無能扱いされ、パーティーを追放されたOL、実はチートスキル持ちでした。戻ってきてくれ、と言ってももう遅い。田舎でゆったりスローライフ。 

さら

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第2話 辺境の村で再出発

 昼下がりのフェルネ村は、光がやわらかい。
 山の稜線からこぼれる日差しが畑の麦の穂を照らし、黄金色に揺れている。鳥の声と、遠くで牛の鳴く声。それらがすべて溶け合って、まるで世界がのんびり呼吸しているようだった。

 私は宿の縁側に腰をおろし、パンの耳をかじっていた。表面がこんがり焼けていて、中はふんわり。昨日の夜、女将さんが「余りもんだけど」と言って包んでくれたものだ。かみしめるたびに小麦の甘さが広がり、思わず目を閉じた。
 「……最高」
 ぽつりとつぶやく声が、風にさらわれていった。

 王都ではこんなふうに食べる時間なんてほとんどなかった。朝は会議、昼は依頼の準備、夜は報告書。パンは常に片手で食べるもので、味わう暇もなかった。
 けれど、今は違う。誰もせかさない。何も求められない。――それだけで、胸の奥が温かくなる。

 「ミナさーん!」
 声をかけられて振り向くと、宿の裏庭で遊んでいた小さな女の子が手を振っていた。
 「おばあちゃんが呼んでるよー!」
 「あ、うん、今行くね」

 女将さんは宿の厨房に立って、麦粉をこねていた。腕まくりをした手元が力強い。
 「おはようさん。パン、口に合ったかい?」
 「とっても。ありがとうございます」
 「それはよかった。ところでね、ミナさん。あんた、帳簿が得意なんだって?」
 「え?」
 「村長がね、あんたのこと褒めてたよ。数字がすらすら読める人なんて、こっちじゃ貴重だからって」
 「あ、ああ……少し見ただけですけど」
 「まったく、あの人、すぐ頼るんだから。でも助かるのよ。うちの村、誰も計算得意じゃないんだから」

 女将さんは笑いながら粉をこね続ける。その手の動きが、どこか母親のように見えて、胸が少しだけ締めつけられた。
 「ねえ、ミナさん。あんた、これからどうするつもり?」
 「……そうですね。とりあえず、ここでゆっくり暮らそうかなって思ってます」
 「そうかい。あんた、顔が穏やかになったよ」
 「そう見えます?」
 「うん。最初に来たときは、まるで世界中の仕事を背負ってる顔してたけど、今は人間の顔に戻った」
 女将さんの言葉に、思わず吹き出してしまった。
 「たぶん、ここの空気がよかったんですね」
 「そうだねぇ。この村は“働かないこと”を、誰も悪く言わないからね」
 その言葉に、胸の奥がじんとした。

 店を出て村の通りを歩く。
 通りと言っても、馬車が一台通れるかどうかの土の道。両脇には石造りの家が並び、屋根には干し草と花が積まれている。
 家の前で洗濯物を干している老夫婦が手を振ってくれた。私は軽く会釈して通り過ぎる。
 村人の誰もが、穏やかな顔をしていた。
 王都では見たことのない種類の笑顔。
 「……いい場所だな」
 思わず呟いた。

 村のはずれに小川が流れている。澄んだ水の音が、心を撫でるようだった。
 手を伸ばして水をすくい、指先で冷たさを確かめる。
 その瞬間、胸の奥にひとつの考えが浮かんだ。
 ――この場所なら、やり直せるかもしれない。

 私は川辺の石に腰かけ、草の上にノートを広げた。
 ノートの表紙には、かつて王都のギルドで使っていた印が刻まれている。
 ページをめくると、空白が続いていた。
 そこに、私はゆっくりとペンを走らせた。

 「フェルネ村・再出発計画」

 書いた瞬間、自分で吹き出した。
 「計画って、もうやめたんじゃなかったっけ……」
 そう言いながらも、ペン先は止まらなかった。
 私の頭の中には、自然とやることのリストが浮かぶ。
 村の経理整理、倉庫の在庫確認、道の舗装――そして、村人全員のスケジュール調整。

