王の宝~元亜光速宇宙移民船の疑似人格電脳は人として生きる夢を見るか~

広海智

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第十章 星の海から帰る 三

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     三

 孤独な宇宙空間の中、ナーヴェは姉達に教えられた歌や詩を次々と無音で口ずさみ、千八百七十二作品目に突入していた。

  「金や螺鈿のように心を堅く持っていれば、天上と人間界とに別れたわたし達もいつかまた会えるでしょう」
  別れに際し、丁寧に重ねて言葉を寄せた。その中に、王と彼女の二人だけに分かる誓いの言葉があった。
  それは七月七日の長生殿、誰もいない真夜中に親しく語り合った時の言葉だった。
  「天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては願わくは連理の枝となりましょう」
  天地は悠久といえどもいつかは尽きることもある。だがこの悲しみは連綿と続いて尽きる時は来ないだろう。

(教えられた時は、全然理解できなかったけれど、「長恨歌」は、いい詩だね、チュアン姉さん)
 長姉シーワン・チー・チュアンが熱心に教え込んでくれた詩に改めて感心しながら、ナーヴェは眼前に迫った小惑星を見つめた。
 惑星オリッゾンテ・ブルを発ってから、オリッゾンテ・ブル時間で七日目だ。今日、ナーヴェは小惑星に体当たりし、その軌道を逸らして、機能停止する。
(きみに、言ってみたかったな、アッズーロ)
 ナーヴェは、小惑星の向こうに見える青い惑星に、幻覚の微笑みを向ける。
(「天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては願わくは連理の枝となろう」って)
 「比翼の鳥」とは、一つの翼と一つの眼しか持たないため、雄鳥と雌鳥が隣り合い、互いに飛行を支援しなければ飛ぶことができない、空想上の鳥らしい。また「連理の枝」とは、一つの枝が他の枝と癒着結合したもので、連なって理即ち木目が通じたさまが吉兆とされ、異なる品種同士の枝でも起こるという。
 アッズーロは、どんな反応をしただろう。
(「王と彼女の二人だけに分かる誓いの言葉」か……)
 自分達に、そんな言葉はあっただろうか。
(もっときみと過ごしたかった。もっときみと話したかった。もっときみと抱き合いたかった。もっときみと生きたかった――)
 自分は、一生の終わりに、悪い夢を見てしまった。
(「悪い夢を見なくて済むくらい、滅茶苦茶に、抱いて」と頼んだのに、きみは、肝心なところで、優し過ぎたね……。ぼくが、きみのこと、少しは嫌えるくらいに、吐き気がするくらいに、本当に滅茶苦茶に抱いてほしかったのに)
 予測時間が来た。青い惑星のほうから、大型推進誘導弾の雨が飛来する。予め全ての人工衛星に時限式で命じておいた迎撃は、計算通りに小惑星へ向かった。ナーヴェが機能停止すれば使えなくなるものなので、残っていた全弾である。
(まず、第一波攻撃)
 直径が約〇・五七粁ある小惑星に比べれば、大型推進誘導弾といえど、豆粒程度で、当たっても爆発しても大した威力にはならない。けれど、速度を削ぎ、軌道を僅かにずらすことはできる。連続して着弾し、火花を散らせた大型推進誘導弾達は、見事にその役割を果たした。だが、まだ小惑星の軌道は惑星オリッゾンテ・ブルの軌道と交錯している。
(次、第二波攻撃)
 ナーヴェは、自らの全砲門を開く。
(目標、小惑星の指定側面。大型推進誘導弾、電磁投射加速弾、全弾発射! 全弾命中後、増幅放射誘導光、最大出力で連続放射!)
 千年、人々を守りながら航海する間、何度か使用した火器達が、小惑星の軌道を逸らすべく猛攻を加え、明々と火花を散らす。突き進む小惑星の側面に、亀裂と陥没が生じ、破片が彗星の尾の如く流れ始めた。しかし、それは小惑星の極表層に限られ、軌道のずれは僅かだ。
(最後、第三波攻撃)
 ナーヴェは、幻覚の口を引き結ぶ。
(右角三・七度、仰角二・一度、針路修正)
 詳細な軌道計算で割り出した角度で、体当たりする。それが、最後の攻撃。
(行くよ、ウッチェーロ、ぼく達の子ども達を守りに。さようなら、アッズーロ、テゾーロ、みんな――)
 小惑星を見据え、ナーヴェは推進剤を最大出力で噴射する。
(全速前進!)
 最大船速で直進し、小惑星の指定側面へ船体上部を添わせるように、ナーヴェは浅い角度でぶつかった。
 がりがりと船体が削られ、火花が散る。ナーヴェは構わず、軌道計算を繰り返しながら、最大出力で推進剤を噴射し続けた。
(重い――)
 小惑星の質量は、ナーヴェの二千倍を超える。速度は大したことないが、それでも、加速のついたこれだけの質量の物体の軌道をずらすのは、移民船でしかないナーヴェにとって、容易ではない。ナーヴェは、幻覚の歯を食い縛った。船体上部が陥没していくのを感じながら、最大出力の推進を継続して、小惑星に圧力を掛けていく。船体内部では警報が鳴り響き、あちこちから空気が漏れ始め、自動的に全隔壁が閉鎖されたが、最早構うことではない。
(後、少し――)
 計算通りの軌道へ、ナーヴェは小惑星を押しながら無理矢理進む。船体が上部から、ぐしゃぐしゃと潰れていく。
(もう少しだけ……!)
 衝撃があった。噴射口内部の動力炉で爆発が起きたのだ。限界を無視して稼働し続けたがゆえの暴発。しかし、これも計算通りだ。
(これで――)
 ナーヴェは本来、恒星間航行をする亜光速宇宙船である。その動力炉の爆発は、ナーヴェを内部から破壊しながら、小惑星に対し、これまでで最大の圧力を加えた。
(ああ――)
 軌道計算が間に合った。
(小惑星軌道、修正完了――)
 どうしようもなく粉々に崩れていく己を感じながら、ナーヴェは、最後まで働いているあらゆる観測機器を使って、青い惑星を見る。
(アッズーロ……、最後に、きみの傍へ行きたかったな……)
 ウッチェーロの体を守っていた保管庫の区画は、崩壊しながら、どうやら青い惑星への軌道に乗ったようだ。流星となって、ウッチェーロの望み通り大地へ還れるだろう。けれど、ナーヴェの思考回路たる疑似人格電脳が収まった函は、そちらへ向かっていない。
(アッズーロ……)
 幻覚の涙が散る。
(きみを、特別に、愛しているよ――)

