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第8章 告白
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翌日。
僕はいつもよりずっと早く教室に着いていた。着こうとしていたというより、いてもたってもいられなかったという方が正しい。
麻美ちゃんとのやりとりが、頭から離れない。眠ろうとしてもまぶたは重くならず、ベッドの中でも思考がぐるぐると巡ってしまう。それに、ラインではやりとりしていたけれど、栞ちゃんと顔を合わせるのは一昨日以来。あの夜は結局、再度合流することはなかった。事情が事情、とはいえ失礼なことをしたのは事実。謝らなきゃいけないし、昨日交わした約束も果たさなければならない。考えることが山積みで、僕の頭は既に容量オーバーだ。
「珍しいね、明希くんがもういるなんて」
数分遅れてやってきた栞ちゃんは、いつもと変わらない——いや、いつも以上に穏やかな笑顔で立っていた。
「ごめん、栞ちゃん。一昨日は——」
慌てて立ち上がろうとした僕を、彼女の手がそっと制した。そして鞄を机の上に置いてから、静かに自分の席へ腰掛ける。
「麻美ちゃん、無事でよかったね」
そのひと言に、彼女のすべての想いが詰まっていた。目に浮かぶのは明らかな安堵の色。その笑みに釣られて、僕も自然と頷いた。
「逆に明希くんがあの判断しなかったら、私らずっと探し続けるところだったよ」
「……まあ、二棟とも違うって分かった時は、頭が真っ白になったけどね」
結果的に、あの時はただ運が良かっただけだ。車が過ぎ去った方向から考えても、彼女の家はもう一つのアパート群でほぼ間違いない。
試しに地図アプリで測ってみたら、坂の下までが約二百メートル、そのアパート群までは約三百メートルだった。彼女が言っていた“四百メートル”が体感に過ぎないとしても、そこには確かなズレがある。けれど、それでも坂の下までがたった二百しか離れていなかったと知ったとき、僕は少し驚いた。
それにしても、気になるのは『なぜ別れるのがいつも坂の下だったのか』ということだ。色々考えたけれど、おそらくは感情的な理由——それ以外思いつかない。家族に見られたくないとか、余計な詮索を避けたいとか。僕だって、母さんに見られたら気まずいし、ましてや——お父さんと二人きりで暮らしている彼女なら、なおさらその思いは強いはず。
「……今のところ、中学で一番重たい日だったかも」
窓の外に目を向けながら、栞ちゃんが小さく笑う。笑顔の裏で、まぶたの奥に滲むような切なさが見えた気がした。
そうだ。麻美ちゃんのことで影が薄れていたけど、一昨日にはもう一つの出来事があったんだ。
「その……あの後、先輩とは?」
「電話もラインも、ブロックしちゃった。だからもう、全く連絡とってないよ」
「……そっか」
心のどこかに引っかかっていた不安が、ゆっくりとほどけていく。あの先輩ならしつこく追いかけてきてもおかしくなかった。でも、栞ちゃんはもう、きちんと線を引いているらしい。
「でも、また絡まれたら……その時は助けてね?」
少しだけ甘えるように笑う彼女に、思わず見惚れてしまう。
「それにしてもさ。結局、思い出の品は買えなかったね」
「……でも、たぶん僕、死ぬまで一昨日のことは忘れないと思う」
「ふふっ、確かに。それなら必要なかったか。でも、花火はもうちょっと観たかったなあ」
ぽつりと漏らしたその言葉に、わずかな名残惜しさがにじむ。
——切り出すなら、今しかない。下手にタイミングを逃せば、もう自然には誘えない。
「あっ、それなんだけどさ。あの……放課後、時間ある?」
「放課後?」
「うん、放課後」
怪訝そうに首を傾げる彼女。まっすぐな瞳が僕の中を覗き込む。
「何か、あるの?」
「いや、その……」
——その時、後ろの扉がガラリと開いた。
現れたのは、不機嫌そうな三角さんだった。曇った表情のまま真っ直ぐ歩み寄り、一度僕を見てから、栞ちゃんに向かって言う。
「ちょっと、話があるんだけど」
その声には明らかな棘があった。それでも彼女は穏やかな笑顔のまま「うん、いいよ」と返し、すっと立ち上がる。
「放課後、残ってたらいい?」
「あ、うん」
それから、二人は教室を後にした。まだ人はまばらだったけれど、去った直後、教室の空気がわずかに張り詰めた。三角さんの棘のある声が、四隅まで届いていたせいだろう。
とはいえ、放課後に会う約束はちゃんと取りつけた。あとは、どう切り出すか——それだけだ。まあ、それは放課後までに考えればいい。
十数分後、次に姿を見せたのは浩大だった。「よう」とだけ呟いて、無言で窓の外を指差す。僕は頷いて、ベランダへと向かった。
「一昨日は悪かったな。デートの邪魔して」
コンクリートの縁に並んで座ると、浩大は軽く僕の肩を叩いた。
正直、意外だった。昨日もラインでやりとりはしていたけど、てっきり真っ先に麻美ちゃんのことを訊かれると思っていたから。けれど今の浩大は、まるでいつも通りの浩大だった。
「今度なんか奢るわ。あ、待て。ゴムの方がいいか?」
「なんでだよ。まだ昔貰ったやつあるし、というか開けてすらないし」
