語り掛けなど、多くの布石を打って下さっていたお陰で、楽団作戦も『奇跡の復活』も、多くのテッラ・ロッサ国民に受け入れられています。テッラ・ロッサの国民感情は、かなりわが国寄りになっていると言えるでしょう。ナーヴェ様が、語り掛けの中で水路についても言及して下さったので、次の水路作戦も進め易くなっていると思われます」
ヴァッレは、大臣達の卓から一歩離れたところの椅子に腰掛けたナーヴェに微笑み掛けた。
「楽団作戦の連中の引き揚げは、どうなっておる?」
アッズーロが問うと、ヴァッレは笑みを浮かべて答えた。
「昨日の昼過ぎに鳩を飛ばし、退去を命じました。既に国境を越えているはずです」
「そうか。ならばよい」
アッズーロは頷き、命じた。
「では、水路作戦の詳細を詰める。まずはナーヴェ、どこに水路を通すべきか説明せよ」
「うん」
頷いたナーヴェが椅子から立とうとする。アッズーロは王座の肘掛けを叩いて言った。
「発言は座ったままでよいと言うておいたであろう! そなたは立つでない!」
宝は、困った顔で応じた。
「そんな大きな声は出さないで。それに、ちょっと立つくらい、大丈夫だよ?」
「頼むから、言うことを聞け」
アッズーロが軽く頭を押さえながら言うと、ナーヴェは溜め息をついて椅子に座り直した。大臣達が、呆気に取られた様子で、二人を見比べている。アッズーロは顔をしかめて頬杖を突いた。
「では、地図を見て貰いながら説明するよ。ガット、いいかい?」
ナーヴェが涼やかな声で切り出し、控えていたガットが緊張した面持ちで進み出て、手にしていた地図を、大臣達が着く卓の上に広げた。ナーヴェ自身が、昨夜、アッズーロの執務室の机で羊皮紙に描いた地図だ。思考回路に蓄積した記録を参照していると言って、何も見ず、すらすらと描いたさまは、相変わらず見事だった。
「カンナ河からクリニエラ山脈のどこに水路を通すかだけれど」
ナーヴェは、椅子ごと少し卓に近づいて、地図の上に手を伸ばした。確かに、立ったほうが説明し易そうだが、アッズーロは頬杖を突いたまま沈黙を保った。ナーヴェは、地図上の一点を指差し、話し始めた。
「まず、カンナ河のどこから水を引くかだけれど、中流からではなくて、もっと上流からにしたほうが、高低差が生まれるから水路を造り易いし、綺麗な水を送ることができるという利点がある。という訳で、水路の出発点は、カンナ河の水源近く、クリニエラ山脈のここをお勧めするよ。それで、クリニエラ山脈をそのまま貫通させれば距離は短くて済むけれど、隧道を造るとなると、工事としては危険度が増す。だから、できるだけ山を迂回して水路を通すほうがいい。ここから、山肌に水路を穿っていって、こう通すんだ。ここは、大して距離がないから、谷に水道橋を造って水路を渡す。ここに沈殿槽を造っておくと、水が更に綺麗になる。山脈から平地に掛けても水道橋を造って、なだらかに水を流していく。テッラ・ロッサ国内に入った後は、ここに丘があるんだけれど、そんなに高くはないから、地下水路にして通せばいい。ここまで行けば、配水槽を造って、各地へ水路を繋いでいく。街中の高低差を乗り越えるには、管の原理を使えばいい。水を満たした管を使えば、高いところから、更に高いところを通して、低いところへ水を流せるという原理だよ。水路の管は陶磁器を用いるといい。金属の管だと、毒素を出すからね。水路の高低差は一粁当たり三十四糎下がるくらいの傾斜にすると、管をあんまり傷めないから、水路が長持ちするよ」
怒涛の説明に、大臣達は皆、言葉を失ってしまっている。アッズーロも少々疲れを感じながら、口を開いた。
「では、各々の担当において、次回までに意見をまとめよ。今日はこれで散会とする」
「「仰せのままに」」
大臣達は立ち上がり、一礼して三々五々、会議室を辞していった。以前は、アッズーロとナーヴェが退室するまで待たせていたのだが、人を待たせているとナーヴェが急いでしまい、危なっかしいので、ナーヴェがいる時は、先に退室するよう申し付けたのだ。大臣達を見送ってから、アッズーロは王座から立ち上がり、ナーヴェに声を掛けた。
「さて、われらも部屋へ戻り、昼食としよう」
「うん」
