最凶と呼ばれる音声使いに転生したけど、戦いとか面倒だから厨房馬車(キッチンカー)で生計をたてます

わたなべ ゆたか

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第三章『不条理な十日間~闇に潜む赤い十文字』

二章-1

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 二章 魔香と炎


   1

 俺たち《カーターの隊商》が公爵の馬車列と行動を共にして、もう二時間ほど経った。
 俺とアリオナさんが御者台に乗る厨房馬車の前には、公爵一家が乗る馬車がいる。その後部の窓から、アーサーとエリーンが顔を覗かせて手を振ってきた。
 俺とアリオナさんは、二人に手を振り返した。
 のんびりとした時間が流れていたせいで、俺は〈舌打ちソナー〉を忘れないようにするのに気を張ることになったけど。
 そよ風も心地良く、気を抜くとボーッとしてしまう。こうした災いっていうのは、こんな気の緩んだ隙を突いてくるから、油断はできないのだ。
 相変わらず馬車列の後方では、三頭の騎馬(だと思う)が追従していた。そこそこの距離が離れているから、振り返っても姿を見ることができない。
 気味が悪いけど、ただの旅人かもしれないしなぁ。あまり疑ってかかるのも、別方向から来る危険への感知が遅れてしまう。
 どうしたものかな――と考えていると、クレイシーとフレディが揃ってやってきた。


「若。なにか感じませんか?」


「なにかって……なに?」


 俺が首を捻ると、フレディは自分の鼻を突いた。


「臭いです。若は感じませんか?」


「臭い……?」


 俺はクンクンと周囲の臭いを嗅いだけど、特に変な臭いは感じなかった。というか、周囲の体臭が強くて、周囲の臭いが負けているって感じだ。
 俺が首を捻っていると、クレイシーが呆れ顔で言ってきた。


「おいおい。料理をして商売してるんだろ? 臭いには敏感にならねぇとダメじゃねぇのかよ」


「そんなこと言ったって……変な臭いなんて――汗臭とか、そっちに負けちゃってるし」


「まったく……なんなら、少し離れるからよ。空気の臭いを嗅いでみな」


 フレディやクレイシーが離れてから、俺は改めて臭いを嗅いでみた。
 そよ風の中に、微かな焼けた鉄のような臭いが混じっていた。鍛冶場ならともかく、こんな森の中で漂う臭いじゃない。
 俺は鼻をヒクヒクとさせながら、二人の剣士へと顔を向けた。


「フレディにクレイシーさん。さっき言っていたのは、この鉄みたいな臭いのこと?」


「――惜しいな、長さんよ。腕が立つといっても、やっぱ商人か」


「若。これは……血の焼けた臭いに似ています」


 二人からの指摘に、俺は血の気が引いた。
 立場こそ違うが、歴戦の猛者である二人が同じ認識を抱いた。これは、どんな説明よりも説得力がある。
 そよ風が漂う先に、なにか――血生臭い危険が待ち構えているという予感に、背筋でゾワッとする感覚がした。
 でも、ここで怯えるのが俺の仕事じゃない。公爵家はともかく、隊商の皆を護るために動くのが、俺の役目だ。
 俺は馬車の手綱をアリオナさんに任せると、御者台に置いてあった長剣に手を伸ばした。


「フレディ、隊商の護衛兵に伝達。周囲の警戒を強化。エリーさんとメリィさんには申し訳ないけど、二人に援助の要請をしておいて」


「承知しました」


「おなご二人への伝言は、俺がやっておくぜ。急ぐなら、手分けをしたほうがいい。で、だ。長さんよ、公爵様たちはどうするんだ?」


 フミンキーの問いは、言外に『公爵家を見捨てるのか』という意味を含んでいた。
 正直に言って、公爵という爵位のある権力者なんだから、自分たちの身は自分たちで護って欲しい。だけど危険を察知しておいて、それを報せないというのも気が引ける。
 俺は(嫌々ながらも)馬車から降りた。


