オットマンの上で

刺客慧

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第一話:バイバイツネマツ

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 ペンギンちゃんはペンギンちゃん。
 
 太一郎(たいちろう)がそう呼ぶから、皆も同じように呼ぶ。それが生物種名だと知った時は当のペンギンちゃん本人憤慨ふんがいしたけど、一分ほどその場でじたばたしただけで、その後気にした素振りはない。
 
 ペンギンちゃんは一カ月に一度湯浴みをするする。台所で……。
 その日も洗剤によって泡だらけになった風呂桶の中で優しくもまれていた。
   
 ママの洗い方はすごく丁寧。顔をもみもみ、脇をもみもみ、三本指の足も先までもみもみ。バラのにおいに包まれ姫様気分を満喫まんきつしていた。
 
 太一郎が台所に来た。リュックを背負っている。今日は遠足のようだ。

「行ってきまーす。ペンギンちゃん」

「キーー! 〇ね!」
 夢見心地を邪魔されたため威嚇いかくしたが、太一君は笑顔で手を振って出て行った。お母さんがペンギンちゃんの手をつまみあげて、変な声真似付きで、キューいってらしゃい、をしたからだ。

「アタイはそんなこと言ってない!」

 ママのもみもみが再開されると、そんなこともどうでもよくなった。
 
 お風呂が終わればもう一つお楽しみ。ベランダで日干しだ。ペンギンちゃんの頭にはひっかけひもがある。無機質な白のひっかけひも……。存在を知った時にはペンギンちゃん本人憤慨したけどetc…。
 
 薄青い空の朝飯時、視線の先にはお隣の花津毬はなつまりさんがカーテン開けっ放しで大画面モニターを見ている。画面の中で平成の歌姫だった浜野はまのあさみが、ハートの二プレスしている半裸の男たちと踊ってる。
 
 アタイもあんなおっぱいとお尻デカかったら、男どもと踊り狂えるのに……。十年ちょい前の奥尻おくじりアリカのことも思い出す……。歯ぎしりキリキリ……。

「ヌッ!」
 不機嫌は収まらない。花津毬さんが家の奥に引っ込んだと思ったら、数分後には洗濯籠を持ってベランダに出てきた。

「出たなパンダ!」
 
 真ん丸な頭、真ん丸な体、ぶっとい足、デカい尻、ペンギンちゃんと全く同じひっかけひも……。白黒の存在感の塊が、物干し竿に引っかけられた。

「パン子よぉー。おはよう様(さま)っ」
 
 ペンギンちゃんはゲラゲラとその姿を笑った。

「股おっぴろげちゃってやんのー」

「だまらっしゃい! あんたも同じよ」
 届きもしないのに、二人とも体をばたつかせて水を飛び散らせた。

「ガッ、出た!」
 ペンギンちゃんの方のベランダ手すりにキジバトがとまった。公園の方から来たのだろう……。餌があるわけでもないのに手すりをうろうろ……。しまいには外壁をつつきだした。

「よく見たら、あんたの家の壁、白い汁が垂れてるるじゃないの」

「ゲッ、マジ!?」

「なにこれ? 鳥の糞? マルスペ? やだー、えんがちょー」

「キーー! やめい! そんなわけないじゃない」

 ペンギンちゃんは体を前後何度も揺らして、糸にぶら下がる蜘蛛男のごとく、スイングして上を見た。ゲッ!
 指で血だまりをなぞったように外壁のコンクリから白色の線がひい、ふう、みい……。

「ボロ家ー!」

「黙れ! マダラ尻!」

 こんなの吹けば取れるわよ、とさらに体をスイングさせ半渇きのタオルを持ち壁にタッチ。しかし、全然汚れは取れるどころかペンギンちゃんの足に白い粉がついてしまった。血の滴りのようなものは硬化していたのだ。

 パン子に笑われ、さらに、キーー!

