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第2章
59.その神の名は
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「お、大神様!」
鈴を転がしたような可憐な声が場に割って入る。振り向くと、青ざめた面持ちのリーリアが口元を手で押さえていた。傍にフロースも佇んでいる。
「リーリア様」
アマーリエが呼びかけると、澄んだ緑眼がこちらを向いた。数年前、テスオラの神官府で見かけた時には凛と前を見ていた眼差しが、今は動揺を示すように細かく震えている。
「アマーリエ様……わ、わたくし、こちらの神からお教えいただきましたの。今回誕生した聖威師は皆、神罰として邪霊に差し出された生贄だと……」
チラと視線を振った先にいるのはフロースだ。フレイムがやれやれと頭をかく。
「泡神様は知ってたんだってな。降臨する時にセインの見守りも頼まれてたんだって?」
「うん。邪神様に阻止されて上手くできなかったけど」
「どこまで聞いててどこまで噛んでたのか知らねえけど、今回の聖威師は何かおかしい……とか言いながら、素知らぬ顔で考察してたのも演技か」
「全部ではないけど、大半は。焔神様も邪神様も、色んなことをすぐ分析したがる私の性格を知っている。だんまりで何もせずにいたら、逆に不自然に思われてしまうよ」
ケロリとした顔でフロースが頷き、フレイムは嘆息した。
「お前、結構芝居上手だったんだな」
『私と葬邪神様が無理を言ってお願いしたのですよ。焔神様と骸邪神様には事情を伏せておいてくれと』
フロースを庇うように、狼神が口を挟む。
アマーリエは背伸びをし、そっと腕を上げた。かき回したせいでピョコピョコ跳ねているワインレッドの髪を手ぐしで整えてやる。
「フレイム、髪が乱れているわ」
「ありがとうユフィー」
途端にフレイムが相好を崩した。山吹色の瞳が、熱々のパンケーキにかけた蜂蜜のように甘く蕩ける。そして、じんわりとした熱が籠る目で数瞬アマーリエを見つめた後、ふと温度を消して狼神を見る。
「取り越し苦労ですよ、狼神様」
静かに燃える熾火のような気が揺らめく。灰銀の巨躯を見上げ、フレイムは微笑んだ。
「セインはもう一人で抱え込んだりしません。俺が降臨してから、何度も愚痴や悩みを打ち明けて来ました。俺の神殿内でこっそり話してましたから、把握できなかったんでしょうけど」
フルードの心身はもう限界に来ている。最高神全柱の密命を受け、聖威師たちの状態を確認したフレイムは、そう判断した。それでも今なお強制昇天に踏み切らないでいるのは、大切な弟に渾身の泣き落としを食らったからと――きちんと胸中を他者に晒せるようになっていると分かったからだ。
「聖威師たちがあの子を変えた。俺の手元から出した後、全力で寄り添って、あの子に自分の心の守り方を教えてくれたんです。負担を背負いこんでしまうという従来の課題に関しては、セインはもう大丈夫です」
フルードは、もう以前とは違う。今はきちんと言えるようになった。今回の降臨で久方ぶりに見え、そのことを知った。聞けば、焔の神器や聖威師たちにも打ち明けているらしい。
つまり、地上にいる者たちで相談役は事足りていたため、あえて天界にいるフレイムや狼神、ラミルファと交信して発散することは無かった。ゆえに、三神ともフルードの変化を知らなかったのだ。
『ふぅむ……これは私の認識不足だったようですな。焔神様が仰せならそうなのでしょう。いやはや、愛し子の変化を見逃すとは、主神としてお恥ずかしい限り』
狼神がひょいと身を竦めた。本気で恥じ入っているようには見えないが、一応フォローは入れておく。
「本人から聞いたところじゃ、時空神様の領域下にある空間を活用して、その中でこっそり吐き出してたみたいですからね。その前後はスパッと平常心に切り替えていたなら、気付かないかもしれません」
『ふふ、お気遣い痛み入りますぞ』
含み笑いをする狼神の声に被さるように、甲高い絶叫が響いた。
「大神様、どうかお助け下さい! 邪霊の餌食になどなりたくない!」
オーブリーだ。新たに顕れた少年神の前にひれ伏し、頭を地面に擦り付けんばかりにして頼んでいる。神の外見は10歳頃か。星降の儀に降臨していたので、見覚えがある。
リーリアも見事な跪拝を取り、微動だにせず宙に浮かぶ少年神に敬意を表していた。
『愚か者が。貴様の昇天資格剥奪および地下行きを決定したのはこの私だ。6年前を発端とした度重なる無礼、忘れてはおらぬ。せめて他の神に縋れば良かったものを』
美しいソプラノの声が大気を震わせる。
「なっ……何故です!? 6年前のことはお許しいただけたはず。だから御山洗の儀が成功したのでしょう?」
『世迷言も大概にせよ。6年前、儀式に力を貸したのは私ではない』
「そ、そんな馬鹿な。では代わりを見付けたということか……? いや、たった一晩で代役が見付かるはずが……」
『代役となった者はそこにおるではないか』
ほっそりとした指がリーリアを示す。正確には、リーリアを守るようにその前に佇むフロースを。
「リーリアは許してやって欲しい。彼女まで邪霊に取り込まれるのは、今回の計画には無かったはずだ」
