オットマンの上で

刺客慧

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第7話:くるま交差点(下の下)

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(前回までのあらすじ)

 何万キロも続く直線、自動車国道一号線。その中で意思を持った車の中から一組のカップルが分岐して側道にそれた。

 ゲリウスとコアラー、メスとオス、恋煩いな罪車と少しアホな罪車。

 だが確かに二台は、自らの手で多様性を車に生み出した。

 支流はいずれ潰えることがほとんど。しかし膨大な支流の中から新たな本流が生まれることもある。

 何万キロも続く直線、自動車国道一号線。そしていずれは見えてくる、くるま交差点。

 今はまだまだ、ただの直線。時たま、人間たちが道の上をうろついているときがある。

 彼らは人間交差点の中で行先を見失った者たちだ。


***


 姉古川市市街地中部


 先ほどの車の暴走騒ぎがあった場所には救急車が駆け付け、大学生二人を車内に運び込んでいた。

「いやー、今日は本当にいいドライブ日和ですね」
「ですねー」
「あ、体温計鳴ってますね」
「ははは、早いや。どうですか?」
「平熱ですねー」
「おしいなー」
「おしいですよねー。さ、脈はかりますねー」
「ははは、お兄さん、そこ乳首、くすぐったい。へへへ」
 
 跳ねられて大けがをしていた方の大学生は担架に乗せられたタイミングで目を覚まして、救急隊員とにこやかに話し出して、あっと言う間に和やかな雰囲気を作り出していた。

「あの……」もう片方の大学生が二人の間に割って入った。

「はいはい?」救急隊員が機嫌よく反応した。

「急がなくていいんですか? 結構、こいつ重症に見えるんですけど」

「大げさだって、この人も全治一週間程度って言ってたじゃんか」重症のはずの大学生が機嫌よく、友の心配を笑う。

「はい、そうですねー。大体一週間ですねー」

「いや、貴方も何で分かるんですか? 救急隊でしょ?」

「おいおい、怒ってんの。やめようよ、タクマと今日初めてあったわけじゃん」繰り返すが、重症のはずの大学生が反対に折れ曲がっている右足をだして無理に足を組み、血の噴き出した額を見せながらにんまり笑ってたしなめた。

「あ、すいません。ボク、下の名前、セイシです」

「え、そうなん? いや兄さん、昔捕まった男子高校襲撃事件の、何とかタクマに似てるなって思って、ついつい。へへへ」

「マジすか? え、わかりますよ。あのブレザー男子狩りの飯井飯田田熊(いいいいだたくま)でしょ。感激だなあ」

「本当に違いますよね? はははー」

「貴方はブレザー似合いそうにないのでなしですねー。はははー」

「二人とももういいでしょ。お前とりあえず、血もアドレナリン出まくってるから大人しくしとけ。隊員さんも、とにかく早く出してください」

「あ、ちょっと待ってくださいねー。アンケートに答えてもらってから」

「いや、何でだよ」
 指摘しながら大学生は開かれたままの救急車の背部に迫る、誰も人の乗っていない車の存在を確認した。

「あっ、来っ!」

 先ほどのトラウマがよみがえる。
 危ない、と言っている間もなく車はものすごいスピードで突っ込んできた。
 
 当事者三人の目が見開かれ、同時に、ああっ、という驚嘆が響いた。
 
 同時に三人は見ていた。

 車の上には一人の人間がいて、屈みながら両手をついた状態で張り付いていた。

 そして車は救急車に衝突する一センチ前で急ブレーキを踏んで止まった。

 ぽかんと口を開けたままのボンクラ3人。

 人のいない車は少しの間停止していたが、ゆっくりとバックして、救急車をよけて元の道に戻って行った。

 三人は未だ現実感のないまま口を開けている。

 車が我を取り戻して、救急車からバックしている最中、上に張り付いていた人間の姿は、幻だったと錯覚するほどにすでに忽然と消えていた。


「OKだ。次のエリアを指定してくれ」十条はインカムに向かい指示を仰いだ。彼はいつの間にかバイクにまたがっていた。間髪入れずスロットルをひねって走り出す。

「姉子川店に向かって。何故か、そこに集中していってるの」通話の相手は勿論、砂里だ。

 オフロードバイクで裏道を走りながら、ときに障害物をすり抜け、人の頭上を飛んだ。

 ヘルメットので通知音が鳴った。
 するとすぐに、バイザーの左上には十をこえる黄色のポインタが表示されたスモーマフラー姉古川店周辺の地図が表示された。
 砂里からの暴走する車たちの位置情報だ。

「隠し事が多い以外は完璧だ……」

「あら、ずいぶん余裕が出て来たようね」
 十条はインカムが拾わないように小さくつぶやいたつもりだったが聞こえていたようだ。

「感謝は素直に告げなさい」皮肉を言う砂里も少し余裕が出てきたようだ。

「だが、お前がさっき言ってた、旧本社ビルの騒ぎ、そっちの方を優先した方がよかったんじゃないか? 規模がでかそうだ」

「いいえ。それはダメよ」

「何故だ?」

「さっき、検察から出るとき、ハンズイと話したの」

「ハンズイさんと……」

 反隋は彼女の義母だ。おそらく、これから追われる立場になる故に別れを告げようとしていたとか、そういうことだろう。砂里の反隋との関係は知らぬところだが、律儀な彼女の感情はなんとなくわかる。

「何を言われたんだ」

「旧本社に、全て捨てたいなら来るな。全て知りたければ来い」

「お前は、本当にそれでよかったんだな」

「当然よ……」

「……、姉子川店に車が集中している理由。これはカンだが……」

「何よ?」

「非津から連絡のあった、コアラー、ゲリウスが朝、忽然と姿を消していた件に関係があるだろうとふんでいる」

「それで?」

「車は罪を共有する。あの二台、いわれのない不貞の罪で狙われているんじゃないか?」

「なるほどね。疑問は残るけど……。そうだとすれば、お笑いね」

「まあな……」

「もともと私たちがしでかしたことの後始末だなんて。グレートラハトハの裁きが下るのも時間の問題かもしれな
い……」
 バイクのスロットルをやや緩めた。速度が落ちる。

