性別交換ノート

廣瀬純七

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お風呂で妄想

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夜、家に帰り着いた渚は、夕食を終えるとすぐに風呂場へ向かった。湯気が立ちこめる浴室は外の冷たい空気とは別世界のように暖かく、肩まで湯に浸かると、全身がふわりとほどけていく。

ぽちゃん、と小さな音を立てて湯をすくい、首筋に流す。今日の出来事が、頭の中で勝手に再生される。昼間の図書室で見つけたあの黒いノートのこと。そして、帰り道に優斗と交わした「もし性別が変わったら?」というやり取り。

「……もし、本当に変わっちゃったら、どうなるんだろ」

独り言は湯気に溶けて消えていく。

想像してみる。自分が男になった姿。朝、洗面台の前に立って鏡を覗き込んだら、そこに知らない少年が映っている。けれど、その瞳の奥には確かに「自分」がいる。声は低く、背は今よりも高く、髪も短く切られているだろう。

「うわ……絶対びっくりするよね」

笑いながらも、胸の奥が少しざわめく。クラスで男子たちに混じって大声で冗談を飛ばす自分。体育で汗を流して、ボールを追いかける自分。そんな姿は、今の「山本渚」とは少し違う自由さを感じさせた。

けれど同時に、失うものもある気がした。今まで自然にしてきた友達との会話や、女子同士で共有する秘密や笑い。そこから切り離されるのは、やっぱり寂しい。

「でも……もし優斗と性別が入れ替わったら……」

考えた瞬間、頬が熱くなる。今のお湯のせいだけではない。優斗が女の子になって、自分が男の子になって、一緒に街を歩いたら? 周りからはカップルに見られるかもしれない。照れくさくて仕方ないだろうけど、なんだか少し嬉しいような気もする。

「いやいや、なに考えてるの私……」

湯船の中で両手で顔を覆う。想像すればするほど、胸がドキドキして止まらない。冗談のつもりが、いつの間にか本気で気になってしまっている。

ノートに自分と誰かの名前を書いたら、何かが本当に変わってしまうのだろうか。もしそうだとしたら、試してみたい気持ちと、怖い気持ちがせめぎ合う。

「もし男になったら、優斗と同じ部活に入って、一緒に汗流したいかも……」

「でも、もし女のままでいたら、今みたいにバカな話をしながら帰れるし……」

思考は湯気のように漂ってまとまらない。けれど、心の奥で確かに芽生えている。――性別が変わることで、優斗との関係はどうなるんだろう、と。

しばらくぼんやりしていた渚は、やがて湯船から立ち上がった。鏡に映る自分の姿を見つめる。濡れた髪が頬に張りつき、頬はほんのり赤い。

「……もし本当に変わっても、私の中身は、私のままなんだよね?」

鏡に問いかけても答えは返ってこない。けれど、その問いを口にしたことで少しだけ気持ちが軽くなった。

タオルで体を拭きながら、渚は心にそっと誓う。たとえ性別がどうなろうと、自分が自分であることを忘れなければいい。けれど、その奥に芽生えた「もし本当に――」という期待めいた感情は、簡単には消えてくれそうになかった。
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