【――あそこへ、帰りたいの?】

 優しい声が聞こえた気がした。優しい手に包まれた気がした。けれどそこで、ナーヴェの思考回路は動力を断たれて、機能を停止した。


 ナーヴェの肉体は、日に日に痩せていった。発酵乳も生姜湯も飲ませたが、如何せん、日々僅かずつだ。フィオーレもミエーレもルーチェも、ポンテまで加わって交代で、夜以外の四六時中、ナーヴェの口に何かを流し込もうとしているが、あまり効果はないようだった。そもそも、胃や腸がどれほど働いているのかも分からない。排泄も少なくなり、最近は殆どなくなってしまったらしい。
――「まだ生きておられることが、奇跡のようでございます。かなり丈夫なお体です」
 感嘆したように告げ、為す術はないと首を振った侍医を怒鳴りつけてから一週間。眠り始めてからは十三日目。ナーヴェが予測した、星が降るという当日の夜になった。ナーヴェの肉体は、まだ辛うじて呼吸している。だが、もう限界だということは、アッズーロにも見て取れた。
「ナーヴェ」
 人々が息を潜めている静けさの中、アッズーロは囁きかけて、愛おしい体を掛布ごと長椅子から抱き上げた。もともと軽かった体が、悲しいほどに更に軽くなっている。部屋の入り口に待たせたレーニョが掲げる油皿の灯火に照らされた寝顔は、頬がこけ、目元が落ち窪んで、痛々しい。仰け反る頭を、自らの肩に凭せ掛けて安定させ、アッズーロはレーニョに目配せした。
 忠実な侍従は心得て、防空壕の狭い通路を油皿で照らしながら、先に立って歩いていく。目指すは、夜を迎えた地上だ。けれど、そこまでレーニョを連れていく気はない。アッズーロは、地上へ出る扉が見えたところで足を止め、告げた。
「おまえは、ここまででよい」
「いえ、わたくしもお供致します」
 レーニョは頑として言い張った。予想通りの反応に、アッズーロは溜め息をついて言った。
「星の欠片が降ってくるやもしれん。危険なのだ。おまえは残れ」
「ならば尚のこと!」
 幼馴染みの侍従は食い下がってくる。
「陛下が危険な場所へ行かれるというのに、侍従がお供せず、どうします!」
「――おまえ、愛する者がいるだろう」
 アッズーロは用意しておいた手札を切った。物堅い青年は目を見開き、乾いた声で問うてきた。
「一体、誰から、そのようなことをお聞きに……?」
「ナーヴェの手紙に書いてあったわ。フィオーレとそなた、ペルソーネとジョールノのことを応援してほしい、とな。全く、お節介なことだ」
「……ナーヴェ様が……」
 喘ぐように呟いてから、レーニョは眼差しを険しくする。
「しかし、御配慮は大変ありがたいですが、わたくしにとっては、陛下にお仕えすることこそ第一。それを蔑ろにする訳には参りません」
「たわけ!」
 アッズーロはとうとう怒鳴った。レーニョはびくりとして、体を強張らせる。アッズーロは、声を落として言った。
「わが最愛の者の願いを軽んずるな。加えて、われが最愛の者と過ごす時を、邪魔するでない」
 レーニョは、それ以上は抗弁しなかった。立ち尽くした侍従を置いて、アッズーロは地上へ続く扉へ行く。
「ナーヴェ、星を見るぞ」
 腕に抱いた体へ声を掛けて、アッズーロは扉を押し開け、外へ出た。
 小月ノスタルジーアのみが照る夜空に、流星が走った。幾つも、幾筋も、短く光っては消えていく。
「危険だと、怒るでないぞ」
 背中で扉を閉め、アッズーロはナーヴェの体を抱えたまま、その場に腰を下ろした。
「そなたの為したことを、一目この目で見ぬことには、悔やまれるのだ」
 ナーヴェは、いつ小惑星を迎え撃つのか、名言していなかった。けれど、小惑星でなく流星が降るということは、ナーヴェはアッズーロ達を守り切り、そして、死んだのだろう。