 十条はインカムの音に耳を澄ませた。だが、砂里は沈黙のままだ。
 たまらず声が出る。
「何だ? 検察に戻りたくなったか?」

「アホ。このまま続けるわよ。大体、想像の話をいくらしたって仕方ないわ」

「そうかよ。まあ、不本意だが、協力してやる」

「ノリノリじゃない。あ、その邪な能力、私に向けたこと、忘れたわけじゃないから」

「……。すまない。能力の私的利用は今回が初めてだよ。だが、お前だって偽名を俺につかっていたこと忘れんぞ……」

「はいはい。悪かったわよ」


***


 スモーマフラー本社ビル付近上空。

「ガー、反隋様まもなくです。準備を」暫穴からの無線連絡だ。
 あっと言う間だ。あの、もめにもめた地下でのことから三十分とかからず、ジェイミー達は急本社ビルを目の前にしている。

 よく見ると迎えと思わしき男が屋上に一人立っていた。
 サンバイザーにポロシャツ。男はゴルフをするのかと言わんばかりの格好だ。

「結鬼」反隋はその男の名を口にした。

「やはりいたか……」土岐が立ち上がった。着陸にはまだ早い気がする。

「さあ。降りますよ」反隋はややせわしなくなった。

「あのビルって、屋上、ヘリポートではないですよ? 大丈夫なんですか?」ジェイミーは反隋に問いかける。

 しかし視線は彼女に向かなかった。ヘリの操縦席の方だ。

 今の今まで操縦桿を握っていた操縦士はリュックを背負いながら、操縦席を離れてあっさりと外に落ちていった。

「何故敵前でゆらりと馬の脚をを停めるか? 十秒後にこいつは廃材だよ」土岐は白蝋棍を肩にかつぎ、淡々と語る。
 丹田に気を満たせ。彼はそう締めくくった。

 その目の奥は見えず、顔はこの世の誰よりも深く暗い影を顔ににじませていた。
 凝視していたらこちらが食われそうだ。初めて見るが、修羅の形相というのはこういうものなのだろう。

 メルザを見ていると、彼女も同じような顔つきになっている。何かを察知しているのだろう。
 そして双子はのんびりと眠ったままだ。

 ジェイミーはビル屋上を再び見た。
 ゴルフウェア姿の男はグローブで覆った手ので何かをはじいた。

 ……。数秒、なにもおこらなかった。だが、グゴゴゴ、と鈍い音がしたかと思えば急に静かになる。

 静か。ヘリの中で静かとはおかしい。

 暫穴の乗った先頭のヘリを見るとヘリのプロペラが回転をやめていた。そのまま、真っ逆さまに地上に落ちていく。

 なあっ! ジェイミーが叫ぶが、それはずいぶんとのんびりした反応だったようだ。

「いきますよ」反隋はそう声をかけると同時に天井から離れ、外に出て行った。

 気流の間を渡りだした彼女の姿は、幻術なのだろうか、段々と大きくなり、何十番ものサイズに巨大化した。

 乗るぞ、飛び乗れ! 土岐に抱えられ、双子とジェイミーは巨大化した反隋に向かい飛んだ。

 心配は無用だったようで、反隋の姿は実態があった。土岐は膝をかばいながらしんどそうに彼女に着地した。

 自分たちの乗っていたヘリの方を見ると、同じようにぴたりとプロペラを停止させ、そっと地上へと落ちていく途中だった。

 結鬼と呼ばれていた男は何かをはじいてヘリに付着させたのだ。
 そしてその何かとはヘリの動きを止めるほど強力な……。

「カプコン製でしゅ」
「ヘリは落ちるって、本当だったでしゅ」
 双子は寝ぼけ眼でのんびりとその様子を見ていた。

 ジェイミーは自分の得物のグローブを恐る恐る確認した。
「勘がいいな」頭上から土岐が話す。

「昔、あれに近い光景を見て……。武器は持ったままでいいんでしょうか?」ジェイミーは土岐にたずねる。

「案ずるな。正面に立たない限り、この距離であれば容易に奴の磁石の餌食になることはない」

 反隋は結鬼を迂回するように飛んだ。ビルの上に下りることは諦め、下の階へ向かうようだ。

 だが下の階から一斉に煙幕が上がり、ビルの周り外周を一気に覆った。

「烈弩め!」土岐が袖を口に当ててうなった。

「中に突入します」反隋は全身を丸めて皆を覆い、風呂敷状態になるとそのまま窓ガラスを割り、侵入した。


***


 結鬼は屋上から反隋が侵入した個所を確認した。今はすでに階段を下りながら競場と烈弩に場所を連絡している。共通のグループ通話はつなぎっぱなしだ。

「予定通り挟み撃ちでいくぞ」

「わかってるよユーキ。けど、やっぱ一番にホワイトホールを抑えにくるよねえ」

「ハー、当然だろう。ハー、望むところだ。たとえそれがグレートラハトハの意志でも」

「レツド。その名は最後まで出すのは止めよう。今はカワラサギの援護だ」
 結鬼のこの言葉はこの緊張の瞬間に似つかわしくない穏やかさを含んでいた。競場と烈弩、特に、言われた烈弩は何も言えなくなる。

「ム、分かった……。ハー」

「て、ことだよ。カワラサギ。聞いてるんでしょ。急いでねェ」


 ああ、とだけ競場に返事して瓦鷺はそれ以上答えなかった。
 壁にもたれながら地下へ向かう姿は先ほどの狡猾な詐術師の姿ではない。壁についた血が一本の蕪雑なジグザグ線を描いて彼らしくないがむしゃらさを語る。

 息も絶え絶えだ。

「大丈夫だ、今から行く」
 EEEEEの効果が切れかけている。時間はない。

「今から、行く……。グ、ぶ、わしゃ、……助ける……」

「……、大分意識がもうろうとしてきたようだね。少し話し相手になろうか」
 ラハトハの念話だ。涅槃に向かいかけていた瓦鷺の意識が蘇る。

「ング、ほっとけ。わしゃ、独り言が好きなだけじゃ」

「君はかつて大手車メーカーの産業医だった。そこで一人の女性を担当する」

「グ、なんじゃいきなり……」

「心身疲労、うつ症状、と言われていたが、面談初日、彼女は整然とした態度で社の大規模な不正検査の記録を君に見せてきた。当時の君は、動揺しながらも大きく心が動かされ……」

