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猫王妃と離婚危機
猫と人間 3
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「まったく、驚いたよ」
リオンの部屋まで戻り、部屋の扉を閉めて鍵をかけると、リオンがはあと息を吐きながら言った。
「どうして戻れたんだ?」
「よくわからないです」
強いて言えば、イザリアがリオンにべたべたして腹が立ったからだろうが、さすがにそんなことは恥ずかしくて言えない。
ずっと猫だったので、リオンとの距離感をどうすればいいのかわからず戸惑っていると、ソファに座ったリオンがぽんぽんと隣を叩いた。
ちょこんと座ると、リオンも少し戸惑った顔をして笑う。
「猫でも人でも君は君だとわかっているが……、やっぱり少し緊張するな」
「そ、そうですね……」
人として向き合うのはこれがはじめてだ。
猫になる前でも顔を合わせたことはあるし、一緒に公務をしていたけれど、それは「向き合う」のとは違う気がした。
リオンの心はずっとフィリエルに向いていなかったから、彼のエメラルド色の優しい瞳に自分が映っていると思うと気恥ずかしくなる。
目線の高さが同じなのがひどくくすぐったい。
「俺はパーティーが終わる前に戻って挨拶をしなくてはならないから、君は、一度部屋に戻って着替えてきたらどうだ? 俺もパーティーが終わったらすぐに戻って来るから、ここで待っていてほしい」
「は、はい」
反射的に頷いた後で、フィリエルは驚いた。
(え? 待ってろって言った? ここで?)
ここは国王の私室だ。
猫になってからは当たり前のようにここで生活していたが、人間だったころに彼の部屋に入ったことはない。
(え? 待ってていいの?)
結婚してからずっと、夫婦別室だった。
先王は大勢の愛人を抱えはじめる前までは夫婦共同の部屋を使っていたと聞いていたけど、リオンははじめから別室を選択した。
彼が他人を自分のテリトリーに入れたくなかったからだというのは、今のフィリエルにはわかっているけれど、昔の自分はそれにひどく傷ついた。
けれどもいつかリオンが自分の部屋にフィリエルを呼んでくれるはずだと、ずっとずっと待って――、その待ち続けた機会が突然巡ってきて、頭の中が真っ白になる。
(いや、今も陛下の部屋にいるけど、そういうことじゃなくて……)
来ていいよ。待っていていいよ。リオンがフィリエルに対して、そういったことが重要なのだ。
(ど、どうしよう……。泣きそう、かも)
心なしか視界がぼやけてきた気がする。
リオンの前で泣き出してしまう前に、フィリエルは慌てて立ち上がった。
「わ、わかりました! き、着替えて、寝る支度をしてから、ええっと、待ってます」
「ああ。って、もう行くのか? まだ俺が戻るまで時間があるが……」
「支度に時間がかかるので!」
失礼します、とフィリエルは涙がこぼれる前に急いで部屋を飛び出す。
ぱたんと背後で扉を閉めて、はーっと大きく息を吐き出すと、扉の前を守っていた兵士が不思議そうな顔をした。
「どうなさいましたか? ええっと……フィリエル王妃様」
彼らもまた、猫から人に戻ったフィリエルに戸惑っているらしい。
どことなく残念そうな顔をされた気がするのは、気のせいということにしておきたい。
(この二人、やたらとおやつくれたのよね……)
猫好きなのだろう。間違いない。
「ど、どうもしないわ。陛下は少し休憩されてからパーティーに戻られるそうですよ」
兵士にそう告げて、フィリエルは彼らに背を向けると、ささっと手の甲で目元を拭って、王妃の部屋に向かった。
メイドのポリーを呼んで、お風呂の準備を頼んで、ドレスを脱がしてもらう。
お風呂の支度が整うまでガウンを羽織って待っていると、慌ただしく女官長がやって来た。
どうしたのだろうと思っていると、女官長が焦ったようにクローゼットを漁りはじめる。
「ええっと、女官長……?」
「少々お待ちください。急なことでご準備が……。ああっ、この部屋にいた元侍女たちは本当に何をしていたのでしょうか。まともなものがないではないですか?」
「何が?」
「何が、ではございません! 服です! 夜着です!」
「夜着ならそこにかかってない?」
フィリエルがクローゼットの端を指さすと、女官長がはじかれた様に振り返り、くわっと目を見開いた。
「こんな野暮ったい服を着るおつもりですか⁉ 六年たつので異例ではございますが、今日は初夜ですよ⁉」
「しょ⁉」
フィリエルは声を裏返して固まった。
(初夜⁉ 今、初夜って言った⁉ 言ったよね⁉)
固まったまま動けないでいるフィリエルを無視して、女官長がばっさばっさとクローゼットから服を引っ張り出している。
「新しい下着もないんですか⁉」
(下着……!)
