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第9話 選ばれなかった者たち
王都の朝は、驚くほど静かだった。奇跡が消えた翌日だというのに、街は壊れていない。建物は立ち、人は歩き、商人は荷を並べている。ただ一つ違うのは、人々の顔から、あの異様な高揚が消えていることだった。私は宿の窓から通りを眺めながら、その変化を噛みしめていた。
胸の奥は、ひどく静かだ。あの温もりは、眠っているように感じられる。消えたわけじゃない。ただ、前に出てくる必要がなくなっただけ。世界が、無理に引き上げられるのをやめたからだ。
「……起きなきゃ」
呟いて身支度を整え、外套を羽織る。今日は、王都を出るつもりだった。ここでやるべきことは、もう終わっている。凛香の問題も、王都の問題も、私がこれ以上踏み込むべきものじゃない。
通りに出ると、昨夜の広場は、すでに片付けが進んでいた。崩れかけた石畳が修繕され、騎士たちが巡回している。人々は私に気づいても、指をさしたり、祈りを捧げたりはしない。ただ、一瞬、視線を向けて、すぐに逸らす。それが、妙に心地よかった。
「……あんた」
背後から声がして、振り向くと、昨日水をくれた女性が立っていた。
「王都を出るんだろ」
問いではなく、確認だった。私は頷く。
「はい」
「正解だよ」
彼女は肩をすくめる。
「ここは、選ばれた人間の場所だ。あんたみたいなのは、長くはいられない」
その言葉に、苦笑が漏れた。
「……褒めてます?」
「もちろん」
女性は、はっきりと言った。
「奇跡を止めたくせに、居座らない。欲張らない人間は、信用できる」
私は、軽く頭を下げた。
「ありがとう」
門へ向かう途中、騎士団の詰所の前で足を止められた。昨日の年配の騎士が、そこに立っている。
「白石澪」
名前を呼ばれ、私は立ち止まった。
「王都は、公式にはこう発表する」
彼は、淡々と告げる。
「聖女様は、過度の奇跡による負担で、静養に入った。今後、奇跡は制限される」
「……そうですか」
「混乱を最小限にするためだ」
私は頷いた。それが、最善だろう。
「そなたの存在は、記録に残さない」
騎士は、私を見据えた。
「望んでいないだろう」
「はい」
即答だった。
「だが」
彼は、少しだけ声を落とす。
「もし、再び世界が歪むことがあれば……」
「その時は」
私は、言葉を継いだ。
「必要な場所に、行きます」
騎士は、小さく笑った。
「選ばれなかった者の、選び方だな」
王都の門をくぐる時、私は一度だけ振り返った。高くそびえる城壁、その内側で、凛香は静養しているはずだ。彼女は、これから、自分が“選ばれなくなった後”の人生と向き合うことになる。それは、簡単じゃない。でも、きっと、生きていける。
門を出ると、空気が軽くなった。胸の奥も、同じだ。私は街道を歩き出す。村へ戻るための道。土の匂い、風の感触。それらが、私を現実に引き戻す。
歩いていると、道端で、旅人が休んでいるのが見えた。顔色が悪く、息が荒い。私は、足を止める。胸の奥が、ほんのりと温かくなる。
「……大丈夫ですか」
声をかけ、しゃがみ込む。手を伸ばすかどうか、一瞬だけ迷う。でも、迷う必要はなかった。
「少し、休みましょう」
それだけでいい。無理に治す必要はない。旅人は、安堵したように頷いた。
私は、空を見上げる。
選ばれなかった者たちが、生きる世界。
奇跡がなくても、続いていく世界。
その中で、私は歩き続ける。
名もなく、称えられず、
それでも、確かにここにいる存在として。
△
街道を離れ、村へ続く分かれ道が見え始めた頃、私は足を止めた。懐かしい土の匂いが風に混じっている。胸の奥の温もりは、ささやくようにそこにあった。眠っているわけでも、消えているわけでもない。ただ、必要な分だけ、静かに息をしている。
