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第三章『不条理な十日間~闇に潜む赤い十文字』
二章-6
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襲撃のあった翌朝。
日の出とともに、暗殺者への警戒態勢は終わりを告げた。朝日の眩しさに目が眩みそうどころか、瞼を強く瞑ると目の裏側で痛みが走った。
完全なる寝不足と疲労によるものだと、すぐに解った。きっと、脳細胞もかなり死滅したに違いない。
警護を終えた俺が隊商に戻ろうとしたとき、屋敷の衛兵が声をかけてきた。
「クラネス・カーター様ですね。ミロス公爵様がお呼びです。屋敷の応接間まで御同行をお願い致します」
「ミロス公爵様が……わかりました」
寝不足から、呼び出し自体に苛々とした殺気を抱いたが、それを我慢できるだけの自制心は、まだ残っていた。
衛兵の案内で屋敷に戻った俺は、前日にも来た応接間へと通された。
豪奢な調度類に囲まれた室内には、まだ早朝だというのに正装をしたミロス公爵が待っていた。
ソファのあるテーブルの横には、屋敷の使用人らしい初老の男性が控えていた。使用人の傍らには、金属製のポットが置かれたサイドテーブルがあった。
優雅にソファに座っているミロス公爵は、俺に座るよう手で促してきた。
「……それでは、失礼します」
俺が真向かいのソファに座ると、ミロス公爵は湯気の立っている紅茶を勧めてきた。
「まだ暖かいから、飲むと良い」
「はい。いただきます」
俺が頷くと、使用人がコップに紅茶を入れてくれた。
フワリと漂う紅茶の香りから、かなり質の良い茶葉だとわかる。俺が紅茶に口をつけるのを眺めながら、ミロス公爵は身体の前で小さく両手を広げた。
「おまえのお陰で、被害は最小限で留まった。礼を言おう」
「いえ。暗殺者を目の前にして、逃げられてしまいました。面目次第もございません」
「いや――警備の兵から話を聞いた限りでは、おまえの判断は正しかったと断言できる。あそこで暗殺者の追撃に専念していたら、あの建物は今頃、大火に包まれていたかもしれぬ」
そこで言葉を切ったミロス公爵は静かに、しかし長めの息を吐いた。
「放火に使われた油は、火を点けることなく燃えたというが……それは真実か?」
「はい。昨晩にお話した、特殊な油で間違いはないかと」
「そうか」
ミロス公爵の顔が険しくなったのは、俺に頷いた直後のことだ。
腕を組んで、なにかを考えるように腕を組み、指先で二の腕を叩いていた。やがてミロス公爵は顔を上げ、膝を手で打った。
「クラネスよ。その特殊な油を取り扱っているという一族、その根城の仔細はわからぬか?」
「根城でございますか? それは……その、隊商の者に聞いてみないと、わかりませんが」
いきなりなにを言い出すのかと訝しんだ俺に、ミロス公爵は大きく頷いた。
「では、その者に根城のことを聞いてきてくれまいか。出来れば、一時間……いや、朝の二度目の鐘が鳴るまでで良い」
まだ一度目の鐘も鳴っていないから……二度目の鐘までは三時間ほどある。
俺は少し躊躇いながら、ミロス公爵に深々と頭を下げた。
「わかりました。詳細なことがわかるかどうか保証はできませんが、隊商の者に話を聞いて参ります」
紅茶を飲み干した俺は、ソファから立ち上がった。
俺が屋敷の外に出ると、一台の馬車が待っていた。御者台にいた使用人らしい男が、俺に声をかけてきた。
「クラネス様。隊商までお送りします。お乗り下さい」
「……それは、助かります」
俺が客車に乗り込むと、馬車はだく足で進み始めた。
そこそこに柔らかい椅子に座っていると、睡魔が襲ってくる。俺は眠気に抗いながら、窓の外へと目を向けた。
こうした馬車で一番怖いのは、寝ているうちに見知らぬ場所に連れて行かれることだ。
俺個人がそういう目に遭ったことはないけど、噂話や教訓として、そういった話は何度も聞かされている。
まあ、そんな心配を余所に、馬車は無事に隊商に辿り着いたわけだけど。
「クラネス兄さん!」
ユタさんと一緒に厨房馬車の御者台にいたマリオーネが、俺に手を振ってきた。
俺は手を振り返しながら、エリーさんの馬車を探した。厨房馬車から二台後ろで、目的の馬車を見つけた俺は、欠伸をしながら歩き出した。
馬車に近寄ると、俺は幌の外から声をかけた。
「おはようございます。クラネスですけど……エリーさんかメリィさんはいますか?」
「はい……二人ともおりますよ」