「は?お前それはダメだろ。手元に一つは持っとけ」
「え、なんで?」
「何でって、いざって時どうすんだ。ああいうのは雰囲気が大事なんだぞ?」
僕はいつもよりずっと早く教室に着いていた。着こうとしていたというより、いてもたってもいられなかったという方が正しい。
麻美ちゃんとのやりとりが、頭から離れない。眠ろうとしてもまぶたは重くならず、ベッドの中でも思考がぐるぐると巡ってしまう。それに、ラインではやりとりしていたけれど、栞ちゃんと顔を合わせるのは一昨日以来。あの夜は結局、再度合流することはなかった。事情が事情、とはいえ失礼なことをしたのは事実。謝らなきゃいけないし、昨日交わした約束も果たさなければならない。考えることが山積みで、僕の頭は既に容量オーバーだ。
「珍しいね、明希くんがもういるなんて」
数分遅れてやってきた栞ちゃんは、いつもと変わらない——いや、いつも以上に穏やかな笑顔で立っていた。
「ごめん、栞ちゃん。一昨日は——」
慌てて立ち上がろうとした僕を、彼女の手がそっと制した。そして鞄を机の上に置いてから、静かに自分の席へ腰掛ける。
「麻美ちゃん、無事でよかったね」
そのひと言に、彼女のすべての想いが詰まっていた。目に浮かぶのは明らかな安堵の色。その笑みに釣られて、僕も自然と頷いた。
「逆に明希くんがあの判断しなかったら、私らずっと探し続けるところだったよ」
「……まあ、二棟とも違うって分かった時は、頭が真っ白になったけどね」
結果的に、あの時はただ運が良かっただけだ。車が過ぎ去った方向から考えても、彼女の家はもう一つのアパート群でほぼ間違いない。
試しに地図アプリで測ってみたら、坂の下までが約二百メートル、そのアパート群までは約三百メートルだった。彼女が言っていた“四百メートル”が体感に過ぎないとしても、そこには確かなズレがある。けれど、それでも坂の下までがたった二百しか離れていなかったと知ったとき、僕は少し驚いた。
それにしても、気になるのは『なぜ別れるのがいつも坂の下だったのか』ということだ。色々考えたけれど、おそらくは感情的な理由——それ以外思いつかない。家族に見られたくないとか、余計な詮索を避けたいとか。僕だって、母さんに見られたら気まずいし、ましてや——お父さんと二人きりで暮らしている彼女なら、なおさらその思いは強いはず。
「……今のところ、中学で一番重たい日だったかも」
窓の外に目を向けながら、栞ちゃんが小さく笑う。笑顔の裏で、まぶたの奥に滲むような切なさが見えた気がした。
そうだ。麻美ちゃんのことで影が薄れていたけど、一昨日にはもう一つの出来事があったんだ。
「その……あの後、先輩とは?」
「電話もラインも、ブロックしちゃった。だからもう、全く連絡とってないよ」
「……そっか」
心のどこかに引っかかっていた不安が、ゆっくりとほどけていく。あの先輩ならしつこく追いかけてきてもおかしくなかった。でも、栞ちゃんはもう、きちんと線を引いているらしい。
「でも、また絡まれたら……その時は助けてね?」
少しだけ甘えるように笑う彼女に、思わず見惚れてしまう。
「それにしてもさ。結局、思い出の品は買えなかったね」
「……でも、たぶん僕、死ぬまで一昨日のことは忘れないと思う」
「ふふっ、確かに。それなら必要なかったか。でも、花火はもうちょっと観たかったなあ」
ぽつりと漏らしたその言葉に、わずかな名残惜しさがにじむ。
——切り出すなら、今しかない。下手にタイミングを逃せば、もう自然には誘えない。
「あっ、それなんだけどさ。あの……放課後、時間ある?」
「放課後?」
「うん、放課後」
怪訝そうに首を傾げる彼女。まっすぐな瞳が僕の中を覗き込む。
「何か、あるの?」
「いや、その……」
——その時、後ろの扉がガラリと開いた。
現れたのは、不機嫌そうな三角さんだった。曇った表情のまま真っ直ぐ歩み寄り、一度僕を見てから、栞ちゃんに向かって言う。
「ちょっと、話があるんだけど」
その声には明らかな棘があった。それでも彼女は穏やかな笑顔のまま「うん、いいよ」と返し、すっと立ち上がる。
「放課後、残ってたらいい?」
「あ、うん」
それから、二人は教室を後にした。まだ人はまばらだったけれど、去った直後、教室の空気がわずかに張り詰めた。三角さんの棘のある声が、四隅まで届いていたせいだろう。
とはいえ、放課後に会う約束はちゃんと取りつけた。あとは、どう切り出すか——それだけだ。まあ、それは放課後までに考えればいい。
十数分後、次に姿を見せたのは浩大だった。「よう」とだけ呟いて、無言で窓の外を指差す。僕は頷いて、ベランダへと向かった。
「一昨日は悪かったな。デートの邪魔して」
コンクリートの縁に並んで座ると、浩大は軽く僕の肩を叩いた。
正直、意外だった。昨日もラインでやりとりはしていたけど、てっきり真っ先に麻美ちゃんのことを訊かれると思っていたから。けれど今の浩大は、まるでいつも通りの浩大だった。
「今度なんか奢るわ。あ、待て。ゴムの方がいいか?」
「なんでだよ。まだ昔貰ったやつあるし、というか開けてすらないし」
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