 ――タスク登録完了。
 頭の中で、かすかな電子音が鳴った気がした。
 スキル《プロジェクトマネージャー》が、また勝手に動き出したのだ。
 目を閉じると、頭の中に青いウィンドウが浮かぶ。

 【新規プロジェクト:「フェルネ村発展支援」】
 【進行率:0%】

 「あー……勝手に始まってる……」
 私は額に手を当てて笑った。
 もうやめたいのに、やめられない。
 体が“段取り”を求めてしまう。
 でも、今度は違う。
 誰かに命令されて動くんじゃなく、自分の意思で動ける。
 それなら、少しくらいはいいかもしれない。

 ノートに書き込んだ文字を見つめながら、ふと思う。
 ――あのパーティーのときも、こうしてリストを作ってたな。
 けれど、彼らはそのリストの意味を知らなかった。
 私はいつも裏で調整し、期限を守らせ、損失を防いでいた。
 誰も見ない場所で支えて、誰にも感謝されなかった。

 でも、今は違う。
 誰かのためじゃなく、私自身のために書いている。
 そう思うと、胸が少しだけ熱くなった。

 「よし。まずは、昼寝しよう」
 ペンを置いて大の字に寝転ぶ。
 青空がまぶしくて、目を細めた。
 雲がゆっくり流れていく。風が髪を揺らし、草のにおいが鼻をくすぐる。
 ――なんて贅沢な時間だろう。

 「ミナさん!」
 遠くから声がして、上半身を起こした。
 村長が、息を弾ませながらこちらへ向かってくる。
 「どうしました?」
 「悪いが、ひとつ頼みがあるんじゃ!」
 「え?」
 「村の倉庫がな、在庫整理のまま放置されておって、誰も手をつけとらんのだ。あんた、ちょっと見てくれんか?」
 「私でいいんですか?」
 「うむ。数字がわかる人がいなくてな……。ほら、見てくれ、この惨状を!」

 案内された倉庫の中は、混沌そのものだった。
 麻袋、樽、木箱が山のように積まれ、どれもラベルが faded。
 中には麦、塩、革、工具、薬草……。
 何がどこにあるのか、まるで把握できない。
 「これは……見事なカオスですね」
 思わずため息をつくと、村長が困ったように頭をかいた。
 「十年前からこのままでな。誰も仕分けできんのだ」
 「十年……!」

 私は手を伸ばし、ひとつの袋を持ち上げた。
 ――ピコン。
 耳の奥で電子音。視界に光のラインが浮かび、タスクが展開される。

 【プロジェクト開始:フェルネ倉庫在庫整理】
 【メンバー:1名(ミナ)】
 【推定完了時間:12時間】
 「おお……」
 思わず笑みがこぼれる。
 この感覚。久しぶりに感じる“やるべきことが見える”安心感。

 「村長さん、今日中に終わります」
 「な、何!? ひとりでか?」
 「はい。システム――いえ、スキルの力を使えば余裕です」

 私は袖をまくり、倉庫の中に踏み込んだ。
 光の矢印が次々に浮かび、効率的な動線を表示していく。
 手が勝手に動く。体が自然に動く。
 麻袋を積み替え、樽を並べ、古い帳簿を更新していく。
 まるで“働く”ということそのものが、心を癒やすみたいだった。

 夕方になり、倉庫の中が見違えるように整った。
 並んだ樽、整列した棚。すべての在庫が整理され、リストが完了。
 ウィンドウが光を放つ。

 【プロジェクト完了率:100%】
 【評価:S】
 【報酬:達成感+安堵】

 「……ふふ」
 思わず笑ってしまった。
 報酬が“達成感”って、どこまで社会人脳なんだろう。
 でも、悪くない。

 「ミナさん! 本当に終わったのか!?」
 村長が駆け込んできて、整理された棚を見て、目を丸くした。
 「す、すごい……十年分の在庫が、こんなにきれいに……!」
 「これで村の備蓄、かなり使いやすくなりますよ」
 「恩人だ! 本当に恩人だ!」
 村長は両手を取って何度も頭を下げた。
 「そんな、大げさですよ」
 「大げさじゃない! 今日からあんたは“ミナ殿”だ!」
 「やめてください、恥ずかしいですって!」

