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第三章『不条理な十日間~闇に潜む赤い十文字』
二章-5
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ミロス公爵と別れた俺は、厨房馬車でエリーさんの帰りを待つことにした。
魔物寄せの香について、ミロス公爵からは情報を得られなかった。残るは、エリーさんが持って来る情報だけだ。
厨房馬車の中でエリーさんの帰還を待っているあいだ、考えていたのはクレイシーから言われたことだ。
――ミロス公爵の護衛は、しなくていいのかい?
町長の屋敷から帰って来た俺に、クレイシーはそんなことを言ってきた。護衛の兵士や騎士たちに任せるだけでは、心配らしい。
クレイシーには、彼なりの考えもあるんだろうけど――正直、気乗りはしない。ただの商人である俺が、そこまで出しゃばるのはよろしくない。
下手に活躍なんかした日には、ミロス公爵や孫たちはともかく、騎士たちから嫉まれる可能性がある。それに、マリオーネから聞いた話のこともある。
ミロス公爵の前で、目立つのだけは避けたいというのが、俺の本音だ。
だけど……まあ、隊商が世話になっているのも事実だし、なにもしないというのは、なんか後ろめたい。
重い溜息を吐きながら厨房馬車の天井を見上げていると、アリオナさんが中に入ってきた。
「クラネスくん、ちょっといい?」
「……うん。どうしたの?」
俺の返答を聞いて、アリオナさんはトテトテと近寄って来た。俺の左隣に腰を降ろすと、少しだけ身体を寄せてきた。
「あのね。公爵様と一緒にいる女の子がいるじゃない。あの子から、なにか話しかけられたんだけど……言っている内容がわからなくて」
「へえ……エリーンがねえ。今度、なにを言ったのか聞いておく?」
「うん。お願い。一生懸命喋ってたみたいだし、なんか申し訳なくって」
「ん。わかったよ」
俺が頷いたことで、話は終わった――と思ったけど、アリオナさんは立ち上がろうとしない。「あれ?」と思った俺は、戸惑いながら話しかけた。
「……どうしたの?」
「どうしたのじゃ……なくない? 少しは、さ。甘えたっていいじゃない」
そう言いながら、アリオナさんは腕を絡めてきた。
ついさっきまでミロス公爵の警護をしたほうがいいのかと迷っていた俺は、そんなことが彼方に飛んでいってしまった。
照れやら照れやら、照れやらで、頭の中は真っ白だ。
いや、正確には真っ白ではない。数々の煩悩が、俺の理性を掻き乱しにきていた。それでも手が出ないのは、単に俺が恋愛慣れしていないだけである。
数秒以上もかけて、俺が言葉として発せられたのは、
「そ――だね」
だけである。前世で見た漫画などでは、こういう展開を見る度に友人たちと「ヘタレだよね」などと言っていた気もするけど。
そんな展開が自分にもやってきたわけだけど、ここまでなんにも出来ないとは思っていなかった。
アリオナさんへの申し訳なさで一杯になったとき、厨房馬車のドアがノックされた。
俺とアリオナさんは、顔を見合わせてから、お互いに苦笑した。それから身体を離すと、俺は顔を上げた。
「開いてます」
「長さん……失礼しますね」
俺の予想通り、訪問者はエリーさんとメリィさんだ。
二人は俺たちを見ながら、厨房馬車の床に腰を降ろした。
「お二人の時間を邪魔してしまいました?」
「いえ……そういうことは、なにもしてませんから。それより香について、なにかわかりましたか?」
「ええ。少しばかり。どうやら、あの香を降ろしている一族が、この街にもいるらしいです」
「そうなんですか? なら、そこへ行けば――」
「迂闊に押し込むのは危険です。彼らは……わたくしたちの想像以上に残忍なようなんです。ただ残念なことに、香そのものについては、わかりませんでした」
「その代わり、一つ情報を手に入れました。なんでもこの街で、その一族から特殊な油を買った者がいるとのことです」
「特殊な油?」
「はい。空気に触れるだけで燃える油のようです。瓶詰めで売られているとか……」
「空気に触れるだけで燃える……って、それは暗殺用なんじゃ?」
「……そう思います」
メリィさんが頷くと、俺は頭を抱えたい衝動に駆られた。
こんなのを知っちゃったら、公爵の護衛をしないわけにはいかないじゃないか。厨房馬車の外を見れば、もう日が暮れてしまっている。
暗殺者が動くなら、夜中なんだろうけど……この情報だけは、ミロス公爵に伝えたほうがいいよな、絶対。
俺はエリーさんたちに礼を言いながら立ち上がると、すぐ側に置いてあった俺の馬車へと入った。
そこで羊皮紙に油のことや警告を書き記すと、俺は馬車から降りた。駆け足で町長の屋敷へと向かった。
再び門番から話を通してもらい、俺はミロス公爵との面会を果たすことができた。
「クラネス。急ぎの用とのことだが、あの香について、なにかわかったのか?」
「……香そのものではありませんが。そうですね……まずは、これをお読み下さい」
俺はミロス公爵に、先ほどしたためた羊皮紙を差し出した。
羊皮紙にはエリーさんから聞いた特殊な油のこと、そして油や魔物寄せの香を取り扱っている一族が、この街にいること。そして暗殺者が、油による放火と手段を使う可能性を書き記してある。
そして最後に、この内容を口に出さないように――という忠告も付け加えてある。
内容を目で追っていたミロス公爵の表情が、みるみる真剣なものになっていく。最後まで読んだらしく、なにかを言いかけたところで、言葉の代わりに大きく息を吐いた。
