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聞こえない声
涙からの恐怖
しおりを挟む外に足を踏み出した時、夏の暑い陽射しに当てられめまいを覚える。気温によるものか、それとも精神的なことが原因なのか分からなかった。
とりあえず宣言通りコンビニに向かう。熱されたアスファルトを足の裏から感じ取り、ただぼんやり履いているネイビーの靴のリボンを眺めた。
死にそうになってたところを九条さんに助けられてここに来た。いつだってマイペースの天然だけど、仕事に関しては責任感が強くて頭が回る人だった。過去の大きな失恋を乗り越えられたのも、ここで見つけた新しい恋のおかげだったとも思う。
でも人生そうそう簡単に進まない。最初から無謀だと思ってたけど、やっぱりそうだった。片想いはここで終わりだ、失恋なんて初めてじゃないし立ち直れるはず。
今の自分には仕事もある、仲間もいる。あの時と違って全てを無くしたわけじゃないんだから、きっと大丈夫。
……ただ、どうしても今、泣いてしまいたい。
ようやくじんわりと出てきた涙をそのままに歩く。目の周りが熱く、唇が震えた。すれ違う人が不思議そうにみてくるのが気になって、慌てて人気のない横道へ逸れる。手のひらで涙を拭きながら小道を進んだ。
大体鈍すぎるんだよ。こんなに一緒にいるのに、私の気持ち一ミリも気づいていないし、デリカシーないし、人の下着みたらせめてもうちょっと慌てろ。
ポッキーのことしか考えてないしその割に時々人を振り回すようなことしてくる天然タラシめ。決めた、今度こっそり九条さんのポッキー全部真ん中で折ってやる。最高の嫌がらせだ。
鼻を啜りながら心の中で悪態をつく。わかってる、失恋したからって完全なる八つ当たりだ。私ってよく九条さんに八つ当たりしてるんだよな(本人気づいてないけど)
鞄の中にあるハンカチで涙を拭く。マスカラが溶けて黒く変色した。これからが一日の始まりだというのに、泣いてどうしよう。
ぐずぐずと落ち込んでしばらくその場で立ち尽くしていた。早く事務所に戻らなければ、という気持ちでなんとか心を保ち、ため息をつきながらハンカチをしまう。コンビニ行くって言ってきたから本当に行かないと変だよね、おにぎり一個買って帰ろ。
気合を入れて顔を上げた時だった。
すぐそばに、人がいた。
白いマスクに黒い帽子をかぶっていた。ジーンズにパーカーというラフな格好。でも小柄な女性のようだった。
その人はじっと私を見つめている。見覚えのない顔に驚き停止した。
「……あの?」
困って声をかけた。明らかに私一人をじっと見つめている。
帽子の下から覗く目に、強い力を覚えた。なんだか怒っているような、そんな目に思える。
なんとなく危機感を覚えた私は少し後ずさった。そして一目散に振り返り、そこから走り去ろうとした。が、素早く腕を掴まれてしまったのだ。
強い力だった。小柄の女性とは思えないほどの力が私の二の腕に指を食い込ませる。一気に恐怖が沸き出た。自分の頬の筋肉が引き攣るのがわかる。
私の腕を握った女は、マスクの下からくぐもった声を出した。
「彼に近づかないで」
「……は」
警告。それも強い。
唖然としながら目の前の女の目を必死に見つめ返した。目元だけじゃ顔はよくわからない、一体この人は?
「は、離して!」
私は思い切り腕を振り払った。強い力だったためか女が少しだけ体のバランスを崩す。同時に、足元にカチャンと何か甲高い音が響いたのに気がついた。逃げるより先に反射的にそちらを向く。
小さな折り畳みナイフだった。
それを見て一気に血の気がひく。この人が誰なのかとか何故私に近づいたのかとか、何も考える余裕はなくなった。落ちているナイフを見た瞬間、私はその場から走って逃げ出した。背後で女が何かを叫んだように聞こえたが振り返らなかった。
何あれ何あれ! 刃物持ってた、何あれ!
必死に足を回転させながら、とりあえず人がいる場所へ目指す。なんでこんなことになってるの、失恋したと思ったら今度は変質者に襲われた。不運どころの騒ぎじゃない連続だ。
一体いつぶりだろうかと思うほどの全速力で駆け抜けたあと、幸いすぐに大通りに出た。そこで振り返ってみるともう女の姿はなかった。乱れた息を落ち着かせるようにしようとするも、全身が震えて仕方がない。
先ほど見た光景を思い出してみる。あれは間違いなくナイフだった。マスクと帽子の間にあった強い目を思い出して身震いする。
「と、とりあえず事務所に……で、でもどうしよう、途中でまた会ったら。いや人がいれば安全、のはず」
一人でぶつぶつと呟きながらパニックに陥った。頭が上手く回ってくれない。そんな中、無意識に鞄から取り出したのはスマホだった。馬鹿みたいに震える手でなんとか操作し、今までほとんどかけたことのない連絡先を呼び出す。それは考えて動いているというよりほぼ無意識だった。未だ自分を襲っている恐怖感の中、私が求めるものを素直に求めただけなのだ。
コールボタンを押して耳に当てる。スマホを握る手は未だブルブルと震えていた。耳に数回だけ呼び出し音が鳴ると、相手はすぐに出た。
『はい』
聞き慣れた声に一気に安心感が広がる。それでも辺りを見回しながら女がいないことを確認し、声を出そうとするもなかなか言葉が出てこない。
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