あわわわわわ、と震えていると、お風呂の様子を見ていたポリーがひょこっと顔を出した。
「女官長様、でも、その下着も可愛いと思いますよ」
「可愛ければいいという問題ではありません! それに、これでは色気が……」
――あんたは美人だけど、色気はないからね。
ヴェリアに言われた言葉を思い出して、フィリエルは勝手にダメージを受けた。
(っていうか初夜って、待って待って待って待って‼ そんなつもりは、つもりは……!)
しかしよく考えて見たら、人に戻って、猫のときと同じようにただぎゅうっと抱きしめられて眠るだけですむかと聞かれれば否な気がする。
リオンにその気があるのかないのかはフィリエルにはわからないが、一応そうなってもいいように準備をするのは当然ではなかろうか。
(しょ……!)
かつて、自分から「世継ぎを……」などとリオンに言たこともあるくせに、フィリエルは許容量オーバーになって頭が噴火しそうになった。
「ポリー、あなたは王妃様をお風呂へお願いします。丁寧に、すみずみまでピカピカにしてさしあげるのですよ! 髪も念入りに、全身のマッサージもです。わたくしはその間にこの中から一番まともなものを探しておきます」
「お任せください!」
ポリーがいい笑顔で親指を立てた。
噴火どころか魂がどこかに飛んでいきそうになっているフィリエルの腕をつかんで「さあ行きますよー」と、ポリーがルンルンと鼻歌を歌い出す。
「お猫様生活が長かったですからね。きっと陛下も念願かなって浮かれていますね。うっきうきですよ。あとで精がつくものを差し入れしておきますね」
(もうやめてええええ!)
リオンが部屋に入る許可をくれたとか、待っていていいと言ってくれたとか、さっきまでじーんと感動していたのに、その感情すらどこかへ飛んでいく。
誕生日が来たから二十三歳になったというのに、年下のポリーのあけすけな物言いにたじたじだ。大人の余裕? 何それ美味しいの? って感じである。もうわけがわからない。
(だってずっと猫だったから人として陛下にきちんと向き合ったことないし、陛下だっていきなり人になったわたしに戸惑ってるし、そもそも猫のときは可愛がられていたけど人間に戻った途端に嫌がられる可能性……も……あ)
フィリエルはハッとした。
大混乱に陥っていた脳が急激に冷静に戻っていく。
そうだ、何故この可能性を考えなかったのだろう。
リオンはフィリエルに心を許してくれているが、それはフィリエルが猫の姿だったからかもしれない。
人に戻った途端に距離を置かれても、彼の心の傷を思えば不思議でも何でもないのだ。
距離を置かれないにしても、リオンがフィリエルに対して「そういう感情」を抱いているかどうかはまた別の話である。
フィリエルはリオンの愛猫だったが、彼が人間のフィリエルを愛してくれる保証はない。
一緒のベッドを使うことも、苦痛かもしれないのだ。
(よ、世継ぎも、エミル殿下がいるからいらないって、言ってたし……)
今日はたまたま、フィリエルが人に戻った経緯とかいろいろ話がしたかったのかもしれない。
けれど、明日からはわからないではないか。
フィリエルは、王妃の部屋で独りぼっちの生活に逆戻りになるかもしれないのだ。
いや、以前よりは多少……それこそ話くらいはしてくれるかもしれないけれど、リオンがフィリエルと「夫婦」を望んでいるとは限らないのである。
(ペットのままがよかったとか、思われたらどうしよう……)
どうして人に戻ったんだ、なんて言われたら、立ち直れないかもしれない。
ちゃぽん、と湯の中で膝を抱える。
ポリーの鼻歌がやけに大きく聞こえた。
「ぴっかぴかにしますからね!」
「……ええ」
リオンの部屋に行き、同じベッドで眠って、彼がもし「そういった欲」をフィリエルに抱かなければ決定的かもしれない。
リオンは人であるフィリエルを、望んではいないのだと――
「じゃあ髪を……え⁉」
フィリエルの髪に触れていたポリーの手の感触がなくなる。
「わー! 溺れ……にょ、女官長――――‼」
バスルームに絶叫がこだまする中――、フィリエルは、いつの間にか猫の姿に戻っていた。
リオンの部屋まで戻り、部屋の扉を閉めて鍵をかけると、リオンがはあと息を吐きながら言った。
「どうして戻れたんだ?」
「よくわからないです」
強いて言えば、イザリアがリオンにべたべたして腹が立ったからだろうが、さすがにそんなことは恥ずかしくて言えない。
