王の宝~元亜光速宇宙移民船の疑似人格電脳は人として生きる夢を見るか~

広海智

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第八章 長き旅路の果てに 一

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     一

「無事、戻って参りましたね」
 向かいの席で微笑んだジョールノの言葉に、ペルソーネは頷いた。大臣としての生活とは正反対の、最前線の生活が終わったのだ。馬車の窓から見える景色は、既に王都の街路である。宵闇の中、灯火を点した建物群は、平穏無事な様子だった。
「しかし、王の宝は、本当に『復活』なされたのでしょうか。この目で見るまでは、信じられません……」
 ノッテが、ペルソーネの傍らで呟いた。
「まあ、あの磔刑の様子を見てしまうと、そうですね……」
 バーゼが、ジョールノの隣で頷いた。
 ペルソーネ達は、怒れる民衆達に混じって、王の宝が乗せられた箱馬車について行き、磔刑の一部始終を見守った。あまりに残酷な処刑のありさまに、ナーヴェが苦しげに喘いで身悶えるたび、ペルソーネは跳び出しそうになったが、ジョールノに強く腕を掴まれて、何とか踏み止まったのだ。
「感動の再会まで、もうすぐですよ」
 ジョールノが、ペルソーネの心を読んだように優しく言った。
 王城の門前に停まった馬車から、ペルソーネ達は順に降りた。馬車ごと迎えに来てくれた近衛兵に改めて礼を述べ、城門を入る。衛兵達と挨拶を交わしながら王城の玄関前へ至ると、開いた扉のところに、篝火に照らされて、王とともに宝が立っていた。
「ペルソーネ! それにジョールノ、バーゼ、ノッテ! 無事に帰ってきてくれて嬉しいよ!」
 宝は元気な様子で両手を広げ、ペルソーネ一行を迎えた。
「ナーヴェ様……!」
 ペルソーネは不覚にも涙ぐみながら、それでも王の手前、きちんと跪く。
「ナーヴェ様こそ、御無事の御様子で、安堵致しました。楽団作戦の任務を果たし、カテーナ・ディ・モンターニェ侯女ペルソーネ以下、ジョールノ、バーゼ、ノッテ、ただ今、帰還致しました」
「うん。大変な任務を果たしてくれて、ありがとう」
 ナーヴェは歩み寄ってきて膝をつき、そっとペルソーネの肩を抱き締めた。華奢な体の、確かな温もりを感じて、ペルソーネは漸く王の宝の「復活」を実感することができた。
「お腹の子も、御無事ですか……?」
 囁いたペルソーネに、ナーヴェは抱擁を解いて頷き、微笑んだ。
「お陰様で、とても元気だよ。ぼくは悪阻で、少し大変だけれど」
「それは……また陛下が気を揉むでしょうね……」
 苦笑したペルソーネに、ナーヴェは肩を竦めて見せた。その背後から、アッズーロが近づいてくる。ペルソーネは跪いたまま、畏まって一礼した。
「陛下も、御壮健そうで何よりでございます。御心配をお掛けしましたが、無事戻って参りました」
「全くだ」
 アッズーロはいつもの調子で鼻を鳴らす。
「そなたが工作員紛いのことをすると言い出した時には、耳を疑うたぞ。まあ、そなたなら、言い出した以上、やり遂げるとは思うておったが」
「いえ。当初の目的であった、ナーヴェ様の救出は果たせず、申し訳ありませんでした」
 深々と頭を下げたペルソーネに、ナーヴェがすまなそうに言った。
「それは、殆どぼくの所為だから、きみが気に病む必要はないよ」
「その通り。われらの策が変更を余儀なくされたは、全てこの独断専行好きな宝の所為だ」
 アッズーロが高笑いするように決めつけ、ナーヴェが振り向いて文句を呟いた。
「きみにだけは『独断専行』と揶揄されたくはないんだけれど……?」
 楽しげな応酬を目の当たりにすると、ペルソーネの胸は、まだ微かに痛む。しかし最早、自らを王妃にと思う気持ちは消え失せていた。アッズーロの傍らには、この青い髪の宝こそが相応しい――。
「陛下、ペルソーネ様はお疲れです。ノッテも、レ・ゾーネ・ウーミデ侯の許へ、報告に戻らねばなりません。われわれ二人も、できればフォレスタ・ブル大公女の許へ、今夜中に報告に参りたいのですが」
 涼しげな声で、さらりと会話に割って入ったのは、ペルソーネの背後で、バーゼやノッテとともに跪いていたジョールノだった。
「――そうであったな」
 アッズーロは特に怒るでもなく鷹揚に頷くと、ナーヴェの腕を取って立たせた。
「話の続きは、明日にするがよい。詳しい報告も、明日聞こう。今夜は、早々に休むがよい」
「「仰せのままに」」
 ペルソーネ達は跪いたまま頭を下げた。
 王と宝が王城内に戻り、近衛兵達によって扉が閉じられるのを待って、ペルソーネ達は立ち上がった。篝火を揺らして吹き渡る初夏の夜風が心地いい。
「ペルソーネ様、お館までお送り致します」
 ジョールノが爽やかに申し出た。
「しかし、あなた達はヴァッレ殿の許へ報告に行くのでは?」
 問えば、ジョールノは優雅に首を横に振った。
「それは、バーゼに任せれば済むことです。あなた様をお一人で帰したりしては、それこそヴァッレ様にお叱りを受けてしまいますから」
 その言葉が終わらない内に、バーゼと、そしてノッテがそれぞれ会釈して去っていった。
「――そう……。ありがとう」
 礼を述べたペルソーネに、ジョールノは笑顔で手を差し出した。ともに行動した一週間ほど、常々思ってきたが、本当に隙のない好青年振りだ。物腰にも品がある。
「あなたは――、その……、どうして、工作員になったの?」
 唐突に訊いてしまって、ペルソーネは俯いた。
「ああ、それは、ヴァッレ様に頼まれたからですよ」
 ジョールノは、ペルソーネの手を取って歩き出しながら、気さくな口調で答える。
「わたしは、ヴァッレ様の父方の従兄なんです。わたしの母が、ヴァッレ様の父上の妹なんですよ」
 予想外の話に、ペルソーネは驚いて青年の横顔を見上げた。ヴァッレの父はピアット・ディ・マレーア侯オンブレッロ。歴とした諸侯の一人だ。つまり、この青年も諸侯に連なる身なのだ。
「そうでしたの……。ヴァッレ殿は、そのようなこと一言も言っていなかったものですから。ごめんなさい……」
「謝る必要はないですよ。わたしも言っていませんでしたからね」
 ジョールノは明るく言って、何故か楽しげにペルソーネを連れ、諸侯の館や邸が立ち並ぶ一郭へと、王都の夜道を歩いていった。


