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第九部『天涯地角なれど、緊密なる心』
四章-1
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1
海竜族の神界にあるキングーの宮殿の一室で、瑠胡はランドの指輪を抱きしめていた。
今まさに、婚礼の式に使う指輪を介してランドの声が聞こえたばかりだ。お互いの状況を伝え合い、託宣のことも聞いた。
ランドが《異能》を使って自分の元へ向かうと告げるのを聞いて、瑠胡の中でしぼみかけていた希望が再び芽吹いてきた。
(ランド……信じてます)
ランドが来ると言った以上、必ずそれを成すだろう。このたったひと言、意志を聞くことができたことは、珠玉を得るに等しかった。
キングーに囚われてから、初めて瑠胡の心が安らいだ――が、それが油断を産んだ。
ドアが開く音に気付かぬ瑠胡に、カツカツとした足音が近寄った。
「……そんなものを、持っておられたのですか」
「キングー」
ハッと顔を上げた瑠胡の前には、怒りで顔を赤くしたキングーが立っていた。険しい目は瑠胡が抱く指輪を収めた小箱に向けられ、声も僅かに震えている。
憎悪の視線に身体を固くした瑠胡に、キングーは感情を抑えた声で告げた。
「なぜ、あなたは理解しようとしないのです。元々人間だった天竜など、微塵の価値もないはずだ。ドラゴン族の未来を思えば、天竜の姫である貴女は、もっと相応しい同胞とつがいになるべきでしょう」
「その、我らの種族に蔓延る価値観が、我ら自身を滅ぼすと、なぜ気付かぬ。我らに順応せず、身勝手な人族であれば、妾はランドを選ばなんだ。しかし、ランドは妾たちの価値観を受け入れる度量がある。それに人の身で妾に勝ち……その上で、妾を救ってくれた。妾のつがいとして、これ以上に相応しい相手はおらぬ」
「だから、人間の習慣に従うと? そんな指輪一つ、我らにはなんの価値もないでしょう。その気になれば、寝床に出来るほどの莫大な財宝を手に入れることだってできるはずでしょう」
「……御主には、幾万の言葉を交わしても理解出来ぬだろうな。妾にとって、この指輪は億の金貨、万の宝石よりも価値がある」
瑠胡の反論に、キングーは怒りの目を向けた。
拳を握り閉めて瑠胡に詰め寄ると、乱暴に手を伸ばした。
「なにをする! やめよっ!!」
「聞き分けがない貴女がいけないのです!」
身を捻った瑠胡の腕を掴むと、キングーは逆の手を胸元へと伸ばした。
「こんなものっ!」
キングーが離れた直後、抱えていた小箱を奪われた瑠胡は声をあげた。
「あ――!? なにをする。返せっ!!」
「返すわけがないでしょう! これは、ドラゴン族のために必要なことなのです」
キングーは空間の歪みを造り出すと、その中に小箱を放り込んだ。
「なにをした! 今すぐ、取って参れ」
「もう無理ですね。この先は――いえ。先ず、海竜族の神界についてご説明しましょう。天竜、地竜――それぞれに神界がありますが、各ドラゴン族の神界で、もっとも広大なのが、ここ。つまり海竜族の神界です」
キングーは空間の歪みを消し去りつつ、指先を床へと向けた。
「海竜族には、海底火山の側を好む種がいるのですが、彼らが住まう場所として、灼熱の砂漠も存在しております。先ほどの小箱は神界の上端から、その砂漠へと落としました。砂漠のどこに落ちたか、わたしにもわかりません」
「な――なんということをしおった!」
怒りに柳眉を逆立てた瑠胡の首筋にある鱗から、ドラゴンの前脚が生え、キングーに殴りかかった。
しかしキングーも濃緑色をしたドラゴンの前脚を生やし、その一撃を難なく受け流した。
さして広くない部屋の壁まで、瑠胡の前脚が弾かれた。凄まじい衝撃にも関わらず、壁にはヒビ一つ入らない。
キングーは前脚を引っ込めながら、ドアから外に出た。
「こうでもしなければ、きっと御理解頂けないでしょう。あんなものは無意味で無価値、なんの役にも立たない屑同然の代物なのだと。あの指輪を目印にランドが来たところで、そこは砂漠――絶対に、ここへは辿り着けない」
吐き捨てるように瑠胡に告げたキングーは、勢いよくドアを閉めた。
前脚を弾かれて体勢を崩していた瑠胡は、完全に閉じられたドアへと駆け寄った。
「貴様――この仕打ち、妾は忘れぬ! 何千、何万の年月を重ねようが、無限の転生を繰り返そうが、決して許しはせぬぞ!! あ……神としての情けと誇りがあるなら、妾の指輪を返せ! ああ……返してぇぇっ!!」
ドアに縋るような姿勢で叫んでいた瑠胡の声は、嗚咽混じりになっていた。
その場泣き崩れた瑠胡の声が、宮殿の中庭まで伝わった。その声を、中庭の隅で聞いていたのは、ムシュフシュだ。
「……キングー様。これは……流石に酷すぎます」
慰めに行きたかったが、瑠胡にかける言葉など見つからなかった。魂の奥底から発せられた瑠胡の声を聞いてしまっては、どんな言葉も上っ面をなぞるだけになってしまう。
顔を伏せながら歩き出したムシュフシュは、無言のまま宮殿から出ていった。
*
全身を包む灼熱感で、俺は意識を取り戻した。
目を開けて周囲を見回せば、一面砂の世界だ。しかも、頭上に浮かぶ光球からは凄まじい熱気が降り注いでいた。
これは、砂漠というやつ……か?
