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第一〇部『軋轢が望む暗き魔術書』
一章-6
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メイオール村の外れに、ラーニンス家の馬車が停まっていた。一直線に並んだ馬車の横では、傭兵たちが焚き火を消したり、調理具の片付けを始めていた。
先頭の馬車に乗っていたデュークとジュリアは、背骨や腰の痛みを我慢しながら、肩を寄り添っていた。
「まったく。こんな馬車で寝泊まりをする羽目になるなんて」
「リリアーンナが休暇中だったなんてね。でも、姉さん。リリアーンナを連れ帰ることができれば、こんな生活から解放されるんだ」
「そうね。今日で、こんな生活を終わらせましょう」
ジョシアが手の伸ばしてデュークの指を絡めあったとき、客車のドアがノックされた。
ジュリアから身体を離したデュークが、咳払いをしてから誰何した。
「……誰だ?」
「はっ――騎士ユリキスに御座います」
聞き馴染みのある声に、デュークは大きく息を吐いた。
「入れ」
「はっ」
短い返事をした老騎士はドアを開けると、客車に充満した香水の匂いに、二人に気付かれない程度に顔を顰めた。
デュークとジュリアに一礼をしてから、騎士ユリキスは口を開いた。
「出立の準備、整いまして御座います。御指示があれば、いつでも騎士団の駐屯地へ出発できます」
「……そうか。約束の時間まで、どのくらいだ?」
「すでに――時間にはなっております。もとより、一時間ほどの幅のある約束で御座いますので、なにも問題はありません」
「……騎士団の騎士の様子は、どうだ?」
デュークの問いに、騎士ユリキスは少し躊躇いながら答えた。
「騎士たちは、村の巡回に出たようです。駐屯地に残っているのは、団長であるレティシア殿と、リリアーンナ様だけです」
「なら、今すぐ出立だ。リリアーンナを手に入れたら、すぐに王都へ戻る」
「――はっ」
デュークとジュリアに敬礼をした騎士ユリキスは、ドアから出て行った。
「出立だ!」
老騎士の号令で、馬車はゆっくりと進み出した。
先頭を進む馬車の中で、デュークとジュリアは再び肩を寄せ合っていた。
*
ラーニンス家の馬車列――といっても三台だが――が《白翼騎士団》の駐屯地にやってきたのは、九時を少し廻ったころだ。
騎馬に跨がった老騎士らしい男を先頭に、だく足で駐屯地の敷地に入ってきた。出迎えたフレッドとなにやら話をしてから、老騎士は先頭の馬車の客車へと近寄った。
老騎士が客車のドアを開けると、デュークとジュリアが外に出てきた。ほかの従者から報せを受けたレティシアが、リリンを伴って突貫工事で応接室とした続き部屋へと入って行く。
この部屋は反対側にもドアがあり、デュークたちはそっちから入る予定になっていた。
レティシアに続いて応接室に入ろうとするリリンを、俺は呼び止めた。
「……リリン、冷静にな。俺はここから中の様子を伺ってる。なにかあれば、すぐに出て行くから安心してくれ」
「……はい。頼りにしています」
俺を見上げるリリンは、普段より感情が薄い気がした。だけど眼鏡の奥にある双眸は、縋るような眼差しをしていた。
普段は見せないような様子に不安を覚えた俺は、リリンに問いかけた。
「昨日はあれから……休めたのか?」
「はい。街から持ってきた書物を読んでいましたけれど。身体は、休めたと思います」
「そっか。あまり根を詰めないようにな。愚痴とか文句なら、俺や瑠胡で話を聞くからさ」
「はい。ありがとうございます、ランドさん」
俺に一礼をしてからリリンが応接室に入ると、ドアがゆっくりと閉じられた。
デュークとジュリアが応接室に入ったのは、それから少しばかりあとのことだった。気配を探ると、応接室に入ったのはデュークとジュリア、それに老騎士のようだ。部屋の反対側には、恐らく傭兵の一人がいる。
主要人物たちが椅子に腰掛けると、話し合いが始まった。
第一声は、レティシアだった。
「では……ラーニンス家の方々が、リリンになんの用なのか。お聞かせ下さい」