 ***(尻穴)

 夕方、暴れ疲れて四時間の昼寝をした後、ようやくペンギンちゃんは取り込まれて、ぬいぐるみたちの住処、オットマンの上に戻った。

 ボーイフレンド、アナグマのジェイミーがすぐさま隣にきた。

「お風呂気持ちよかったー?」

「まあねー」

「よかったね」

「けどそのあと最悪だったのよ! 見て、足に変なの付いた!」

 ジェイミーはペンギンちゃんの足裏をのぞき込んで、白い粉を見る。とってー、とってー、と上目使いでアピール……。しかしジェイミーはをした後、ペンギンちゃんに足をふかないように指示していった。

 ……、……。
 その晩、オットマンの上は家中のぬいぐるみがペンギンちゃんを囲んで集合していた。やいのやいの言う周りに訳も分からずペンギンちゃんは眼(ガン)を飛ばしていた。

「えー、皆さん静粛に……」
 ジェイミーは普段から神経質そうな声を和らげて、皆の不安を鎮めるような務めて落ち着いた声を出した。

「かねてより皆さんの間で一部噂だった例の話……、本日こうして検証できる場ができました」

 ペンギンちゃんは、訳も分からず、周りが未だ自分に注視している現状を不満に思い、何のことなの、とジェイミーに聞いた。ジェイミーはなにも答えず咳払せきばらい。

「えー、この家の外壁にアスベストが使用されている可能性があるといった話、どうやら現実味が増してきました……。それがですね、ペンギンちゃんの足についているこの粉です」

 再びやいのやいのが始まった。

「そんなワケないじゃないのよ。何十年前の話よ!」

「ええ、ええ……、皆さん、まだです。この粉を検証してみたいと思います。ただの洗剤とかであればまだ良し……。しかし、アスベストであれば希望者を募り、この家を退去することも考えなくてはなりません」

 周りがさらに騒がしくなった。泣き出す輩までいた。

「アフメットさんを連れて来てください……」

 双子のトイプードルに両脇を抱えられて虚ろな目の猫がやってきた。

 二ヶ月前にやってきたそいつとペンギンちゃんは一切、会話をしていない。猫のくせに耳がぺちゃんこなのだ。そういうやつをペンギンちゃんは嫌っている。何かジェイミーがこいつの品種をティッシュの名前みたいに言っていたが覚えていない。

「えー、皆さんご存知ですよね。アフメットさんです……。こちら、以前、おやつのパンケーキに使用されている大豆粉に一部グルテンが含まれていることを見抜いた実績があります。とても心強い白い粉の専門家です」

 おおー、と周りがきたった。

「アフメットさん、お休みのところ申し訳ありません」

 虚ろな目でアフメットはジェイミーをゆっくり見て、視線を落として失禁した。足腰はだらん、としている。ただ、それにかまわず双子は手を放した。アフメットはそのままその場に突っ伏した。

「そしてこの方は津ね松(つねまつ)さんです。津ね松さんの息子さんは氷河期世代で苦労をされて建築作業員として働かれていましたが、ある日体内に残留していたアスベストが原因で亡くなっています」

 ジェイミーがどこからか連れてきた『もかちゃん人形』はすすり泣きをしながら、茶色で皴だらけのセカンドバッグのようなものを大事そうに抱えている。髪はろくに手入れをされておらずぼさぼさでブロンドが色あせており、顔にも黒いしみ(細かいへこみとその中の汚れ)が目立つ。

「津ね松さんご協力感謝します」

 足長ババアは薄汚れたセカンドバッグを逆さにすると、そこから粉が出てきた。色も細かさもペンギンちゃんの足についてるやつと全然違う。

「貴重な息子さんの遺留品いりゅうひん、使わせてもらいます……」

 ジェイミーはマスクをしてカツラ足長ババアツネマツから粉を受け取り、ヤク中猫の前に差し出した。どうもあれは、息子の肺のようだ。

「皆さん大丈夫です。このままお待ちください」

 アフメットは粉をひとかぎ、気持ち悪いことにペロ、とさらにひとなめ。

 ペンギンちゃんは言いつけ通り、粉を落としていない。なんだかかゆくなってきた。おみ足もじもじ……。
 突如、アフメットは首だけ持ち上げてペンギンちゃんの足を向き足だけずりずりと動かしていつくばった体制のまま向かってきた。

「んん! ん?」

「ギャー、何よ」

 そのままアフメットはペンギンちゃんの足を鼻息荒く嗅ぎだした。

「んふー、んふー。すうー、すうー」

 ペンギンちゃんは背筋が完全に凍って動けなくなった。

「ん、ん! うおっ」

「ちょっと何よ」

 アフメットは何かに感づいたか、あえぐように反応しだした。どうなるかと思ったがペンギンちゃんは次の瞬間気を失いかけた。アフメットが足をなめだしたからだ。

「んふー、んふー」

「いやー! もうダメ。〇す!」

「押さえろ押さえろ」

 ペンギンちゃんはオットマンにいる面々の中でも大柄な方ではない、何人かに囲まれて取り押さえられた。
指の先なめなめ、ねぶねぶねぶる、ねぶねぶネバダ。指間(しかん)なめなめちろちろ。唾液だえきぺちゃぺちゃ。自分の出した唾液をじゅるじゅる、さらにねぶねぶ。