 笑い声が倉庫に響く。
 その音が、心の奥をくすぐるようにあたたかかった。
 ――ああ、来てよかった。

 私はふと、倉庫の窓から見える空を見上げた。
 夕焼けが、山の端を金色に染めている。
 風が吹き抜けて、髪を揺らした。

 そのとき、胸の中で小さな決意が芽生えた。
 ――この村で、もう一度生きてみよう。



 日が沈むころ、フェルネ村の空は桃色に染まり、畑の端で子どもたちが笑い声を上げていた。
 麦の穂を追いかけて走るその姿を見ながら、私は倉庫の前に立ち、今日一日の疲れを胸の奥で味わっていた。体の奥がじんわりと温かい。疲れはあるけれど、いやな重さじゃない。どこか満たされている。

 村長が駆け寄ってきて、まだ信じられないような顔で私を見た。
 「ほんとに……ほんとに今日一日で片づけちまったのか? 十年、誰も手をつけられなかったんだぞ!」
 「ええ。ちょっとだけコツがあるんです」
 「ちょっとって……これをちょっとで済ませられる人間がいるかね!」
 村長は大笑いしながら頭をかいた。
 「ミナ殿、あんたはすごい! まるで精霊が宿ってるみたいだ!」
 「精霊なんて、そんな……」
 笑いながらも、胸の奥がほんのり熱くなった。

 仕事を褒められるなんて、いつぶりだろう。
 王都では、何をしても「当然」「裏方だから」と言われてきた。
 でもここでは、「ありがとう」と言ってもらえる。
 それが、こんなにも嬉しいなんて。

 「報酬を渡さねばな」
 村長が棚の奥から小袋を持ってきて、手のひらに乗せた。中には銀貨が数枚。
 「そんな、受け取れません」
 「いやいや、村の恥になる。働いた分はもらってくれ」
 押しつけられるように渡され、私は仕方なく受け取った。
 袋の温もりが、胸の奥にずしんと染みた。
 ――“対価”をもらうのが、こんなにも穏やかで優しいことだなんて。

 倉庫を出ると、空には最初の星が瞬いていた。
 私はふと立ち止まり、夜風を吸い込んだ。
 草の香り。土の湿り。遠くの家からは、スープのにおいが漂ってくる。
 「……なんて静かなんだろ」
 王都の夜は喧騒と灯りで満ちていた。けれど、ここには、ただ穏やかな音だけがある。

 村の広場では、子どもたちが焚き火のまわりで歌を歌っていた。
 その輪の中に、私の姿を見つけたのか、一人の女の子が駆け寄ってくる。
 「ミナさん、手伝ってくれてありがと!」
 「え?」
 「おじいちゃんがね、今日からパンがいっぱい作れるって言ってたよ!」
 「あら、それはよかったわね」
 「うん! ミナさんが“魔法”使ってくれたんだって!」
 女の子の無邪気な言葉に、思わず笑ってしまった。
 「魔法じゃないの。ただの“お仕事”だよ」
 「おしごと……?」
 「そう。働くことって、誰かが笑うためにやることなんだよ」
 そう言いながら、自分でその言葉に少し驚いた。
 昔の私が聞いたら、苦笑するだろう。
 でも今は、その言葉が自然に口から出た。

 「ミナさんも笑ってる!」
 「そうかな?」
 「うん! きょうの星みたい!」
 女の子が指差した空には、青白い光がひとつきらりと輝いていた。
 「……ほんとだ」

 宿に戻ると、女将さんが湯を沸かして待っていた。
 「おかえり。聞いたよ、倉庫を片づけたって? 村長が大騒ぎしてたよ」
「ええ、ちょっと働きすぎちゃいました」
「いいじゃないの。ここは働いても働かなくても、怒る人はいないんだから」
 女将さんは笑いながら、湯気の立つマグカップを差し出した。
 「ハーブティーさ。よく眠れるよ」
 「ありがとうございます」
 マグを両手で包みこむと、指先がじんわり温まる。
 香りはやわらかく、少し甘い。
 「……なんだか、夢みたいですね」
 「夢だと思うなら、覚めないようにしなさいな」
 女将さんの目が、静かに笑っていた。