旅人は休んだことで落ち着きを取り戻し、礼を言って別れた。私はその背中を見送り、再び歩き出す。奇跡を起こしたという実感は、もうない。代わりにあるのは、当たり前の疲労と、当たり前の満足感だった。
村の外れに着くと、見慣れた畑が視界に入った。土は耕され、作物は風に揺れている。あの日、揺り戻しに苦しんでいた子どもたちの姿はなく、代わりに笑い声が聞こえた。胸が、ふっと軽くなる。
「……帰ってきたんだ」
独り言が、自然と口からこぼれた。
集会所の前には、年配の男性が立っていた。私の姿を見つけると、何も言わずに、ただ頷く。その仕草だけで、十分だった。
「王都は?」
短い問い。
「……静かになりました」
「そうか」
それ以上、聞かれなかった。私も、詳しく話さなかった。ここでは、奇跡の話よりも、今日の天気や、作物の出来の方が大事だ。
畑に入ると、自然と身体が動いた。鍬を取り、土に触れる。胸の奥が、ほんのりと応える。作物が、呼吸を整えるみたいに、葉を揺らした。
「……これで、いい」
私は、そう思えた。派手な光も、称賛もない。でも、ここには確かな循環がある。奪わず、押し上げず、ただ戻していく流れ。
夕方、子どもたちが集まってきた。
「おかえり!」
「どこ行ってたの?」
私は、少しだけ笑って答える。
「遠くまで」
「すごい?」
「……まあまあ」
大げさに語る必要はない。子どもたちはすぐに興味を失い、また走り出した。その背中を見送りながら、私は空を見上げた。雲が、ゆっくり流れている。
王都では、今も混乱が続いているだろう。凛香は、自分の居場所を探しているはずだ。選ばれなくなった後の、長い時間を。私は、彼女の答えを待たない。待つ資格も、必要もない。
「……それぞれ、だね」
夕焼けが、畑を染める。胸の奥の温もりが、穏やかに脈打った。ここにいる限り、必要な時に、必要なだけ、手を貸す。それで十分だ。
夜が近づき、村に灯りがともる。私は道具を片付け、宿へ向かった。扉を開けると、女主人がこちらを見る。
「戻ったね」
「はい」
「顔が、静かだ」
その言葉に、私は頷いた。
「……もう、走らなくていい気がして」
女主人は、何も言わずに、温かいスープを差し出した。湯気の向こうで、今日が終わっていく。
選ばれなかった者たちの夜は、穏やかだ。
奇跡がなくても、世界は続く。
◇
夜は、深く静かだった。宿の部屋で横になりながら、私は天井の梁を見つめていた。王都の喧騒も、地鳴りも、まるで遠い夢だったみたいに感じられる。ただ、身体の奥に残る鈍い疲労だけが、あれが現実だったと教えてくれていた。
「……ちゃんと、終わったんだよね」
誰にともなく呟く。胸の奥の温もりは、答えるように、微かに脈打った。それは肯定でも否定でもない。ただ、続いているという感触だ。
眠りに落ちる直前、凛香の顔が浮かんだ。光を失った後の、あの不安そうな表情。選ばれ続けてきた人間が、初めて地面に立たされた瞬間の顔。彼女は今頃、王城の静かな部屋で、自分の価値を測り直しているのだろう。
「……大丈夫だよ」
小さく呟いた言葉は、彼女に届くはずもない。それでも、言わずにはいられなかった。選ばれなくなったからこそ、見えるものもある。私は、それを知っている。
翌朝、村はいつも通りの音で満ちていた。鶏の鳴き声、鍋を叩く音、子どもたちの笑い声。私は宿を出て、畑へ向かう。足元の土は少し湿っていて、夜露の名残が靴裏に伝わった。
「澪」
年配の男性が声をかけてくる。
「今日は、向こうの畑も見てくれ」
「分かりました」
短いやり取り。それだけで、十分だった。私は鍬を手に取り、土に触れる。胸の奥が、静かに応えた。強くはない。でも、確かだ。
作業をしていると、村の入り口が少し騒がしくなった。馬の蹄の音。見慣れない旅装の人物が、数人入ってくる。王都方面からだ。