「クラネス……これは確かなことなのか?」
「可能性と書いてある部分は、我々の推測によるものです。ですが、用心はするべきだと考えております。せめて、備えをして下さいますように」
「ううむ……」
「わたくしも、見張り程度であればご助力いたします。怪しい者を見つけ次第、警備の兵士や騎士殿たちへお報せしましょう」
俺の申し出に、ミロス公爵は僅かに表情を緩めた。
「なるほど……しかし、ほかの者は出せぬのか?」
「皆には、隊商の警備を任せてあります。護衛兵の一人くらいは回せますが、あとは隊商の警備もさせたいのです。これについては、公爵様には申し訳なく思っておりますが……お許し下さい。わたくしには、隊商の商人たちを護るという責務もあるのです」
「……ふむ。御主がわたしの警護に就くことが、最大限の誠意というわけか」
「何卒、御理解の程を」
俺は深々と頭を垂れた。
ミロス公爵は少し無言になったあと、膝を手で打った。
「よし、良かろう。御主の申し出、しかと受けよう」
「……ありがとうございます」
俺は安堵の溜息を抑えながら、ミロス公爵へと礼を述べた。
……ああ、もう。こういうやり取りが面倒臭い。
町長の屋敷から出ると、すぐに見回りを開始した。〈舌打ちソナー〉を使いながら、辺りを歩くだけだが、俺にできる最も効率的な見回り方法だ。
これから屋敷の中に侵入するのか。それとも、もう屋敷の中にいるのか――どちらにせよ、〈舌打ちソナー〉の効果で、怪しい素振りの人影を探るしかない。
フレディやエリーさんの手を借りたいところだが、皆には隊商の警備を頼んでいる。だからここは、俺が一人でやるしかない――んだけど。
やはり寂しいと思ってしまうのは、アリオナさんと一緒に居すぎなんだろうか。
屋敷の塀を半周したところで、〈舌打ちソナー〉が屋敷の庭にある木の陰にいる人影に反応した。
庭師かと思いかけたが、こんな夜に庭の整備なんかするはずがない。
俺は騎士たちに報せようとしたが、ここからでは庭に入るための門までは、距離がありすぎる。
俺は〈舌打ちソナー〉で近くに兵士がいないか探したが、運が悪いことに誰もいない。
その代わり、近くの塀に、穴が隠されていることに気付いた。そこは人が一人、匍匐前進をすれば入れる程度の、平べったい穴だ。
俺は、ここで選択肢を迫られた。
兵士や騎士たちに穴と怪しい人影のことを伝えることを優先させるか、怪しい人影を捕らえることを優先するか。
あまり迷う時間はない。それに、こういう選択肢はどちらを選んでも悪い方向へと転がるものだ。
俺は〈範囲拡大〉で自分の声を拡大させた。ただし、それは屋敷の外壁のみだ。
「屋敷の庭に、怪しい人影がいます!」
そして庭を除いた屋敷に直接、〈範囲指定〉と〈範囲拡大〉を使った声で、先ほどと同じ言葉を伝えた。
この言葉を何人の兵士や騎士が信じるやら――そんなことを思いながら、俺は匍匐前進をしながら壁の穴を通り抜けた。
穴を抜けると、目の前には公爵一家が泊まっている別棟が見えた。その手前には樹木があるが、それは目的の場所じゃない。さきほど〈舌打ちソナー〉で反応があったのは、そこから右に三本ほど向こう側にある樹木だ。
俺が視線を向けると、そこにはもう人影はない。〈舌打ちソナー〉で先ほどの影を探すと、姿勢を低くした姿勢で、もう屋敷へと向かっている途中だった。
俺は急いで駆け出すと、腰の長剣を抜いた。
月明かりは、ほとんどない。屋敷や別棟から漏れる窓明かりだけが、庭を淡く照らしている程度だ。
覆面にマントという姿らしい人物が、うっすらと見えてきた。俺が長剣を抜くと、走る速さを上げた。
「――っ!?」
草を鳴らす足音に、覆面は俺の接近に気付いたようだ。
振り返ると小さく舌打ちをした覆面を見ながら、俺は大声を張り上げた。
「賊を見つけたぞっ!!」
俺は長剣を構えながら、覆面との間合いを詰めた。長剣と一文字に振ったけど、覆面は大きく横に跳び、地面を転がるようにして躱した。
そして、周囲から金属を鳴らしながら走ってくる音が聞こえてきた。
「くそっ!」
覆面は周囲を見回してから、手にしていた青い瓶を別棟へと投げつけた。
「ヤバイ!」
俺は宙を舞う瓶を長剣で叩き切ろうとしたけど、間に合わなかった。
兵士たちが集まる中、別棟の壁に火が点いた。火は石壁の表面を炙っただけでなく、木製の窓枠に燃え移った。
「おまえは――っ!」
俺が振り返ったとき、覆面は屋敷の壁へと掛け出していた。
そのまま樹木をするすると登っていくと、木の上から壁を乗り越えてしまった。ヤツを追いたかったけど、今は別棟の火災のほうが気になる。
エリーさんの言っていたとおり、瓶が割れた瞬間に火が点いた。
火事を防げなかった悔しさが、頭の中で渦を巻く。その激しい怒りを堪えながら、俺は集まってくる兵士たちに、水を持って来るように指示を出した。
消火が終わるまで、一時間ほど。一階の一部を焼いただけで済んだが、俺の中にはモヤモヤとした感情が残った。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございました。
わたなべ ゆたか です。
解っていても、防げない――というジレンマ回。やはり、すべては速さですね。速さが足りないと、後手に回ってしまうわけです。
ということを考えた回でございます。
前回、なにかミスった模様……すいませんでした。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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