 その夜、私は小さな部屋のベッドに横たわりながら、天井を見つめた。
 今日一日で、いくつもの人と話した。
 笑った。感謝された。働いた。
 それだけのことなのに、心が満たされている。
 ――王都では、こんな気持ち、味わったことがなかった。

 眠りにつく直前、耳の奥で小さな音がした。
 ピコン。
 【プロジェクト「フェルネ村発展支援」進行率:12%】
 【タスク:農作物管理 新規追加】
 「……また勝手に……」
 苦笑しながら、私は目を閉じた。

 でも、悪くない。
 誰かに命じられた仕事じゃない。
 自分で決めて、自分で動いて、自分で幸せを感じている。
 もし、これを“無能”と呼ぶなら、――それでいい。

 窓の外で、風がそっと鳴った。
 その音を子守歌みたいに聞きながら、私は深く眠りに落ちていった。

 フェルネ村での、ゆるやかな新生活が、静かに始まった。




 翌朝。
 外の空気は澄み切っていて、夜露の香りがほんのり残っていた。
 私は宿の前で伸びをしながら、空を仰ぐ。青空は果てしなく広く、山の稜線の上には、まだ薄い霧がかかっていた。
 深呼吸すると、胸の奥に新しい空気が満ちていく。まるで肺の中だけじゃなく、心まで洗われるような感覚。

 「おはよう、ミナ殿」
 背後から声をかけられ、振り返ると村長が立っていた。
 「おはようございます。朝早いですね」
 「年を取ると寝ていられんのじゃ。あんたも早いのう」
 「なんだか、勝手に目が覚めちゃって」
 「はは、いいことじゃ。働かなくても、朝を迎えると体が“今日も何かできる”って思うんだ。人間ってのは、そうできておる」

 村長の言葉に、私は自然と笑みを返した。
 確かに、昨日の倉庫整理の疲れは残っているのに、体が軽い。仕事を終えたあとの心地よい疲労――それがまだ、じんわり残っている。

 「今日も何か手伝おうかと思ってます」
 「本当にいいのか? もう、ゆっくりしてても誰も文句は言わんぞ」
 「うーん……“ゆっくり”って、意外と難しいんですよ」
 「はは、働き者の言うことじゃ」
 村長が笑いながら杖で地面をとんとんと突いた。
 「なら、あんたに頼みたいことがもう一つある。今度は村の畑の配置を見直してほしいんじゃ」
 「畑の配置、ですか?」
 「うむ。この村は長年同じ区画で耕しておるから、土地が痩せてきてのう。だが、誰もどうやって直せばいいのかわからん。あんたなら、何か思いつくかもしれんと思ってな」
 「……なるほど」

 私は顎に手をあてて考えた。
 畑の配置、土壌の疲弊、労働分担。頭の中にデータのような文字列が浮かんでいく。
 すると、またいつものように視界の端に青いウィンドウが現れた。

 【新規タスク作成:フェルネ村農地最適化】
 【進行率:0%】
 【推定完了時間:36時間】

 ――やっぱり出た。
 私は苦笑しながらも、そのウィンドウを閉じなかった。
 これはきっと、私の“癖”のようなものだ。
 「いいですよ、やってみます」
 「おお、頼もしい!」

 村長とともに畑へ向かうと、広い土地が目の前に広がった。
 麦、豆、じゃがいも、ハーブ。
 一見すると豊かそうだけれど、歩いてみると微妙な違和感がある。
 区画が不規則で、日当たりが悪い場所や、水はけの悪い箇所が混ざっている。
 「なるほど、確かに効率が悪いですね」
 「そうじゃろ? けど、昔からこうやって耕してきたから、今さら変えるのも勇気がいるんじゃ」
 「変えるのは大変ですけど、少し工夫すれば――」

 私はしゃがみこみ、地面の土を手でつかんだ。
 指の間からこぼれる粒子が、さらさらと風に舞う。
 「ここの土、悪くないですよ。水を通しすぎてるだけです」
 「ほう?」
 「畑の境目に石を並べて水の流れを調整すれば、もう少し均等になります。あと、日陰の畑はハーブや豆に変えた方がいいかも」
 「そんなことまでわかるのか!」
 「数字みたいなもので。問題点を並べると、解決策が見えてくるんです」