「……まさか」
胸の奥が、わずかにざわつく。嫌な予感ではない。ただ、流れが動いた感覚。
その中の一人が、私に気づいて近づいてきた。王都で見たことのある、あの年配の騎士だった。
「白石澪」
彼は、周囲を気にしながら、低い声で言った。
「王都より、伝言だ」
私は鍬を置き、彼と向き合った。
「聖女……凛香は」
騎士は、少しだけ言葉を選んでから告げる。
「公の場から退いた。奇跡は行われていない」
胸が、静かに上下した。
「……そうですか」
「代わりに、治癒院と医師団の拡充が進んでいる。時間はかかるが、持ち直すだろう」
それは、正しい流れだった。奇跡に頼らない世界への、第一歩。
「彼女は……」
騎士は、一瞬、言葉を濁した。
「普通の人間として、生きる準備を始めている」
私は、小さく頷いた。
「それで、いいと思います」
騎士は、私をじっと見つめた。
「そなたは、呼び戻されると思ったか」
「いいえ」
即答だった。
「私は、ここにいます」
騎士は、ふっと笑った。
「分かっていた」
彼は、それ以上何も言わず、村を後にした。馬の音が遠ざかるのを見送りながら、私は深く息を吐いた。
選ばれなかった者たちの世界は、こうして少しずつ、地に足を取り戻していく。派手な転換はない。奇跡もない。ただ、時間をかけて、戻っていく。
畑仕事を再開すると、子どもたちが走ってきた。
「ねえ、ねえ」
「今日は何するの?」
私は、鍬を肩に担ぎ、少し考えてから答えた。
「水やり」
「それだけ?」
「それだけ」
子どもたちは不満そうにしながらも、じょうろを持ってきて手伝い始める。その様子を見て、私は微笑んだ。
世界は、壊れなかった。
派手な奇跡を失った代わりに、静かな循環を取り戻した。
胸の奥の温もりは、今日もそこにある。
誰にも気づかれなくていい。
名も称号も、必要ない。
それでも私は、ここで生きている。
それが、選ばれなかった者の答えだった。
王都の朝は、驚くほど静かだった。奇跡が消えた翌日だというのに、街は壊れていない。建物は立ち、人は歩き、商人は荷を並べている。ただ一つ違うのは、人々の顔から、あの異様な高揚が消えていることだった。私は宿の窓から通りを眺めながら、その変化を噛みしめていた。
胸の奥は、ひどく静かだ。あの温もりは、眠っているように感じられる。消えたわけじゃない。ただ、前に出てくる必要がなくなっただけ。世界が、無理に引き上げられるのをやめたからだ。
「……起きなきゃ」
呟いて身支度を整え、外套を羽織る。今日は、王都を出るつもりだった。ここでやるべきことは、もう終わっている。凛香の問題も、王都の問題も、私がこれ以上踏み込むべきものじゃない。
通りに出ると、昨夜の広場は、すでに片付けが進んでいた。崩れかけた石畳が修繕され、騎士たちが巡回している。人々は私に気づいても、指をさしたり、祈りを捧げたりはしない。ただ、一瞬、視線を向けて、すぐに逸らす。それが、妙に心地よかった。
「……あんた」
背後から声がして、振り向くと、昨日水をくれた女性が立っていた。
「王都を出るんだろ」
問いではなく、確認だった。私は頷く。
「はい」
「正解だよ」
彼女は肩をすくめる。
「ここは、選ばれた人間の場所だ。あんたみたいなのは、長くはいられない」
その言葉に、苦笑が漏れた。
「……褒めてます?」
「もちろん」
女性は、はっきりと言った。
「奇跡を止めたくせに、居座らない。欲張らない人間は、信用できる」
私は、軽く頭を下げた。
「ありがとう」
門へ向かう途中、騎士団の詰所の前で足を止められた。昨日の年配の騎士が、そこに立っている。
「白石澪」
名前を呼ばれ、私は立ち止まった。
「王都は、公式にはこう発表する」
彼は、淡々と告げる。
「聖女様は、過度の奇跡による負担で、静養に入った。今後、奇跡は制限される」
「……そうですか」
