69 / 123
第三章『不条理な十日間~闇に潜む赤い十文字』
一章-5
しおりを挟む5
その日の昼から、俺は商売を再開した。
といっても夕方には出発の予定だから、大した稼ぎにはなりそうにない。だけど、商人たちの買い付けや、出発の準備をしているあいだ、隊商がなんの商売もしない――というのは、あまりよろしくない。
材料は昨日の残りがある。さらにいえば意外なことに、フレディがパンを焼いてくれていたおかげで、大した準備もなしに商売が開始できたんだ。
祖父であるバートン・カーターの言葉――「おまえと住む世界が違うのだ」というのは、アリオナさんには伝えていない。
俺は貴族なんかになるつもりはないから、関係がない。
もっとも、俺とアリオナさんが、そこまで深い仲になかどうか――まずは借金をすべて返済しなければ、話にもならないわけだけど。
少し日が傾きかけてきて、空がうっすらと茜色に染まりかけてきた。そろそろ商売も終わりか……と思ったとき、市場の奥からざわめきが聞こえてきた。
人並みを掻き分けるように、大層な行列がやってきた。
兵士に囲まれた中央に居るのは……ミロス公爵だ。まるでモーゼの海割りのように、人が引いていくと、公爵の後ろにはアーサーとエリーンの姿まで見えた。
イヤな予感―というのを、ヒシヒシと感じながら商売を続けていると、案の定というか――公爵一家は厨房馬車の前まで来た。
「やあ、クラネス! 商売は繁盛しておるか?」
……必要以上の大声で名を呼ばれ、俺は目眩を覚えた。
ただでさえ、公爵家がやってきて悪目立ちをしているところに、その公爵本人が親しげに呼びかけるという事態は、個人的には最悪から数えた方が早い状況だ。
俺はできるだけ小声で、ミロス公爵に話しかけた。
「申し訳ありませんが、大声で名を呼ぶのは控えて頂けませんか。その……必要以上に目立ってしまいます」
「おお、そうか? では、次からはそうしよう」
「御理解頂き、感謝致します。それで……その、今回はどのような御用件でしょうか?」
「なにを言っておる。もちろん、おまえの作った料理を食べに来たに決まっておる。孫の分も含めて、三つだ」
「……畏まりました。少々お待ち下さいませ」
俺は手早く三つ分のカーターサンドをこしらえると、お付きの人に手渡した。代金を受け取った俺の前で、ミロス公爵と二人の孫たちは、カーターサンドを食べ始めた。
俺と言えば、高貴な方々がジャンクフードを食べるという光景に、俺は理由のわからない罪悪感に苛まれた。
「変わった食べ物ですが、美味しいです!」
「クラネス様、とても美味しゅうございます」
アーサーとエリーンはにこにこと微笑んできたけど、公爵家の御子息御令嬢がジャンクフードを食べて喜ぶ姿というのは、なんとも――いや、いいやもう。
二人からの礼に、「勿体ない御言葉、ありがとうございます」と返していると、ミロス公爵がカーターサンドを食べ終えた。
「なかなかだったぞ、クラ――店主」
「勿体ない御言葉でございます」
「配下の者たちにも食べさせたいのだが、あと三〇個ほど頂けるかな?」
いきなりの注文に、俺は嬉しさよりも愕然とした。
三〇個という数は、もうすぐ出発する予定の俺には、ちょっと荷が重い。俺は表面上は残念そうな顔をしながら、公爵に頭を下げた。
「公爵様、それだけのご注文を頂けるのは、誠に有り難いお話なのですが……わたくしどもは、もうすぐ出発致します。注文の品は、以上ということで、ご勘弁願いたいのですが……」
「なんと――なら、出発は明日の朝にすれば良いでは無いか」
「ですが、次の町での商売がありますので……夕方には出発せなばならないのです。ほかの商人たちの稼ぎと生活もかかっておりますので……どうか御理解のほどを」
俺の頼みに、ミロス公爵は隊商の馬車列を眺めた。
「ふむ……それであれば彼らに、今夜泊まる分の損失を補填しようじゃないか」
ミロス公爵が指を鳴らすと、兵士の一人が革袋を持ってきた。
……やけに用意周到過ぎる気がする。もしかしたら、俺を明日まで足止めするのが、今回の目的なんだろうか。
革袋を受け取ったユタさんが、判断を仰ぐために俺を振り返ってきた。
判断に迷うところだけど……ここまでやってくれた公爵様の願いは、さすがに断り難かった。無下に断ると、あとが怖いって理由からだけど。
俺は諦めたように頷くと、ユタさんは革袋を持って商人たちのところへ向かった。
「わかりました。それでは、配下の方々の分を御用意致しますが、少々お時間がかかります。出来上がりましたら、御領主様の屋敷へお届け致します。代金もそのときで構いませんが……その段取りでよろしいでしょうか?」
「おお、それは任せよう。それでは皆の者。領主の屋敷へ戻ることにしようか」