「公爵家の騎士には、さっきの話を伝えておきます。あとは、向こうの判断に任せましょう」


「……ま、妥当な線だな。それじゃあ、長さん。そっちは任せたぜ」


 フミンキーが後ろの馬車へと向かうと、俺は駆け足で前の馬車に併走する騎馬へと近寄った。
 その騎士に、風に混じっている血臭と前方の危険を報せた。


「用心を――先ほどの暗殺者が絡んでいるかもしれません」


「……暗殺者の件は、承知している。進行方向への警戒は強めよう。報告はご苦労だった。戻っていいぞ」


「……どうも」


 なんかこう……御礼の一つくらい、あってもいいと思うんだ。
 溜息を吐きながら厨房馬車に戻ったとき、前方から騎士たちの声が聞こえてきた。


「魔物だ!」


「コボルドの群れが向かって来ているぞ! 総員、応戦準備っ!!」


 騎士たちの声を聞きながら、俺はフレディへと叫んだ。


「フレディ! エリーさんとメリィさん、フミンキーを呼んで! 俺と前に出てコボルドを迎え撃つ!! ほかの護衛兵は、隊商の守備を! アリオナさんは馬車をお願い!」


 俺は乗りかけた厨房馬車から降りると、馬車列の前へと駆けた。


「騎士たちは、公爵様たちの守備を! コボルドは引き受けます!」


「お、おい待て!」


 騎士の制止を無視して、俺は抜剣しながら馬車列の前へと躍り出た。
 先ず、森の前方から聞こえる、犬に似た鳴き声が耳に届いた。続けて、三十を超える影が迫ってくるのが見えた。
 犬の頭部を持つ人型の魔物――コボルドだ。
 低いながらカラス並みの知能を持っているらしく、どの個体も錆びた長剣や斧などの武器を手にしている。
 俺は長剣を弾いて、《力》を放出した。
 弱い衝撃波が、コボルドの群れを襲った。殺すほどの威力は放っていないけど、衝撃波を受けたコボルドたちは足を止めた。
 その隙に、俺はコボルドたちへと駆けた。
 騎士たちの前では、あまり目立った《力》を使いたくない。さっきの衝撃波だって、騎士たちには突然に吹き荒れた強風くらいにしか映ってないと思う。
 とりあえず騎士から離れてさえしまえば、本気で《力》が使える。俺は一番近いコボルドと斬り結ぶと、即座に《力》で〈固有振動数の指定〉を放った。
 それで頭部から血が吹き出た――目とか鼻とか、口からなど――コボルドは、そのまま地に伏した。
 即座に次のコボルドへ――と思ったとき、群れの中央で爆発が起きた。



「お待たせしましたわ」


 背後にいるエリーさんの声を聞きながら、俺は二体目を切り伏せた。そのころには、フレディやフミンキーも俺に合流し、コボルドたちを一刀のもとに叩き斬っていく。
 流れは完全に、俺たちにあった。
 俺が三体目のコボルドの首元に刃を突き立てたとき、横から一回り以上も大型のコボルドが迫って来た。
 大型のコボルドが戦斧を振り上げる。
 俺は長剣を引き抜こうとしたけど、深く刺さりすぎて手間取ってしまった。俺が長剣を手放すときには、コボルドの戦斧が振り下ろされようとしていた。
 しかし戦斧が振り下ろされる直前、飛来した握り拳大の石がコボルドの側頭部に命中した。
 そのまま崩れ落ちたコボルドが、最後だった。
 斃した数は俺が三体、フレディとクレイシーが五体ずつ、そしてエリーさんの魔術で二十体ほど。
 息を吐いた俺が振り替えると、アリオナさんが駆け寄って来た。