「混乱を最小限にするためだ」
私は頷いた。それが、最善だろう。
「そなたの存在は、記録に残さない」
騎士は、私を見据えた。
「望んでいないだろう」
「はい」
即答だった。
「だが」
彼は、少しだけ声を落とす。
「もし、再び世界が歪むことがあれば……」
「その時は」
私は、言葉を継いだ。
「必要な場所に、行きます」
騎士は、小さく笑った。
「選ばれなかった者の、選び方だな」
王都の門をくぐる時、私は一度だけ振り返った。高くそびえる城壁、その内側で、凛香は静養しているはずだ。彼女は、これから、自分が“選ばれなくなった後”の人生と向き合うことになる。それは、簡単じゃない。でも、きっと、生きていける。
門を出ると、空気が軽くなった。胸の奥も、同じだ。私は街道を歩き出す。村へ戻るための道。土の匂い、風の感触。それらが、私を現実に引き戻す。
歩いていると、道端で、旅人が休んでいるのが見えた。顔色が悪く、息が荒い。私は、足を止める。胸の奥が、ほんのりと温かくなる。
「……大丈夫ですか」
声をかけ、しゃがみ込む。手を伸ばすかどうか、一瞬だけ迷う。でも、迷う必要はなかった。
「少し、休みましょう」
それだけでいい。無理に治す必要はない。旅人は、安堵したように頷いた。
私は、空を見上げる。
選ばれなかった者たちが、生きる世界。
奇跡がなくても、続いていく世界。
その中で、私は歩き続ける。
名もなく、称えられず、
それでも、確かにここにいる存在として。
△
街道を離れ、村へ続く分かれ道が見え始めた頃、私は足を止めた。懐かしい土の匂いが風に混じっている。胸の奥の温もりは、ささやくようにそこにあった。眠っているわけでも、消えているわけでもない。ただ、必要な分だけ、静かに息をしている。
旅人は休んだことで落ち着きを取り戻し、礼を言って別れた。私はその背中を見送り、再び歩き出す。奇跡を起こしたという実感は、もうない。代わりにあるのは、当たり前の疲労と、当たり前の満足感だった。
村の外れに着くと、見慣れた畑が視界に入った。土は耕され、作物は風に揺れている。あの日、揺り戻しに苦しんでいた子どもたちの姿はなく、代わりに笑い声が聞こえた。胸が、ふっと軽くなる。
「……帰ってきたんだ」
独り言が、自然と口からこぼれた。
集会所の前には、年配の男性が立っていた。私の姿を見つけると、何も言わずに、ただ頷く。その仕草だけで、十分だった。
「王都は?」
短い問い。
「……静かになりました」
「そうか」
それ以上、聞かれなかった。私も、詳しく話さなかった。ここでは、奇跡の話よりも、今日の天気や、作物の出来の方が大事だ。
畑に入ると、自然と身体が動いた。鍬を取り、土に触れる。胸の奥が、ほんのりと応える。作物が、呼吸を整えるみたいに、葉を揺らした。
「……これで、いい」
私は、そう思えた。派手な光も、称賛もない。でも、ここには確かな循環がある。奪わず、押し上げず、ただ戻していく流れ。
夕方、子どもたちが集まってきた。
「おかえり!」
「どこ行ってたの?」
私は、少しだけ笑って答える。
「遠くまで」
「すごい?」
「……まあまあ」
大げさに語る必要はない。子どもたちはすぐに興味を失い、また走り出した。その背中を見送りながら、私は空を見上げた。雲が、ゆっくり流れている。
王都では、今も混乱が続いているだろう。凛香は、自分の居場所を探しているはずだ。選ばれなくなった後の、長い時間を。私は、彼女の答えを待たない。待つ資格も、必要もない。
「……それぞれ、だね」
夕焼けが、畑を染める。胸の奥の温もりが、穏やかに脈打った。ここにいる限り、必要な時に、必要なだけ、手を貸す。それで十分だ。
夜が近づき、村に灯りがともる。私は道具を片付け、宿へ向かった。扉を開けると、女主人がこちらを見る。
「戻ったね」
「はい」