少し前にジャガルートで見てはいるが、あれは街の中からだった。砂漠のど真ん中など、書物の中の知識しかない。
意識がはっきりとしてくると、視界の違和感にも気付いた。
視点が普段よりも高い。いつもより二、三マーロン(一マーロンは、約一メートル二五センチ)は高い位置にある。
〝どうして――〟
疑問を声に出したところで、俺はまだドラゴン化したままであることを思い出した。
ドラゴン化には、まだ慣れない。そんなに回数を熟していないのもあるが、魔力が徐々に減っていくのがわかる。
瑠胡は魔力が減る感覚はないと言っていたが、このあたりは生まれたときから天竜族である身体と、元人間との違いかもしれない。
俺はドラゴン化を解くと、大きく息を吐いた。
人間の姿に戻ると、あまりの暑さに全身から汗が噴き出した。灼熱の太陽――というのは、こんな感じなんだろうか。
吹き出した汗が、すぐに蒸発してしまう。
俺は、改めて周囲を見回した。一面に砂漠が広がっているが、上は青空ではない。水の中から空を見上げたような、うねりのある微かな光が、まるで天井のように空を覆っていた。
しばらく上を見上げていると、次第に記憶が蘇ってきた。
「ここが、海竜族の神界……か?」
ここでジッとしていても、暑さで体力が失われてしまう。どこか日陰に行くか、砂漠から出るべきだ――確かな知識に疎いが、俺は砂漠を歩くことに決めた。
猛暑から逃れるために《異能》を使うのは、今はできない。身体の調子から察するに、あの〈転移〉とドラゴン化で、かなりの魔力を消費したらしい。
魔力が回復するまでのあいだは、あまり大がかりな《スキル》や《異能》は使わないほうがいい。
そう理解した一方で、瑠胡の救出期限のことが気になっていた。転移してから、どれだけの時間、意識を失っていたのかも気がかりだ。
とにかく、できるだけ急いで魔力を回復させなければ、思うように瑠胡を探すことができない。
俺が砂漠を歩き始めてから数分で、全身が汗まみれになってしまった。
喉の渇きを覚え始めたとき、前方から三体のワイアームがやってきた。双方とも頭上からの光を煌びやかに反射する、銀色の鱗に包まれていた。
三体のうち、二体のワームは俺の左右に広がると、威嚇するように牙を剥いてきた。三体目は、後方で停まったままだ。
〝侵入者は貴様か!?〟
〝ここを龍神・ラハブ様の神界と知っての狼藉か!〟
二体のワイアームを、俺は真っ直ぐに見上げた。
「俺の名は、ランド・コール。キングーに攫われた天竜族の瑠胡姫を取り返しに来た。勝手に入ったことは認めるが、先に手を出してきたのはキングーだ。そっちがどう思おうが、俺は瑠胡を救いに行く。だから、邪魔をするな」
俺は右手を横に振って退くように言ったが、二体のワイアームは退くどころか俺に迫ってきた。
〝馬鹿め! 貴様如きを通すわけがなかろう!〟
〝あと三日で、キングー様と天竜の姫はつがいとして結ばれるという話だ。それを邪魔立てすること、許すわ――〟
「ちょっと待て。十日の賭けは、そういうことか!?」
二体のワイアームの言葉を遮った俺は、キングーの企みを理解した。
恐らくだが、キングーはどこかで瑠胡に好意を持ったんだろう。だから俺たちが婚礼の式を挙げる前に瑠胡を攫い、詐欺紛いの賭けを吹っかけたってことか。
俺は二体のワイアームを睨み付けながら、一歩だけ前へと出た。
「てめぇらに構ってる暇はねぇ。大人しくそこを退け。じゃなきゃ、てめぇらを砕くぞ」
〝それはこちらの台詞だ!〟
〝我らに刃向かったこと、死の淵で後悔するがよい!!〟
――あ、そ。
そっちがその気なら、手加減しない。
「全力で行くぜ」
頭の中で描いた線の軌跡通りに、俺は〈断罪の風〉を全力で放った。
〝カ――カッ……カ……〟
胴に翼、顔にも無数の傷を受けて、二体のワイアームたちは砂上に横たわった。致命傷を避けたから、身動きはできないだろうが、死ぬことはないはずだ。
しかし魔力の回復を待つと、さっき決めたばかりなのにな。キングーの企てを知って、思わず全力を出してしまった。ここまで消耗してしまうと、体力が消耗しきる前に魔力が回復するのは絶望的だ。
魔力の回復力は常人よりもある自覚はあるが、〈転移〉と全力の〈断裁の風〉は、それでは補えないほどの魔力を消費する。
肩で息をしながら、俺は残る一体へと目を向けた。
「あんたもやる気か?」
