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第6章
7.トラブル発生
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フレイムがハッと口を閉ざす。
「何かしら?」
アマーリエはキョロキョロと周囲を見回したが、何もない。だが、どこからか叫び声のようなものが微かに聞こえている。
「気のせい、ではないわよね。フレイムも聞こえたでしょう?」
『ああ……裏で働いてる精霊が何かやらかしちまったんだろう。ここは下働き用の空間が重なってるからな』
「そうなの?」
『こんだけの規模の宴なら裏方は戦場だろうさ。……大変だろうなあ』
ポツンと呟いたフレイムは、虚空の一点を見つめていた。かつてその下働きだった彼は、精霊たちの事情にも詳しいのだろう。
『チラッと遠視してみたが、精霊同士がぶつかって、運んでた物を汚損しちまったみたいだ。料理が散乱してるし、抱えてる衣が汚れてる』
眉を顰めた美しい容貌が、次の瞬間盛大に引き攣った。
『ん? つかあの精霊、ヨルンとマイカじゃ……いや待て待て、あれイグニス兄上の神衣じゃねえか!?』
「え、フレイムの知り合いの精霊? ……って灼神様の衣!? だ、大丈夫なの? 几帳面でお厳しい神なのでしょう?」
ブレイズの弟にしてフレイムの兄、灼神イグニス。火神の御子たる選ばれし神だ。大らかで情に篤い火神一族には珍しく、凍える神炎と評されるほどに怜悧で生真面目だという。性質としては炎よりもむしろ氷に近いそうだ。アマーリエにとっては義兄に当たるものの、ブレイズやルファリオンほど頻繁に会っているわけではない。
(私が数回お目通りした時はとてもお優しかったけれど、あれは同胞限定の対応のようだったし)
一時昇天の拝謁の際にもチラリと見かけ、小さく微笑んでくれたが、直に言葉を交わしてはいない。
『大精霊は……別の場所を指揮してる最中か。他の上位精霊も全員てんてこ舞いで手が離せなさそうだし……それ以前にこっちの状況に気付いてもいねえな。つか、こっちの奴らパニックになっちまってる。念話で上に連絡して指示を仰ぐことも思い付いてねえみたいだ』
強張ったフレイムの唇が、ヤベエな、と微かに動く。青ざめた顔色を見るに、かなり良くない事態になっているようだ。
「ね、直接様子を見に行ってみない? 少し抜けるくらいなら分からないわよ。フレイムだって気になっているのでしょう?」
『…………高位神である俺とユフィーが気にすることじゃねえ。泡神様もラミルファも嵐神様も、皆そう言うはずだ。俺はまだ精霊時代のクセが抜け切らねえって、姉神からも狼神様からもよく注意されてる』
「けれど、心配なのよね? 私は他の神々ではなく、フレイムの意志を大事にしたいの。私がいなくてフレイムだけだったら、すぐに駆け付けていたんじゃない?」
『……そりゃ俺しかいなかったら、まあ……』
山吹色の目が気まずそうな色を帯びて伏せられた。アマーリエがいるので奔放な動きをすることを躊躇しているだけで、本当はすっ飛んで行きたいのだろう。
「ほら、やっぱり。ねえ、一緒に行きましょうよ。名前を呼んでいたし、知り合いの精霊たちなのでしょう? 何だか泣き声も聞こえるもの、私も心配だわ」
アマーリエの胸に去来するのは、属国にいた頃、サード邸で妹ミリエーナの誕生会を開催した時のこと。元貴族の矜持を捨て切れない父ダライは、見栄を張って豪勢なパーティーを開き、属国で腰巾着だった神官たちを呼んでもてなした。
可愛らしく着飾ったミリエーナと、めかし込んだダライと母ネイーシャを他所に、着古したお仕着せを纏ったアマーリエは、邸の裏側で走り回っていた。使用人が僅かしかいない邸で、自分が準備の大半を担っていたからだ。
小さな手は、大量の料理をほとんど一人で作らなければならなかったことで火傷を負っていたが、それを霊威で治癒している余裕もなかった。
そんな中、ワインのお代わりはまだかと急かされた。裏通路を全力疾走して運んでいたところ、滑って転倒し、ビンを割ってしまった。転んだ時に打ち付けた頰は腫れ、口を切ったらしく血の味がした。挫いてしまったのか、足首はズキズキと痛んだ。
赤紫の液体がぶちまけられて汚れた床と壁、砕けたビンの欠片。アマーリエは半泣きで、痛む体を引きずって新しいワインを取りに行った。
涙ぐみながら薄暗い道をひた走る自分を、誰も助けてくれなかった。あの時の胸が潰れるような焦燥は、今でも昨日のことのように思い出せる。
『――すまん。ありがとうな、ユフィー。ちょっとだけ様子を見に行かせてくれ。会場の神々見付からねえように、遮蔽と防音の結界を張っとくな』
本当は案じていたのだろう。俄然乗り気になったフレイムが、目隠しの結界を展開する。先ほどから見つめていた虚空の一点に手を添え、ドアを開くような仕草をした。すると空間が細くめくれ、今まで隠されていた裏側の舞台へと届く隙間が現れる。