「顔が、静かだ」
その言葉に、私は頷いた。
「……もう、走らなくていい気がして」
女主人は、何も言わずに、温かいスープを差し出した。湯気の向こうで、今日が終わっていく。
選ばれなかった者たちの夜は、穏やかだ。
奇跡がなくても、世界は続く。
◇
夜は、深く静かだった。宿の部屋で横になりながら、私は天井の梁を見つめていた。王都の喧騒も、地鳴りも、まるで遠い夢だったみたいに感じられる。ただ、身体の奥に残る鈍い疲労だけが、あれが現実だったと教えてくれていた。
「……ちゃんと、終わったんだよね」
誰にともなく呟く。胸の奥の温もりは、答えるように、微かに脈打った。それは肯定でも否定でもない。ただ、続いているという感触だ。
眠りに落ちる直前、凛香の顔が浮かんだ。光を失った後の、あの不安そうな表情。選ばれ続けてきた人間が、初めて地面に立たされた瞬間の顔。彼女は今頃、王城の静かな部屋で、自分の価値を測り直しているのだろう。
「……大丈夫だよ」
小さく呟いた言葉は、彼女に届くはずもない。それでも、言わずにはいられなかった。選ばれなくなったからこそ、見えるものもある。私は、それを知っている。
翌朝、村はいつも通りの音で満ちていた。鶏の鳴き声、鍋を叩く音、子どもたちの笑い声。私は宿を出て、畑へ向かう。足元の土は少し湿っていて、夜露の名残が靴裏に伝わった。
「澪」
年配の男性が声をかけてくる。
「今日は、向こうの畑も見てくれ」
「分かりました」
短いやり取り。それだけで、十分だった。私は鍬を手に取り、土に触れる。胸の奥が、静かに応えた。強くはない。でも、確かだ。
作業をしていると、村の入り口が少し騒がしくなった。馬の蹄の音。見慣れない旅装の人物が、数人入ってくる。王都方面からだ。
「……まさか」
胸の奥が、わずかにざわつく。嫌な予感ではない。ただ、流れが動いた感覚。
その中の一人が、私に気づいて近づいてきた。王都で見たことのある、あの年配の騎士だった。
「白石澪」
彼は、周囲を気にしながら、低い声で言った。
「王都より、伝言だ」
私は鍬を置き、彼と向き合った。
「聖女……凛香は」
騎士は、少しだけ言葉を選んでから告げる。
「公の場から退いた。奇跡は行われていない」
胸が、静かに上下した。
「……そうですか」
「代わりに、治癒院と医師団の拡充が進んでいる。時間はかかるが、持ち直すだろう」
それは、正しい流れだった。奇跡に頼らない世界への、第一歩。
「彼女は……」
騎士は、一瞬、言葉を濁した。
「普通の人間として、生きる準備を始めている」
私は、小さく頷いた。
「それで、いいと思います」
騎士は、私をじっと見つめた。
「そなたは、呼び戻されると思ったか」
「いいえ」
即答だった。
「私は、ここにいます」
騎士は、ふっと笑った。
「分かっていた」
彼は、それ以上何も言わず、村を後にした。馬の音が遠ざかるのを見送りながら、私は深く息を吐いた。
選ばれなかった者たちの世界は、こうして少しずつ、地に足を取り戻していく。派手な転換はない。奇跡もない。ただ、時間をかけて、戻っていく。
畑仕事を再開すると、子どもたちが走ってきた。
「ねえ、ねえ」
「今日は何するの?」
私は、鍬を肩に担ぎ、少し考えてから答えた。
「水やり」
「それだけ?」
「それだけ」
子どもたちは不満そうにしながらも、じょうろを持ってきて手伝い始める。その様子を見て、私は微笑んだ。
世界は、壊れなかった。
派手な奇跡を失った代わりに、静かな循環を取り戻した。
胸の奥の温もりは、今日もそこにある。
誰にも気づかれなくていい。
名も称号も、必要ない。
それでも私は、ここで生きている。
それが、選ばれなかった者の答えだった。
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