〝いや……そのつもりはない。我らはこの地を護るのが役目だが――我は此度の件、どうにも納得ができぬ。とはいえ、御主と天竜の姫がつがいになることも、歓迎はしておらぬ。人間の言葉で言い表せば、中立の立場――ということになる〟
「あ、そ。それじゃあ、俺はここを通るぞ」
〝……好きにせよ〟
俺は礼も言わぬまま、三体目のワイアームの前を通り過ぎた。
〝待て〟
そんな俺の前に、半裸で筋骨逞しい男――竜神・ラハブが忽然と現れた。姿が半透明なことから、どうやら幻影らしい。
険しい顔をした竜神・ラハブは、立ちはだかるように腕を組んでいた。そして立ち止まった俺に、静かな声で問いかけてきた。
〝ここは我が神界なるぞ。これ以上の狼藉は、神争いの火種になると知れ。我が言葉の意味を理解したなら、今すぐ去るがいい〟
「瑠胡さえ返してくれれば、今すぐにでも帰ります」
〝瑠胡――姫か。彼女は今、キングーが説得を試みている最中だ。竜神・安仁羅との協議に従い、残り三日は彼女を預からせてもらう。これに従えぬというなれば、神争いを引き起こす存在として、竜神たる我自らが――〟
「……うるせぇ」
俺は怒りを限界まで堪えながら、竜神・ラハブに告げた。
「神争い神争いって言うが、先に俺を《スキル》で攻撃し、瑠胡を攫ったのは海竜族のキングーだ。それだけで、十二分に火種でしょうが。ヤツは瑠胡を騙して賭けをさせ、強引につがいに成ろうとしてる。これは瑠胡を中心にした、俺とキングーの問題だ。神争いなんざ関係無いものを持ち出して、部外者が一々出しゃばってくんな」
〝な――〟
竜神・ラハブは俺の発言に絶句したものの、すぐに表情を戻した。
〝そなたは、これを互いの種族ではなく、個々の問題だと申すか〟
「当たり前でしょう。わかったら、さっさと瑠胡の居場所を教えて道を開けろ。こっちは怒り心頭なのを我慢してるんだ」
俺が睨み付けると、竜神・ラハブは大きく息を吐いた。
〝……まあ、いいだろう。御主らの関係を認めぬ立場である以上、居場所は教えぬ。勝手に探せばよかろう。ただし、神界内には守護を担う海竜族が数多くおる。それらを退けながら、探し出せればの話だがな〟
言い放つように告げたあと、竜神・ラハブの幻影は消えた。
俺が再び歩き出そうとしたとき、斜め後ろにいたワイアームが俺の真横まで首を下げてきた。
〝ランドと言ったな。砂漠を出るまで、我が背に乗せてやろう。それまでに、できるだけ体力と魔力を回復しておけ〟
「……いいのか? 海竜族を裏切ることになるんじゃないか?」
〝心配なぞするな。御主とキングー殿下の問題であると認めた上で、配下の海竜族を向かわせるなど――納得がいかぬだけだ。戦ならともかく、一対一の問題に、数で圧倒しようなど――我は卑怯者になるのだけは御免被る〟
この誇りの塊のような言動に、俺は好感を抱いた。ワイアームの背に跨がると、ポンポンと鱗に包まれた胴体に触れた。
「それじゃあ、有り難く頼らせてもらうよ。できれば、キングーの宮殿のある方角だと助かる」
〝当然だ。人の歩みでは砂漠を抜けるのに三日はかかるが――我なら半日で充分だ〟
「……頼むよ。そういえば、あんたの名前は?」
俺の問いに答えぬまま、ワイアームは宙に舞い上がった。
〝死地へと向かう貴様に名乗る意味を、我は見いだせぬ。もし貴様が生き延び、再びまみえることがあれば、そのときこそ名乗ってやるぞ〟
こうしたドラゴン族の価値観、言動には慣れないことも多い。だが、このワイアームの物言いには、なぜか親しみを持てた。
宙を舞うワイアームの背で、俺は身体を休めることにした。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
四章に入りました。ここからは、海竜族の神界がメインとなります。
文字数多めですが……いえ、今さらですので、諦めてます(汗
ここは余談なんですが、砂漠を抜けたところで、残り二日半くらいです。ランドは、およそ半日ほど気絶してた感じですね。
なんでこれを余談として書いているか――中の人のメモの代わりも兼ねてます。プロットを読み返さなくてもいいので、つい。
こういうところで、怠け癖が出たり出なかったりしております。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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