「長々とやかましい。わしにそんな過去はない」

 瓦鷺の目の前の景色が変わった。
 暗かったはずの廊下が白い光で彩られた、足取りがやや軽くなる。

「四時間にもわたる面談の中で何があったか知るのは君だけだ。だが結果、内部告発の動きに二名の社員が乗り出すことになった」

「……、そこに、行く。智子、待っとれ……」

「だが、巧妙に隠していた不正隠しの告発準備も会社にばれた。あらゆる手段を使われ、女性側は本当に心身に異常を来してしまい、自殺に及ぶ」ラハトハの独白だ。何故自分が瓦鷺を十俊英に選んだか、そのことに彼は思いを巡らせていた。

「間に合う……、あれにたどり着けさえすれば、間に合う……」あわれ、瓦鷺の意識は再び濁流の中にいた。

 ラハトハの言葉はすでに聞こえていない。
 瓦鷺の心は三十三歳の時に戻っていた。体は活力で満ち、使命感が自分の背中を押していた。あえて言う、男の盛りだ。

 当時大して認知されていなかった産業医という仕事も精力的に続けることにより、上からは好かれていなかったが一部の社員からの大きな信頼を得ていた。だが限界を感じていた。

 不正検査の件を三浦智子から聞いたとき、彼は宙に浮く気分だった。菩薩と魔、両方から左右の手を引かれた。彼は走った。
 だが詰めが甘かったのだ。目の前の魔羅を魔羅と理解できなかった。

 不正をつぶすために三浦智子をあらゆる手で社会から孤立させる手段に出た会社に瓦鷺も抗いきれなかった。
 不正の裏付けはあらゆる手でもみ消され、一人となった瓦鷺は会社を追われ、どこにも告発の依頼先はなく、次の勤め先にも困る始末だった。

 不正を暴こうとした自分がラハトハの目に留まり、スモーマフラーの十俊英となったことは最大の皮肉であった。だが、今こうしてホワイトホールに向かっている。

 心は高鳴っていた。


***


 ジェイミーの体をおおう体毛の半分はベージュの色調である、だが昨日からの西へ東へすったもんだを繰り返しているうちに、手足の茶色の毛よりも深い色に汚れてしまっている。

 彼はひとり急いで、屋上を目指していた。

 ビルに突入した時点で反隋たちと各々の役割について火急速やかに打ち合わせた。
 まず、瓦鷺の目的はこの旧本社ビルの地下にあるらしい。彼を止めるために足の速いものを一番に向かわせて、他のものは三人の剛の者たちを相手しなくてはならない。

「屋上のユーキは足止めでいいのです。だれか一人向かう必要があるでしょうね」

「なんで? 上はザンケツがいるじゃないですか」

「彼女の特性は戦闘向きではありません。今ごろ苦戦をしているでしょう」

 確かに。瓦鷺に動きを抑えられていた姿を思い出す。だがそれは反隋も実は似たようなものではないのだろうか、まんまと瓦鷺に一杯食わされた、とジェイミーは考えた。付け入るスキはそこにあるかもしれない。

「援軍がいることは確かだが、あまり人員は割けんぞ」土岐は乱れた関羽のような顎髭を整えていた。

「アナグマっち行ってくれば?」メルザの言い方はどこかつっけんどんだった。

「ええっ、ボク?」

「なんかあの子とてぇてぇ好ハオだったし。それにアナグマっちいざとなりし、機転効かなしで、シンプルな役のほうがいいかなって思っただけぽ」

「ひどいな。僕だって多少は作戦を……」

 ジェイミーにかまわず他全員は下に向かい走って行った。


 そんな数分前の光景を思い出しながら階段を上がる。

「ああ、こんなことならマフラー巻いてくるんだった……」

 屋上にたどり着くと案の定、暫穴は部下をすべて蹴散らされ、一人結鬼の前で膝をついていた。
どこかで見た状況、この娘は苦戦するのが常なのかとジェイミーは少し不安に思いながら安心した。

「ほう、助っ人が来たか」結鬼、ついさっき事も無げにヘリ二基を落としてのけた強者。余裕の態度だ。

「アナグマ! 来たか!」暫穴は期待に満ちた声だった。なぜか高い自分の期待値にジェイミーは逃げたくなる。

「お嬢よ、元同僚のよしみと思えばこそ、接待の最終ホールだったのにな……。もう容赦してやれなくなるぞ」結鬼がサンバイザーに手を当てた。

 そのサンバイザーを触る所作、ルーティーン以外の何かがあるのだろうか。ジェイミーは少し怪しんだ。

「お嬢と言うな! 覚悟しろ。私たちがそろえばお前などもはや敵ではない」

 せっかく考えを巡らせていたのにジェイミーは頭が空っぽになった。何でさっき会ったばかりの謎のアナグマぬいぐるみにそこまで信頼を寄せれるのだろう。

 目の前の結鬼の身構え具合にすまない気持ちになる。

「くるぞ、そいつを外せ!」

「えっ?」

 暫穴がジェイミーのグローブをはじいた。無意識に臨戦態勢に入ろうとして装着しようとしていたのだ。

 地面に転がったグローブは、バチッ、と内部で過電流が起こり煙を上げた後、仕込み火薬に反応して爆発した。

「ええっ!」ジェイミーはますます混乱した。

「磁石をつけられていたんだ!」暫穴はジェイミーを抱えて一旦結鬼から距離をとる。ジェイミーが出てきた下の階につながるドアに向かい走った。

「ええっ、いつの間に」

「それを考え出したら奴の術中だ!」

 結鬼がサンバイザーから手を離した。やはりあれが磁力のコントロールに関わっている。

 結鬼はさらに右腕を素早く上げて何かをはじいた。
 小さなボールが白い軌道をなぞってこちらに飛んでくる。野球のピッチャーの投球速度など目じゃないくらいの速度だ。暫穴は間一髪でそれをかわした。飛んで行った先のビルの看板に大きなへこみができた。

 何か変だ。ボールは、初速自体は視認できる程度の速度であったのに途中から急激に速度を増した。

 何か、からくりがある。確か、ボールをはじいた時も左手はバイザーをずっと触っていた。

 二人はドアから下の階に走った。

「あれは磁石を入れたボールなの?」

「そうだ。おそらくバイザーで磁力の強弱、オンオフ、磁極の反転をコントロールしている」

「だけど、ボールは回転するよ。ずっと、あの人の方に同じ極が向いているとは限らない」

「奴のボールを失敬して、中身を見たことがある。ジャイロセンサーで傾きをひろって、微妙な振動を起こして矯正
をしている」

「ジャイロ! また手の込んだ」

 ジャイロとは物体の角速度を計測するための技術で、スマホの向き計測やカメラの手振れ補正に利用されている。
 ボール一つ一つにジャイロセンサーが仕組まれていて同じく中に仕組まれている磁石の角度のブレを検出して矯正している。

