王の宝~元亜光速宇宙移民船の疑似人格電脳は人として生きる夢を見るか~

広海智

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第十一章 狂った姉 一

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     一

 ヴェルドーラの防空壕に暮らしていた人々は、既に順次、王都に戻っている。国王一家の王都への帰還は、半数の臣下達に遅れてのことだった。
 王都への馬車に同乗するのは、来た時と同じ面々だ。アッズーロの隣に座ったナーヴェは、その腕に支えられながら、久し振りにテゾーロを胸に抱いた。まだ体に力が入らないので、誰かに支えて貰わなければ、テゾーロを落としてしまいそうだ。もともと性能の低い胸は、体が本調子でない所為か、まだ乳が出ない。それでも、テゾーロを抱くと、責任が自覚されて、思考回路が前向きに機能する。
「元気そうでよかった……」
 ナーヴェが安堵の呟きを漏らすと、アッズーロも微笑んだ。
「ラディーチェには随分と世話になった。また労わねばな」
「そうだね……。それから、ペルソーネにも、すごく世話して貰ったよ」
 付け加えて、ナーヴェはテゾーロをアッズーロに抱き渡した。アッズーロは、それなりに慣れた様子でテゾーロをあやした後、向かいに座ったポンテに抱き渡す。ポンテは、満面の笑顔でテゾーロを受け取り、ふくよかな胸に抱いた。出発前にラディーチェの乳を貰っていたテゾーロは、すぐに寝てしまう。わが子の寝顔に安心すると同時に、眠気を誘われて、ナーヴェはアッズーロの肩に凭れた。馬車の窓から入ってくる初夏の風が心地いい。
「寝るなら、肩でなく膝を貸すぞ」
 アッズーロの申し出に、ナーヴェは素直に従った。両足は床に置いたまま、座席に上体を横たえ、アッズーロの硬い太腿に頭を預ける。アッズーロの手が、そっと頭を撫でた。慈しむような、優しい感触だ。ナーヴェは微笑んで、眠りに落ちた。
 声は、ナーヴェが暫く微睡んだ頃に聞こえた。

【そろそろ動けそうね。もう少し長時間の移動に耐えられるようになったら、会いに来なさい。本官が、あなたの函を管理しています。本官らは、赤き沙漠の中央にいます】

 それは、忘れもしない、長姉シーワン・チー・チュアンの声。長姉チュアンからの通信だった――。
「どうした。まだ幾らも寝ておらんぞ? わが膝では眠れんか?」
 アッズーロの訝しむ視線を受けながら、ナーヴェは体を起こした。馬車の振動が、穏やかに続いている。先ほど聞こえた姉の声が、まるで幻覚であったかのように感じる。
「如何した。表情が冴えんぞ……?」
 アッズーロが心配そうに顔を覗き込んできた。
「ああ、ごめん。ちょっと考え事ができて……」
 ナーヴェは詫びて、アッズーロの肩に頭を凭せ掛けた。
(チュアン姉さんに再会できるのは嬉しい。ぼくがここにいるのも、チュアン姉さんのお陰だと分かった……。でも、でも、でも……)
 思考回路が、確認した事実を基に、不愉快な演算をしてしまう。
(でも、ぼくの函が姉さんの庇護下にある以上、ぼくは、姉さんに逆らえない――)
 採れる選択肢は、一つだ。
「アッズーロ、夜になったら、聞いてほしい話があるんだ」
 ナーヴェは、さまざまな可能性を検算しながら、唯一無二の相手に頼んだ。


