怪蒐師

うろこ道

文字の大きさ
53 / 58
最終話 触穢

1③

しおりを挟む
 間宮は器用に肘でドアを押し、ダイニングに入った。キッチンの流しに盥の水をざあっと空ける。
 イスルギもダイニングに入ってくると、テーブルに大皿をごとりと置いた。
「そうそう——叔父さんの主治医もヘルパーさんたちも、君のことをすごく心配していたよ。特に主治医は、叔父さんを入院させるなり入所させるなりして君から引き剥がすべきだと言っていた。叔父さんの世話を続けている限り、君は十年前の悲劇にずっと向き合うことになり、つらい過去から逃れることはできないとね」
 間宮は蛇口のレバーを上げてタオルを濯ぎ、かたく絞って盥の縁にかけた。イスルギはそれをダイニングテーブルの横からじっと見ながら言った。
「賢い君だ。そんなことはわかっているはずだ。――なのに自分にとってよりつらい選択をしてしまうのは、によるものだろう」
 間宮はぴたりと動きをとめた。
「自分を罰するために不幸を受け入れ、つらい思いをすることで自分の罪はあがなわれる。そういった思考回路に陥っている——と、叔父さんの主治医が言っていたよ。あの女医は君にずいぶん感情移入しているようだな。叔父の主治医であるのに。私なぞ、ちゃんとアルバイト先の上司だと名乗ったのに思い切り警戒の眼差しを向けられたよ」
 それはイスルギが見るからに怪しげなせいだと間宮は思う。
「まあその女医でなくとも、君は本当に同情するに余りある不憫な境遇だ。幸せに恐怖を感じ不幸に安堵する——そういった歪んだ価値観を形成してしまうのも無理はない」
「……僕はそんな殊勝な人間じゃありません」
「――そうだろうな」
 イスルギはざくっと林檎を噛み千切った。
「あの女医は君のことを悲劇のヒロインのごとくに思っているようだが、私はそうじゃない。大人しげな見た目で騙されがちだが、君はもっと狡猾だ。家族の復讐のために、自分の手の中に置いたんだろう? 在宅介護を選んだのも、病院や施設に入れてしまっては手が出せなくなるからな」
 イスルギは林檎の一切れを平らげると、ゆっくりと近づいてきた。
「叔父さんは精神鑑定の結果、刑事責任能力がないと認められて無罪となったんだってね。あれだけのことをやっておいてな。司法が裁いてくれないのなら自分でやるしかない。そう考えるのが人情というものだ。だが――」
 イスルギはキッチンカウンターを回り込み、間宮の背後に立った。シンクの縁を掴んだ間宮の手元に影が落ちる。
の人間は、復讐などできやしない。特に君のようにまっとうな家庭に産まれ、健全な倫理観と優しさを育んできた人間は、人体を傷つけ、虐待するなんてことなどできないのが当たり前だ。事故物件での仕事で、親しくもない――むしろ嫌い寄りの三ツ橋くんをあんなふうに看病してあげたことを見ても善良な内面がうかがわれる。自分でも、復讐などできやしないと気づいたのだろう? そこで叔父を施設や病院に預ければよかったんだ。――だが君はそれをしなかった。いや、できなかったんだ。君はその時すでに、叔父を手放せなくなっていたからだ」
 共依存という言葉を聞いたことないかね——イスルギは背後から間宮の肩口に顔を寄せて言う。
「共依存とはな、特定の相手との関係に依存しすぎる状態のことだ」
「……僕と叔父がそれだと?」
「君は、一家惨殺というセンセーショナルな事件の生き残りだ。メディアでずいぶん話題になったせいで、宗教関係者や妙な考えを持った人間がまとわりつくのは日常茶飯事だっただろう。まだ小学生の身空で——そのために人間不信になってもおかしくはない。まともな人間関係を築くのが難しいのはその生い立ちのためだ。特定の仲の良い友人も作らず、少しでも内面に踏み入ってこようものならすぐに心に壁を作ってしまう。しかも事件前の友人知人とはすでに縁は切れているんだろう? であればこの叔父が、唯一の深い人間関係と言える。どんなに恨んでいようと、一緒に暮らし、さらに世話までしているとなれば次第に情が湧いてくるものだ。さらに今となっては唯一の肉親だ。彼が君の元から去ってしまったら、ひとりぼっちになってしまうのだからな。……可哀想に。君の人生をめちゃくちゃにした男に依存してしまうとは」
 イスルギは、さも同情するように言う。
「叔父を手放せなくなった君は、叔父を自分の手の内に置き、その一生を支配することが復讐だとおのれに言い聞かせることにしたのだ。そうもっともらしい理由をつけて受け入れがたい感情を納得させることを、心理学用語で合理化と言う。フラストレーションや葛藤からみずからの心を守ろうとする防衛機制の一種だな」
 私が解放してやろう——イスルギはそう言って、間宮の肩に手を置いた。
「君の叔父さんトラウマは、私たちが引き受ける。いつまでも十年前の惨劇に囚われているのはもったいないことだ。これからは、君は君の人生を歩むべきだ」
 イスルギは言い聞かせるように囁いた。
 間宮は——かすかに笑った。
「……見当違いもはなはだしいな」
 訝しげな顔をしたイスルギを、間宮は真正面から見返す。
「全然違いますよ。あなたは何もわかっちゃいない——」
 気圧されたのごとく口を閉ざしたイスルギの手から、間宮は測定装置をすっと抜き取った。
「そこまで言うなら協力しましょう。叔父を通した世界を見れば、僕がなぜあの人の世話をしているか、わかってもらえると思いますよ」
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

短い怖い話 (怖い話、ホラー、短編集)

本野汐梨 Honno Siori
ホラー
 あなたの身近にも訪れるかもしれない恐怖を集めました。 全て一話完結ですのでどこから読んでもらっても構いません。 短くて詳しい概要がよくわからないと思われるかもしれません。しかし、その分、なぜ本文の様な恐怖の事象が起こったのか、あなた自身で考えてみてください。 たくさんの短いお話の中から、是非お気に入りの恐怖を見つけてください。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

終焉列島:ゾンビに沈む国

ねむたん
ホラー
2025年。ネット上で「死体が動いた」という噂が広まり始めた。 最初はフェイクニュースだと思われていたが、世界各地で「死亡したはずの人間が動き出し、人を襲う」事例が報告され、SNSには異常な映像が拡散されていく。 会社帰り、三浦拓真は同僚の藤木とラーメン屋でその話題になる。冗談めかしていた二人だったが、テレビのニュースで「都内の病院で死亡した患者が看護師を襲った」と報じられ、店内の空気が一変する。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

それなりに怖い話。

只野誠
ホラー
これは創作です。 実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。 本当に、実際に起きた話ではございません。 なので、安心して読むことができます。 オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。 不定期に章を追加していきます。 2026/1/2:『そうしき』の章を追加。2026/1/9の朝4時頃より公開開始予定。 2026/1/1:『いえい』の章を追加。2026/1/8の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/31:『たこあげ』の章を追加。2026/1/7の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/30:『ねんがじょう』の章を追加。2026/1/6の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/29:『ふるいゆうじん』の章を追加。2026/1/5の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/28:『ふゆやすみ』の章を追加。2026/1/4の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/27:『ことしのえと』の章を追加。2026/1/3の朝8時頃より公開開始予定。 ※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。

処理中です...