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2章
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衛藤家の人々は誰もが志貴を可愛がってくれたが、中でも上は兄ばかりの末っ子で、弟を欲しがっていた一洋は、歳が近いこともありよく面倒を見てくれた。体が大きく、強くてやさしい幼馴染は、帰国子女ということで母国でもいじめに遭っていた志貴にとって、悪ガキを蹴散らし時に諫めてくれる正義の英雄だった。この歳になっても何くれと構ってくるのが玉に瑕だが、今も兄として慕う存在だ。
だからつい、緩んでしまう。梶にも、公使館の誰にも言えない、最近芽生えた小さな疑心の蛇口が。
「――『志貴はコスモポリタンなんだな』」
一洋の隣に腰掛けながら、志貴は遠い日の記憶を手繰り寄せる。
「イチ兄さん、昔こう言ったこと、覚えてる?」
「俺が? 志貴に?」
「うん、兄さんが中学生の時に」
「随分背伸びしたことを言ったもんだ」
十五年以上も前のことだ、忘れていても無理はない。一洋は苦笑を浮かべて答えた。
「学校で習ったから、使ってみたかったんだろう」
「時々あの言葉を思い出すんだ。世界市民、世界主義者。そんな大層なものじゃない。でも僕は、育ちのせいか、どこに対しても帰属意識が薄い。――本当は、外交官に向いていないんじゃないかって」
「志貴、何を言うんだ」
硬い声で窘めようとする一洋を、志貴は眼差しで静かに制した。
「母国を愛しているのは本当だ。大切な人たちがいる、どこと比べても引けを取らない美しい国だと、誇りに思ってる。でも僕は、今の国の形を愛しているわけじゃない」
志貴の愛国心は、国が喧伝し国民に強要するそれとは異なる。国を愛するからこそ、国際社会から孤立などせず、国民とその生活を犠牲にして誤った方向へ進まないでほしいと切に願う。政府の発表を妄信し、その言う通りに行動することは、志貴の愛国心ではない。
「青臭いことを言っているのはわかってる。でも今、僕たちの国は盲のように、取り返しのつかない方向に進んでいるんじゃないかって」
「志貴!」
肩を掴んでくる大きな手は、俯きがちに呟く志貴の目を覚ますように力強い。
「それを食い止めるのが俺たちの役目だろう」
「……目に見えない何かに、邪魔されている気がするんだ」
桐機関が本格的に機能し始めて二ヵ月、ある疑いが頭をもたげて離れない。
きっかけは、日課の新聞チェックだった。入手した敵国の主要紙に載る戦況は、南方戦線での優勢を示していた。敵国の優勢――つまり、母国の劣勢。
勿論、大本営発表では一言も触れていない。彼我両軍とも、味方の被害は報道しないのが常で、敵の被害を誇張するのも常だ。そのことを差し引いても、南方戦線で母国が押され始めているのは明らかだった。この時点で、アメリカが撤退の気配を見せていないのがその証拠だ。
一月半前、テオバルドから受け取った報告書には、以下のことが書かれていた。
だからつい、緩んでしまう。梶にも、公使館の誰にも言えない、最近芽生えた小さな疑心の蛇口が。
「――『志貴はコスモポリタンなんだな』」
一洋の隣に腰掛けながら、志貴は遠い日の記憶を手繰り寄せる。
「イチ兄さん、昔こう言ったこと、覚えてる?」
「俺が? 志貴に?」
「うん、兄さんが中学生の時に」
「随分背伸びしたことを言ったもんだ」
十五年以上も前のことだ、忘れていても無理はない。一洋は苦笑を浮かべて答えた。
「学校で習ったから、使ってみたかったんだろう」
「時々あの言葉を思い出すんだ。世界市民、世界主義者。そんな大層なものじゃない。でも僕は、育ちのせいか、どこに対しても帰属意識が薄い。――本当は、外交官に向いていないんじゃないかって」
「志貴、何を言うんだ」
硬い声で窘めようとする一洋を、志貴は眼差しで静かに制した。
「母国を愛しているのは本当だ。大切な人たちがいる、どこと比べても引けを取らない美しい国だと、誇りに思ってる。でも僕は、今の国の形を愛しているわけじゃない」
志貴の愛国心は、国が喧伝し国民に強要するそれとは異なる。国を愛するからこそ、国際社会から孤立などせず、国民とその生活を犠牲にして誤った方向へ進まないでほしいと切に願う。政府の発表を妄信し、その言う通りに行動することは、志貴の愛国心ではない。
「青臭いことを言っているのはわかってる。でも今、僕たちの国は盲のように、取り返しのつかない方向に進んでいるんじゃないかって」
「志貴!」
肩を掴んでくる大きな手は、俯きがちに呟く志貴の目を覚ますように力強い。
「それを食い止めるのが俺たちの役目だろう」
「……目に見えない何かに、邪魔されている気がするんだ」
桐機関が本格的に機能し始めて二ヵ月、ある疑いが頭をもたげて離れない。
きっかけは、日課の新聞チェックだった。入手した敵国の主要紙に載る戦況は、南方戦線での優勢を示していた。敵国の優勢――つまり、母国の劣勢。
勿論、大本営発表では一言も触れていない。彼我両軍とも、味方の被害は報道しないのが常で、敵の被害を誇張するのも常だ。そのことを差し引いても、南方戦線で母国が押され始めているのは明らかだった。この時点で、アメリカが撤退の気配を見せていないのがその証拠だ。
一月半前、テオバルドから受け取った報告書には、以下のことが書かれていた。
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