 芸術的な舌使いにペンギンちゃんうっとりしながらドン引き。
 気持ちよくなりながら、いつこいつの顔にしょんべん引っかけてやろうか迷っていた。

 ひとしきりなめまわした後、アフメットは眼をかっと見開いて水揚げあされたばかりの魚のように激しく跳ねながら、もだえた後に、ブリッジをした。

「フィラデルフィア! フィラデルフィア!」

 ジェイミーはそれを見て大きく頷いた。

「どうやら決まりですね。皆さん、投票は後日……。ご自分の意思を決めておいてください……」

「さっぱり意味わかんないわよー!」

 拘束を振りほどいて、ペンギンちゃんは大いに暴れた。しかし、ジェイミー他すべてのメンバーは、話は終わった、とばかりに全員その場を去って行った。

 次の日……。

「おはようございますぅ」

「あ、津ね松さーん。昨日はありがとうごじゃいましたー」

「いえいえ。お二人ともどうするおつもりかしら……。やはり、この家からいなくなっちゃうの?」

 ペンギンちゃんは津ね松さんが双子のトイプードルにすり寄っていく様子を遠くから見ていた。ひそひそ声で話していてもデビルイヤーはすべてを聞いている。

「まだ決めてないでしゅ、でも……」
「できればずっといたいでしゅ」

「そーお。私も、じ、つ、は……、残る派なんですよねぇ」

「ええっ?」
「だいじょうぶなんでしゅか?」

「そりゃ、死んだ息子のことを思い出しちゃうわよ。けど、私見逃せないの。違法建材を使っている家を一つでも無くしたいの」

「なんて、すばらしい」
「りっぱでしゅ。ぼくたちもなにか手伝えることがあればいってほしいでしゅ」

「そーお……。実はね、今度この家の改修計画を業者にしてもらおうと思うのよ。私の知り合いの会社でねえ。あなたたち、今無職でしょお。良かったらそこで働かない? お給料すごくいいのよお。保険も入れるしぃ」

「えっ……」
「いや、僕たち、それは……」

「遠慮しないで。早速話しておくわねぇ」

「いや……」

 ジェイミーがペンギンちゃんに話しかけてきた。

「あのさ。昨日のことだけど……」

「もうわかったわよ」

「あ、わかっちゃった?」

「今回はあんたのやり方に従ってあげる。けど、あの変態に足舐めさせたこと、覚えとくわよ」

「かたじけない。埋め合わせはするよ……」

「くるしゅうない」


 三日後……。諸々省略もろもろをしょうりゃく

「皆さん、投票ありがとうございます。集計が終わりましたので、結果を言いますね」

 みんな固唾かたずをのんでいる中、ペンギンちゃんは演技もせずに、軽くため息。

「結果は、この家に残る一票、他は皆、ここを去るです。ちなみに、残るは津ね松さんだけです!」

「ええ! 何で! あなたたち、それにあなたも、残るって言ってたでしょ? なんで!」

 ペンギンちゃんは笑いを押し殺した。分かっていないのは津ね松だけだ。露骨に狼狽えている。

「いや、ぼくたち。残りたいっていったけどぉ……」
「やっぱ、アスベストはいやだよねー」
 双子をはじめ、皆、やいのやいの言い逃れを始めた。

「では、津ね松さん、後は任せました。僕たちはこれで」

「名残惜しいですがー」

「待って。投票なら多数に従う、ってなるでしょお?」

「ああ、希望者を知りたいだけでした。残るなら残るでいいじゃないですか」
 ジェイミーをはじめ、オットマンの住人たちは皆、蜘蛛くもの子を散らすようにリビングから消えていった。

 ペンギンちゃんだけ部屋の外で、デビルイヤーをかたむけ、一人きりになったオットマンの様子をうかがった。

 何よ、何なのよ、と津ね松は一人になった途端とたん、本性むき出しだった。

「何あいつら! 菓子折りの一つも残さず、行きやがって。失礼な連中だねえ! まあ、いいさ。ここはあたしだけの根城になったわけだ……。新しい奴を待って、こいつをまたたらふく吸わせて、くたばるのを待ってもうけてやるよ」