 確かに結鬼のボールのはじき方は野球のピッチャーがナックルを投げる手付きに似ていた。
ピンポン玉ほどの球を無回転で弾く。

 そしてバイザー操作で自分の手元にある磁石とそのボールの自分に向いた方の磁極を同じにすれば反発力でボールに速度がつく。

 ヘリを落とした時のからくりはもう少し複雑だ。プロペラと機体の先端側、それぞれボールを飛ばして磁石を付着させる。
 そしてそれぞれの向き合っている磁極をエヌとエス別々に調整すれば引き合う力でプロペラは動きを止める、はずだ……。なんて強力な磁力。
 
 おそらく十俊英同士、手の内の見せあいはしていないのだろう。バイザーについての暫穴の説明は全て推測だ。だけど妥当な分析だ。ジェイミーは納得する。

 だが何というか、手が込みすぎていて辟易する。おそらく、そういくつも管理できるはずはない。一つ一つコントロールしながら見えないところで回収をしているはずで、自分たちを素早く追ってこないのもそのためだ。
自分が使えば神経がおかしくなる。ジェイミーはもっとシンプルな武器でもいいのでは、と考えだしてしまった。

「だけど、ビルの中ではあの人の打つ手は限られるよね」

「どうかな、来るぞ」

 階段に結鬼の脚が見えた。今度は手にソフトボールを持ちゆっくりと降りてくる。

 あれは、などと聞いている時間はない。
 暫穴はここでも不利と判断し、走り、下の階を目指した。これでは足止めの役割を果たせていないが今は手立てがない。ジェイミーもそれに従う。

 ジェイミーは後ろを見ながら結鬼の動きを見ていた。慌てて追いかけるわけでもなく、彼はソフトボールを放り投げた。

 暫穴が俊足で消火器を蹴り飛ばし、廊下を曲がる。

 ホースをきりもみさせながら粉をまき散らせる消火器、粉塵の中にソフトボールが見えた。

 ソフトボールが突然、バフッ、という音と共にはじけた。次の瞬間ジェイミーの脚を何かがかすめる。
 まるで爆弾だ。

 うっ、と、自分を抱きかかえている暫穴がうめいた。よく見たら背に銃痕のような跡ができて血が噴き出しつつある。
 背後に再び結鬼が見えた。

「きょ、距離をとるんだ!」

「わかってる」暫穴は再度廊下を曲がった。

 ソフトボールがバウンドする音が聞こえる。

 まだ来るな、というジェイミーの願いも虚しく、視界にそれは移る。

 再び炸裂の瞬間を見た。窓ガラスが割れ、部屋のドアが崩壊し、手前の床に無数の穴が開いた、暫穴がとっさに飛んで伏せなければ蜂の巣になっていただろう。

 まるでクラスター爆弾だ。構造はシンプルなものだろう。中で磁石を起動してあげればいい。バイザーの操作と連動しているのだろうが、懐にあったのにあれは先ほど起動しなかった。おそらくスイッチが起動式かつ時限式なのだろう。

 次に何が来るかわからないが、こうなれば打ち尽くさせるのが最善だ。ジェイミーは暫穴に立ち上がり逃げるよう促したが彼女の立ち上がり方は鈍かった。

 一発目の炸裂で足をやられていたのだ。黒いズボンのせいで分かりにくかったが、血が滴っている。

 ジェイミーは手を貸すこともできない。おろおろと見守っていると、暫穴は察してか少し苦しそうに答えた。

「だ、大丈夫だアナグマ、それより……」

「それより何?」

「そこの階段を下りた先、部下からの支援物資がある。急げ」

「急げって、君はどうするの?」

「どっかに隠れる!」暫穴はそう言ってゴキブリのように這って、トイレの方に行った。
 
 本当に隠れるつもりなのだろう。なんだかたくましいが腹が立つ。

 そうこうしていると後ろに結鬼が迫ってきた。愚痴を言う暇もない。

「くそったれ! こっちだよ!」
 半ば投げやりになりながらジェイミーは階段を下りた。


***


 メルザと土岐は二人の十俊英を前にして椅子に座っていた。

 烈弩はと呼ばれた男は今、七輪の煙にむせながらサンマを焼いている。数は四つ。こちらの分も準備をしてくれているのだろうか。

「はーはー、ゴホゴホ」口呼吸もせわしないが、わざと煙をかぶっているかのようにサンマに顔を近づけている。みっともないオヤジだ。あのサンマも勧められてきても絶対に食べない。

「レツよ。除草剤は、今日は使わんのか?」土岐は髭をなでながら烈弩に問う。

「グリホサートなど、即効性がなさすぎる。人間相手には使わん。う、ゲホゲホ」今にも嘔吐をしそうな苦しさで烈弩は答える。

「てゆうか。焼けるまで待つの?」

 メルザの疑問も当然のことだ。

 すでに反隋が瓦鷺に向けて潜行しているから、メルザと土岐はこの二人を抑えておけばいい。
 だがこの二人も反隋のことを感づいているはずだ。そうでありながらものんびりと自分たちと対峙している態度が少々不可解ではある。

「待てないのならボクからいこうか」烈弩の隣でニヒルに笑んでいた男が前に出た。土岐が競場と呼んでいた十俊英の一人だ。

「アンタはいけんの? シャバい匂いプンプン漂わしてんですけど?」

 メルザの言葉に競場はクククと嘲笑を始めた。

「下請け恐喝のセルバ。強力な言霊使いだ」

 土岐の説明をよそにメルザは競場に向けて手に持ったブラックスカルからレーザーを放った。

 グアッ、という叫びとともに競場は前につんのめりながら膝をついた。肩口がレーザーで焼かれたのだ。

「ううっ、ご無理をいいますぅ」競場は涙を流しながら訳の分からない謝罪をした。

 こういう場合は、許してください、とかだ。錯乱したかと思えるほど支離滅裂だ。

 すると不思議なことに彼の肩口の焼けた跡は元通り、何もなかったかのように戻っていった。平然とした顔で立ち上がる。

「え、百パー、サマなんですけど。あんた、何したの?」

「さあねえ」不敵に笑む競場の携帯電話が鳴った。

「ああ、すみません。お世話になっておりますぅ。ええ、暴れてますよねえ。わかります、車暴れすぎて仕事になりませんよねえ」

 電話に出た競場はさらに卑屈に謝罪を始めた。

 彼が謝罪を続ける中もメルザのブラックスカルのキーホルダーからは何度もレーザーが照射されて競場を焼いた。だがそのたびに傷は回復していき、何もなかったかのように癒えた後、情けなく謝罪を続けるだけだった。

