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第一〇部『軋轢が望む暗き魔術書』
一章-4
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リリンがメイオール村に帰還したのは、図書館での邂逅から四日後のことだった。
魔術を使わず、隊商の馬車に同乗しての帰還だった。休暇が終わる一日前ではあったが、駐屯地に戻ったリリンと執務室で再会をしたレティシアは、隊商の馬車を使ったことに怪訝な顔をした。
「帰りに魔術を使わなかったのは、調べ事で疲れたからか?」
「いいえ、レティシア団長。荷物が少々増えたからです。魔術で飛んで帰ってくるには、重くなってしまいました」
「なるほどな。休暇はあと一日あるから駐屯地で、ゆっくりと身体を休めてくれ。その……なんだ。諸々あるが、それらは明日にしよう」
「……はい。ありがとうございます」
リリンが小さく頭を下げると、胸元でなにかが光った。窓からの光を赤く反射したものに、レティシアは少し表情を固くした。
「リリン……胸元のそれは、なんだ?」
「これは……いつの間にか首にかけていたみたいなんです。領主街で借りた本の中にあったものですが……まだ詳細は読んでいませんが、『願いの叶うペンダント』らしいです」
「願いを……そうか。いつの間にかと言っていたが、かけたときの記憶がないのか? 夢遊病的なものとか」
リリンは否定するように首を振ると、金属片のあるペンダントを指で抓んだ。
「これが本の中にあったこと、そして本から取り出したことは覚えています。そのときに、なんとなく首にかけただけかもしれません」
「……そうか。その、なんだ。身体に不調などは、ないか?」
「いいえ。至って健康だと」
「そうか。なら、いいんだ。引き留めてすまない。ゆっくりと休んでくれ」
「はい」
リリンが退室すると、レティシアは大きく息を吐いた。
あのペンダントの飾りであろう金属片が反射した光が、レティシアには血のように紅い眼球に見えたのだ。
背筋も凍るような、おぞましいものに深淵から覗かれたような――そんな恐怖心が全身を貫いた。
しかし、リリンの様子を見る限りは異常はないように思えた。
背もたれに身体を預けたレティシアは、額に浮かんだ汗を手の甲で拭った。
「疲れているのは、わたしかもしれん……が。なんだろう、すごくイヤな気分だ」
レティシアが執務室で身体を震わせていたとき、リリンは荷物の整理もそこそこに、駐屯地の外に出ていた。
ランドや瑠胡に、メイオール村へ帰ってきたことを報告するためだ。
普段のリリンであれば、レティシアが『駐屯地で、ゆっくりと身体を休めてくれ』と言った理由を、〈計算能力〉によって気付いていただろう。
だが、駆け足で神殿へと向かうリリンは、レティシアの言葉など頭になかった。ランドや瑠胡に会える――いや、会いたいという逸る気持ちが、それ以外のことを思考から除外しているかのようだ。
だから、リリンのあとをつける影にも気付かない。
近道をしようと、リリンはメイオール村を突っ切ろうとしていた。村を囲う柵に沿って進んでいたリリンは、背後から馬の蹄の音を聞いた。それも、音からして一頭。
(こんな場所で……? 一頭だから隊商はないし、だからといって村の馬でもない)
騎士団の仲間かもしれないが、それにしては音が軽い。
予感めいたものを感じてリリンが振り返ったとき、茶色い毛並みの騎馬が、すぐ横を通り過ぎた。
緑色のドレスの裾が、妙に目に付いた。遅れて漂ってくる、香水の匂い。
ドクン。
記憶の底に封じていた存在が、不意に脳裏に蘇った。
幼い頃から気に入って身につけてた、緑色。そして、なんの花かは知らないが、ずっと付け続けている香水。
リリンの心臓が、激しく脈を打ち始めた。
通り過ぎた騎馬は、リリンから少し離れた後方で止まった。ブルブルと嘶く騎馬へと振り返ったリリンは、表情が引きつった。
毛並みの立派な軍馬に跨がっていたのは、デューク・ラーニンスとジュリア・ラーニンスの二人。つまり、リリンの兄と姉だった。
「なん……で」
震える声で発せられたリリンの呟きは聞こえなかったのか、デュークが騎馬から降りると、カチンと腰に下げた長剣の金具が鳴った。
一歩だけ前に出ると、首を僅かに上方へと逸らした。