身支度を整え終えたエリーさんが、ひょっこりと顔を出してきた。
「早朝からすいません。少し、お訊ねしたいことがありまして」
「あら、なんでしょう?」
「昨日聞いた、あの……香や油を取り扱っている一族のことで」
少しだけ声を抑えた俺の言葉に、エリーさんの表情が少しだけ強ばった。それは嫌悪や忌避感ではなく、怯えに似たもののように思えた。
エリーさんは少しだけ迷ってから、俺を手招きした。
「どうぞ、馬車の中へ。表では……その、話をしにくいですから」
「……はい」
俺が馬車に乗り込むと、メリィさんが会釈してきた。
床に腰を降ろした俺へ、エリーさんは躊躇いがちに話しかけてきた。
「それで……その、あの一族のことについて、なにを知りたいのでしょうか?」
「ミロス公爵が、根城について知りたいと言ってきまして。昨日、情報をもたらした商人から、仔細を聞いてきて欲しいと」
「そうなのですね……もしや、彼らの屋敷を襲撃するおつもりなのですか?」
「いえ、そこまで聞いてはないんですけど……でもそうか。その可能性は、大いにありますね」
自分を襲った暗殺者に、暗殺のための物品を提供したとなれば、その一族は討伐の対象になりうる。
その可能性を考えなかったのは、俺の不始末だ。
「その、討伐だと拙いことがあるんですか?」
「はい。ここの屋敷を討伐すれば、その情報がほかの街に潜んでいる彼らの仲間に伝わるでしょう。そうすれば今後、目的が果たされるまで彼らの動きを追うことは不可能に近くなります」
「彼らの目的って……」
「恐らく、この国の主権を簒奪することです」
「簒奪って……ええっと、意味的には確か」
「ええ。恐らく彼らは、すでに国の中枢に入り込んでいると思います。あとは、奪い取る準備と時期などの計略を練っているところでしょう」
「……もしかすると、もう計略の実行を待つばかりなのかもしれませんが」
エリーさんのあとを継いで、メリィさんが剣呑なことを言う。
しかし、二人の言っていることが真実だと、ここで国家自体の略奪を狙う一族の一つを討伐するのは、かなり拙いだろう。
その辺りの判断は、ミロス公爵に委ねるしかない。
そんな俺の考えを話すと、エリーさんは小さく頷いた。
「……そうですね。この国のことは、この国の人々に委ねるべきなのでしょう。記憶が確かなら――少し待って下さい」
エリーさんは無地の羊皮紙を取り出すと、街の地図を書き始めた。略図だけど全体を書いたあと、一点に黒丸を付け、『異国の商人』と書き記した。
「この場所だと……聞いています。あとはミロス公爵様が、正しい判断をして下さることを祈るしかありません」
「……そうですね。正直、すべての領地で同時に討伐……とかしないと駄目な気もしますね。それでも、密偵が紛れ込んでるって不安も拭えませんし」
これ……手詰まりなんじゃって気がするな。
国の中枢にまで根深く入り込んだ工作員とか、厄介ってだけでは済まない問題だ。だけど、それは俺がどうこうできる問題じゃない。
俺はエリーさんから預かった羊皮紙を丸め、小脇に抱えた。そして自分の馬車に戻ると、インクと羽ペンを手にした。
あとは……念のため、パンを一切れ持っていこう。
荷物を一纏めにして袋に入れたとき、背後で物音がした。
「あ、クラネス君。戻ってたの?」
いきなり声をかけられて、俺は心臓が口から出そうなほど驚いた。エリーさんたちから聞いた話が頭の中で蠢いて、《力》を使うことを失念していたんだ。
全身から汗が噴き出した俺が振り返ると、ユタさんは目を瞬いた。
「なに、どうかしたの?」
「……いえ、なんでも。それより、なにかありましたか?」
「商人たちが、出発はいつくらいになるのか知りたがってたわよ?」
「ああ、そうですよね」
俺は荷物を左腕に抱えながら、大きく息を吐いた。商人たちにとっては、一箇所に長居することへの意味は薄い。できれば、今すぐにでも移動をしたいはずだ。
だけど……今はミロス公爵たちと行動を共にしているから、俺たちだけで勝手に移動はできない。
俺はユタさんに、小さく首を振った。
「すいません。公爵の馬車列が、遅れそうなんです。状況とか聞いてきますので、少し待ってるように、お願いしてくれますか?」
「それはいいけど……クラネス君、大丈夫? 目の下の隈が凄いわよ?」
そりゃまあ……徹夜明けだし。
俺はユタさんに隊商のことを任せると、待たせてあった町長の馬車へと乗り込んだ。そのとき、アリオナさんが厨房馬車から出てくるのが見えたけど……少しくらい、話をしておけば良かったかな?