ずっと猫だったので、リオンとの距離感をどうすればいいのかわからず戸惑っていると、ソファに座ったリオンがぽんぽんと隣を叩いた。
ちょこんと座ると、リオンも少し戸惑った顔をして笑う。
「猫でも人でも君は君だとわかっているが……、やっぱり少し緊張するな」
「そ、そうですね……」
人として向き合うのはこれがはじめてだ。
猫になる前でも顔を合わせたことはあるし、一緒に公務をしていたけれど、それは「向き合う」のとは違う気がした。
リオンの心はずっとフィリエルに向いていなかったから、彼のエメラルド色の優しい瞳に自分が映っていると思うと気恥ずかしくなる。
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「俺はパーティーが終わる前に戻って挨拶をしなくてはならないから、君は、一度部屋に戻って着替えてきたらどうだ? 俺もパーティーが終わったらすぐに戻って来るから、ここで待っていてほしい」
「は、はい」
反射的に頷いた後で、フィリエルは驚いた。
(え? 待ってろって言った? ここで?)
ここは国王の私室だ。
猫になってからは当たり前のようにここで生活していたが、人間だったころに彼の部屋に入ったことはない。
(え? 待ってていいの?)
結婚してからずっと、夫婦別室だった。
先王は大勢の愛人を抱えはじめる前までは夫婦共同の部屋を使っていたと聞いていたけど、リオンははじめから別室を選択した。
彼が他人を自分のテリトリーに入れたくなかったからだというのは、今のフィリエルにはわかっているけれど、昔の自分はそれにひどく傷ついた。
けれどもいつかリオンが自分の部屋にフィリエルを呼んでくれるはずだと、ずっとずっと待って――、その待ち続けた機会が突然巡ってきて、頭の中が真っ白になる。
(いや、今も陛下の部屋にいるけど、そういうことじゃなくて……)
来ていいよ。待っていていいよ。リオンがフィリエルに対して、そういったことが重要なのだ。
(ど、どうしよう……。泣きそう、かも)
心なしか視界がぼやけてきた気がする。
リオンの前で泣き出してしまう前に、フィリエルは慌てて立ち上がった。
「わ、わかりました! き、着替えて、寝る支度をしてから、ええっと、待ってます」
「ああ。って、もう行くのか? まだ俺が戻るまで時間があるが……」
「支度に時間がかかるので!」
失礼します、とフィリエルは涙がこぼれる前に急いで部屋を飛び出す。
ぱたんと背後で扉を閉めて、はーっと大きく息を吐き出すと、扉の前を守っていた兵士が不思議そうな顔をした。
「どうなさいましたか? ええっと……フィリエル王妃様」
彼らもまた、猫から人に戻ったフィリエルに戸惑っているらしい。
どことなく残念そうな顔をされた気がするのは、気のせいということにしておきたい。
(この二人、やたらとおやつくれたのよね……)
猫好きなのだろう。間違いない。
「ど、どうもしないわ。陛下は少し休憩されてからパーティーに戻られるそうですよ」
兵士にそう告げて、フィリエルは彼らに背を向けると、ささっと手の甲で目元を拭って、王妃の部屋に向かった。
メイドのポリーを呼んで、お風呂の準備を頼んで、ドレスを脱がしてもらう。
お風呂の支度が整うまでガウンを羽織って待っていると、慌ただしく女官長がやって来た。
どうしたのだろうと思っていると、女官長が焦ったようにクローゼットを漁りはじめる。
「ええっと、女官長……?」
「少々お待ちください。急なことでご準備が……。ああっ、この部屋にいた元侍女たちは本当に何をしていたのでしょうか。まともなものがないではないですか?」
「何が?」
「何が、ではございません! 服です! 夜着です!」
「夜着ならそこにかかってない?」
フィリエルがクローゼットの端を指さすと、女官長がはじかれた様に振り返り、くわっと目を見開いた。
「こんな野暮ったい服を着るおつもりですか⁉ 六年たつので異例ではございますが、今日は初夜ですよ⁉」
「しょ⁉」
フィリエルは声を裏返して固まった。
(初夜⁉ 今、初夜って言った⁉ 言ったよね⁉)
固まったまま動けないでいるフィリエルを無視して、女官長がばっさばっさとクローゼットから服を引っ張り出している。
「新しい下着もないんですか⁉」
(下着……!)