頷いたナーヴェの表情が、暗い。アッズーロは椅子に座って大人しく待つ宝のところまで行き、その頬に触れた。
「どうした? 浮かぬ顔だぞ?」
「いや、何でもないよ」
ナーヴェは答えて、アッズーロの手を取り、ゆっくりと立ち上がった。その細い体を支えて歩き出しながら、アッズーロは重ねて尋ねた。
「疲れたのではあるまいな?」
「ううん。大丈夫だよ」
微笑んだナーヴェの横顔が、寂しげだ。アッズーロは鼻を鳴らした。
「気になるではないか。素直に理由を言うがよい」
「大したことではないんだよ」
前置きして、ナーヴェは告げる。
「ただ、大臣達に、多分、他の人達にも、何となく怖がられているなあと思って……。さっきも、説明のために卓に近づいたら、少し避けられた感じがあって。まあ、仕方ないんだけれど。そもそも、ぼくは人ではないんだし、『復活』なんてしてしまったら、怖がられるのも仕方ないよね……」
確かに、処刑された時の貫頭衣を纏ったまま、即位の際と同様に青い光の演出を加えて神殿から外へ出たナーヴェは、アッズーロが予め命じて集めておいた臣下達に、驚きを持って迎えられていた。
(否、われが演出をさせ過ぎた所為か、寧ろ遠巻きにされておった……)
しかし、そのようなことは大した問題ではない。
「怖がりたい奴には、怖がらせておくがよい」
アッズーロはナーヴェを支えて歩きながら、言い切る。
「そのほうが、われは安心だ。余計な心配をせんで済む」
「『余計な心配』?」
ナーヴェは、小首を傾げてアッズーロを見た。
「いや、まあ、それはよい」
アッズーロは言葉を濁した。嫉妬などということは、教えたくもない。ところがナーヴェは、拗ねたように呟いた。
「きみはぼくのことを訊き出すのに、自分のことは隠すんだね……」
アッズーロは絶句して、足を止めた。本体の中で赤面したのに続けて、初めての反応だ。これでは、まるで痴話喧嘩だ。
(それで、「人ではない」なぞ、誰が信じるか)
この青い髪の少女は、もう充分に人だ。
アッズーロは回廊の真ん中で、衝動のままにナーヴェを抱き寄せ、口付けた。ナーヴェは抵抗はしないが、驚いたように身を竦めている。アッズーロは暫くしてから口を離し、宝を抱き寄せたまま、その耳元へ囁いた。
「誰ぞ不埒な輩がそなたに、こういう狼藉を働く心配をせんで済むということだ。そなたが怖がられておるほうが、われは安心なのだ」
くすりと、ナーヴェはアッズーロの耳元で笑った。
「きみは本当に、心配性だよね……」
この宝は、男も女も虜にする己の魅力を全く自覚していないらしい。アッズーロは嘆息すると、ナーヴェの体を支えて再び歩き始めた。
アッズーロの寝室では、フィオーレが昼食の仕度をして待っていた。レーニョが随分と回復したので、フィオーレも女官としての仕事に戻っているのだ。
卓には、蜂蜜を掛けた乾酪と、干し杏と、林檎果汁が用意されていた。
「ありがとう。大好物ばかりだ。嬉しいよ」
ナーヴェは目を輝かせて卓に着く。食べることに対する宝の感動は相変わらずだ。向かいに座りながら、アッズーロは頬を弛めた。異変は、その直後に起こった。
「命達よ、いただきます」
いつも通りに行儀よく言って、乾酪を一欠片食べたナーヴェが、急に口を押さえて屈み込んだのだ。
「どうした? 毒か!」
椅子を蹴って立ち上がり、駆け寄ったアッズーロに、ナーヴェは小さく首を横に振った。
「これは、もしや……」
同じく駆け寄ってきたフィオーレが、アッズーロを見る。
「陛下、ナーヴェ様のこれは、悪阻、ではないでしょうか……?」
ナーヴェが、今度は小さく頷いた。
「『悪阻』……」
アッズーロは、どう反応すべきか迷いながら、ナーヴェの背を撫でた。宝は、蒼白な顔色になって口を押さえている。
(人であれば、身篭ってこうなるは、当たり前のことだ。われはまだ、そなたを完全な人として捉えられてはおらぬらしい……)
アッズーロは反省して、フィオーレに求めた。
「悪阻であれば、われには対処法が分からん。おまえに任せる」
「仰せのままに」
