2 / 3
2
しおりを挟む王太子様が来たあの日から、私の胸はずっとざわついていた。夢じゃないのかなって、目が覚めるたびに不安になる。夜が明けるのが怖くなるほど、あの日の出来事は鮮やかで、心に焼きついていた。
それでも、あの日以来、王太子様が私の元へ迎えに来る――彼の言葉を信じて、私は心のどこかで期待を膨らませていた。
*
ある朝、仕立て屋の店先でリボンを巻いていると、奥様が慌てた様子でやって来た。
「リーゼ、大変よ! あなたの荷物が届いてるわ。王宮から……」
王宮から? その言葉だけで、私は胸が「ぎゅっ」と締めつけられた。
奥様の表情はわからないまま、ふと足元を見ると、少し大きなトランクが置かれていた。高価な皮のトランク。それを見た瞬間、鼓動が速くなった。
「そう。開けてみて……いいわよ」
震える手で箱のふたを開けると、中には、上品なドレスや小物、そして手紙が入っていた。どれも美しく、見たことのないほど素敵で、でもこれが本当に私のものなのか信じられなかった。
「手紙を読んでみて」
奥様に言われて、丁寧に折られた手紙を取り出す。封を切ると、さらさらとした文字が現れた。
「リーゼへ
貴女がいない王宮は、まるで空っぽです。どうか、戻ってきてほしい。
王太子 アデリック」
たったそれだけの文字。でも、私の胸に突き刺さった。どうしよう。この手紙を読んで、喜びと不安がいっぺんに押し寄せてきた。
「……王宮に戻るんだ」
声にならない声を胸に響かせて、私はそっと手紙を折りたたんだ。
「私……。戻ります」
奥様はにっこり笑って、私をぎゅっと抱きしめてくれた。
「よかったね。本当に、よかったよ、リーゼ」
*
荷造りは意外とすぐ終わった。仕立て屋での小さな生活を整理していると、胸がぎゅんとなった。ここは私にとっての安全地帯だったのに。もうすぐこの場所を離れる。
「でも……あなたなら大丈夫よ。あなたは強いのよ」
奥様の言葉を胸に、私はトランクを抱えて王宮へ向かった。
*
城門をくぐる瞬間、心臓が飛び出しそうだった。周りの人々が足を止めて、私の姿を見ているのがわかる。王太子様の婚約者として、目立つことは覚悟していたけれど、やっぱり緊張する。
扉を開けて中に入ると、侍女たちが整列していた。皆一斉に頭を下げる。
「リーゼ様、おかえりなさいませ」
声がいっぺんに聞こえて、私はぎこちなく頭を下げた。胸がきりきり痛む。
その時、部屋の扉が開き、王太子様が現れた。彼は静かに歩いてきて、私の傍に寄った。真っ直ぐに私を見つめてくれて、私は少しほっとした。
「リーゼ。よく戻ってくれた」
その声は、やさしくて、でも強かった。私は小さくうなずいた。
「はい。お呼びいただいて、ありがとうございます」
言葉に詰まりながらも、私はできるだけ落ち着いて答えた。
彼はにこりと笑って、私の手を取り、低い声で囁いた。
「これからはずっと一緒だ。安心してほしい」
その言葉に、胸が熱くなる。今度は私が笑顔でうなずいた。
*
そして、ついにその日――宮廷会議場で正式に婚約の発表がある日がやって来た。大広間は、煌びやかなカーテンとシャンデリアで飾られ、貴族たちが集まっていた。緊張が襲ってきて、足がすくみそうになる。
王太子様は堂々と、皆の前に立ち、落ち着いた声で言った。
「皆の者、聞いてくれ。私はリーゼを婚約者として迎える。そして、王妃として共に歩んでいくことを誓う」
辺りがざわつく。貴族たちの目が一斉に私に向けられた。私はまた頭を下げるしかなかった。心臓がばくばく鳴って、頬が熱くなる。
ざわつきの中、聞き覚えのある声がした。
「あれは……侍女のリーゼでは?」
「王太子様が、本当にあの子と……?」
そんな声。それでも、私は逃げ出さなかった。王太子様はしっかりと私の手を握って支えてくれた。
少しずつざわめきはおさまり、王太子様が微笑む。
「これでよかった……君がそばにいてくれて、本当によかった」
私は、恐る恐る笑って、そして心から安心した。
*
その日の夜。私と王太子様はこっそりと庭園で散歩した。花が香り、とても静かで、月明かりだけが私たちを包んでいた。
彼はそっと、私の髪に触れて静かに言った。
「君が戻ってくれて、嬉しいよ。これからは、君を絶対に守る」
そして、月明かりの下で、彼はそっと私にキスをした。暖かくて、甘くて、でも決意に満ちたキスだった。
「私は、大丈夫です。王太子様がいるなら、どこへでもついていきます」
小さな声でそう言うと、彼はまた微笑んで――手を取り、二人で静かに夜の庭を歩いた。
*
その夜、私の胸は光でいっぱいだった。絵本みたいな本当に奇跡のような現実。
でも、私にはわかっていた。これから先、たくさんの試練が待っている。貴族たちの嫉妬と妨害、そして王妃としての責任。