「ただ、そこを何とか、ええ、暴れてるなのなんて一部なんですってばぁ。ええ。本当に本社とはカンケイないんですぅ。ほんとなんですぅ。ええ、苦労おかけして申し訳ありませえん」

 業を煮やしたメルザは競場の手をナイフで切りつけた。携帯電話が落ちる。
競場は少しの間、右手にできた傷を抑えながらうずくまった。だが、こちらに不敵な笑みを見せると、すくっと立っ
て右手を見せた。

 またも傷があっという間に癒えている。メルザは眉間にしわをよせた。

「なにコイツ!」

「乱暴だねえ。けど、効かないよ」

 メルザは土岐に目くばせをした。土岐は嘘か誠かわからない、といった具合に首をかしげて見せた。真偽はわから
ないが確かに何らかの方法で競場は受けた傷を無かったかのように処理している。

 そしてその後ろで立ち上がる烈弩。煙のせいで目を充血させたまま涙を浮かべてこちらをにらんでいる。

「準備できたかい、レツド」

「ああ。悪かったな」

 競場はガスマスクを着けて烈弩を前に出るように促した。

 早い! メルザと土岐はかわすだけで精いっぱいだった。それだけ烈弩のチャージはモーションが少なく、鋭い動きによるものだった。そしてさらに……。

 く、と土岐がひざをついた。メルザも何か違和感を感じて距離をとったが、足がふらついた。体に力が入らない。頭がぼーっとしてきた。この現象、覚えがある。

「はー、くはは、戦えまい」

 メルザはあっという間に烈弩に取り押さえられた。力の入らない体を鷲つかみにされて、とったどー、と言わんばかりに乱暴に振り回された。

「くそっ、レツ、一酸化炭素を体に纏うとは」

 土岐の推理に烈弩はにんまりと得意げに笑った。
「はー、ふはは。そのとおりだ。人間にとっての猛毒一酸化炭素をたっぷりとこの体に纏わせている。俺に近づくと人間はあっという間にコロリよ」

 ゲロげろげろ~、メルザはあまりの気持ち悪さに目を回し胃の中をリバースしている。烈弩につかまれている状態が非常に危険なのである。しかも思い返せば一時間ほど前にも地下で一酸化炭素中毒になったばかりである。本当に今日はろくでもない日だ。

「おまたせでしゅー」
「みんなおいてかないでー」

 完全に忘れていたがライジャ、デズルの双子が下りてきた。勝手に壁だの床だのをクンクンするからおいてきていたのだ。

「う、あんたら……」意識を混濁させながらメルザはもしやと思い双子を見た。

「メルザしゃん、捕まってるでしゅ」
「変なおじしゃんでしゅ」

「はー、はー、変なおじさんとは何事だ!」
 烈弩は再び怒りのチャージを双子にかました。だが、今度は途中で動きが止まる。双子をはねたはずだが感触がないのだ。

「む、どこだ! どこに行った!」

「レツド、腕と背中だ! 取りつかれてるぞ」
 競場の言葉通り双子は烈弩の体に張り付いていた。慌ててメルザを離して双子を引きはがそうとする烈弩。しかし双子はぴったり張り付いたままだ。

「わんわんわん、クンクンクンクン」
「わんわんわん、クンクンクンにゃんにゃんにゃん」

 双子は一心不乱に烈弩のにおいをかいでいる。

「なんだ、何でこいつら俺の一酸化炭素のオーラが効かん?」

「レツド、惑わされるなよ。さっさとそいつら引きはがせ」
 烈弩も必死に双子をとらえようとはするが、手の届きにくい位置にこちょこちょと移動されうまく手が届かない状況だ。

 競場が見かねて入ろうとしたが、土岐に邪魔をされる。

「ちょいAY(頭弱い)ちゃんたち、そういえば純正品じゃね」
 解放されたメルザは少しずつ意識をはっきりと取り戻しつつあった。

 双子はお互いの顔を見合わせて首を傾げた。
「そうでしゅ。純粋な中華製でしゅ、……たぶん」
「確かおとうしゃんがそう言ってたような気がするでしゅ」

「じゃあ、息なしじゃん。効かないんじゃん」

「なんだと!」烈弩は驚愕した。

「わんわん、アオーン!」
「わんわん、にゃおーん!」

 双子は一心不乱に烈弩の体をクンクンし続けた。

「く、こいつらミィンのくせに息をしなくていいだと!」

 あまりにもクンクンが行き過ぎて双子は次第に烈弩の体をチュバチュバと吸い出した。
 烈弩の全身にキスマークがつく。

「オンオンオン、んんんんんんんんんんん」
「ワンオンニャン、んんんんんんんんんんん」
 双子のこの行為は攻撃とかそういうことではなく、ただこの双子の普段の修正で新しく出会う人間に対してはいつもこんな調子で親愛の印を示すというだけだ。

「わ、やめろやめろ! お前ら!」

 烈弩の全身をまとっていた黒煙のオーラが完全に消え失せた。双子によって吸い尽くされたのだ。
 残ったのは全身キスマークだらけの哀れなオヤジの姿だった。

「くそ、お前ら!」とうとう烈弩が双子を捕まえるがもう遅い。
 メルザが彼の頭上めがけてブラックスカルのキーホルダーを振り上げていた。

「おげ!」
 珍妙な叫びと共に、烈弩は倒れた。

「こいつ!」メルザは苛立ちから追撃をしようとしたが、烈弩になおも張り付いてクンクンし続ける双子を見て手を止めた。

「わんわん、アオーン!」

「けど、何でアンタらさっき、地下で一緒に倒れてたの?」

「わう? なんだかみんなが苦しそうだったから、ぼくらも寝転がってみたでしゅ」
「そしたらなんだかめまいがしてきたんでしゅ、大変だったでしゅ」

「……、……」


 競場は烈弩の悲鳴を遠くに聞いていた。すでに土岐により烈弩が戦っていた場からは遠く引きはがされていた。

「あーあ、やられちゃったかあ」

「小僧っこ、どうするよ? レツなしでハンズイを倒す毒はもう確保できんぞ」

「そんなの最初から期待してなかったよー」

 競場はどこかおどけた調子で舌を出して土岐を挑発した。白蝋昆の一撃を蛇のようにすりぬてかわす。

「土岐い。君もこんなところで呑気にやってても自分のケジメはつけれないはずだよお」

 競場の翻弄の翻弄を狙った言葉には構わず、土岐は鋭い突きを繰り出した。
 競場がうめき倒れこむも、また、無かったかのように立ち上がる。しかし今度は青白く歪んだ表情が元に戻りきっていなかった。