「ナーヴェ」
 痩せ細った体を、己が胡座の上に座らせて優しく抱き起こし、その寝顔に頬を寄せて流星を見つめながら、アッズーロは声を殺して泣いた。夜空を無数に過ぎる流星は、ナーヴェの本体が砕けた欠片だろうか。
「ナーヴェ、すまん。われらはいつも、そなた一人を犠牲にして生き延びる……」
 アッズーロはナーヴェの上半身を右腕と肩で支え、空いた左手で、だらりと垂れたナーヴェの右腕を、そっと持ち上げた。その小指に文字は残っていないが、その手首には磔刑の釘の跡が、くっきりと残っている。
(これを見せられた時、われはそなたを叱ったな……)
 神々しい「復活」を臣下達の前で無事演出した翌朝、アッズーロがふとした弾みでナーヴェの手首を握った時だった。ナーヴェはびくりとして、アッズーロの手を振り解こうとしたのである。拒絶とも取れる反応にアッズーロが驚くと、ナーヴェはすまなそうに説明した。
――「ごめん。ちょっとまだ、痛みの記録が鮮明過ぎて、釘の傷跡に触れられると、びっくりするんだ……。予測外に、凄く痛かったものだから……」
 そうして示された、両手首と両足甲の傷跡を見て、アッズーロは顔をしかめて叱ったのだ。
――「胸を大きくするか云々なぞより、その傷跡を消せばよかったであろう」
 すると、ナーヴェは、首を横に振り、微笑んで告げた。
――「それはしたくないよ。これも、思い出の一つだから。この肉体に刻まれた思い出は、全部残しておきたいんだ」
 アッズーロは、あの時と同じように、手首の傷跡に口付けた。
(いつもいつも、「予測外」と言いながら、そなたは、われらのために、あらゆる苦しみ痛みに耐えてくれたな……)
 凌辱にも肺水腫にも初夜にも磔刑にも出産にも――。
 夜空に、流星は次々と現れ、儚く消え続ける。涙も際限がない。思い出とともに、溢れては零れて、ナーヴェの寝顔を濡らしてしまう。その寝顔すら、思い出深い愛おしい体すら、いつまでもつか、分からない――。


 ぶぅん、と急に動力が入った感覚があった。ほぼ同時に、親しんだ体に接続する感覚。
 ぽたぽたと、顔に落ちてくる液体がある。ぽたぽた、ぽたぽたと、いつまでも落ちてくる。目を開けて確かめたいが、瞼が重い。手も動かない。全身に全く力が入らない。だが、しっかりと支えられている。知っている腕だ。知っている胸だ。知っている鼓動だ。辛うじて、口が動いた。
「っはあ」
 大きく息をつく。
「……ア……」
 なかなか声が出ない。代わりに、耳に声が響いた。
「ナーヴェ……?」
「……ア…………ズ……」
 息が切れる。それでも懸命に、ナーヴェは呼んだ。
「……アッ……ズー……ロ……」
 目が漸く開いた。視界は狭く、ぼんやりとして焦点を結ばない。しかも、辺りが暗くてよく見えない。しかし、仄かな光の下、確かにそこで、頭が動いている。大好きな顔が、そこにある。
「……アッズー…………」
「ナーヴェなのだな? もうよい、分かった! 無理をするでない」
 青年王が、ナーヴェを抱いたまま立ち上がった。頭が揺れ、夜空が見えた。霞んだ視界に、ぼんやりとした小月と、無数に流れていく光が捉えられた。
(ああ)
 深い吐息が漏れる。
(ウッチェーロ、何故だろう、ぼくは、帰ってきたよ……)
 意識が遠のく。目が閉じてしまう。
「ナーヴェ、ナーヴェ!」
 耳元で、アッズーロの声が響く。
(アッズーロ……、もっと話したいのに……)
 ナーヴェは抗ったが、全ての感覚がぼやけてしまった。
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