「ペルソーネが幸せそうで、よかった……」
 寝台に入って掛布を被り、ぽつりと呟いた宝の上に屈み、アッズーロは口付けた。互いに歯磨きは終えた後だが、ナーヴェは、発酵乳の味がした。悪阻の所為で乾酪は食べられなくなったが、代わりに発酵乳を好むようになったらしい。ナーヴェ自身その変化に戸惑いながらも、腹の子のために食べられるものを選り分け、口に運ぶ姿は、健気で愛おしい。口付けを終え、体を起こしたアッズーロは、ふと疑問に思って問うた。
「ペルソーネは確かに元気そうではあったが、『幸せそう』というのは何故だ?」
「きみは気づかなかった?」
 ナーヴェは青い双眸をきらきらとさせて微笑む。
「ジョールノが随分ペルソーネを気遣っていて、ペルソーネも、まんざらでもない様子だったよ?」
「それは重畳」
 アッズーロはナーヴェの寝台に腰掛け、笑う。
「あやつがさっさと嫁いでくれると、われもそなたを王妃とし易い」
「そんな意地の悪い言い方しなくていいのに……」
 ナーヴェは微かに顔をしかめて文句を言った。最近、拗ねたり文句を言ったり、随分と人らしい。微笑んでばかりだった以前と比べると、新鮮だ。
「怒るな」
 アッズーロは軽く言って、手を動かし、ナーヴェの白い頬に触れた。ナーヴェは嬉しげに目を細める。可愛らしくて、つい抱きたくなるが、今は我慢の時である。
「では、しっかりと眠れ」
 最後に青い髪を弄ってから、アッズーロはナーヴェの寝台を離れ、卓に置いた油皿の火を消した。
「おやすみ」
 暗がりの向こうから、ナーヴェの声が密やかに響いた。
「うむ」
 いつも通り応じて、アッズーロは自らの寝台に入り、掛布を被る。漸く取り戻せたナーヴェとの生活は、ただ幸せだ。ナーヴェは気づいていないようだが、傍目にも今一番幸せそうなのは、きっと自分だろう。自嘲しながら、アッズーロは目を閉じた。


