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弟四章『地下に煌めく悪意の星々』
二章-6
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港町ホウの波止場に、大きな商船が停泊していた。ガルン船と呼ばれる、クラネスの前世でガレオン船と呼ばれる帆船に酷似した形状だ。
その船室の一つで、二人の男が向かい合っていた。
「……帰って来ない?」
「はい。ウータムから派遣した部隊ですが……誰一人、合流しておりません」
痩せた老人の返答に、ウーエイ・ユーリィは苦い顔をした。
年の頃は、まだ二十歳くらい。薄い茶色の髪は短く切り揃えられ、緑色の瞳は険しく細められていた。
木製の机を指先で叩きながら、ウーエイは銀製のジョッキに満たされたエール酒を飲み干した。
「様子を見に行ったのか?」
「いえ……今日一日は様子を見るようにとの指示です。目的の隊商を待ち伏せ中である可能性があるとのことで……」
「ふん。いつからチャーンチは、そのような日和見主義になった。ええ? 同胞が危機かもしれんのだ。信頼できる者を斥候に出せ」
「……畏まりました」
老人は立ち上がると、ウーエイに一礼してから船室を出た。
入れ替わりに、黒髪の中年が入って来る。見るからに筋肉質で、身長と比べて横幅もあるが太って見えない。
家名はなく、ヴェムという名で通った武人である。
酒瓶を手にしたヴェムはウーエイに近寄ると、髭に覆われた顔に苦笑いを浮かべながら、空になったジョッキにエール酒を注いだ。
「相変わらず、手厳しいな。あの爺さんも命令に従っただけだろうに」
「そうなんだろうが、手遅れになってからでは、取り返しがつかぬ。潜入できた同胞たちを、俺はみすみす使い捨てるつもりはない」
「ま、正論だな」
ヴェムは溜息を吐きながら、ウーエイの真向かいに座った。
自分は酒瓶から直接にエール酒を呷ると、背もたれに凭れかかるようにして、目の前の青年を真っ直ぐに見た。
「老いぼれから、若き指導者に……一つだけ、教訓を教えてやろう」
「老いぼれなどと……謙遜しすぎではないか? わたしのほうが立場が上になってしまったが、今なお剣技においては、あなたの足元にも及ばない。まさに――」
ウーエイの賛辞を片手で制すると、ヴェムは真顔になった。
「今は、俺の経歴を語る刻では無い。おまえの成長こそが重要だ。いいか、同胞を大切に思う気持ちは大事だ。だが、それに囚われると判断を誤るときもでる。それは、おまえの命だけでなく、全体の被害となる」
「それは……わきまえているつもりです」
「ならいいがな。ついでに、俺が手に入れた情報だが……昨日、このホウに隊商が入って来たらしい。隊商に所属する若い男女が、飯を食べているのを目撃したそうだ」
「それが、どうかしたか? ここは港町だ。隊商の一つくらい……」
言葉の途中で、ウーエイの顔から表情が消えた。なにか、想定外のことに思い当たってしまった――そんな顔だった。
そんなウーエイの表情の変化を見たヴェムは、そっと顎髭を撫でた。
「これは俺の予想だが……斥候は無駄に終わるだろうな。ウータムからの部隊は、壊滅しているかもしれん」
「――そんな。そんな馬鹿な!」
声を荒げたウーエイは、腰を浮かせながら両手でテーブルを叩いた。
「彼らには導師ボーラウと、彼の使獣である変異オーガがいるはずだ。十数人の兵士との乱戦になったとて、優位は保てるはずだ」
「ああ、そうだ。だが、予期せぬことが起きたのかもしれん。とはいえ、今のところは俺の推測でしかない。それに飯屋の少年少女だって、目的の者たちではないかもしれん」
「ああ、そうかもしれぬな」
表面上は落ち着きを取り戻したウーエイは、椅子に座り直した。
思案げな顔でテーブルをジッと見つめていたが、しばらくして顔を上げた。
「その隊商……見に行く。念のため、確認をしておきたい」
「それは構わぬが、目的の隊商かどうか、見ただけでわかるのか?」
「なんでも、パンに肉を挟んだ料理を提供しているらしい。侯爵令嬢も潜んでいるらしいが、商人に偽装をしているなら魔術に関する品でも売っているだろう」
「……なんとまあ、頼りない情報で動くものだな」
呆れたように嘆息するヴェムは立ち上がると、腰に下げようとしたウーエイの長剣を手で押さえた。
そして訝しげに振り返るウータムに、固い声で告げた。
「長剣は止めておけ。それに、服装も町人と同じものを」
「……そこまでする必要があるのか?」
「あるさ。俺が護衛に付こう。それなら、丸腰でもよかろう?」
腰に短剣を下げていたヴェムは、部屋の隅に置いてあったマントを羽織った。これなら、刃物を持っていることは、傍目には分かり難い。
ウータムは静かに溜息を吐きながら、鷹揚に頷いた。
「いいだろう。そこまで用心する必要があるか、疑問は残るがな」