「苦しかろう。傷は残らずとも、痛みはある。貴兄がそいつを掌握できる限界があることも知っている」
 土岐はさらに一撃、また一撃と着々と白蝋昆の一撃は競場の体を打ち付け、そのたびに競場の表情のゆがみが大きくなる。

「く、もうここまでかなあ?」

「そうか。では、ここまでで離してやれ。十分そいつは役割を果たしただろう」

 く、と脂汗を書きながら男は後ろに下がる。
しかし、その後ろにはオオカミの眼つきのゴールデンレトリバーのぬいぐるみの姿が……。

「待て」
 土岐の静止は通らなかった。
 

***
 

 暫穴に指定された階まで下りたジェイミーを待っていたのは彼女の部下らしき、黒子姿の女性だった。

「お待ちしていましたよ。アナグマちゃん」

「ジェイだよ。よろしく」

「では、はいっ、これを」

 ジェイミーは部下の女性が差し出したものをまじまじと見る。
 むき出しの基盤にUSBコネクタが二つ、コネクタの一つには二股の何かをはさむクリップが二本伸びていた。この手作り感丸出しのものをジェイミーは良く知っている。

「これって……」

「ええ、ラズパイです」黒子の女性の表情は確認できないが得意げな顔をしているだろということは分かる。

 ラズパイとはラズベリーパイの略で、行ってしまえば小型のPCだ。おそらく内部にコンパイルされたソースがデプロイされており、拡張モジュールとして機能する。

 つまり、暫穴からのお助けアイテムというわけだ。

 ジェイミーは首を傾げた。
「で、これは何につければいいの? 携帯じゃないよね」

「取り付けるのは貴方ですよ。ジェイさん」

 え、とさらに首をかしげているうちに黒子の女性はラズパイから伸びているクリップををジェイミーの腰のタグにかませて、腹巻をジェイミーにさせて、ラズパイの固定と隠蔽をした。

「では。よろしくお願いしますね」そして素早くどこかへ逃げて行ってしまった。
 おい、と突っ込みを入れている余裕もない。

 何をしていいのか迷っているうちに、とうとう結鬼が下りてきてしまった。手には例のクラスター爆弾がある。

「わわっ、やばい」

 ジェイミーは逃げ出そうとしたが、すでにボールは投げられてる。

 ソフトボール型クラスター爆弾がはじけた。
 磁力の反発でとてつもない勢いの弾丸がジェイミーに向かってくる。

 終わりだ。そう思ったが一秒二秒経っても何も起こらない。

 ジェイミーが目を開くと、周りには弾丸の一つもなかった。

「どういうことだ」

 結鬼の問いはジェイミーの問いでもある。自分の体を確認した。

 特に何の変哲もない。だがラズパイの影響であることは百も承知だ。

「お前? 暫穴から何か受け取ったか?」

「え……、さあ? 本人に聞けばいいじゃないか!」

「AIアシスタントです。すでに起動済みです。作成者、tyuugetu。作成年月日……」

「こらっ!」突如返答を始めたラズパイ内のAI。ジェイミーはあたふたとしかけたが、ここで変にラズパイをいじると自分を守っている機能まで死にかねない。パニックになった挙句、ジェイミーがとった行動はにんまり笑ってごまかす、であった。

「奴は解析のスペシャリスト。俺の細工もこんな短時間で丸裸とは……」

 結鬼は磁石入りのゴルフボールをはじいた。
 ジェイミーはとっさに自分をかばう体制をとる。ゴルフボールはジェイミーの直前で反転して結鬼に向かってとんでもない速さで飛んで行った。

 バイザーの操作をする結鬼、手には別のゴルフボールが。彼めがけて跳ね返されたボールはうまく逸らされ、顔の横を間一髪通り過ぎて行った。

「ふん。だが、そちらから攻める手段はない」

 今度はジェイミーから大きく外れた方向に結鬼がボールを投げた。カーブし、大きく外れつつも、ジェイミーの背後にめり込んだ。

 そらよ、とボールはまた一つ投げられた。今度はジェイミーに直線で向かってくる。

 体をかばうのが自分の磁石化のトリガーなのだろうか。ジェイミーは先ほどと同じような体制をとった。すると、目の前のボールは跳ね返されたのだが、背後の磁石に吸い寄せられた。

 勢いよく後方に飛び、壁に当たるジェイミー。意識が飛びそうになる。ラズパイは腹にあるため破損を免れたが、体は大丈夫なんてものではない。

「ダメージを感知しました。意識レベル五。作戦継続可能」AIアシスタントが話しかけてくるがそれどころではない。

 というかこのAI、余計なことはペラペラしゃべるくせに肝心の体の磁石化については何も教えてくれない。

「ああ、ん。うう……」

「あぁん。うぅん。とは、ニコニコ動画に二〇〇七年に投稿された、各国の『●●●●●●●、アッー』を検証してみるにおいて……」

「そん、な……、情報、よりも、あいつをた……」

「指示が聞き取れませんでした。もう一度おたずねください」

「だから、あいつを、ゴホッ、倒せる方法を……」

 目の前の結鬼は容赦なくこちらにボールをなげてくる。今度は最初からまっすぐこちらにだ。
 ジェイミーはとっさに体をかばい磁石化したが、次の瞬間体自体がとんでもない速さで結鬼の手元に吸い寄せられた。

 哀れ、一匹の力の抜けたアナグマが大の男に首根っこをつかまれている。

 おそらく、磁石化したと同時に手元のボールの内部磁石によって極を合わせられ、引き寄せられただろう。一球目のボールの跳ね返りをよけれたのかはわからないが、事実こうして結鬼は平然としている。

