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第一〇部『軋轢が望む暗き魔術書』
おまけ ~ 賢妻の激昂
しおりを挟むおまけ ~ 賢妻の激昂
アハズからリリンを救い出したあと、俺と瑠胡、セラの三人は、ラーニンス家の屋敷を訪れていた。
リリンの母親に、養子の件を説明するためである。
リリンはまだ体調が戻っていないため、宿屋で寝かせている。エリザベートに看病を任せているから、まあ大丈夫だろう。
使用人たちに事情を説明し、リリンの母親であるマイアー・ラーニンスとの面会が叶ったのは、翌日の昼のことだった。
個室に通された俺たちに、上半身を起こしたマイアーが小さく御辞儀をした。
「病弱なもので、このような姿での対応を許して下さいね」
「いえ。事前にお約束もせずに押しかけてしまい、申し訳ありあせん」
マイアーの丁寧な対応に、俺は少し戸惑っていた。カサス男爵たちの印象から、もう少し棘のある対応を予想していたんだけど……すごいまともな人だ。
俺が謝罪をすると、マイアーは穏やかに微笑みながら、小さく頷いた。
「お気になさらず。リリアーンナ……リリンが、お世話になっている方々と聞いておりますので。気楽にして下さいね。それで、わたくしに用件があると聞いておりますが」
「はい。実は……リリンのことで」
俺はカサスやデュークたちがリリンに対して行ってきたこと――過去視で見たことや、デューク自ら語ったことなどだ――を、マイアーへと伝えた。
その内容に、マイアーは愕然としたようで、病気でやつれた顔が、さらに青白く染まった。その上で、俺はリリンを養子にすることを告げた。
「このことは、リリンの同意も得ております。今のままでは、謝金のかたに無理矢理に嫁がされるだけですから」
「そんなこと――まで。主人は……カサス男爵は、そこまでリリンを蔑ろに? でも養子だなんて」
「正確には養子では御座いませぬ。妾らの妹になりたいと――そう申しておりました。そこで、養子とした上で妹として迎え入れるつもりでございます」
瑠胡の説明に、マイアーは力なく首を振った。
数秒ほどこめかみを押さえてから、深い吐息を漏らした。
「妹――リリンは、兄弟を欲していたのですか?」
「正確には……自分を受け入れてくれる家族だと、思います。それがなぜ、俺や瑠胡だったのかは……リリンに聞くしかわかりませんが」
「そうですか」
俺の返答に、マイアーは静かに目を伏せた。
しばらくのあいだ沈黙していたマイアーに、俺たちはどう話を続けようか迷っていた。三人で目配せをし合ったあと、俺が代表で話しかけることにした。
だが俺が口を開く前に、マイアーが喋り始めた。
「……リリンがあなたがたを信頼しているのなら、間違いはないのでしょう。どうか、娘を宜しくお願い致します」
深々と頭を下げたマイアーを見て、俺たちは安堵を覚えていた。
俺や瑠胡、セラとで「畏まりました」と応じたのだが、次に顔を上げたとき、マイアーは穏やかに微笑んでいた。
「……ところで。主人や息子たちは今、どこに?」
「先に話をした儀式の影響で、そこそこ衰弱しているようでして。今はそれぞれの部屋で寝ているはずです」
「……あら。そうですか。それでは、客人にお頼みするのも気が引けるのですが……主人たちを、呼んで来ては頂けませんでしょうか。あと、取ってきて頂きたいものが少々ありますが、ご協力頂けませんでしょうか?」
このとき、マイアーの顔は穏やかに微笑んでいた。だけど、声はまったく笑っておらず、むしろ背筋が凍るほどの凄みがあった。
当然、この頼みは引き受けた。
儀式で消耗した体力が回復しきらないまま、カサスを始めたとした兄弟姉妹はマイアーの部屋に集められた。
使用人ら、そして騎士ユリキスが後ろに控える中、床に座っているカサスは機嫌を伺うように、ベッドで上半身を起こしている妻の顔を見上げた。
「マイアー……皆を集めるとは、どうしたのだ?」
「どうした、ではありません」
感情を押し殺した声に、カサスの額に汗が滲んだ。
呼ばれた理由を察し、これから言われることを予測する。その流れから、説得や宥めるための言葉を探す中、マイアーの顔から笑みが消えた。
「わたくしが臥せってから、リリアーンナを蔑ろにしていたと聞きました。暴力や暴言、そして今回は借金のかたに嫁がせるのだと」
「待て……それは、誤解だ。誤解であるぞ。リリアーンナは、我らにその、不敬を働いたのだ。貴族としての誇りを損なうような――」
「……それは、事業についての不備を指摘されたからですか? まだ三歳だったあの子が提案したことが正しかった――そういう話は聞いておりますが」
マイアーの発言に、カサスの全身から汗が噴き出た。
今までマイアーには伏せていたことが、すべて知られているとなれば、当然の反応だろう。
カサスは妻に畏怖の目を向けながら、震える声で言い訳を紡いだ。
