君を愛せないと言われたので、夫が忘れた初恋令嬢を探します

狭山ひびき

文字の大きさ
14 / 40

まずは手を繋ぐことからはじめましょう 3

しおりを挟む
 朝食を終えて、クリフ様がわたしの部屋にやって来た。
 せっかくだからクリフ様の感想も聞こうと、昨日買って帰ってまだクリフ様に食べてもらっていなかったチーズをドロシアに頼んで持って来てもらう。
 クリフ様と並んでソファに座り、わたしは目の前のローテーブルに数枚の紙とペンを置いた。

「まずは青かびタイプのチーズから感想をまとめようと思います。青かびタイプのチーズは、昨日三種類ほど買って帰ったんですよ」
「へえ。普段気にせず食べていたんだけど、同じように見えて違うんだね」
「はい。わたしの主観ですが、こちらは蜂蜜、こっちはオリーブオイル、これはアンチョビやオリーブの実を合わせてビスケットやバゲットと一緒にお召し上がりになるのがいいと思います。あと、この三種類はどれもお酒によく合う気がしますよ」
「なるほど。じゃあ君のおすすめの食べ方で食べてみるよ」
「お酒も運ばせますか?」
「いや、いい。酔っぱらったら味がわからなくなりそうだ」

 やるからには真剣にレポートするよと、真面目なクリフ様らしいことを言う。
 クリフ様はまず、蜂蜜をかけたチーズを口に入れ、考え込みながらゆっくりと咀嚼した。

「蜂蜜をかけると塩味と甘みのバランスが良くなる。蜂蜜をかけろと言ったのは、あっさりしていてコクが足りないからかな」
「その通りです! 青かびタイプのチーズの中でもこれは癖が少なくて食べやすいんですけど、その分コクが少ない気がするんです。だから蜂蜜を足すことでそれを補いつつ、デザート感覚でいただけるので女性うけもよさそうだと思いまして」
「確かにな。……こうして分析しながら食べるのも面白いね。少し違うが、俺の師匠が魔法研究する時もこんな感じだ。分析を繰り返して、より効率のいい魔法や魔法道具を作っている」
「師匠と言うと、魔法省長官のコニーリアス・ヘイマー様ですか?」

 わたしはコニーリアス様に会ったことがない。最年少で魔法省の長官になったとても優秀な人だというのは知っているけれど、あまり表に顔を見せないのだ。

「そうだよ。そういえば会わせたことはなかったね。結婚式にも招待したけど結局来なかったし。あ、結婚式に反対だったから来なかったわけじゃないからな。あの人は一年のうちの大半を部屋に引きこもって過ごしていて、よほどのことがない限り自分の意思で部屋の外に出ないんだ」
「そうなんですか?」
「うん。引きこもりすぎて、明るい場所が苦手になったらしい。明るいと落ち着かないんだって。コウモリみたいな人だろう?」

 さすがに魔法省長官にコウモリはないと思うけど、そこまで部屋の外に出ない人もなかなかいないだろう。

「で、でも、他国と比べて数歩遅れていた魔法道具の開発技術を、一人で同水準にまで引き上げた天才ですよね」
「まあそうなんだけどね」

 師匠を褒められるのはまんざらでもないのだろう。クリフ様がちょっと嬉しそう。
 魔法技術に関しては、商人が介入することはできない。魔法が使える人間は生粋の貴族――古参貴族や王族の中に多いからだ。そして、魔法技術に関しては国が管理しているため、勝手に参入することは許されない。

 産業革命によって、魔法道具の技術も格段に上がった他国に比べて、バレル王国は数段その技術が劣っていた。
 国が財政難のため他国から技術者を招いて教えを乞うことも、魔法道具を輸入して研究させることもできずに、他国にどんどん技術で引き離されていく中、コニーリアスという一人の天才が独自の研究を重ねてその技術に追いついたのだ。

 クリフ様はコニーリアス様を引きこもりなんて言うけれど、引きこもってまで研究してくれたからこそ、バレル王国に今の魔法技術があるのである。

「すごい方ですよね。コニーリアス様」
「……アナスタージアはもしかして、師匠のような人が好きなの?」

 クリフ様の声が少し低くなって、わたしはぱちくりと目をしばたたく。
 クリフ様がわたしに向き直って、わたしの手をぎゅうっと握った。

「アナスタージア。コニーリアス長官は優秀だが人間としては破綻している。日の光を浴びないし部屋から出ないし、研究に夢中になって寝食を忘れることもしばしばだ。気もきかないし、だからいまだに独身で、夫にするには不向きというか、妻との時間より研究を取るような人だから、結婚しても絶対にうまくいかない」
「あの、クリフ様?」

 突然どうしたんだろうと、わたしは熱弁をふるうクリフ様の顔と、それから握り締められた自分の手を交互に見る。
 繋がれた手からクリフ様の体温が伝わって来て、わたしはドキドキして落ち着かなくなった。

「コニーリアス長官は君の夫には不向きだ。絶対に不幸になる。俺は認めないぞ」
「クリフ様、落ち着いてください。わたしはクリフ様の妻ですから、コニーリアス様と結婚はしませんよ? そんなことをすれば重婚の罪で捕まってしまいます」
「……あ」