町長の屋敷に向かう途中、御者の男が声をかけてきた。
「旦那、なにかわかったんですかい?」
その問いに、俺は気軽に答えそうになった。
だけどその直前に、エリーさんの言葉を思い出した。
『彼らは、すでに国の中枢に入り込んでいると思います』
俺は少し考えてから、少し気落ちした声を出した。
「実は、なんにもわからなくって。公爵様に、なんて言い訳をしようか、考えているところなんですよ」
「そうなんですかい? でも、なにかわかったんでしょう? その荷物とか、何かの手掛かりとか」
「ああ、これは……朝飯のパンが入っていて。ほら」
俺は袋の中から、さっき入れたばかりのパンを取り出し、窓から御者に見せた。
「もしかして、腹が減ってます? 半分くらいなら、分けますよ」
「ああ、いや。そういうつもりじゃなかったんで。すいませんね、好奇心が勝っちゃって」
「……いえいえ」
そう相手に返しながら、俺は《力》を使って、御者の心拍数を聞いた。
かなり、心臓の音が早い。平静を装っているけど、かなり焦っている。……もしかして、もしかするのだろうか。
俺はパンを囓りながら、冷や汗をかいた。
町長の屋敷に戻ると、俺はすぐにミロス公爵への面会を求めた。
応接間で俺を出迎えたミロス公爵は、大袈裟に手を広げた。
「おお、クラネス。どうだ? なにかわかったか」
「それですが……こちらを」
俺はエリーさんから預かった羊皮紙を、テーブルの上で広げた。昨日のこともあってか、ミロス公爵は無言のままテーブルの羊皮紙に目を落とす。
その途中で、俺はエリーさんから聞いた内容を、持参したペンで羊皮紙の上に書き記した。
それらすべてを読み終えたミロス公爵は、真剣な目を俺に向けた。
「これは、すべて事実なのか?」
「推測も含まれていると思いますが……どうされますか?」
俺の質問は、『国家の主権を狙う一族の追跡が不可能になるが、それでも街の拠点を討伐するか』というものだ。
ミロス公爵は少し悩むように腕を組んでから、大きく手を叩いた。
「もちろん、奴らを討伐する。今この瞬間にも、奴らの手で民が苦しんでおるかもしれん。罪なき者が殺され、虐げられているかもしれん。それを防ぐのが、我ら貴族の努めのはずだ」
なかなかに、熱血なことを言う人だ。
ミロス公爵の考えには、共感するところもある。だけど、普段からこういう言動をしているのなら、恨みを持つ貴族も少なくなさそうだ。
自分の利益しか考えない輩からすれば、まさに目の上のたんこぶに違いない。
しかし、こうなると隊商としては距離を置かねばならない。商人たちの安全と利益を考えれば、剣呑な集団に関わるわけにはいかないんだ。
俺は大きく息を吸ってから、羊皮紙にミロス公爵への伝言を書いた。俺を送迎したあの御者――ヤツはきっと、エリーさんの言っていた一族の仲間だ。
俺からの情報に、ミロス公爵は緊張した面持ちで顔を上げた。そしてなにかを言いかけたものの、すぐに口を閉ざした。
少しして小さく頷くと、固い声で告げた。
「わかった。手配しよう」
「お願いします。それでは我々《カーターの隊商》は、先に次の街へ行こうと思います。商人たちが、次の街へ行きたいと、焦れているのです」
「なにを言っておるんだ。おまえも一緒に来るに決まっているだろう? 商人たちには、また一日分の補填をしておく」
「あの……それは、わたしにその……件の軒に参加しろということでしょう……か」
「もちろんだとも。期待しておるからな」
満面の笑みで、ミロス公爵は恐ろしいことを言ってきた。
愕然とした俺に、ミロス公爵は口元を綻ばせた。
「安心せよ。理由は異なるものを考えよう」
断るに断れない状況に……なってきた。このとき俺は、暗殺者のことを、ほんのちょっぴりだけ応援したい気持ちになっていた。
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本作を読んで頂き、誠にありがとう御座います!
わたなべ ゆたか です。
やはり、秘密の会話を行うときは、筆談が一番ですね。会話が一番スムーズなんでしょうけど、やはり盗聴などの危険性があるわけです。
それを踏まえないっていうのは、流石に……ということで、クラネスは筆談をよく使います。これは《力》のことを秘匿したいという理由もあります。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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