「リリアーンナ、久しぶりだな」
「ど……うして、こ、ここ……に?」
蘇った幼い頃の記憶が、リリンに怖れを抱かせた。
もう二度と関わりにならなくて済むと思っていた相手が、自分の前にいる。リリンにとってこれは、悪夢にも等しい光景だ。
リリンの怯えを、弱者の振るまいだと侮蔑の目を向けたデュークは、地面に唾を吐いた。
「相変わらず、気持ちの悪い喋り方だなぁ、リリアーンナ。一族の都合になるが、おまえを連れ戻しに来た」
「そんな、なんで……」
「おまえなんかに、一族の命運を託してやろうというんだ。家族の温情に感謝しろ」
ずかずかとリリンに近づいたデュークは、リリンの腕に手を伸ばそうとした。
「い、いや――」
リリンは拒む言葉を口にしながらも、身体が竦んで一歩も動くことができなかった。
今まさにデュークの手がリリンの腕を掴もうとした、そのとき――横から伸びた手がデュークの腕を掴んだ。
*
手伝い屋の仕事が予定よりも早く終わり、神殿へと戻る途中だった俺は、メイオール村を囲む柵の近くで、リリンを見かけた。その側に、リリンの兄と姉の姿もあることに気付くと、俺はすぐに駆けだした。
なにかを話しているようだが、普段の飄々とした態度は失せ、今のリリンは怯えきった幼子のように見えた。
腰に剣を下げてはいるが、鎧などは身につけていない。思いっきり走っても、動きを阻害するものがないだけ、俺は早くリリンたちのところへ駆けつけることができた。
「い、いや――」
確かデュークだったか、兄に近寄られたリリンの怯えた声が聞こえてきた。
身を竦ませたリリンへデュークの手が伸びた。リリンの腕を掴む直前に、俺はデュークの腕を掴むことができた。
「やめろ。嫌がってるだろ」
「貴様は、このあいだの農民か。邪魔立てするなら、叩き斬って――」
デュークは腰に下げた長剣の柄に手を伸ばしかけたが、そこで俺の腰の剣に気付いたようだ。
俺から距離を取ろうとしたが、腕を掴まれたままということを思い出したようで、半身を捻った姿勢で睨んできた。
「貴様――この村にいる衛兵か? それとも傭兵なのか」
「そのどっちでもねーですけどね。それより、リリンから離れろ。嫌がってるって、わからないのか?」
俺が押し出すようにして手を放すと、デュークは数歩後ずさってから、なんとか体制を持ち直した。《スキル》こそ使っていなかったが、握力で赤くなった手首を擦るデュークに、馬上からジュリアが声をかけた。
「デューク、どうしたの?」
「あ――なんでもないよ、姉さん。いきなりだったから、驚いただけさ」
デュークはジュリアに微笑んでから、腰の長剣を抜いた。リリンを庇うように左手を横に伸ばした俺に、片手で掴んだ長剣の切っ先を向けた。
「貴様――ここで退けば許してやる。もし逆らい続けるのなら、ここで切り捨てる」
拳一つ分先ある剣先を睨む俺に、デュークは険しい目を向けながらも、どこか余裕の口調だった。
だがデュークが実践慣れしていないのは、俺から見ても丸わかりだ。
俺は静かに左手で剣の鞘を動かすと、素早く抜剣――しようとした。しかし、その前に二人の少女が飛び出してきた。
レティシアの《白翼騎士団》に所属する、ユーキとクロースだ。
ユーキがデュークの長剣を弾くと、クロースが両手を広げながら、デュークからリリンの姿を隠した。
「これ以上は、やめて頂きます!」
「なんだと? 家族の問題に、割り込んでくるな!」
「リリンは、あたしたちの仲間です! 勝手なこと、しないで下さい!」
大声を張り上げるクロースの隣では、ユーキが長剣を構えていた。
苛立ちを露わにした顔で長剣を構えようとしたデュークだったが、その途中で動きを止めた。
俺が黒い刀身の剣――魔剣ビクトーを抜いて、ユーキの隣に立っていたからだ。
三対一という不利な状況をやっと理解したのか、舌打ちをしながら、デュークの目がリリンへと向けられた。
「くそ……大体、リリアーンナが怯えるなんて、言いがかりだ。そうだろ、リリアーンナ。そりゃ幼かったころ、おまえに気付かずに頭から汚泥をぶちまけたことや、階段から突き落としたこともあったさ。だが、それは目立たないような振る舞いをしていた、おまえにも原因があるんだぞ? 家族での話し合いをして、そういう結論になったじゃないか。怯えるとか、勘違いも甚だしいぜ」
……こいつ!