 頭の中では、すでに図面のようなイメージが浮かんでいた。
 青いラインが畑の区画を示し、動線を矢印で描く。
 「ふむ……」
 私は立ち上がり、指先で空をなぞるようにして仮想の線を描いた。
 その動きに呼応するように、スキルの光がふわりと広がる。

 【自動最適化プラン生成中……】
 【フェルネ村農地配置案を作成しますか?】
 「……はい」

 視界に浮かんだ新しいウィンドウが輝き、畑全体を俯瞰した地図が立体的に展開された。
 風にきらめくその光景に、村長が目を丸くする。
 「な、なんじゃこりゃあ!?」
 「スキルの可視化です。ちょっとした“作業支援”みたいなものですよ」
 「ま、まるで神の奇跡じゃ……!」
 「奇跡じゃなくて、地道な“調整”です」
 私はそう言って笑った。

 畑にいた村人たちが騒ぎを聞きつけて集まってきた。
 「うわあ、なにこれ! 光ってる!」
 「すげえ……地面に地図が出てる!」
 「ミナさん、魔法使いだったの!?」
 「ち、違います! ただの事務職です!」
 慌てて手を振ると、子どもたちが笑いながら真似をした。
 「じむしょくー! じむしょくー!」
 なんだそれ。
 笑いながらも、胸の奥があたたかくなった。
 こんなふうに笑われるのは、悪くない。

 「よし、みんな! 明日から区画の移動を始めるぞ!」
 村長の声が畑に響き渡る。
 「ミナ殿の指示どおりに動くんだ!」
 「は、はい!」
 農民たちが一斉に動き出した。
 スキルの光が、村人たち一人ひとりの上にやさしく灯る。
 【タスク割当完了】
 【進行率:3% → 18%】
 私はその光景を見ながら、胸の中で静かに息をついた。

 ――働くって、こういうことだったんだな。

 誰かを助けるために、自分の力を使う。
 その力が、笑顔や声になって返ってくる。
 それが、こんなにもあたたかいものだなんて。

 「ミナ殿」
 村長の声に振り向くと、彼は両手を腰に当てて満足げに頷いていた。
「この村はあんたに救われたよ。わしら、今までずっと“できない”理由ばかり探してきた。けど、あんたは“できる方法”を見つけてくれた」
「そんな、私はただ、整理しただけです」
「整理ができる人間は、世界を整える人間だ」
 その言葉が、心に染みた。
 「……ありがとうございます」

 日が傾くころ、畑には新しい区画が形になり始めていた。
 整列した畝、均等な道。風が吹くたびに、麦の葉がそろって揺れる。
 その光景を見て、私は小さくつぶやいた。
 「きれい……」

 スキルウィンドウがふわりと光る。
 【プロジェクト進行率:58%】
 【評価:A】
 【報酬:達成感+幸福度上昇】

 私はそのまま笑って、光を閉じた。
 あたりには、夕陽と風の音、そして人々の笑い声だけが残った。

 ――もう、王都には戻らない。

 その言葉が、心の奥から静かに浮かび上がった。
 私は手を胸に当て、柔らかく微笑んだ。

 フェルネ村での、私の新しい日常が、今、確かに根づき始めていた。



 夜が訪れると、フェルネ村はしんと静まり返った。
 昼間のにぎわいが嘘みたいに、風の音だけが耳に残る。畑から戻った私は、宿の裏庭にあるベンチに腰をおろし、ランプをひとつ灯した。オレンジ色の明かりが、私の膝の上に置いたノートを照らす。

 ノートの表紙には、昼間に付いた土の指跡が残っている。
 今日の出来事を記録しようと思ったのだ。もう職務報告書を書く義務なんてないけれど、なぜか手が勝手に動く。
 「フェルネ村農地再配置――進行率六〇%」
 そう書きながら、思わず小さく笑ってしまった。
 「まだスキルに縛られてるなあ、私」
 でも、悪くない。スキルが働いている間、私は生きている実感を得られる。数字や進捗という目に見える形で、世界と繋がっていられる。それが、心を落ち着かせてくれるのだ。