「クラネスくん、大丈夫?」


「なんとか……だけど、馬車を頼むって言ったのに。なんで来たの」


「だって心配だったし。それに、馬車はメリィさんに頼んであるから大丈夫だよ」


 そういう問題じゃない。
 コボルドがアリオナさんを狙ったかもしれないし、コボルドと戦っている最中に暗殺者の奇襲があったかもしれない。
 そのくらいの危険が孕んでいたんだ。
 前世のときは、あまり付き合いがなかったけど……こんなにお転婆だった印象はなかったけどなぁ。
 なんかもう……。

 好き。

 こういうのは、惚れた弱みというか、純粋に助けてくれたことが超嬉しい。なんか、こーゆーことを考えると、小っ恥ずかしいけど……ね。
 そんなデレッとした俺の心情も――。


「長さんよ、味方の損害を確認しよーぜ」


 というクレイシーの声で、かき消えてしまった。
 小さく溜息を吐くと、俺はクレイシーを振り返った。


「そうですね。俺たちは先ず、隊商に被害がないかを確認。公爵様たちは、あとで誰かに聞いておきます。もっとも、公爵様たちに怪我でもあれば今頃、騎士たちが大騒ぎしてるでしょうけどね」


「……それもそうだな。おおい、フレディの旦那!」


 フレディのところへと向かうクレイシーを見送っていると、今度はエリーさんが近寄って来た。


「あの……少しよろしいでしょうか」


「あ、はい。なんでしょう」


 俺が振り返ると、エリーさんは不安げな顔で周囲を見回した。


「あの……この辺りに漂ってる匂いなんですけど」


「ああ……さっきフレディたちも言ってましたよ。血臭みたいだって」


「ええ。ですが、これは……その、血臭ではないんです。恐らく、魔術で造られた香料だと思います。その……魔物の類いを誘き寄せる効果のある類いのもの……かと」


 エリーさんの言葉を聞いた瞬間、俺の背筋が冷たくなった。
 もしエリーさんの話が真実であるなら……魔物を誘き寄せる香料を使った者がいる。それも、公爵家の馬車列の進行方向に、だ。
 偶然――なんてことは、きっとない。これは恐らく、あの暗殺者の仕業なんだと思う。
 間違いなく厄介ごとに巻き込まれた――そう考えた俺は、陰鬱な気持ちになっていた。

   *

「……なぜだ。なぜ、騎士たちは前に出なかった」


 男は物陰から、ジッと馬車列の様子を伺っていた。
 魔物が馬車列を襲えば、騎士たちは前線へと出て行くはずだった。武勲をあげることを至上の喜びとする騎士なら、コボルドとの戦いを優先する――。
 そんな男の予想は、たった数人の活躍で覆った。
 騎士たちが前線に出たあと、公爵の馬車を襲撃する算段だった。騎士たちが公爵の馬車から離れない以上、襲撃は断念せざると得なかった。


「……なんなんだ、あいつらは。商人の馬車から出てきたと思ったが。護衛の冒険者……なのか?」


 コボルドと戦ったクラネスやエリーらを見て、男は眉を寄せた。
 冒険者がいるのなら、魔物をぶつけるのは得策ではない。


(公爵たちが次に立ち寄る町へ先回りするか?)


 男は少し考えて、その案を諦めた。急いで動くには、公爵の馬車に近づきすぎていた。木の陰に隠れはいるが、下手に動けば見つかってしまうだろう。
 それに、気になっているのは公爵の馬車列だけではない。少し後方にいる、三騎の騎馬も問題だった。
 上手く偽装しているが、腰の長剣にはカーター家の紋章がある。領主に仕える兵士なのは、間違いが無い。
 男は息を殺しながら、公爵の馬車列が動くのを待った。


(……まあ、いい。まだ機会はある)


 公爵の馬車列と三騎の兵が去ってから、男はゆっくりと動き始めた。

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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!

わたなべ ゆたか です。

とうとう、クラネスも惚気てしまった……な回。

暗殺が本格化したよりも、厄介かもしれません。書いている当人としては。

少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

次回もよろしくお願いします!
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