 クリフ様がはっと我に返ったように目をまたたいた。
 バツが悪そうに視線を逸らしたクリフ様に、わたしはくすりと笑う。

「もし、この先の未来のことを想定されているのだとしても、大丈夫ですよ。わたしはコニーリアス様と再婚なんてしません」

 というかたぶん再婚はできないと思う。
 クリフ様の初恋相手を発見したのちは身を引く予定だけど、クリフ様が忘却の魔法を用いても初恋の気持ちを忘れられなかったように、わたしもきっとこの気持ちを忘れられない。
 わたしはやっぱりクリフ様が好きで、この気持ちを抱えたまま別の誰かと再婚するのは無理だと思うのだ。相手にも失礼である。
 だからもしクリフ様が離婚したあとのことを想定しているのであれば、それは不要な心配だ。

「そ、そうか、そうだよな。君は俺の妻だ」
「はい、その通りです」
「そうだよな。俺はどうかしているな。なんでこんなことを言い出したのか……。すまない」

 クリフ様は自分でも自分の発言がよくわからなかったようで、何度も首を傾げた。

「気を取り直して、チーズのレポートをしよう。次はこのチーズだな」

 そう言ってチーズの乗った皿を見たクリフ様だったけれど、何故か握り締めているわたしの手を離さない。

「あの、クリフ様。手を放していただかないと、チーズも食べられませんし、レポートも書けません」
「……そう、だな」

 クリフ様は名残惜しそうな顔でわたしの手を放し、そして自分の手を見つめた。

「アナスタージア、提案がある」
「なんでしょう?」

 離れて行ったぬくもりを少し寂しく思いながら顔を上げると、クリフ様の真剣な顔があった。

「俺が休みの一週間。できるだけ手を繋いですごさないか?」

 突然の提案にわたしはきょとんとしてしまった。


しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

【完結】王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく

たまこ
恋愛
 10年の間、王子妃教育を受けてきた公爵令嬢シャーロットは、政治的な背景から王子妃候補をクビになってしまう。  多額の慰謝料を貰ったものの、婚約者を見つけることは絶望的な状況であり、シャーロットは結婚は諦めて公爵家の仕事に打ち込む。  もう会えないであろう初恋の相手のことだけを想って、生涯を終えるのだと覚悟していたのだが…。

婚約破棄された侯爵令嬢ですが、帝国の次席秘書官になりました ――王の隣ではなく、判断を誤らせない場所へ

ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として王宮に仕える侯爵令嬢ゼクレテァ。 彼女は華やかな場に立つことはなく、ただ静かに、しかし確実に政務と外交を支えていた。 ――その役割が、突然奪われるまでは。 公の場で告げられた一方的な婚約破棄。 理由はただひとつ、「愛している相手がいるから」。 ゼクレテァは感情を見せることなく、その決定を受け入れる。 だが彼女が王宮を去った後、王国には小さな歪みが生じ始めた。 些細な行き違い、遅れる判断、噛み合わない政策。 それらはやがて、国家全体を揺るがす事態へと発展していく。 一方、行き場を失ったゼクレテァの前に、思いもよらぬ「選択肢」が差し出される。 求められたのは、身分でも立場でもない。 彼女自身の能力だった。 婚約破棄から始まる、 静かで冷静な逆転劇。 王の隣に立つことを拒んだ令嬢は、 やがて「世界を動かす場所」へと歩み出す――。 -

【完結済】政略結婚予定の婚約者同士である私たちの間に、愛なんてあるはずがありません!……よね?

鳴宮野々花@書籍4作品発売中
恋愛
「どうせ互いに望まぬ政略結婚だ。結婚までは好きな男のことを自由に想い続けていればいい」「……あらそう。分かったわ」婚約が決まって以来初めて会った王立学園の入学式の日、私グレース・エイヴリー侯爵令嬢の婚約者となったレイモンド・ベイツ公爵令息は軽く笑ってあっさりとそう言った。仲良くやっていきたい気持ちはあったけど、なぜだか私は昔からレイモンドには嫌われていた。  そっちがそのつもりならまぁ仕方ない、と割り切る私。だけど学園生活を過ごすうちに少しずつ二人の関係が変わりはじめ…… ※※ファンタジーなご都合主義の世界観でお送りする学園もののお話です。史実に照らし合わせたりすると「??」となりますので、どうぞ広い心でお読みくださいませ。 ※※大したざまぁはない予定です。気持ちがすれ違ってしまっている二人のラブストーリーです。 ※この作品は小説家になろうにも投稿しています。

【完結】旦那様!単身赴任だけは勘弁して下さい!

たまこ
恋愛
 エミリーの大好きな夫、アランは王宮騎士団の副団長。ある日、栄転の為に辺境へ異動することになり、エミリーはてっきり夫婦で引っ越すものだと思い込み、いそいそと荷造りを始める。  だが、アランの部下に「副団長は単身赴任すると言っていた」と聞き、エミリーは呆然としてしまう。アランが大好きで離れたくないエミリーが取った行動とは。

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。 味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。 ――けれど、彼らは知らなかった。 彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。 すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、 復讐ではなく「関わらない」という選択。 だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。

【完結】優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした

ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。 彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。 そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。 しかし、公爵にもディアにも秘密があった。 その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。 ※本作は「小説家になろう」さん、カクヨムさんにも投稿しています ※表紙画像はAIで作成したものです

本日、私の妹のことが好きな婚約者と結婚いたしました

音芽 心
恋愛
私は今日、幼い頃から大好きだった人と結婚式を挙げる。 ____私の妹のことが昔から好きな婚約者と、だ。 だから私は決めている。 この白い結婚を一年で終わらせて、彼を解放してあげることを。 彼の気持ちを直接聞いたことはないけれど……きっとその方が、彼も喜ぶだろうから。 ……これは、恋を諦めていた令嬢が、本当の幸せを掴むまでの物語。

処理中です...