 そーと、戸の隙間からのぞくと、寝転がり、煙草たばこに火をつけて息子の肺をお手玉でもてあそびながら、外道にちたもかちゃん人形はしわくちゃの歪んだ笑みを浮かべた。

 そこに現れたのは太一郎。

「あれ、みんないないじゃん。どうしたんだろう」

 太一郎がオットマンの上を見て、不思議そうに年老いたもかちゃん人形を手に取った。

「お母さん! 何! この呪いの人形。お母さんの?」

 太一郎は津ね松を振り回しながら、大声で何度も訪ねた。しばらくして、洗濯場から声が返ってきた。

「あたしのよー! 悪い?! 子供のころ大事にしてたんだから、一つくらいおいてもいいでしょー」

「やだー、気味悪いよ。薄汚れてるし、タバコ臭いし、捨てていい?」

「ええー、なんてこと言うのよ」

「お母さん、前、タバコもうやめるって言ってたよね。約束破って吸ったでしょ? 人形にこびりついてるよ」

「……、……」

「聞いてる? こないだ成績下がったから僕、スマホ取り上げられけど、お母さんは約束破って何にもないの? こんな人形と流し台の奥のパーラメント、どっちを捨ててほしい?」

「……、……。あっそ。別にいいわよー」

 太一郎は津ね松を迷わずプラごみ用の箱に入れたが、思い直して取り出して家から飛び出していった。五分後帰ってきて、へへへ、埋めちゃった、とか、誰に言っているのだろう。

「もういいみたいよー」
 ペンギンちゃんは家の様々な場所に隠れているジェイミーたちを呼んだ。ぞろぞろ、わーわー、やいのやいの、オットマンはいつもの光景に戻った。

 津ね松はママによって二週間前にオットマンの上に舞い降りた。最初からこの家をアスベスト建築だと、根も葉もない噂をみんなに流して、その都度息子のことと、知り合いの建築会社(後に工事現場をでっちあげるためのペーパーカンパニーだと分かったが)のことを吹き込んでいた。

 ジェイミーの調べによると、息子がアスベスト被害で死んだことは本当らしく、その際の一千万を超える遺族補償金ほしょうきんを受け取ったことで味を占めたらしい、様々な方法で身内に引き込んで、アスベスト被害に巻き込んで補償金を巻き上げようとする常習犯だった。大方、あの息子の肺の中のアスベストを少しずつ吸わせていたのだろう。
 そして今日、あっさり天罰が下ったわけだ。

「ああいうやつ連れてくるのは、ママの悪い癖よねー」

「勘弁してほしいよー」
 ジェイミーと話しながらペンギンちゃんはおみ足ぶらぶら。そこにいつぞやのヤク中猫が近づいてきた。

「ふんふん、ふごご」

「こら、近づいてくるな。もう、足にはついてないぞ」

 アフメットは興味なさそうに去って行った。どうも挨拶をしただけらしい。

「あいつ、前より背筋がしっかりしてたわね」

「カルシウムいっぱいとったからね」

「どういうこと?」

「また、ベランダに行って外壁を見てみなよ。壁の白いのがなくなってるから」

「ゲッ、まさか……、あいつ、舐めたの?」

「うん。喜んでね……」

「結局あれ、何だったの?」

白華はっかだよ」

「なにそれ?」

「セメントの酸化カルシウムとかが、外に漏れだしてあんな血が滴ったような跡になるんだよ。珍しいことじゃない
ね」

 いろいろ言いたいことはあったが、肩ひじ張って歩くアフメットを見てどうでもよくなった。今は平和が一番だ。

「内緒、内緒、置いちゃえ」
 ママが急にきてペンギンちゃんの隣に何かを置いた。横を見て、ゲッ、もかちゃん人形……。

「こんにちわー。養命酒ようめいしゅ生命から来ました、尊氏たかうじともうしますぅ。あなた、今生命保険って何を入ってらっっしゃる? ま、さ、か、何も入ってないって、そんなことないわよねえ?」

 ペンギンちゃんはジェイミーと顔を見合わせて、、と一言。平和なんて誰かの気まぐれであっさりと崩れる。今この瞬間抱いた嫌悪感と排他的な空気により崩れる。

 悪意があろうとなかろうとオットマンの上でもかちゃん人形がのさばることはないだろう。
                                                 ‐了‐
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