自分より高い目線に浮遊する少年神を見上げ、フロースは言った。神の前に歩み出ると、さらに言葉を繋ぐ。
「あなたが怒っているのはオーブリーに対してのはずだ。リーリアに詰りは抱いていないだろう? だから、地下行きから助けても良いだろう――ウェイブ」
鈴を転がしたような可憐な声が場に割って入る。振り向くと、青ざめた面持ちのリーリアが口元を手で押さえていた。傍にフロースも佇んでいる。
「リーリア様」
アマーリエが呼びかけると、澄んだ緑眼がこちらを向いた。数年前、テスオラの神官府で見かけた時には凛と前を見ていた眼差しが、今は動揺を示すように細かく震えている。
「アマーリエ様……わ、わたくし、こちらの神からお教えいただきましたの。今回誕生した聖威師は皆、神罰として邪霊に差し出された生贄だと……」
チラと視線を振った先にいるのはフロースだ。フレイムがやれやれと頭をかく。
「泡神様は知ってたんだってな。降臨する時にセインの見守りも頼まれてたんだって?」
「うん。邪神様に阻止されて上手くできなかったけど」
「どこまで聞いててどこまで噛んでたのか知らねえけど、今回の聖威師は何かおかしい……とか言いながら、素知らぬ顔で考察してたのも演技か」
「全部ではないけど、大半は。焔神様も邪神様も、色んなことをすぐ分析したがる私の性格を知っている。だんまりで何もせずにいたら、逆に不自然に思われてしまうよ」
ケロリとした顔でフロースが頷き、フレイムは嘆息した。
「お前、結構芝居上手だったんだな」
『私と葬邪神様が無理を言ってお願いしたのですよ。焔神様と骸邪神様には事情を伏せておいてくれと』
フロースを庇うように、狼神が口を挟む。
アマーリエは背伸びをし、そっと腕を上げた。かき回したせいでピョコピョコ跳ねているワインレッドの髪を手ぐしで整えてやる。
「フレイム、髪が乱れているわ」
「ありがとうユフィー」
途端にフレイムが相好を崩した。山吹色の瞳が、熱々のパンケーキにかけた蜂蜜のように甘く蕩ける。そして、じんわりとした熱が籠る目で数瞬アマーリエを見つめた後、ふと温度を消して狼神を見る。
「取り越し苦労ですよ、狼神様」
静かに燃える熾火のような気が揺らめく。灰銀の巨躯を見上げ、フレイムは微笑んだ。
「セインはもう一人で抱え込んだりしません。俺が降臨してから、何度も愚痴や悩みを打ち明けて来ました。俺の神殿内でこっそり話してましたから、把握できなかったんでしょうけど」
フルードの心身はもう限界に来ている。最高神全柱の密命を受け、聖威師たちの状態を確認したフレイムは、そう判断した。それでも今なお強制昇天に踏み切らないでいるのは、大切な弟に渾身の泣き落としを食らったからと――きちんと胸中を他者に晒せるようになっていると分かったからだ。
「聖威師たちがあの子を変えた。俺の手元から出した後、全力で寄り添って、あの子に自分の心の守り方を教えてくれたんです。負担を背負いこんでしまうという従来の課題に関しては、セインはもう大丈夫です」
フルードは、もう以前とは違う。今はきちんと言えるようになった。今回の降臨で久方ぶりに見え、そのことを知った。聞けば、焔の神器や聖威師たちにも打ち明けているらしい。
つまり、地上にいる者たちで相談役は事足りていたため、あえて天界にいるフレイムや狼神、ラミルファと交信して発散することは無かった。ゆえに、三神ともフルードの変化を知らなかったのだ。
『ふぅむ……これは私の認識不足だったようですな。焔神様が仰せならそうなのでしょう。いやはや、愛し子の変化を見逃すとは、主神としてお恥ずかしい限り』
狼神がひょいと身を竦めた。本気で恥じ入っているようには見えないが、一応フォローは入れておく。
「本人から聞いたところじゃ、時空神様の領域下にある空間を活用して、その中でこっそり吐き出してたみたいですからね。その前後はスパッと平常心に切り替えていたなら、気付かないかもしれません」
『ふふ、お気遣い痛み入りますぞ』
含み笑いをする狼神の声に被さるように、甲高い絶叫が響いた。
「大神様、どうかお助け下さい! 邪霊の餌食になどなりたくない!」
オーブリーだ。新たに顕れた少年神の前にひれ伏し、頭を地面に擦り付けんばかりにして頼んでいる。神の外見は10歳頃か。星降の儀に降臨していたので、見覚えがある。
リーリアも見事な跪拝を取り、微動だにせず宙に浮かぶ少年神に敬意を表していた。
『愚か者が。貴様の昇天資格剥奪および地下行きを決定したのはこの私だ。6年前を発端とした度重なる無礼、忘れてはおらぬ。せめて他の神に縋れば良かったものを』
美しいソプラノの声が大気を震わせる。
「なっ……何故です!? 6年前のことはお許しいただけたはず。だから御山洗の儀が成功したのでしょう?」
『世迷言も大概にせよ。6年前、儀式に力を貸したのは私ではない』
「そ、そんな馬鹿な。では代わりを見付けたということか……? いや、たった一晩で代役が見付かるはずが……」
『代役となった者はそこにおるではないか』
ほっそりとした指がリーリアを示す。正確には、リーリアを守るようにその前に佇むフロースを。
「リーリアは許してやって欲しい。彼女まで邪霊に取り込まれるのは、今回の計画には無かったはずだ」
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