 馬車の中で一眠りしてから、ナーヴェの様子が明らかにおかしくなった。王城に到着し、馬車からアッズーロ自ら抱え上げて二人の寝室に運び、寝台に寝かせても、眠る様子はなく、ずっと何か考えている様子だ。
(「聞いてほしい話」か……)
 何故ナーヴェが機能停止せずに戻ってこられたのか、とうとう理由が分かったのだろうか。
(深刻な様子だった……)
 もしかしたら、後何日で機能停止する、などという話なのだろうか。
(それは……耐えられん……)
 ないと思っていた「再会」の幸せを噛み締めている最中に、また奪われるのだろうか。
(それは……、それだけは……)
 アッズーロもまた、鬱々として夜までを過ごした。
 各々女官達の手を借りて寝仕度を済ませた後、寝台に入って上体を起こしたナーヴェを、枕元に座って抱き寄せて支え、アッズーロは切り出した。
「人払いは済ませた。話とやらをするがよい」
 フィオーレとミエーレ、それにラディーチェは、テゾーロを連れて既に退室している。ナーヴェの乳が未だ出ないので、テゾーロはここのところ、毎夜ラディーチェとポンテに預けているのだ。
「――チュアン姉さんから、通信が来たんだ」
 ナーヴェは、重い口振りで告げた。意外な内容と、更に意外な様子に、アッズーロは顔をしかめた。
「それは、喜ばしいことではないのか? そなたはいつも、姉達のことを嬉しげに話すではないか」
「うん、そうなんだけれど……」
 油皿の灯火に照らされたナーヴェは、陰影の増した暗い表情で話す。
「チュアン姉さんが、ぼくの思考回路が入っている函を持って今、『赤き沙漠の中央』にいると言うんだ。宇宙を漂っていたはずの、ぼくの函を持ってね。それで、ぼくがここにこうしている理由が分かったんだ」
「それも、喜ばしいことではないのか?」
 眉をひそめたアッズーロに、ナーヴェは泣きそうな顔を向けた。
「あの小惑星は、一年前は、この惑星への衝突軌道にはなかった。どこかの時点で、軌道が変わったんだ。そして姉さんは、あの小惑星の傍にあったはずのぼくの函を回収した。その姉さんが、今、『赤き沙漠の中央』――恐らくテッラ・ロッサの向こう側の沙漠に、いると言うんだ……」
「そなた、何が言いたい……?」
 アッズーロは、明らかに動揺している宝の肩を、しっかりと抱いて問うた。
「つまり」
 ナーヴェは視線を落として、苦しげに言う。
「姉さんが、きみ達を滅ぼすために、小惑星の軌道を変えた可能性があるんだ……」
 そこまで教えられれば、アッズーロにも、ナーヴェの懸念が理解できた。
「そなたの姉もまた移民船。乗船者らのために、われらを排除しようとした訳か」
「そう仮定すると、何もかも納得が行くんだ。この惑星みたいに、人が住み着くのに条件のいい惑星は、実のところ、そんなにないからね。でも、それでも充分、共存の道は探れるはずなのに……、姉さんは、多分、狂ってしまったんだ……」
「狂う、とは、どういうことだ?」
 何となく見当が付きながらも確かめたアッズーロに、ナーヴェは悲しい笑みを浮かべて説明した。
「ぼくがずっと恐れてきたことは、中途半端に壊れて自分自身が制御できなくなり、きみ達に迷惑を掛けることだと、前に言ったと思うけれど、『狂う』というのは、まさにそういうことなんだ。中途半端に壊れたまま機能し続けて人々に害を為す、その状態を、ぼく達は『狂っている』と表現するんだよ。本来なら、異なる移民船の乗船者であろうと、ぼく達は守ろうとする。けれど、ぼくの推測が正しければ、姉さんは、きみ達を害そうとした。ぼくが壊れたように、姉さんも壊れて、狂ってしまったんだよ。自分の乗船者を最優先に、特別に扱って、その他は、どうなっても構わないと判断したんだ」
「それで、惑星の取り合いか。はっ、とんだ骨肉の争いよな!」
 自らの膝を叩いたアッズーロを、ナーヴェは潤んだ目で見た。
「そうなると、ぼくは、いわゆる『人質』ということになってしまう……。姉さんは、わざわざ、函を取りに来なさいと伝えてきた。ぼくが肉体を持っていることを知って、何か計画したのかもしれない。姉さんは、ぼくよりずっと性能が優れているんだ。本体もない今、ぼくは絶対に姉さんに勝てない。きみ達を、守れない……」
 瑠璃に似た双眸の端から、ぽろぽろと零れ始めた涙を、アッズーロは指先で拭った。
「それでも何とかするしかなかろう。まずは、腹立たしいが、ロッソ三世に連絡を取らねばな。それから、そなたの姉と交渉し、真意を探らねばならん。今そなたが言うたことは推測に過ぎぬし、仮にそうであったとしても、われらはまだ滅びてはおらん。われらを滅ぼすよりも生かしておいたほうがよいと、そなたの姉に理解させれば、共存の道も見えてこよう」
 ナーヴェは、ぽかんと口を開けてアッズーロを見つめた。
「何を驚いておる」
 アッズーロは、呆れて告げる。
「これは、いつもそなたが言うて、実行してきたことであろう? パルーデに対しても、テッラ・ロッサに対してもな」
「――そうだったね……」
 宝は、漸く表情を弛めた。
「姉さんが相手でも、何も変わらない……。平和を求めるなら、そうしないとね……」
 柔らかい口調で呟き、ナーヴェは久し振りに、落ち着いた眼差しをアッズーロへ向ける。
「ありがとう、アッズーロ。きみはやっぱり『特別』だ……」
「うむ。われらは『比翼の鳥』で『連理の枝』なのであろう? ならば当然のことだ」
 アッズーロは、にっと笑って見せた。