自分も外套を羽織ると、ウータムはヴェムを伴って船を出た。
船から出ると、降り注ぐ日差しで目が眩んだ。薄暗かった船室に慣れきっていた目が、陽光になれるまで十数秒を要した。
波止場は、潮の香りや魚の臭いが立ち込めていた。往来する船乗りたちの汗臭さ、それに大声に、ウータムは顔を顰めた。
「あまり、感情を顔に出すな。それより、市場はこっちだ」
招くような手つきで促しながら、ヴェムは歩き始めた。
市場の場所くらいわかる――ウータムは心の中で愚痴りながら、早足でヴェムを追い越した。
市場までは、大通り――首都や大きな街に比べればこぢんまりとしているが――を通って数分だ。
ウータムたちは無言のまま、並んで歩いていた。
市場は柵に囲われた区画だ。テントや屋台など、様々な形態の店が並んでいる。その西側の柵沿いに、馬車列が並んでいた。
小麦粉や乾燥果実、干し肉、布地に羊皮紙――交易品というよりは、食料や日常生活に使う工芸品を多く取り扱った隊商のようだ。
一定間隔で護衛兵が並んでいるが、近くを通り過ぎても血臭はしなかった。
(少なくとも数日は、戦いはなかったようだな)
そこで緊張が和らいだウータムは、薬草を売っている少女に近寄った。
彼女の前には、乾燥した葉や実が収められた、六つの小さな籠が並んでいた。ウータムは籠を指で示しながら、少女に声をかけた。
「すまない。消化不良に良い薬草はないか?」
「それなら……タンポポの葉か、ワザビダイコンの葉が良いと思いますよ。煎じて飲んで頂くか、湯がいたものをスープに入れて煮込んでも、効果がありますから」
「ああ……確かに。その二つを、二食分ほど包んでくれ」
「はい」
少女は慣れた手つきで、乾燥した葉を一種類ずつ羊皮紙で包んだ。
銀貨と数枚の銅貨と引き替えに包みを受け取ったウータムは、呆れ顔のヴェムに包みを手渡した。
「持っててくれ」
「それはいいが……呑気なものだな」
「いいじゃないか。たまには、消化のいいものを皆に食べて欲しいんだ」
ウータムは周囲を見回すが、パンに肉を挟んだ料理を振る舞う店は無さそうだ。
「……目的の隊商ではなさそうだが」
「そうだな。商売をしておらん馬車もあるが……な。ちょうどいい。そこの女に聞いてみる」
たまたま通りかかった女に、ヴェムは話しかけた。
「すまない。この隊商にある店は、これで全部かね?」
「え? ああ、そうですね。もう一つありますが、長はいま用事で出てますから。今日は商売できないと思います」
快活そうな女性は、隊商の料理人であるらしい。服からは微かに、スープや焦げた肉の香りが漂っていた。
ヴェムは大袈裟に驚きながら、馬車列を見た。
「長も商売を? なんとも働き者なことだ」
「ええ。ホントに。もう少し、落ち着きが欲しいところですよ」
朗らかに笑う女性から離れると、ヴェムは肩を竦めた。
「断定はできんが、可能性は低い――かもしれん。隊商の長が、料理を出すとも思えぬしな」
「そうだな……戻るか」
ウータムは肩を竦めてから、船への帰路についた。
*
俺はアリオナさんと、あの気の弱そうな男を連れてホウの町を歩いていた。
目的は、この男を衛兵に引き渡すためだ。なんだかんだと言っていたが、敵の組織に所属する者を、ほいほいと信用できるわけがない。
衛兵たちのいる詰め所へと向かう途中、俺たちは波止場の近くを通りかかった。潮の香りに混じって、魚の臭いも漂ってくる。
アリオナさんと苦笑しながら、さっさと離れようとしたとき、上半身を縄で縛っていた男が、小さく声を挙げた。
「あの船は……同胞の偽装船? この町にも来ていたんだ」
「なんだって? どれだ」
「あの、黒っぽい帆船です」
男の視線の先には、確かに黒っぽい船体を持つ帆船が波止場に停泊していた。ガレオン船に似た船は、この世界では……ガルンって呼ばれたっけ。
あの船が、チャーンチの偽装船……か。
俺は少し考えると、俺は行き先を変えた。そんな俺に、アリオナさんが首を傾げた。
「どうしたの?」
「ちょっと、寄るところができたんだ。こいつに……色々と喋って貰う必要ができて」
俺はアリオナさんに説明しながら、この町にいる知り合いの顔を思い浮かべた。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
ホウの町での活動、本格始動です。チャーンチの面々も出てきましたよ――な、回です。
魔術信仰的な組織ですが、全員が全員というわけではありません。魔術師が指導者的な……例えば司教とか神父とか、そういう立場の組織でございます。
しかしウータム……主人公より善人かもな言動ですね(汗
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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