『そっと入ってくれ』
「分かったわ」
促されるまま、アマーリエはめくれた隙間に体を滑り込ませた。
「何かしら?」
アマーリエはキョロキョロと周囲を見回したが、何もない。だが、どこからか叫び声のようなものが微かに聞こえている。
「気のせい、ではないわよね。フレイムも聞こえたでしょう?」
『ああ……裏で働いてる精霊が何かやらかしちまったんだろう。ここは下働き用の空間が重なってるからな』
「そうなの?」
『こんだけの規模の宴なら裏方は戦場だろうさ。……大変だろうなあ』
ポツンと呟いたフレイムは、虚空の一点を見つめていた。かつてその下働きだった彼は、精霊たちの事情にも詳しいのだろう。
『チラッと遠視してみたが、精霊同士がぶつかって、運んでた物を汚損しちまったみたいだ。料理が散乱してるし、抱えてる衣が汚れてる』
眉を顰めた美しい容貌が、次の瞬間盛大に引き攣った。
『ん? つかあの精霊、ヨルンとマイカじゃ……いや待て待て、あれイグニス兄上の神衣じゃねえか!?』
「え、フレイムの知り合いの精霊? ……って灼神様の衣!? だ、大丈夫なの? 几帳面でお厳しい神なのでしょう?」
ブレイズの弟にしてフレイムの兄、灼神イグニス。火神の御子たる選ばれし神だ。大らかで情に篤い火神一族には珍しく、凍える神炎と評されるほどに怜悧で生真面目だという。性質としては炎よりもむしろ氷に近いそうだ。アマーリエにとっては義兄に当たるものの、ブレイズやルファリオンほど頻繁に会っているわけではない。
(私が数回お目通りした時はとてもお優しかったけれど、あれは同胞限定の対応のようだったし)
一時昇天の拝謁の際にもチラリと見かけ、小さく微笑んでくれたが、直に言葉を交わしてはいない。
『大精霊は……別の場所を指揮してる最中か。他の上位精霊も全員てんてこ舞いで手が離せなさそうだし……それ以前にこっちの状況に気付いてもいねえな。つか、こっちの奴らパニックになっちまってる。念話で上に連絡して指示を仰ぐことも思い付いてねえみたいだ』
強張ったフレイムの唇が、ヤベエな、と微かに動く。青ざめた顔色を見るに、かなり良くない事態になっているようだ。
「ね、直接様子を見に行ってみない? 少し抜けるくらいなら分からないわよ。フレイムだって気になっているのでしょう?」
『…………高位神である俺とユフィーが気にすることじゃねえ。泡神様もラミルファも嵐神様も、皆そう言うはずだ。俺はまだ精霊時代のクセが抜け切らねえって、姉神からも狼神様からもよく注意されてる』
「けれど、心配なのよね? 私は他の神々ではなく、フレイムの意志を大事にしたいの。私がいなくてフレイムだけだったら、すぐに駆け付けていたんじゃない?」
『……そりゃ俺しかいなかったら、まあ……』
山吹色の目が気まずそうな色を帯びて伏せられた。アマーリエがいるので奔放な動きをすることを躊躇しているだけで、本当はすっ飛んで行きたいのだろう。
「ほら、やっぱり。ねえ、一緒に行きましょうよ。名前を呼んでいたし、知り合いの精霊たちなのでしょう? 何だか泣き声も聞こえるもの、私も心配だわ」
アマーリエの胸に去来するのは、属国にいた頃、サード邸で妹ミリエーナの誕生会を開催した時のこと。元貴族の矜持を捨て切れない父ダライは、見栄を張って豪勢なパーティーを開き、属国で腰巾着だった神官たちを呼んでもてなした。
可愛らしく着飾ったミリエーナと、めかし込んだダライと母ネイーシャを他所に、着古したお仕着せを纏ったアマーリエは、邸の裏側で走り回っていた。使用人が僅かしかいない邸で、自分が準備の大半を担っていたからだ。
小さな手は、大量の料理をほとんど一人で作らなければならなかったことで火傷を負っていたが、それを霊威で治癒している余裕もなかった。
そんな中、ワインのお代わりはまだかと急かされた。裏通路を全力疾走して運んでいたところ、滑って転倒し、ビンを割ってしまった。転んだ時に打ち付けた頰は腫れ、口を切ったらしく血の味がした。挫いてしまったのか、足首はズキズキと痛んだ。
赤紫の液体がぶちまけられて汚れた床と壁、砕けたビンの欠片。アマーリエは半泣きで、痛む体を引きずって新しいワインを取りに行った。
涙ぐみながら薄暗い道をひた走る自分を、誰も助けてくれなかった。あの時の胸が潰れるような焦燥は、今でも昨日のことのように思い出せる。
『――すまん。ありがとうな、ユフィー。ちょっとだけ様子を見に行かせてくれ。会場の神々見付からねえように、遮蔽と防音の結界を張っとくな』
本当は案じていたのだろう。俄然乗り気になったフレイムが、目隠しの結界を展開する。先ほどから見つめていた虚空の一点に手を添え、ドアを開くような仕草をした。すると空間が細くめくれ、今まで隠されていた裏側の舞台へと届く隙間が現れる。
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