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第四話 冷たい硝子と、差し出された本
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詩集を読み終えた翌日、わたしはしばらくページを閉じたまま机に置いておいた。レオンハルトが差し出したその一冊は、わたしの手に不思議な温かさを残している。紙をめくるごとに浮かび上がる風景――雪解けの小川、遠い旅路で見知らぬ人と交わす挨拶。どれも、これまでのわたしが知らなかった静かな優しさに満ちていた。
「お嬢様」メアリが扉を叩き、茶を運んでくる。湯気とともに香るハーブの匂いが、胸のざわめきを落ち着けてくれる。
「ありがとう。……メアリ、昨日、わたしが本屋で会った方をご存じかしら?」
「お知り合いにお会いに?」
「いいえ。名前はレオンハルトと名乗られたわ」
メアリの目が一瞬だけ揺れた。「……第二王子殿下の御弟君にございます」
「え?」
意外な答えに思わず声が上ずった。確かにあの気配は、ただの貴族子息とは異なっていた。立ち居振る舞いの落ち着き、視線の強さ。
「殿下とは血の繋がりがありながら、あまり公には出てこられないお方。王家の政略の外に立つことを選ばれていると伺っております」
「……そう」
思わず胸に手を当てる。つまり彼は、ただの偶然の出会いではなく、王宮と無関係ではない人物だった。
――だとすれば、昨日のやりとりは軽々しく語れない。
◇
その日の午後、王太子殿下から召しがあった。王宮の応接室で待っているとの知らせに、わたしは淡い水色のドレスを纏い、馬車に揺られて向かう。
応接室は静かで、厚い絨毯が音を吸い込んでいた。殿下は窓辺に立ち、光を背にしていた。
「クラリッサ、来てくれてありがとう」
「殿下のご用命とあらば」
彼は微笑んでみせる。その笑みは、やはり硝子のように完璧で脆い。
「最近、君についての噂を耳にする。体調を崩しているとか、指輪を外していたとか」
「……事実です」
「そうか。ならば、少し休養を取ったほうがいい。学院や社交の場も、しばらく控えるといい」
穏やかな声。けれど、それはわたしの心配ではなく、王家の評判を守るための言葉に聞こえた。
「殿下は……わたしのことを気遣ってくださっているのでしょうか」
「もちろんだよ。婚約者だからね」
「……婚約者、だから」
胸の奥で何かが静かに冷めていく。愛ではなく義務。彼の微笑みは、硝子の壁越しに見る光のように遠い。
「ご厚意、感謝いたしますわ。けれど、殿下。もし婚約が殿下の重荷となっているのであれば」
「クラリッサ」声が強く遮った。「そんなことを言うな。君は公爵家の娘であり、王家にとって必要な存在だ」
――必要、という言葉。それは愛の告白とはまるで違う。
わたしはそっと視線を伏せた。必要だから傍に置かれるだけ。ヒロインが現れたとき、わたしはきっと捨てられる。ゲームで描かれた未来そのままに。
◇
応接室を辞した帰り道、胸の奥には白いハンカチの手触りが蘇っていた。殿下の「必要」という言葉よりも、レオンハルトの「白は似合う」というひと言のほうが、どれほど心を揺らすのだろう。
馬車の窓の外、王都の空は薄曇りだった。けれど曇り空の向こうに、まだ見ぬ光があると信じたい。硝子の笑みの下で凍えるよりも、わずかな温もりを抱きしめたい。
「……わたしは、変わらなければならない」
呟いた声は、自分に言い聞かせるように響いた。
屋敷に戻ると、机の上に濃紺の詩集を開き、白いハンカチをそっとその上に置いた。まるで未来のしおりのように。
ページの間で、静かに新しい物語が息づきはじめているのを感じた。
――悪役令嬢クラリッサは、もうただ断罪を待つ人形ではない。
「お嬢様」メアリが扉を叩き、茶を運んでくる。湯気とともに香るハーブの匂いが、胸のざわめきを落ち着けてくれる。
「ありがとう。……メアリ、昨日、わたしが本屋で会った方をご存じかしら?」
「お知り合いにお会いに?」
「いいえ。名前はレオンハルトと名乗られたわ」
メアリの目が一瞬だけ揺れた。「……第二王子殿下の御弟君にございます」
「え?」
意外な答えに思わず声が上ずった。確かにあの気配は、ただの貴族子息とは異なっていた。立ち居振る舞いの落ち着き、視線の強さ。
「殿下とは血の繋がりがありながら、あまり公には出てこられないお方。王家の政略の外に立つことを選ばれていると伺っております」
「……そう」
思わず胸に手を当てる。つまり彼は、ただの偶然の出会いではなく、王宮と無関係ではない人物だった。
――だとすれば、昨日のやりとりは軽々しく語れない。
◇
その日の午後、王太子殿下から召しがあった。王宮の応接室で待っているとの知らせに、わたしは淡い水色のドレスを纏い、馬車に揺られて向かう。
応接室は静かで、厚い絨毯が音を吸い込んでいた。殿下は窓辺に立ち、光を背にしていた。
「クラリッサ、来てくれてありがとう」
「殿下のご用命とあらば」
彼は微笑んでみせる。その笑みは、やはり硝子のように完璧で脆い。
「最近、君についての噂を耳にする。体調を崩しているとか、指輪を外していたとか」
「……事実です」
「そうか。ならば、少し休養を取ったほうがいい。学院や社交の場も、しばらく控えるといい」
穏やかな声。けれど、それはわたしの心配ではなく、王家の評判を守るための言葉に聞こえた。
「殿下は……わたしのことを気遣ってくださっているのでしょうか」
「もちろんだよ。婚約者だからね」
「……婚約者、だから」
胸の奥で何かが静かに冷めていく。愛ではなく義務。彼の微笑みは、硝子の壁越しに見る光のように遠い。
「ご厚意、感謝いたしますわ。けれど、殿下。もし婚約が殿下の重荷となっているのであれば」
「クラリッサ」声が強く遮った。「そんなことを言うな。君は公爵家の娘であり、王家にとって必要な存在だ」
――必要、という言葉。それは愛の告白とはまるで違う。
わたしはそっと視線を伏せた。必要だから傍に置かれるだけ。ヒロインが現れたとき、わたしはきっと捨てられる。ゲームで描かれた未来そのままに。
◇
応接室を辞した帰り道、胸の奥には白いハンカチの手触りが蘇っていた。殿下の「必要」という言葉よりも、レオンハルトの「白は似合う」というひと言のほうが、どれほど心を揺らすのだろう。
馬車の窓の外、王都の空は薄曇りだった。けれど曇り空の向こうに、まだ見ぬ光があると信じたい。硝子の笑みの下で凍えるよりも、わずかな温もりを抱きしめたい。
「……わたしは、変わらなければならない」
呟いた声は、自分に言い聞かせるように響いた。
屋敷に戻ると、机の上に濃紺の詩集を開き、白いハンカチをそっとその上に置いた。まるで未来のしおりのように。
ページの間で、静かに新しい物語が息づきはじめているのを感じた。
――悪役令嬢クラリッサは、もうただ断罪を待つ人形ではない。
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