公爵ご一行が去って行くのを見送っていると、アリオナさんがやってきた。少し不安げな顔で、厨房馬車の小窓から顔を覗かせていた俺を見上げた。
「あれって、クラネスくんのお爺ちゃんの家にいた、貴族よね。なにをしに来たの?」
「名目上は、カーターサンドの注文だけど……目的は明日の朝までの足止め、かな?」
「足止め……か。なんでそんなことするって思ったわけ?」
アリオナさんの質問に、俺は肩を竦めた。
「さあ……わかんない。俺の推測が間違っているかもしれないしけど、そうとしか思えないんだよね」
明日の朝になって、なにが出るやら。蛇くらいで済めば良いけど、ドラゴン級の厄介ごとが舞い込んでくる気がしてならない。
俺はとりあえず、注文のカーターサンドを作り始めたが、その予感が頭から離れることはなかった。
*
カーター家の屋敷に戻ったミロス公爵は、グラネンスが待っている応接間のドアを開けた。
豪勢な調度類に囲まれた応接間では、柔らかい毛皮に覆われた椅子に座っていたグラネンスが、お茶を飲んでいたところだった。
「まあ、公爵様。お帰りなさいませ。クラネスの様子は、如何でしたでしょうか?」
「うむ。変わった食べ物だが、旨かったぞ――という返答を期待した問いではないのだろう? 出発を明日の朝にするという言質はとったぞ。もっともあの珍妙な料理を、我が兵たちのに食べさせねばならんが」
「あら、そこまでして頂けたのですね。クラネスも喜んでいたのではないでしょうか」
クスクスと微笑むグラネンスに、ミロス公爵は腕を組みながら肩を竦めた。
「いや、そうでもなかったぞ。時間稼ぎということを察したのかもしれんが、最初は困惑していたようだったな」
「そうですか。それでは、当初の予定は変更に?」
「いや……変更などせぬよ。どのみち、次の街までの行程は同じはずだ。その理屈で同行を許可させつつ、王都まで引っ張っていくさ。そこで隊商は解散、あやつは孫たちの近衛として取り立てる」
キッパリと言い切ったミロス公爵に、グラネンスは恭しく頭を下げた。
「是非とも、よろしくお願い申し上げます」
そんなグラネンスとミロス公爵の計画に、聞き耳を立てている者がいた。
応接のドアの前には、衛兵が立っている。しかし隣にある、普段は未使用の客間まで見張りの兵はいなかった。
屋敷に戻って来たミロス公爵のあとをつけ、応接間に入るのを見るや、すぐに隣の客間へと侵入した。
応接間の前にいる衛兵に、その姿は見られたが――誰何などをされない存在。
グラネンスとバートンの孫であり、伯爵家の跡取りであるバランの一人息子。マリオーネは壁に耳をつけなながら、従兄弟の危機を感じ取っていた。
(……クラネス兄さんが、大変だ)
なんとか教えたいが、屋敷から出ることは難しい。まだ幼いマリオーネが一人で外出など許されないし、お供を付けてクラネスに会いに行けば、祖母と公爵に悪巧みを盗み聞きしたことを悟られてしまう。
(どうしよう)
応接間にいる二人に悟られないよう、静かに客間から出たマリオーネは、そのまま庭に出た。
こっそりと外に出る方法を考えたが、屋敷にあるすべての門は、衛兵によって護られている。もちろん、まだ幼いマリオーネが壁を乗り越えることは不可能だ。
庭の中を彷徨う視線が、公爵の馬車列で止まった。
今の時間は、公爵一家を守護する兵士たちが周囲で訓練や休息をしている。
(でも、夜はみんな寝る……よね)
そう考えたマリオーネは、自分の部屋へと戻った。その途中で、洗濯のために籠に入れられていたシーツや、自分の着替えなどを、使用人の目を盗んで持ち出すのを忘れなかった。
--------------------------------------------------------------------------------------
本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
ちょっと本編が短いんじゃ……と思われた方へ。本来、中の人は3000文字くらいを目処にすることを目標にしております。
たまたま、4000文字や5000文字を超えたり、6000文字を超えることもありますが、それは例外ということです。
問題は、その例外のほうが回数が多いってことなんですが……。その件につきましては、どうか黙秘権を行使することをお許し下さいますよう、お願い申し上げます。
とりあえず本編についてですが、クラネスがいう厄介ごとの種を蒔いた回となりました。
……今後の収穫がどうなるか、というところでございます。
最後に。中の人の別作品、「屑スキルが覚醒したら~」で、お気に入りをして下さった方が増えまして。その流れか、本作もお気に入りに登録して下さった方々が増えました。
重ね重ね、ありがとうございます!
