学生時代、私をいじめていた女と一緒に異世界召喚されたけど、無能扱いされた私が実は本物の聖女で、いじめていた女は災厄を呼ぶ魔女でした。

さら

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第10話 終わらせる人

 その日の午後、空の色がゆっくりと変わり始めた。雲が低く垂れこめているわけでも、嵐の兆しがあるわけでもない。ただ、世界の輪郭が、ほんのわずかに滲でいる。畑で鍬を振るっていた私は、手を止め、胸の奥に意識を向けた。

 ――まだ、終わっていない。

 あの温もりが、静かだが確かに、警告を送っている。王都の混乱は収束に向かっているはずだ。凛香も、奇跡を行っていない。なのに、流れの奥に、微かな引っかかりが残っている。

「……残滓」

 呟いた言葉は、誰にも聞かれない。奇跡が止まっても、その“癖”はすぐには消えない。奪われ、引き延ばされた世界の流れは、元に戻る途中で、歪んだ澱を残すことがある。それは人の欲や恐怖と結びつき、災厄の芽になる。

 年配の男性が、私の様子に気づいて近づいてきた。

「どうした」

「……少し、見てきます」

 それだけで、通じた。彼は何も聞かず、ただ頷く。

「日が暮れる前に戻れ」

「はい」

 私は畑を離れ、村の外れへ向かった。川沿いの小道。王都から続く流れが、ここで一度、緩やかになる場所だ。水面は穏やかだが、近づくにつれ、胸の奥の温もりが、はっきりと反応を強めた。

 岸辺に立つと、見えないはずのものが、確かに“感じられた”。水の流れに絡みつく、粘つくような違和感。奇跡に縋った祈りの残骸。誰かに救ってほしいと願いながら、同時に、何かを差し出してしまった痕跡。

「……ここか」

 私はしゃがみ込み、川に手を浸した。冷たい。けれど、その奥に、濁った熱がある。これは凛香の力そのものじゃない。凛香を通って、世界から引き剥がされた“歪み”だ。放っておけば、いつか形を持つ。

 胸の奥の温もりに、静かに問いかける。

「……戻せる?」

 答えは、言葉じゃなかった。感覚として、伝わってくる。
 ――戻せる。でも、時間がかかる。
 ――派手なことは、できない。

「……それで、いい」

 私は深く息を吸い、吐いた。凛香の時みたいに、世界全体を撫でる必要はない。ここに溜まった澱だけを、流れに戻す。それだけでいい。

 両手を水面に沈め、意識を沈める。胸の奥の温もりを、細く、長く、川へと流す。押さない。引かない。ただ、絡まった糸を、ほどく。

 水面が、わずかに揺れた。光も音もない。でも、確かに、違和感が薄れていく。重かった流れが、少しずつ、本来の速度を取り戻していく。

「……欲張らない」

 それが、私のやり方だ。奇跡を起こす人じゃない。世界を救う英雄でもない。ただ、終わらせる人。歪みが芽になる前に、そっと摘み取る人。

 どれくらいの時間が経ったのか、分からない。気づけば、夕日が川面を赤く染めていた。胸の奥の温もりは、再び静かになっている。役目は、果たされた。

 立ち上がると、身体が少し重い。でも、嫌な疲労じゃない。畑仕事の後と、同じだ。

「……帰ろう」

 村へ戻る道すがら、子どもたちの笑い声が聞こえた。誰も、今起きたことを知らない。知らなくていい。世界は、今日も何事もなかったかのように回っている。

 宿に戻ると、女主人が声をかけてきた。

「遅かったね」

「ちょっと、川まで」

「そうかい」

 それだけで終わる会話。私は席につき、差し出された夕食を口に運ぶ。温かい。現実の味がする。

 夜、部屋に戻り、ベッドに腰を下ろした。胸の奥に、もう強い鼓動はない。ただ、静かな余韻だけが残っている。

「……全部、終わった」

 今度こそ、その言葉は嘘じゃない。災厄は、形になる前に消えた。凛香は、魔女にならずに済んだ。世界は、奇跡に依存しない流れへ戻った。

 私は、名も称号も持たないまま、ここにいる。
 選ばれなかったまま、必要な時だけ、動く存在として。

 それでいい。
 それが、私の答えだ。

 窓の外で、夜風が静かに吹いた。




 夜は、何事もなかったかのように更けていった。窓の外では、虫の声が一定のリズムで鳴いている。王都の光も、奇跡の残響も、ここまでは届かない。私はベッドに横になり、天井の梁を見つめながら、ゆっくりと呼吸を整えた。

 胸の奥は、静かだった。あの温もりは、もう前に出てこない。必要な時にだけ応える、深い場所へと戻っている。力を失ったわけじゃない。役目を終えたのだ。少なくとも、今は。

「……おやすみ」

 小さく呟いて目を閉じると、眠りはすぐに訪れた。夢は見なかった。いや、見ていたのかもしれないけれど、覚えていない。それでいいと思えた。

 翌朝、村はいつも通りに始まった。朝霧の中で、畑へ向かう人々が挨拶を交わす。私は桶を手に、川へ向かった。水は澄んでいて、昨日までの違和感は、どこにも残っていない。

「……戻ったね」

 誰にともなく言い、桶に水を汲む。水面に映る自分の顔は、少し疲れているけれど、穏やかだった。聖女でも、英雄でもない。ただの白石澪だ。

 畑では、年配の男性が作物の様子を見ていた。

「いい具合だ」

「そうですね」

 短い会話。それだけで、十分だった。私は水を撒き、土をならす。作物は、静かに、確実に育っている。誰かが祈らなくても、称えなくても。

 昼前、子どもたちが走ってきた。

「ねえ、澪!」

「今日も一緒にやる?」

「うん」

 それだけの約束。私は笑って頷き、じょうろを渡した。子どもたちは水をこぼしながらも、楽しそうに畑を駆け回る。その光景を見て、胸の奥が、ほんのりと温かくなった。

 遠くの世界では、きっと今も、誰かが選ばれ、誰かが落ちる。力を持つ者が生まれ、失われる。でも、ここでは、そんなことは関係ない。必要なのは、今日を生きることだけだ。

 夕方、空が茜色に染まる頃、私は畑を後にした。道端の花が、昨日より少しだけ背を伸ばしている。私は立ち止まり、そっと土を寄せた。

「……大丈夫」

 花は、何も答えない。でも、それでいい。

 宿に戻り、女主人と短い言葉を交わし、温かい食事をとる。湯気の向こうで、今日が終わっていく。特別なことは何もない。けれど、確かに満ちている。

 夜、布団に入る前、私はふと考えた。もし、また世界が歪むことがあったら。その時、私はどうするだろう。

 答えは、もう分かっている。

「……必要な時に、動く」

 それだけだ。名を呼ばれなくても、感謝されなくても。終わらせるべきものを、静かに終わらせる。それが、私の役目であり、生き方だ。

 窓の外で、風が一度、強く吹いた。そして、すぐに止んだ。
 世界は、今日も壊れなかった。

 終わり
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