フィオーレは頷いて、室内にあった手桶を素早く持ってくると、ナーヴェに手渡した。ナーヴェはそこへ、すまなそうに乾酪の欠片を吐き出す。その背をさすり続けながら、アッズーロは今後について考えを巡らせた。やはり、妊娠していて不安定な体調のナーヴェを、会議や謁見に同席させ続けるのは、酷なのかもしれない――。
フィオーレは次に、室内に用意してあった桶から木杯に水を汲んできて、ナーヴェに手渡した。ナーヴェはその水で口を濯いで、また手桶へ吐き出す。何度かそれを繰り返してから、ナーヴェは顔を上げた。
「ありがとう……。もう大丈夫」
「おつらいでしょうが、何か口になさらないと、お体がもちません」
フィオーレはナーヴェの手から手桶を受け取りながら、言い含める。
「干し杏と林檎果汁は、召し上がれそうですか?」
「うん。大丈夫だと思う」
ナーヴェは頷いて、椅子に座り直し、卓上の食べ物を見た。アッズーロもまた椅子に戻り、注意深く宝の様子を見守る。まず干し杏を手に取ったナーヴェは、その端を少し齧った。慎重に咀嚼し、微笑む。
「うん、大丈夫。これは食べられそうだよ」
「ようございました……!」
安堵した声のフィオーレに励まされるように、ナーヴェは林檎果汁の木杯を手に取った。ちびりちびりと飲んで、ナーヴェはまた微笑む。
「これも大丈夫。とても美味しい」
「安心致しました。では、乾酪の代わりとなるものを、厨房で幾つか見繕って参ります」
フィオーレは一礼して、手桶を手に、寝室を辞した。
「その乾酪を寄越せ。われが食す」
アッズーロは手を伸ばしてナーヴェの乾酪の皿を取り、自分の前へ置いた。
「ありがとう」
ナーヴェは干し杏をもぐもぐとしながら、ふわりと笑んだ。食べ物を無駄にすることには、依然、相当な抵抗があるらしい。
(そういう慎ましいところも、好かれる所以か)
アッズーロは小さく息をつき、乾酪を口へ運びながら教えた。
「何度も言うが、体がつらいなら、会議にも謁見にも出席する必要はないぞ?」
「分かっているよ。でも、悪阻は病気ではないから」
ナーヴェは予想通り、欠席を拒んだ。
(与えられた役割を頑なに果たしたがる。それも、こやつの美徳の一つではあるが……。われは、まだまだ、こやつの行動の理由を、心の奥底で何を考えておるのかを、知らんな……)
アッズーロがまた小さく息をついてから林檎果汁を飲むと、ナーヴェが形のいい眉をひそめた。
「どうしたの? いつにも況して溜め息が多いよ? ぼくのことは心配しなくていいからね?」
「たわけ」
アッズーロは盛大に溜め息をついて軽くナーヴェを睨む。
「そなたの心配をするは、われの自由だ。第一、心配をするなと言う者ほど心配なのが、世の常であろう?」
「……まあ、そうだね……」
ナーヴェは、誰かを思い浮かべたのか、少し遠い目をして納得した。
「そう言えば、ヴァッレから聞いたのだが」
アッズーロは話題を変える。
「そなた、テッラ・ロッサで、作戦のためとはいえ、随分と酷い歌を歌っておったそうだな? 『悲しいよ、愛する王国、きみはぼくを捨てたね』だったか?」
「同情を惹くために、ちょっと替え歌にしただけで……、その言いようのほうが、酷いと思うけれど……」
ナーヴェは呆れ顔をしてから、告げた。
「ぼくにはまだ、嘘をつくという機能がないからね。事実と異なることを言おうと思ったら、歌を歌うとかの、抜け道を用意しないといけないんだよ」
「『今のところ』ではなく、『まだ』となったか」
指摘したアッズーロに、ナーヴェは目を伏せて答えた。
「ぼくは、もう壊れている。『嘘をつくという機能がない』というのは、正常な状態においてのことだからね。学習機能とは無関係に、ぼくはいつ嘘がつけるようになっても、おかしくないんだよ」
「『壊れるがよい』とは言うたが、それだけは困りものだな。そなたの『大丈夫』が、いよいよ信じられんようになる訳か」
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安定の見切り発車ですが、二月中に一日一回更新と完結に挑みます。
ヒロインのフィリスが自らの力と人々に支えられて幸せをつかむ話ですが、
序盤は暗く重い展開です。
タグを途中から追加します。
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