「そのようなことを、教える必要などないはずだ。ですが話を円滑にするため、最低限のことは、お話しましょう。我々は――我が家のことにリリンの協力を欲しただけです。そのため、リリアーンナを王都に連れて行きたいのですよ」
「王都に……期間は如何ほどでしょうか?」
「問題が、解決するまで……さあ、もういいでしょう? リリアーンナ。さあ、王都へ戻るぞ!」
怒声混じりのデュークの言葉に、リリンは静かに首を振った。
「……期間がわからない以上は、王都へ行くことはできません。騎士団の努めもありますし、やらなくてはならないことも――」
「そんなものより、家のことのほうが大事だろうがっ!!」
ダンッ! と、テーブルを叩く音が応接室内に響き渡った。
レティシアは平静を保っているが、リリンが身を竦めたのがわかる。過去の記憶が、兄弟姉妹に対する恐怖を呼び起こしているようだ。
レティシアは感情を押し殺すように、静かな息を吐いた。
「落ちついて下さい。あなたの言い分も、理解はできますが……今のリリンは騎士なのです。騎士には貴族とは異なる誓言や矜持があります。そのあたりも御理解願いたい」
「……そんなの、どうだっていいじゃない。リリンだって本心じゃ、こんな田舎なんてイヤなんでしょ?」
「あの、王都……いいえ。わたしは、ここの生活が、気に入って……ます。王都に戻るのは無理、です」
デューク、そしてジュリアからの強引ともいえる説得に、一度は屈しかけたリリンだったが、なんとか自分の意志を保てたようだ。
これでリリンの意志は、レティシアにも伝わったはずだ。これで、レティシアも話し合いをし易くなっただろう。
しかしデュークやジュリア側の雰囲気は、一気に変わった。
威圧感が殺気にまで膨れあがり、今にも一触即発な気配が漂ってきた。ガタッと音を立てて立ち上がったのは、デュークのようだ。
しかしデュークがなにかを言う前に、老騎士が動いた。
「デューク様、お待ち下さい。ここは辛抱強く説得を続けるべきですぞ。リリアーンナ様、お姉様やお兄様の立場というのも考えて下さいませぬか。今、鉱山で大変なことが起きているのです。ここでリリアーンナ様を王都のご自宅にお連れしなければ、お二人はお父上から、どんなキツイ御言葉を受けることか」
老騎士の発言には、一定の敬意は感じられた。しかし、それはリリンを案じるものではなく、あくまでも説得するための言葉だ。
それを感じ取ったのか、レティシアの声は固かった。
「御言葉ですが、それはあまりにも身勝手な言い分でしょう。今まで、ラーニンス家の方々が、リリンに対してなにをしてきたか――それを覚えていないなどと、仰有るつもりですか?」
「それは……承知の上で、リリアーンナ様を説得しておるのです」
「ああ、もう――焦れったい! 優しくしてれば、付け上がってっ!!」
老騎士の返答に被さるように、ジュリアが声を挙げた。
「わたくしたちには、時間がありませんわ。家庭の問題に、妹を利用してなにが悪いのかしら? 騎士団って仰有いますけど、王都の男爵家から要望を受けたのなら、大人しく為たがって頂戴!!」
「残念ですが、ここは王都ではありません。ハイント領です。そして我が《白翼騎士団》は、ハイント領に所属する騎士団に所属するリリンの身柄を、好き勝手にさせるつもりはありません」
レティシアの返答に、ジョシアの顔が強ばった。
返答が正論であるからこそ、姉弟を苛立たせる結果になった。わなわなと手を振るわせるジュリアの横で、デュークが背後へと怒鳴り声をあげた。
「傭兵っ!」
その声から二秒ほど遅れて、姉弟の背後にあるドアが開いた。
銀髪の傭兵が、面倒臭そうに応接室へと入ってきた。まだ抜剣をしておらず、呑気に頭を掻いていた。
「……気が乗らないんですが、本当にやるんですか?」
「当たり前だ! さっさとリリアーンナを連れ出せ!」
「貴様たちはっ!」
レティシアが立ち上がって、腰の剣に手を伸ばす。しかし、そこへ長剣を抜いた老騎士が迫る。
「申し訳ないが、邪魔をさせるわけには参りませぬ。お仲間も、外出中であることは確認済みです。あなたでは、我らは止められぬ」
「騎士ともあろう御方が――このようなことを!」
白刃がかち合う音が、応接室に響き渡った。