 ページを閉じて顔を上げると、空いっぱいに星が瞬いていた。
 この村では、夜空が近い。手を伸ばせば、指先で掴めそうなくらい。
 「……東京のオフィス街じゃ、絶対見えなかったな」
 思わず口にした言葉が、夜気に溶けていった。

 王都にいたときも、似たようなことを考えた夜があった。
 ギルドの報告書をひとりで書いていた深夜。窓の外の街灯を見ながら、「このままでいいのかな」って。
 だけど、その問いにはいつも答えを出せなかった。
 「働くこと」=「認められること」だと信じていたから。
 “誰かの役に立つ”ことだけが、自分の存在価値なんだと思っていた。

 「でも、違ったんだね」
 フェルネの人たちは、私が何をしてもしなくても、笑ってくれる。
 私がただそこにいるだけで、「ミナさん」と名前を呼んでくれる。
 そんなことだけで、心が救われるなんて――昔の私には、信じられなかった。

 「おや、まだ起きてたのかね」
 声に振り向くと、女将さんが湯気の立つカップを持って立っていた。
 「ハーブティーのおかわり。今夜は特別ブレンドさ」
 「ありがとうございます」
 カップを受け取ると、ふわっとラベンダーの香りが広がった。
 「昼間は大活躍だったそうじゃないか。村中、あんたの話でもちきりだよ」
 「そんな、大したことじゃ……」
 「謙遜するんじゃないよ。十年も手がつけられなかった畑を一日で整えたなんて、誰も信じちゃいない」
 女将さんはにっこり笑い、私の隣に腰を下ろした。
 「村長がね、“ミナ殿はこの村に神を呼んだ”って言ってたよ」
 「やめてくださいよ、それ……照れます」
 「ふふ、いいことだよ。あんたみたいに真面目に働く人がこの村に来てくれたのは、神様のご加護さ」

 しばらく二人で、言葉を交わさずに夜空を見上げていた。
 虫の声が遠くで鳴き、火の粉がぱち、と弾ける音がする。
 「……ねえ、女将さん」
 「ん?」
 「“働く”って、何なんでしょうね」
 「難しいことを聞くねえ」
 女将さんはしばらく黙ってから、静かに口を開いた。
 「誰かのために何かをすることさ。でも、見返りを求めたら、それは“労働”になる。見返りを求めずにできるなら、それは“生き方”になる」
 「……生き方、か」
 「そう。あんたのは後者だよ。誰かの顔を思い浮かべて動く人は、みんなそうだ」
 女将さんの言葉に、胸の奥がほんのり熱くなった。
 「ありがとう」
 「お礼を言うのはこっちだよ。あんたが来てから、村が少し明るくなった」
 「……そんなことないですよ」
 「あるさ。だって、みんな“できるんだ”って顔になったもの」

 沈黙が、心地よかった。
 ランプの光に照らされた庭先に、小さな白い花が揺れている。
 私はその花を見つめながら、ぽつりと呟いた。
 「ここで、暮らしていけたらいいな」
 「暮らせばいいじゃないか。誰も追い出したりしないさ」
 女将さんは立ち上がり、私の肩にそっと手を置いた。
 「明日は市場の日だよ。行っておいで。みんなに顔を見せてあげな」
 「はい」
 そのまま、女将さんは宿の中に戻っていった。

 私はひとり残され、カップの底に残ったハーブティーを飲み干した。
 空気がひんやりと肌を撫で、遠くでフクロウが鳴く。
 星空の下、胸の奥でひとつの小さな願いが生まれた。

 ――この場所で、もう一度“生きる”ことを始めよう。

 そう決めた瞬間、頭の中でウィンドウが光った。

 【プロジェクト:「フェルネ村再生計画」進行率:100%】
 【タスク完了報酬:幸福度+∞】

 私は思わず笑ってしまった。
 「……なんか、やりすぎ」
 誰にともなく呟いて、ランプの火を消した。

 暗闇の中でも、夜空の星はまだ輝いていた。
 その光は、私の未来をほんのりと照らしてくれているように見えた。

 そして私は、そっと目を閉じた。
 ――明日もまた、きっといい日になる。

 静かな夜が、穏やかに流れていった。
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