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
次回もよろしくお願いします!
1
あなたにおすすめの小説
転生したら実は神の息子だった俺、無自覚のまま世界を救ってハーレム王になっていた件
fuwamofu
ファンタジー
ブラック企業で過労死した平凡サラリーマン・榊悠斗は、気づけば剣と魔法の異世界へ転生していた。
チート能力もない地味な村人として静かに暮らすはずだった……が、なぜか魔物が逃げ出し、勇者が跪き、王女がプロポーズ!?
実は神の息子で、世界最強の存在だったが、その力に本人だけが気づいていない。
「無自覚最強」な悠斗が巻き起こす勘違い系異世界英雄譚、ここに開幕!
社会の底辺に落ちたオレが、国王に転生した異世界で、経済の知識を活かして富国強兵する、冒険コメディ
のらねこま(駒田 朗)
ファンタジー
リーマンショックで会社が倒産し、コンビニのバイトでなんとか今まで生きながらえてきた俺。いつものように眠りについた俺が目覚めた場所は異世界だった。俺は中世時代の若き国王アルフレッドとして目が覚めたのだ。ここは斜陽国家のアルカナ王国。産業は衰退し、国家財政は火の車。国外では敵対国家による侵略の危機にさらされ、国内では政権転覆を企む貴族から命を狙われる。
目覚めてすぐに俺の目の前に現れたのは、金髪美少女の妹姫キャサリン。天使のような姿に反して、実はとんでもなく騒がしいS属性の妹だった。やがて脳筋女戦士のレイラ、エルフ、すけべなドワーフも登場。そんな連中とバカ騒ぎしつつも、俺は魔法を習得し、内政を立て直し、徐々に無双国家への道を突き進むのだった。
転生したらスキル転生って・・・!?
ノトア
ファンタジー
世界に危機が訪れて転生することに・・・。
〜あれ?ここは何処?〜
転生した場所は森の中・・・右も左も分からない状態ですが、天然?な女神にサポートされながらも何とか生きて行きます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初めて書くので、誤字脱字や違和感はご了承ください。
異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~
宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。
転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。
良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。
例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!?
※小説家になろう様にも掲載しています。
弱者の庭〜引きこもり最強種専用施設の管理人始めました〜
自来也
ファンタジー
人間が好きすぎて魔界を追放された元・魔王。
世界を救って燃え尽き気味の元・勇者。
派手に振られて落ち込んでいる精霊王。
逆セクハラが過ぎて追放された千年狐。
可愛すぎて人間が苦手になった真竜。
戦場のトラウマで休養中の傭兵――。
そんな“最強だけどちょっとズレてる”面々が集まる、
異世界のちょっと変わった施設《弱者の庭》。
異世界転生してきた平凡な青年・アルキは、
このゆる〜い最強たちの管理人に任命されてしまった。
日常はバタバタだけど、どこかあたたかい。
そして――住人が一人、また一人と“卒業”を迎えていく。
傷ついた彼らと過ごすのんびりスローライフ。
転生先は上位貴族で土属性のスキルを手に入れ雑魚扱いだったものの職業は最強だった英雄異世界転生譚
熊虎屋
ファンタジー
現世で一度死んでしまったバスケットボール最強中学生の主人公「神崎 凪」は異世界転生をして上位貴族となったが魔法が土属性というハズレ属性に。
しかし職業は最強!?
自分なりの生活を楽しもうとするがいつの間にか世界の英雄に!?
ハズレ属性と最強の職業で英雄となった異世界転生譚。
ブラック企業で心身ボロボロの社畜だった俺が少年の姿で異世界に転生!? ~鑑定スキルと無限収納を駆使して錬金術師として第二の人生を謳歌します~
楠富 つかさ
ファンタジー
ブラック企業で働いていた小坂直人は、ある日、仕事中の過労で意識を失い、気がつくと異世界の森の中で少年の姿になっていた。しかも、【錬金術】という強力なスキルを持っており、物質を分解・合成・強化できる能力を手にしていた。
そんなナオが出会ったのは、森で冒険者として活動する巨乳の美少女・エルフィーナ(エル)。彼女は魔物討伐の依頼をこなしていたが、強敵との戦闘で深手を負ってしまう。
「やばい……これ、動けない……」
怪我人のエルを目の当たりにしたナオは、錬金術で作成していたポーションを与え彼女を助ける。
「す、すごい……ナオのおかげで助かった……!」
異世界で自由気ままに錬金術を駆使するナオと、彼に惚れた美少女冒険者エルとのスローライフ&冒険ファンタジーが今、始まる!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる