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一章ー7
しおりを挟む7
夜が明けた頃から仕込みを始めていた俺は、開店の準備に忙しかった。
朝食も仕込みの余りで簡単に済ませつつ、パンを焼く。干し肉とキャベツは、三〇食分くらいは準備したし、バターとマヨネーズも調理済みだ。
本当は、アリオナさんにバターとか作って欲しかったけど……昨日の今日だから、ちょっと頼みにくい。
市場に客の出入りが増えてきたころ、俺は店を開けたけど……アリオナさんは来ない。
やっぱり、昨日のことが尾を引いているのかな?
そんなことを考えていると、商人風の男がカーターサンドを買いに来た。
バターを塗った内側を焼いたパンに、手早く具を挟んだ。二枚の銅貨を受け取ってから、出来たてのカーターサンドを手渡した。
それを切っ掛けに、朝一で旅立つ冒険者や行商人が次々に買いに来て、俺は忙しくなってしまった。
時々、歓声のような声が聞こえてくるんだけど……なにかあったのかな?
これだけ接客に忙殺されていると、アリオナさんの様子を見に行く余裕なんかない。近くにいたユタさんに応援を頼みながら、俺は接客と調理に専念することにした。
そして昼前には、もう材料が切れてしまった。即ち、売り切れだ。売り上げも相当なものになったけど、流石に疲れた。
あとは片付けを――と思ったとき、フレディが厨房馬車に顔を出してきた。
「――若。ちょっとこっちへ」
「どうしたの?」
俺はフレディに促されるまま、厨房馬車を出た。そして隊商の馬車列を進んでいくと、なにやら人だかりができていた。
「次の挑戦者、募集中です! 観覧は、カーターサンドを食べながらどうぞ!」
人だかりの中から、アリオナさんの声が聞こえてきた。挑戦者とか言ってるけど、なにをやってるんだ?
人だかりを掻き分けて先に進んだ俺が見たのは、樽の前で呼び込みをしているアリオナさんの姿だった。樽の表面には『一勝負二コパ』という文字が刻まれている。
樽と群衆のあいだには、まるで山賊に身ぐるみを剥がされたような、三人の男たちが地面に座っていた。
顔だけを見れば彼らこそが山賊に見えるが、項垂れている姿は、間違いなく被害者のそれだ。
状況を把握しようと俺が周囲を見回していると、群衆から出てきた大男が、アリオナさんへ銅貨を手渡した。
それで双方の合意となったのか、二人はおもむろに、アームレスリングを始めた。
勝負は、呆気ないほど簡単に決着した。試合開始から十数秒で、アリオナさんが大男の手を樽に打ち付けた。
「おおっ! 二十八連勝だぜ、あの子!!」
二十八連戦もしてる!? 群衆の声に驚きながら、俺は慌てて樽の前へと進み出た。
「アリオナさん! なにをしてるの」
「あ、クラネスくん」
額に汗を滲ませたアリオナさんが、俺を見てから、周囲に手を振った。
「隊商の長が来ちゃったので、今日はここまでです! すいません!」
周囲からは拍手が半分、そしてどこか残念がる声が半分くらい。
俺はアリオナさんに近寄ると、小さく溜息を吐いた。
「この状況の説明をして貰っていい?」
腕を組んだ俺に、アリオナさんは横で座っている三人組に人差し指を向けた。
「そこの三人組が、そっちの商人さんに乱暴をしてたのよ。それを止めてから、文句があるなら腕相撲で勝負ってことにしたら……その場の流れで、なんかこうなっちゃった」
「なんかこうなっちゃったじゃないよ……」
「あら、盛り上がったんだし、いいじゃない。それに、クラネスくんのカーターサンドも宣伝できたし、掛け金も手に入ったし。それで、一つ提案があるんだけど。用心棒兼、力自慢の腕相撲勝負屋で、あたしを雇って欲しいの」
どうかな?――って、アリオナさんは言うけれど。
あまりにも想定外な提案に、俺はしばらくのあいだ言葉を失った。十数秒ほどかけて冷静さを取り戻した俺は、必死にアリオナさんへの抵抗を試みた。
「先ず、俺たちは隊商であって、旅芸人に一座じゃないんだ。それに隊商っていうのは、根無し草稼業なんだよ。雨や雪が降っても、旅を続けなきゃいけないんだ。俺はアリオナさんに、そんな苦労を負わずに、出来限り平穏に暮らして欲しいと思ってる」
俺の発言を聞いたアリオナさんの目が、僅かに見開かれた。
押し切るなら、今だ――なるべく言いたくないこともあるけど、きっと全部を出し切らないと、説得は無理だ。
俺は自尊心をかなぐり捨てて、説得を続けた。
「それに前にも言ったけど、俺には借金もあるんだ。この借金が原因で、厄介ごとが起きるかもしれないんだよ? 俺はそれに、アリオナさんを巻き込みたくない。借金の返済が終わったら、迎えに行っても――」
……迎えに、行く?