 水路作戦は、さまざまな条件を整えていかなければいけないので、遅々として進まなかったが、ナーヴェの妊娠のほうは、順調な経過を辿った。
 妊娠三ヶ月目頃からは、少しずつ腹が膨らみ始め、ナーヴェは動くのも億劫そうになっていった。妊娠四ヶ月目頃からは、赤子が動いているのが外からも分かると言って、ナーヴェはアッズーロの手を膨らんだ腹に当てさせ始めた。最初はよく分からなかったが、実際に赤子の動きが手に感じられると、アッズーロの気分も高揚した。
――「男ならば、名は、テゾーロでどうだ?」
 提案したアッズーロに、ナーヴェは幸せそうに頷いた。
――「宝という意味だね。とても、いいよ」
――「まあ、われにとって、第一の宝はそなただがな。子は、第二の宝だ」
――「子どもが第一と言ってくれたほうが、ぼくは嬉しいけれど」
 ささやかに反論したナーヴェに軽く口付け、アッズーロは断言した。
――「否。そなたに勝る宝はない。その点については、諦めよ」
 ナーヴェはそれでも不服そうだったが、それ以上の反論はしなかった。
 妊娠五ヶ月目の仲秋の月には、既成事実も充分で、大臣達の意見もまとまったので、アッズーロは正式にナーヴェを王妃とすることを国内外に宣言した。国内に反対する者はほぼおらず、パルーデですら王都へ来て、二人の結婚を祝福した。
 日々は平穏に過ぎていき、二人が出会ってから一年とひと月になる仲春の月、ナーヴェは産気づいた。侍医とともに、ポンテが寝室に来て、出産の準備を整えていく。アッズーロは、ポンテにナーヴェの手を握っておくよう言われて、付き添うことになった。
「ナーヴェ様は初産。加えて、産道が少々細くていらっしゃいます。難産が予想されます」
 そっと告げてきた侍医に、アッズーロは険しい顔をした。
「われは、覚悟なぞせんぞ。ナーヴェに何かあってみよ、おまえの一族郎党全て――」
 言葉は、途中で遮られた。
「アッズーロ、お医者さんを脅したりしたら駄目だよ?」
 隣の執務室で話していたというのに、ナーヴェには何の話か筒抜けだったらしい。
「このお産が難しいのは、ぼく自身がよく分かっているから。どうしても無理になったら、本体へ連れていって。でも、できる限りは、人として努力するから」
「――分かった」
 渋々承知して、アッズーロは侍医とともに寝室へ戻った。
 しかし、出産が始まると、アッズーロは気が気でなくなった。ナーヴェは、強く強くアッズーロの両手を握り締め、息む。その時間は長く続き、昼下がりに破水して始まった出産は、夜になっても終わりが見えなかった。夜半になって、フィオーレが火を点した油皿に油を注ぎ足す中、このままでは、ナーヴェの体力がもたないとアッズーロが心配し始めた頃、漸く赤子の頭が覗いた。だが、そこからがまた大変だった。初夜でも、磔刑でも、大して声を出さなかったナーヴェが、叫んで痛がる。その顔は、涙でぐしゃぐしゃだ。アッズーロは気も漫ろになりながら、ポンテに叱られて、ナーヴェを励まし続けた。やがて、閉ざした窓の隙間から、白い夜明けの光が漏れ始めた頃、アッズーロの寝室に、赤子の泣き声が響いた。
「よく頑張った! よく、頑張った……!」
 アッズーロは、はあはあと肩で息をしているナーヴェの肩と頭を抱いて、労った。
「テゾーロは、無事……?」
 ナーヴェは、軽くアッズーロを抱き返しながらも、赤子のほうへ顔を向ける。
「もう極小機械で様子を探れないから、見せて……」
「はいはい、御無事で、お元気でございますよ」
 ポンテが、産湯で洗った赤子を布で包み、ナーヴェの枕元へ抱いてきて見せた。まだ目の開かない赤子は、小さな口を開けて泣いている。その様子を見つめるナーヴェの両目から、新たな涙が溢れて零れた。ポンテは心得たふうに、ナーヴェの頭の横へ、そっと赤子を寝かせた。
「テゾーロ……。よかった……」
 ナーヴェは赤子へ頬を摺り寄せ、花のように微笑む。見守るアッズーロの目からも、その時初めて、涙が零れた。


