入れ替わり夫婦

廣瀬純七

文字の大きさ
1 / 20

隆司と美咲

しおりを挟む
山本隆司は、真新しいダイニングテーブルに腰かけながら、手元の小さな段ボール箱をまじまじと見つめていた。送り主は「ミライ製薬株式会社」。結婚してまだ三か月足らずの彼と美咲の元へ届いたのは、応募していた製品モニターの当選通知と一緒に、奇妙な説明書きのある白い箱だった。

「性別交換用外用クリーム ― 試験版」。

箱の表記を二度三度確認しても、やはりそこにはそう書かれている。冗談のようでいて、説明書は至って真面目な文体だ。「男女双方が同時に指定部位へ塗布することにより、一定時間、互いの性別が入れ替わります」。効能や注意事項は、医薬品らしい細かい文字でぎっしりと記されている。

「ねえ、隆司。ほんとに応募してたの?」
キッチンから顔を覗かせた美咲が、半ば呆れたように笑う。白いエプロン姿の彼女は、まだ料理の湯気を背中にまとっていた。

「いや、正直、半分冗談のつもりだったんだよ。どうせ当たらないと思ってたし……まさか送られてくるとは」
隆司は頬をかきながら答えた。

美咲は湯気の香りとともに近づいてきて、箱を手に取る。ふたりは大学の同級生同士で、数年の交際を経て結婚に至った。日々の生活は穏やかで、特別な波乱はない。だが「新婚生活に何か新しい体験を」という軽いノリで、隆司は応募フォームに名前を記入していたのだ。

「……ねえ、試してみない?」
意外にも先に口にしたのは美咲だった。

「えっ、本気で?」
隆司は目を丸くした。

「だって、こんな機会ないじゃない。男女逆の立場になってみたら、お互いの気持ち、もっと理解できるかもしれないでしょ。どういう風に世界が見えるのか、私も興味あるし」
美咲は冗談半分ではなく、真剣にそう言った。

隆司は考え込む。たしかに、もしも本当に性別が入れ替わるなら、自分が普段当たり前だと思っている感覚を、彼女も知ることができる。そして自分もまた、彼女の側に立てる。結婚生活を続けるうえで、それは案外、貴重な体験になるかもしれない。

「……じゃあ、やってみるか」
ついに隆司は覚悟を決めてうなずいた。

二人は説明書を読み込み、注意事項を確認した。塗布後、効果はおよそ二十四時間持続し、自然に元に戻る。副作用は今のところ報告されていないが、激しい運動や飲酒は控えるべし――。医薬品らしい無機質な文面が逆に信憑性を与えていた。

やがて、寝室のテーブルの上に並べられた二本の小さなチューブ。キャップをひねると、ほのかにミントのような香りが漂う。

「じゃあ……せーので塗る?」
美咲が緊張混じりに笑う。

「そうだな。……いくぞ、せーの」

二人は互いに頷き合い、クリームを掌に伸ばしてお互いの下腹部に塗り込んだ。最初は何の変化も感じない。ただ、数秒の後、全身を小さな電流が駆け抜けるような感覚が訪れる。胸の奥がひゅっと軽くなる一方で、腰のあたりに今までなかった重量感が芽生える。

「――っ!」
美咲が短い息を漏らす。

隆司も思わず息を呑んだ。鏡の中に映る二人の姿は、ほんの数十秒前とは明らかに違っていた。隆司は自分の声を確かめるように口を開く。

「……これ、ほんとに……入れ替わってる……?」

新婚夫婦の部屋に漂う静寂は、いつもの夜よりもずっと濃かった。だが次の瞬間、美咲が堪えきれずに笑い声を上げた。

「ふふっ……なんだか、すごいね。夢みたい」

その笑顔を前に、隆司もまた口元をほころばせる。こうして、ふたりの“性別逆転”新婚生活が幕を開けたのだった。

---
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

BODY SWAP

廣瀬純七
大衆娯楽
ある日突然に体が入れ替わった純と拓也の話

OLサラリーマン

廣瀬純七
ファンタジー
女性社員と体が入れ替わるサラリーマンの話

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

ボディチェンジウォッチ

廣瀬純七
SF
体を交換できる腕時計で体を交換する男女の話

リアルフェイスマスク

廣瀬純七
ファンタジー
リアルなフェイスマスクで女性に変身する男の話

身体交換

廣瀬純七
SF
大富豪の老人の男性と若い女性が身体を交換する話

リアルメイドドール

廣瀬純七
SF
リアルなメイドドールが届いた西山健太の不思議な共同生活の話

処理中です...