「待ってくれ。そうは言うが、わたしにも体面がある。三歳にも満たぬ幼子のほうが才があるなどと噂になってみろ。我がラーニンス家は良い笑い物だ」
「それが、なんだというのです。優秀な子が生まれ、将来が有望であると知らしめれば良いだけでしょう。あなたは結局、家の名誉などより、自分の体裁しか考えていないだけじゃありませんか。今回の――」
「待ってくれ。わたしにも言い分が」
「お黙りなさい!」
ここでマイアーは始めて、怒りを露わにした。怒声が部屋に響き渡ると、カサスだけでなく、ヒースローら息子と娘たちも揃って萎縮した。
「言い訳など、聞く耳持ちません! 自分の娘すら護るつもりもない人が、家を護り繁栄させられるはずなどありません。正直に言って、愛想も尽きました。アムラダ様の教えがなければ、離別するところです」
「そ、そうだろう……教えは守るべきもの――」
「ですから、わたくしもリリアーンナと共に家を出ます。これはもう決定事項であり、変更をするつもりはありません」
これは離婚ではないが、実質的な別離と同義だ。
そして、どんなに秘匿しようと、この話は貴族のあいだで噂になってしまうだろう。そうなれば必然的に、ラーニンス家は揶揄や侮蔑などの対象になる。
貴族たちへの人脈を多く持つマイアーが家を出るとは、カサスたちにとって不利益では言い表せないほど悲劇であった。
ふらつく身体でマイアーが立ち上がると、今まで沈黙を守っていたヒースローが勢いよく立ち上がり、マイアーへと掴みかかろうとした。
「行かせませんぞ、母上ぇ!」
そのヒースローに対し、騎士ユリキスが動いたが、間に合いそうにはない。
ヒースローの手が届く直前、マイアーの目が青白く光った。その直後、燭台や本、そして壁に賭けられた額縁が、一斉にヒースローに襲いかかった。
凄まじい勢いでぶつかってきた品々、特に側頭部に命中した額縁の一撃で、ヒースローは白目を剥きながら気を失った。
マイアーの《スキル》である、〈念動力〉の仕業である。人脈だけでなく、この《スキル》も、マイアーを恐れる理由であった。
「母親に手を出そうなど、なんと恥知らずな」
倒れたヒースローを一瞥だけして、マイアーは騎士ユリキスの手を借りながら部屋のドアへと歩き出した。
「……あなたたちだけで、家を盛り返してご覧なさい。そうすれば、わたくしも帰ることを考えます」
カサスたちに最終宣告を伝えると、マイアーは部屋から出て行った。
*
翌朝、少しだが体調の良くなったリリンとともに、俺たちは王都を出ることにした。
リリンの母親であるマイアーの了承も得たことで、なんの憂いもなくなった。俺が抱きかかえるようにしてリリンを馬車に乗せようとしたとき、大荷物を縛り付けた馬車が近づいて来た。
何処の誰で、なにごとだ――警戒する俺たちの前で、客車を横に向けながら馬車が停まった。
側面にある小窓が開くと、マイアーが顔を覗かせた。
「皆様、おはようございます」
「ええ。おはようございます。あの、大荷物ですが……旅行にでも行かれるのですか?」
「いいえ? わたくし、リリアーンナと共に暮らそうと思いまして」
「ああ、そうなんで、す――か?」
徐々に言葉の意味を理解したこのとき、俺の目は点になっていたと思う。
絶句していた俺に代わり、セラがマイアーに問いかけた。
「ええっと……それは一体、どういうことでしょうか?」
「今まで出来なかった、親らしいことをしてあげたい――という気持ちもありますけれど。それ以外にも理由がありまして。そうですわね……長い話になりますので、道ながらでご説明致しますわ」
にっこりと微笑むマイアーの目が、リリンに向けられた。
リリンも僅かに微笑んでいる。
そんな和やかな雰囲気を醸し出す二人を見ながら、俺の頭の中では『どーしてこーなった?』という問いか、ぐるぐると渦巻いていた。
おまけ ~ 賢妻の激昂 完
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本作……の、おまけをご覧の皆様、ありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
次回のプロットがまだ出来ておりませんので、穴埋めを兼ねての「おまけ」でございます。
おまけなんかよりもプロットを作れば良いじゃん――という意見もあるでしょうが。島本和彦御大の作品から流用させて頂くと、以下の意見となります。
「それはそれ! これはこれだ!!」
善き言葉だと思いません? 余談ですが、島本和彦御大は、漫画に直筆のサインを頂いた程度には好きな漫画家さんです。
というわけで、プロットはまだ作成中です。おさs……お待ち下さいませ。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回も宜しくお願いします!
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