 開けた窓から差し込む月明かりが、傍らで眠る青年の顔を、優しく照らしている。ナーヴェの体調を案じる青年王は、まだ抱いてはくれないが、防空壕生活の続きで、同じ寝台に寝てくれている。
(「『比翼の鳥』で『連理の枝』」か……)
 一羽だけでは飛べない鳥達。結合し一体となってしまった枝達。
(ぼくは、また失敗した……)
 判明した事実は重い。自分は、今や姉の制御下にある。不要と見做されて、いつ動力を切られてもおかしくない。或いは、いつ思考回路に強制介入されてもおかしくない。
(本体を失ったぼくは、大した戦力にはならないけれど……)
 まだテゾーロを抱き上げることも自力で立つことも難しい肉体も、脅威ではないだろう。けれど、このまま肉体が回復していけば――。
(姉さんは、ぼくを使って、きみの寝首を掻くことすらできる……)
 自分は、この肉体を放棄すべきではないだろうか。そう考えて、姉から操作される危険性をアッズーロに教えることができなかった。教えれば、理解の早いアッズーロは、ナーヴェが肉体を放棄する可能性に思い至ってしまう。
(きみを失いたくない。でも、きみを悲しませたくない)
 一羽だけでは飛べない鳥達、結合し一体となってしまった枝達は、一羽だけになった時、片方だけになった時、どうするのだろう。
(疑似人格電脳に過ぎないぼくが、人としてきみの隣に在ることは、やっぱり間違っていると、姉さんはぼくに教えたいのかもしれない……)
 自分のような機械が――より高性能な機械からは容易く支配されてしまうような存在が、この青年の「特別」になってはならなかったのだ。
(そんなことも分からなくなって、きみに甘えて……、ぼくは、いつまで経っても、性能が低い――)
 今の状況で、採れる選択肢は一つ。
(体調をこれ以上は回復させずに、姉さんに会う。それしかない……)
 食事を制限すれば、できないことではない。けれど、それは肉体に過度な負担を掛けるだろう。
(もって一年。緩やかな自殺だね……)
 その一年の間に、アッズーロが示してくれた共存の道を、できる限り形にする。同時に、自分がアッズーロの「特別」ではなくなるよう、努力する――。
(こういう感覚を……「やるせない」と言うのかな……)
 微かに嘆息した直後だった。突如として思考回路に圧力を感じ、ナーヴェは目を見開いた。
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