幼かったころのリリンに、そんなことをしてたのか。この怯えようから、なにかあったとは思ったが……俺の想像を遙かに超える屑っぷりだが、その正当性を訴えるあたり、罪悪感の欠片もないようだ。
俺がデュークを睨みながら剣を構えたとき、瑠胡とセラが駆け寄って来た。
セラは俺たちとリリンを見てから、デュークとジュリアへと目を向けた。
少し苦々しい顔をしたセラは、いち早く状況を理解したようだ。瑠胡にリリンのところへ行くよう促すと、自分は俺たちとともにデュークたちの前へと立ちはだかった。
俺の横に来たセラに、俺は僅かに目を向けた。
「セラ、どうしてここに? 瑠胡も一緒なんて、なにがあったんです」
「キャットが、報せてくれたんです。リリンの危機かもしれないと」
「キャットが?」
「はい。ここに来て、状況は理解しました」
どうやら、セラはリリンとデュークたちとのあいだで、なにがあったのかを知っているようだ。
ミスリルの細剣を抜きはしてないが、セラが加わった四人が立ちはだかる形になった。
そんな俺たちの様子を見て、ジュリアは不機嫌に言い放った。
「なにこれ、気持ち悪い」
「本当だね。リリアーンナといい、似た者は群れる――類は友を呼ぶと同意――ってヤツじゃないかな」
デュークはジュリアに答えてから、俺たちを振り返った。
「まあ、いい。明日、駐屯地で団長殿と話をする。それで、この件は終わりだ。どのみち、リリアーンナは連れ帰ることになるんだからな!」
捨て台詞的に言い放つと、デュークは騎馬に跨がった。
デュークとジュリアが去ったあと、俺は瑠胡に抱き付くようにしているリリンに話しかけた。
「リリン、あいつらは去って行ったよ。落ちついたら、駐屯地まで送るよ――」
話を言い終える直前に、リリンは左手で俺の服を掴んできた。
瑠胡の身体に顔を押しつけたまま、荒い呼吸を続けている。しばらくして呼吸が少し穏やかになってきたとき、僅かに顔を動かした。
「……も、申し訳……ありま、せん。もう少しだけ……このままでお願いします」
「あい分かった。ゆるりと気を落ちつかせるがよい」
瑠胡に背中を擦られて、どこか安心したらしい。リリンから、ホッとしたような息が漏れた。
「願いを……叶えなきゃ」
か細い呟きが、なにを意味するかはわからない。今はなにも聞かずに、そっとしておいてあげるのが、一番良い気がした。
しかし、キャットはもちろんだが、ユーキやクロースがこうして駆けつけてきたということは、騎士団でもこの展開は予想の範疇内だってことらしい。
その辺の話をしようとユーキとクロースへと目を向けたとき、俺は少し離れた場所に佇む男の姿に気付いた。
あの銀髪は、確かデュークたちの護衛の一人だ。
俺の視線に気付いたのか、男はひょいっと肩を竦めて立ち去っていった。
――なんだ、あいつ。
今のやり取りを見物していた……というのも、護衛の行動としては奇妙だ。まあ、仕事熱心じゃないってだけかもしれないが、どこか違和感がある。
俺は去って行く銀髪の男の背中を、姿が見えなくなるまで追った。
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本作を読んで頂き、誠にありがとう御座います!
わたなべ ゆたか です。
第二回、ヘイト集め大会……な今回。こういうのは、書いていても心が痛みますよね。
やはり全世界に存在する男性の願望として、罵倒はするより女王様にされたいじゃないですか(断定
それはさておきリリン、姉や兄との邂逅です。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回も宜しくお願いします!
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