銀髪の傭兵がリリンに迫る――そこで、俺はドアを蹴破りながら、応接室へと躍り込んだ。腰には緩やかな曲線を描く剣を下げているが、まだ抜いてはいない。
リリンに手を伸ばしていた銀髪の傭兵は、俺の姿を見て素早く長剣を抜いた。キンッ――という激しい金属音が、新たに響いた。
互いの剣がかち合うのを見て、傭兵は感心した顔をした。
「やるねぇ。これは手こずりそうだなぁ。ええっと、一つお願いがあるんだけど。剣を引いて、部屋から出て行ってくれない?」
「いいぜ。そっちがリリンを諦めて、帰ってくれるんならな」
「……そうしたいんだけど、怒られちゃうからね。仕方ないなぁ!」
俺の剣と傭兵の剣が、かち合い、弾かれ、再び打ち付け合った。護りの型と攻めの型を交互に繰り出し合う。
純粋な剣技なら、ほぼ互角――だが。
「――っと」
十太刀目くらいの攻防が続いたあと、銀髪の傭兵は後ろに飛び退いた。何度も打ち付け合った長剣に、刃こぼれができている。
自身の手にある長剣を見て、銀髪の傭兵が目を瞬いた。
「ひでぇ。魔剣なんか持ってるのか」
俺の剣を魔剣だと見破った傭兵は、俺との間合いをとったまま、攻めてくる様子がない。
「おい、傭兵っ! さっさとあいつを殺して、リリアーンナを連れてこい!」
「そうはいいますけど、あれ魔剣なんですよ。これ以上打ち合ったら、俺はきっと殺されちゃいます。それに、騎士ユリキスも押され気味ですし。これは、分が悪いですよ。今日のところは、大人しく退いたほうがいいと思いますけど」
傭兵の説得に、デュークは憎々しげな顔をした。
「……仕方ない。ユリキス、退くぞ!」
「――はっ」
短く応じた老騎士が、レティシアから離れた。
それと同時に、傭兵が殿を努めながらジュリア、デュークの順に応接室から出て行こうとする。
「待て!」
レティシアは追いかけよとしたが、デュークの両手から黒い煙が吹き出し、視界を遮った。
それにも構わず四人を追いかけたレティシアだったが、扉の手前で舌打ちをしながら立ち止まった。
俺からは煙幕のせいで、レティシアの身体の半分程度しか見えない。
「レティシア、どうしたんだ?」
「結界――だな。これ以上、進めん。恐らく、騎士ユリキス殿の《スキル》だろう」
煙幕の中から出たレティシアは、顔を顰めながら振り返ってきた。
「……リリンは?」
「無事だ。それで、これからどうするんだ。あいつらを捕まえに行くか?」
「……いや、止めておこう。あいつらだって、腐っても貴族だ。捕らえようにも、特権を振りかざして有耶無耶にされるだけだ」
レティシアは溜息を吐いて、俺とリリンを交互に見た。
「とりあえず、今日のところは駐屯地の護りを固める。彼らの馬車は、監視を付けるとしよう。とにかく、リリンを護ってくれたこと、感謝する」
俺はレティシアに小さく手を挙げてから、リリンを見た。
かなり怯えていたのか、顔は蒼白になっている。あの姉弟の言動――リリンが、今まで受けていた仕打ちを思うと、王都に行かせるわけにはいかない気がする。
「リリン、もう大丈夫だ。リリン?」
「……叶えなきゃ。早……願い……なきゃ」
ブツブツと呟いているリリンは、浅い呼吸を繰り返していた。話し合いのあいだ、かなり緊張していたようだ。
やはり過去の経験や記憶が、心理的にかなりの負荷になっているようだ。
あの二人が、これでリリンを諦めるとは思えない。説得も、無理そうだし……これは長期戦になりそうだ。
そのあいだ、リリンの心が保つのか――不安を覚えながら、俺はリリンが落ちつくまで、肩を抱きながら宥めることにした。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
交渉決裂――な回。今回一人称のパートの地の文で、騎士ユリキスやユバンの名を出しておりません。これは、ランドが二人の名をちゃんと覚えていないor知らないから……です。
あと、お気に入り150人突破……してました。ビックリ嬉しいです。ありがとうございます!
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回も宜しくお願いします!
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