「ふん、早速丸裸にしてやろう」
 そういうとジェイミーの腹巻は取られた。

 終わった。結鬼の手でラズパイは取り上げられ、完全無力化される未来が目に浮かぶ。

 予想通り結鬼の手がラズパイに伸びた。
しかしそれよりも早く、ラズパイから伸びていたもう一つのクリップが結鬼のサンバイザーに勝手に伸びていき、先端を挟んだ。

「新たな対象と接続しました。接続対象をターゲットと認定。モード2に移行します。接続物2の所有者の磁極設定中……」

 結鬼の左手胸に張り付いた。狼狽をしている暇なく、今度は先ほどカーブボールとして投げて壁に固定していたボールが結鬼の脚に当たる。

 結鬼が呻きを上げるひまなく、さらに背中には二個のボールが。深々と直撃する。先ほど自身が回避したジェイミーからのボールの跳ね返りだ。

 結鬼はあっという間にジェイミーを開放して倒れ伏した。バイザーの外れた額を地面に擦り付けて、言葉にならない小さなうめきを上げている。ゴルフボールの直撃がヤバいところに入ったのだろう。

「ちなみにゴッホの倒し方は百一通りあり、彼の前で彼の作品を燃やす、もしくは、彼の前でマギー審司のギャグをする、が一番効果的です」

 アシスタントがいまさら『倒しかた』について解説し始めた。
 そして何故得意げな声なのか気になるが、このAIアシスタントの声、よく聞くと、さっきジェイミーにラズパイを渡した黒子の人の声だ。ひょっとして直接あの人がしゃべってるのでは、と勘繰る。

「終わったのだな」暫穴が手すりにしがみつきながら階段を下りてきた。足には応急処置で布を巻いている。

「もう、何が何だか……」

「謙遜するな。なかなか勇敢だったと思うぞ」

「見てないくせに。これもうちょっとわかりやすいようにしてよ」ラズパイを自分のタグから外し、ジェイミーは暫穴にほうった。

「ん? ここに説明書ダウンロードボタンがあるじゃないか? それに、ここが強化モードボタンだな、バイザーを直で奪い取れるぞ」

「だからそれをわかるようにしてってことだよ!」

「お、お前……、ら……」倒れ伏した結鬼がかすれた声を出した。手を震わせてこちらに伸ばしてくる。

「結鬼、もうおとなしくしていろ」暫穴は結鬼に声をかける。ジェイミーはそれを見て少し焦っていると感じた。

「ラハトハ、様……、を」

「お前の裁きはラハトハ様が下す。今はその時を待て」

「……、いや……」結鬼は何かあきらめた様子で目を閉じた。

「裁きは、ない。そうだろう……。あれだけの失態をしたのだ。ラハトハ様は既に私を見ていない……」

 問いに暫穴は答えなかった。

「結局俺はお前たちに負けた。直接裁きを受けられずとも、もはや構わない」

 ラハトハは……、とジェイミーは言いかけ、口をつぐんだ。暫穴の焦りが何となくわかったからだ。

「グッドアフタヌーン! ユーキそれと、レツド! 負けちゃったようだねええ」その時、廊下のスピーカーから声がした。


***

 メルザは先ほどまで聞いていたはずの声が何故拘束している目の前の男から発されていないのか困惑した。

「セルバか……」烈弩はいつの間にか目を覚めしていた。だが隣の男は誰なのだろう。土岐に倒され、特殊スーツで攻撃を効かないふりしていたという、浅はかな手をさらされたこの男は。

「青年セルバ、聞こえているのだろう。今お前はどこだ? どこにいる」競場に問いかける土岐は眉間にしわを寄せている。焦りか、怒りか。それは競場に対する気持ちであることは確かだ。

「知りたいなら探せばいいじゃない。隠居したのに出てきた働き者おじいさんよ。おっと、今話したいのはきみじゃあ、ないねえ」

「ユーキ、手を貸そうかあい?」競場はねっとりと、今しがた自虐にふけっていた男に問いかけた。



 手を貸す、ジェイミーは身構えた。どこからこちらの様子を見ているかわからないが、手を貸すと言う以上、こちらに干渉できる場所にいる可能性がある。

 そして目の前の結鬼が薄く笑っているのも気になる。まだ終わっていない。暫穴も警戒していることが顔つきで分かる。

「……、いや……、自分でやる……」結鬼は目を閉じてそう言う。

「へーえ。じゃあね……」

「ラハトハ様、私は何も成せなかった愚か者です。せめて……」

 ジェイミーは慌てて結鬼と距離をとった。

「果てしなく続くフェアウェイ、その一打にならずとも! 私の命はっ、ラフの、一本として捧ぐ……」
その言葉を最後に男は何もしゃべらず静かになった。


「……、ユーキは逝ったようだよ。レツド、君はどうするんだい」

「……、はー、納得はした。これ以上恥はさらしたくないからな。はー、セルバお前は最後まで頑張れよ」

「つまんないの。一人はちょっとさみしいかなあ。自慢できる相手がいないもん」

「はー、ははは! お前がそんな、はははっ!はー、冥途の土産が一つ増えたな。はははははは!! ラハトハ様! 万歳!」

 烈弩目をおもいきり開いたまま、すこぶる快活な笑顔で、まるで時が止まったかのように硬直して何も発さなくなった。どんどんと顔が青白くなっていく。


***


 放送は切れた。

 ジェイミーはどんどん青白くなる結鬼の皮膚を見て彼の選択を知った。

「え、や、なんで? え?」

「アナグマ、落ち着け。こいつは自殺用の毒薬を使ったんだ」

「や? 毒薬って?」

「十俊英(われわれ)の大半は、奥歯の裏に仕込んでいる。いざというときの機密保持のために」

「だからって、何で、なんでだよ? 何でこの人は?」

「お前には知る由のないことだ。それより大事なことがあるだろう」

 結鬼は裁かれるなどと言っていたがそれが関係しているのだろうか、と考えずにはいられない。そして同時に、何にしても勝手なことだな、と結鬼を哀れに感じるよりも先に思った。