 ナーヴェの産後の肥立ちは順調だったが、乳の出は悪く、授乳に関しては、ラディーチェに頼ることになった。アッズーロ付き女官のラディーチェは、ナーヴェよりも一ヶ月ほど早く妊娠していて、仲夏の月の半ばから休みを取っていたのだ。今ではインピアントという男の子の母である。
「ラディーチェがいてくれて、本当に助かったよ」
 林檎の花の下で、幹に凭れ、ナーヴェは気持ちよさげな表情で言った。生後一ヶ月のテゾーロを、そのラディーチェとポンテに預け、アッズーロとナーヴェはお忍びで、王都郊外の湖畔へ来ていた。本当は馬で遠乗りと洒落込みたかったが、産後のナーヴェにはまだきつそうだったので、行き帰りは馬車だ。供は、元気になったレーニョ一人。御者も兼ねてである。
 そのレーニョと馬車から少し離れて、アッズーロとナーヴェは、湖畔に連なる林檎並木の一本に、一緒に背中を預けていた。林檎の花を通して差し込む麗らかな晩春の陽光は暖かく、ナーヴェは眠たそうだ。しかし、アッズーロにナーヴェを寝かせる気はなかった。
「覚えておるか?」
 声を掛けると、傍らのナーヴェは、穏やかに振り向いた。
「何を?」
 柔らかな声で訊き返してくる。アッズーロは、にっと笑って告げた。
「ここは、われが初めてそなたの本体へ入り、『宝にしかできんことをして見せよ』と要求した際、そなたが見せた場所だ」
「ああ、そうだったね」
 ナーヴェは感慨深げに湖を見つめ、呟く。
「あの時は、きみの子どもを産むことになるなんて、全く予測しなかったな……。ぼくの演算能力も、大したことないよね……」
「われの行動を予測するは難しかろうが、今一度演算してみよ」
 アッズーロは勝ち誇って言うと、手を伸ばしてナーヴェの頬に触れ、そっと自分のほうを向かせた。
「われが、これから何をせんとしておるかを」
「そんなこと、テゾーロを置いて連れ出された時から、分かっているよ」
 ナーヴェは微笑んで答え、目を細めて、アッズーロの手に頬をすり寄せる。
「きみには、随分長い間、我慢させてしまったからね。でも、ぼくの体にはまだ妊娠線も少し残っているし、前ほどは気に入らないかもしれないよ?」
「たわけ」
 アッズーロはナーヴェの頬を摘まんだ。
「そのようなこと、毎日そなたの着替えを見ておるから知っておるわ。今更気に入らんなぞと言うものか。よいか、ナーヴェ。そなただからこそ、欲しいのだ」
 ナーヴェは頬を赤らめながら、更に言った。
「この距離だと、レーニョに聞こえてしまうけれど?」
「構わん。あやつは、聞こえぬ振りが得意だ」
 アッズーロは言い切り、ナーヴェの上体を抱き抱えるようにして、優しく叢へ寝かせた。
 柔らかな若草の上に長く青い髪が広がり、木漏れ日の中、澄んだ青い双眸がアッズーロを見上げる。いつもの白い長衣を纏ったその姿が、どんな格好をしているより美しい。幾度か口付けをしてから、アッズーロが白い長衣の襟を開こうとした時、その手にふと、ナーヴェが手を重ねてきた。
「我慢していたのは、きみだけではないからね?」
 潤んだ双眸がアッズーロの眼差しを捉え、熱を帯びた声が告げる。
「ぼくのこの体は今、きみを受け入れるためだけにあるんだ」
 アッズーロは目を瞠り、一瞬絶句してから言い返した。
「馬鹿者め。加減が効かなくなるではないか!」
「いいよ。来て」
 ナーヴェは、嬉しそうに笑って両手を伸ばし、アッズーロを抱き寄せた――。
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