あわわわわわ、と震えていると、お風呂の様子を見ていたポリーがひょこっと顔を出した。
「女官長様、でも、その下着も可愛いと思いますよ」
「可愛ければいいという問題ではありません! それに、これでは色気が……」
――あんたは美人だけど、色気はないからね。
ヴェリアに言われた言葉を思い出して、フィリエルは勝手にダメージを受けた。
(っていうか初夜って、待って待って待って待って‼ そんなつもりは、つもりは……!)
しかしよく考えて見たら、人に戻って、猫のときと同じようにただぎゅうっと抱きしめられて眠るだけですむかと聞かれれば否な気がする。
リオンにその気があるのかないのかはフィリエルにはわからないが、一応そうなってもいいように準備をするのは当然ではなかろうか。
(しょ……!)
かつて、自分から「世継ぎを……」などとリオンに言たこともあるくせに、フィリエルは許容量オーバーになって頭が噴火しそうになった。
「ポリー、あなたは王妃様をお風呂へお願いします。丁寧に、すみずみまでピカピカにしてさしあげるのですよ! 髪も念入りに、全身のマッサージもです。わたくしはその間にこの中から一番まともなものを探しておきます」
「お任せください!」
ポリーがいい笑顔で親指を立てた。
噴火どころか魂がどこかに飛んでいきそうになっているフィリエルの腕をつかんで「さあ行きますよー」と、ポリーがルンルンと鼻歌を歌い出す。
「お猫様生活が長かったですからね。きっと陛下も念願かなって浮かれていますね。うっきうきですよ。あとで精がつくものを差し入れしておきますね」
(もうやめてええええ!)
リオンが部屋に入る許可をくれたとか、待っていていいと言ってくれたとか、さっきまでじーんと感動していたのに、その感情すらどこかへ飛んでいく。
誕生日が来たから二十三歳になったというのに、年下のポリーのあけすけな物言いにたじたじだ。大人の余裕? 何それ美味しいの? って感じである。もうわけがわからない。
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フィリエルはハッとした。
大混乱に陥っていた脳が急激に冷静に戻っていく。
そうだ、何故この可能性を考えなかったのだろう。
リオンはフィリエルに心を許してくれているが、それはフィリエルが猫の姿だったからかもしれない。
人に戻った途端に距離を置かれても、彼の心の傷を思えば不思議でも何でもないのだ。
距離を置かれないにしても、リオンがフィリエルに対して「そういう感情」を抱いているかどうかはまた別の話である。
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(よ、世継ぎも、エミル殿下がいるからいらないって、言ってたし……)
今日はたまたま、フィリエルが人に戻った経緯とかいろいろ話がしたかったのかもしれない。
けれど、明日からはわからないではないか。
フィリエルは、王妃の部屋で独りぼっちの生活に逆戻りになるかもしれないのだ。
いや、以前よりは多少……それこそ話くらいはしてくれるかもしれないけれど、リオンがフィリエルと「夫婦」を望んでいるとは限らないのである。
(ペットのままがよかったとか、思われたらどうしよう……)
どうして人に戻ったんだ、なんて言われたら、立ち直れないかもしれない。
ちゃぽん、と湯の中で膝を抱える。
ポリーの鼻歌がやけに大きく聞こえた。
「ぴっかぴかにしますからね!」
「……ええ」
リオンの部屋に行き、同じベッドで眠って、彼がもし「そういった欲」をフィリエルに抱かなければ決定的かもしれない。
リオンは人であるフィリエルを、望んではいないのだと――
「じゃあ髪を……え⁉」
フィリエルの髪に触れていたポリーの手の感触がなくなる。
「わー! 溺れ……にょ、女官長――――‼」
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