「……、……。……、わ、わかったよ。セルバって人だろ。このビルに、放送ができる部屋はあるの?」

「放送室はあるが、そこにいるセルバはセルバじゃないかもしれない」

「わけわかんないよ」

「あいつは恐喝して屈した相手を自由に乗っ取れるんだ。その数は数百ともともいわれている。そいつらをいくらやっても本物に辿り着けない」

「そんな……、そんなのって……」

 ジェイミーが深く考えだすよりも先に電話が鳴った。


「アナグマっち! 勝ったんだね。やるじゃん!」

「メルザ! よかった。大丈夫なの?」

「当たり前だし☆ じゃあね、あーし、先に姉古川店にあの子ら探しに行ってくるわ」

「え、どうして? カワラサギ確保してないでしょ」

「このチャイナジジイいんじゃん。医者はそれで十分だし」メルザは土岐の肩に乗っかり彼にナイフを突きつけていた。

「まさか我輩、隙をつかれようとはな」土岐はこの状況で呑気に髭をなで続けている。

「だね☆ マジうける」

「僕らもいくでしゅ」
「ジェイミーしゃん、よろしくでしゅ」

「アナグマっち。ノブ子は任せたっ☆」

 あっさりと電話は切れた。さんざん走り回らされ、戦わされ、汚れたボディを震わせて、ジェイミーは携帯電話を投げた。人間なら青筋がいくつも立っていたことだろう。

「もう! みんな自分の都合ばかり!」

 ジェイミーは落胆した。たった今仏になったばかりの結鬼の躯をにらみつける。

「自分の都合ばかりか……。だが、それでいいのかもしれんぞ、アナグマ」暫穴は足の傷のこともあるだろうが疲れ切った顔つきだ。

 髪は乱れ、目は覚醒しつつもどこか焦点が合っていない。それはこの戦闘についてではなく、明らかに今回の騒動に対しての疲れを語っている。

「どうしたんだよ。ザンケツ?」

「はあ……、私たちはこの妙な世界で、だれも容易に自分を表に出せない。だから裏でシコシコ自分のしたいことをする」

「裏で? ザンケツが言いたいのって、不正のことでしょ?」

「ああ。そしてあらゆるシコシコがたまりにたまってキャパオーバー。完全に決壊したのが今だ」暫穴は結鬼を見ていた。

 ラハトハに捧げた高揚感で目をとじて恍惚とした笑みを浮かべていた。バイザーで分かりづらかったが、ここまで穏やかな眼元だったとは。まるで子煩悩なパパだ。この人は家族はいなかったのだろうか。いたのに、ラハトハへの忠義を優先した? 本当に何が何か考えるほどわからなくなってくる。

 ジェイミー同様、結鬼を無言で見続ける暫穴。何の感情も感じられない顔がかえって彼女の今抱える思いの複雑さを物語る。

「この人は、貯めていた想いをすべて出せたのかな?」暫穴に問ながらジェイミーはそれでもその躯を哀れに見た。

「そう思うことにしよう。わかったか。裏のシコシコ貯めてはだめなんだ」

「シコシコ言うな。悟ったようなこといってるけど、君は大分疲れてるよ。それに、たとえ正かったとしても、スモーマフラーがやった数々を肯定するわけにはいかない」

「私は十俊英だぞ」

「それは、わかってるよ」

 暫穴は自嘲気味に薄く笑い、なぜかガラス窓を開けた。
「いいか、迷う私たちは弱い」

 戦うのか? 予感する未来にジェイミーはどうしても否定的に頭を下げて視線を暫穴からそらした。

「だが、私たちにもいずれは決めなくてはいけない時が来るんだ……」

 やめっ! ジェイミーは思わず叫んだ。暫穴は開いた窓から身を乗り出して下に落ちて行った。慌てて駆け寄ったが、窓に行き着くまでにどうしても数秒要する。

 地に体を打ち付けて柘榴(ざくろ)となっているかもしれない彼女の姿を見なくてはいけないのか。いや、もしかするとこれは罠なのかもしれない。そっちの方が良いと考える自分は大分浮ついている。ようやくここにきて自分自身のことを自覚できていた。

「ザンケツ!」

 やっとたどりつき、ジェイミーは暫穴が身を乗り出した窓から下を見た。そこには落ちていく彼女の姿も、彼女の身に着けていたものの一つもなかった。

 ラズパイから音声が発せられた。
「じゃあなアナグマ。私はお前と戦いたくはない」その音声を最後にラズパイの電源ランプは切れた。

 ジェイミーは貯めていた息を吐き出し。その場に座り込んだ。


***

 十条は苦戦をしていた。

 姉古川店前に詰めかけた大量の車を一台ずつ、時間をかけて、自分の能力で趣向を人間への信愛へと変えていく。
しかし、効果がない。車たちはなおも怒りのまま姉古川店が即席で構えたバリケードに向かい、自分の体が傷つくことをいとわずに体当たりをかましたり、クラクションを鳴らしたりを繰り返すだけだった。

「だめだ、時間をかけても通用しない。サリィ? おい」

「いるわよ。職員と連携とってたの」

「中と連携取れないか確認したか?」

「それが……、全員旧本社の騒ぎに駆り出されて、姉古川は今、ほとんど人がいないらしいの」

 たしかに、バリケードを必死で守る三名以外は誰も外に出てくる気配がなかったのが不可解だった。

 一瞬いまからでも旧本社に行くべきかという感情が芽生えた。あそこには非津も、他の十俊英もいる。それに瓦鷺が意思を持った車たちを率いているというのも気になる。
 だが、一瞬でその感情をかき消した。今日という日は、いや、今日以降も自分のために生きる。裁かれるその日まで。

 焦燥と揺らぎの混濁の中で、ふと、車たちの手が緩んだ。どれも、姉古川店とは別の方を向き、固まっている。

 車たちの視線が向く方向から、一台の見覚えのある男をぶら下げたフォークリフトと一台の逆さまとなった男をボンネットに挟んだ高級車が走ってきた。

 その荷台が通り過ぎると、意志を持った車たちはまるで童話のバイオリン弾きに寝ぼけながらついていく子供たちのようにふらふらと二台についていった。

 唖然と十条は車たちの後姿を見送った。

「ハルオさん……、それと、……、ヒッツなのか……?」

「どうしたの? ヒッツがそこにいるの?」

「……、……、ああ、あー、いや、見なかったことにする。な、中に入る」

「え、それでいいの?」

 目をややより目気味にして無言のまま十条は姉古川店に入った。そして音の聞こえてこないはずのピットの中で一人の男と再会する。

 イワンだ……。

(次回へ続く……)

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