自分が発言しそうになったことの意味を理解して、俺は慌てて口を閉ざした。
これじゃあ、まるでプロポーズじゃないか――と思った途端、俺の顔が熱を帯びてくるのを感じた。
きっと俺の今の顔は、真っ赤になっているかもしれない。俺は慌てて、両手を振った。
「あ、いや、ちょっと待った。ええっと、つまり、全部落ちついたら、アリオナさんを雇えるとか、考えることができるって意味で――」
「……そんな気遣いは、して欲しくないの。あたしは、ここに居たい。隊商の役に立てるよう努力するし、給料だって要らない。お金だって稼いでみせる。それで駄目なら、他になにをやればいいのよ」
軽く睨んでくるアリオナさんに、俺は反論できなくなっていた。
そんなとき、どこからか男の声が飛んできた。
「おーい、この痴話喧嘩劇にも、金を払ったほうがいいのかい?」
途端、周囲からドッとした笑いが巻き起こった。
改めて周囲を見回せば、まだ先ほどの群衆が残ったままだ。どうやら、これだけの人が見守る中で、俺たちは言い争いをしていたらしい。
俺の顔は真っ赤だったけど、他人の声が聞こえないというアリオナさんは、周囲が笑っている様子を見て、どこか気恥ずかしそうにはしていた。
頭の真っ白になった俺がしどろもどろになっていると、背後から隊商に参加している商人夫婦が声をかけてきた。
「あの、カーターさん。その子を雇ってあげてやって、いいんじゃないかね。その子のおかげで、わたしらは助かったもので」
「そうねえ。稼ぎがあるなら、雇ってもいいんじゃない? それにここまで一途だと、いじらしくなっちゃうわ」
いつの間に来ていたのか、ユタさんもアリオナさんの肩を持ち始めた。
フレディも苦笑しながら静観しているし……どうやら、この場に俺の味方はいないらしい。
俺は溜息を吐くと、頭を掻きながらアリオナさんへと向き直った。
「アリオナさんの提案には、問題点もあるよ。まず、腕相撲も通用するのは一つの町で二回までだ。それ以上は敵わないと悟って、誰も寄りつかなくなる」
「……そのときは、また別のを考えるわよ。それで? まだ、なにかあるの」
「あとは、女の子に用心棒や腕相撲をやらせる……っていうのが、個人的にちょっと抵抗感があるっていうか」
「あたしは、気にしないから。ほら、これで問題点は二つも解消できた。他には?」
アリオナさんはそう言ってきたけど……実のところ、もう思いつかない。
俺は敗北感と――どこか熱っぽい歓喜を覚えながら、緊張を解いた。
「……他には、ありません。なので、ええっと……その、よろしくお願いします?」
「はい。こちらこそ。よろしくお願いします」
アリオナさんがペコリと頭を下げると、周囲から拍手と口笛の冷やかしが飛んできた。
ああ、もう……なんとでも言ってくれよ、もう。
とりあえず、急いでこの場から去りたい。居なくなりたい。
俺は買い出しを理由にアリオナさんを連れ出して、この場から足早に立ち去った。
クラネスに連れ出される直前、アリオナはズボンだけの姿になった男たちに、服と掛け金の大半を返した。
「すいませんでした。目的は果たしたので、こちらはお返しします。謝罪の分だけは、貰っていきますけど」
「どういうことだ……」
最初に勝負を挑んだ男が顔を上げるが、アリオナは返事をしなかった。その代わり、小さく頭を下げてから、男たちへ申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんなさい。あたし……声が聞こえなくって。あなたがたが、なにを言っているのかは、わかりません。ただ今後、悪さはしないでくれたら助かります」
アリオナがそう告げたとき、クラネスが呼ぶ声が聞こえてきた。
「今行く!」
唯一聞こえるクラネスの声に、アリオナは少しウキウキとした足取りで駆けだした。
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