だけど、今は違った。今なら、どんな嵐が来ても乗り越えられる気がした。だって、私には王太子様がいる。
その夜、私は小さくつぶやきながら目を閉じた。
「これは、私に与えられた“嘘みたいな現実”。この幸せを、しっかりつかんでいくんだ――」
そう心に決めて、私はそっと眠りについた。
王宮に戻ってから数日が過ぎた。毎日が、まるで夢の中にいるみたいで、不思議で仕方なかった。私はもう、ただの侍女じゃない。王太子アデリックの婚約者、未来の王妃候補だ。
でも、現実はそう甘くなかった。
あの日、婚約が発表された後から、貴族の令嬢たちの視線が冷たく、鋭くなった。まるで私がそこにいるのが迷惑だと言わんばかりの、嘲笑と軽蔑に満ちた目だった。
「リーゼ、本当にあなたでいいの?」
そんな声が、あちこちから聞こえてくる。私のことを侮辱する声。
彼女たちはいつも優雅に振る舞い、高貴な笑顔を見せるけれど、心の奥底では私を見下しているのがわかった。
私は、胸が締めつけられるのを感じながらも、負けてはいけないと思った。
「私がここにいるのは、王太子様の決めたこと。私は堂々としている。誰にもひるまない。」
毎日、そう自分に言い聞かせながら、大広間や庭園で顔を上げて歩く。
そんな私を見て、貴族令嬢の一人、カミラが近づいてきた。
「まあ、リーゼさん、王太子様がそんなにあなたを気に入っているなんて、驚きね。侍女が王妃候補なんて、誰が信じるのかしら?」
彼女の言葉は毒のように冷たかった。
私は心の中で震えた。でも、笑顔を作り、落ち着いて答えた。
「王太子様が選んでくださったことだから、私も誇りに思っています」
カミラは鼻で笑って、「それはお気の毒に」と言い残し、去っていった。
私はその背中を見つめながら、小さな声で呟いた。
「私だって、ただの侍女だった。でも、今は違うんだから」
*
その夜、私の部屋に侍女のクララがやってきた。
「リーゼ様……あの方たちの態度、見ていて辛いです。私も以前は同じ気持ちでした。でも、あなたなら大丈夫」
クララの瞳には優しさがあふれていた。
「ありがとう、クララ。私、負けたくない。どんなに辛くても、王太子様のために強くならなきゃ」
クララはうなずき、そっと手を握ってくれた。
「私はずっと味方です」
その言葉に、私は勇気をもらった。
*
翌朝、宮廷の庭で王太子様と散歩していると、ふいにカミラたちが現れた。
「アデリック、あの侍女をもう見限ったほうがいいわよ」
私は言葉を飲み込み、じっと王太子様の顔を見る。
彼は冷静に答えた。
「リーゼは私が選んだ。私は彼女を守る」
その声は揺るがなかった。
私は彼の手を握り返し、胸の中に温かいものを感じた。
*
けれど、王宮での日々は、決して楽ではなかった。
ある日、王太子様の前で、カミラが嘘の噂を広めていたことを知った。
「リーゼが王太子様を操っている」
そんな無意味な中傷に、私は涙が出そうになった。
でも、その夜、王太子様が私のそばに来て、優しく言った。
「噂は無視しよう。私は君を信じている」
私はその言葉に支えられて、また一歩強くなった。
*
ある晩、窓の外でカミラたちの密談が聞こえた。
「どうやってリーゼを追い出すか考えましょう」
私は震えながらも、心に決めた。
「絶対に負けない。私が王妃になるまで」
*
そんなある日、王太子様が突然私の部屋にやってきた。
「リーゼ、君に伝えたいことがある」
私は驚きながらも彼を見つめる。
「君は王宮で一番輝いている。私の未来の王妃として、皆に認めさせよう」
その言葉に、私は胸が熱くなり、涙がこぼれそうになった。
「ありがとう、アデリック。私はあなたのために強くなります」
*
日々の試練を乗り越えながら、私は少しずつ自信をつけていった。
冷たい視線に負けず、自分の価値を信じて、王太子様と共に歩く未来を夢見ていた。
「これが私の道。誰にも邪魔させない」
そう心に誓って、私は新たな一歩を踏み出したのだった。
王宮での毎日は、華やかであると同時に、ひそやかな戦いでもあった。
私は王太子様の婚約者として迎えられ、王妃候補となったけれど、その名誉の裏には、数えきれない敵意が渦巻いているのを感じていた。
ある朝、まだ薄暗い時刻に目が覚めると、いつもと違う静けさが部屋を包んでいた。
カーテンの隙間から見える庭には、深い霧が立ち込めていて、まるでこの世のものとは思えない幻想的な光景だった。
「今日も、戦いの日なんだ」
私はベッドの中でそう呟き、深く息を吸い込んだ。
朝食の間、いつもより冷たい視線が何度も私を刺すように突き刺さった。
貴族たちがささやき合い、私の名前を含む噂が絶えなかった。
「王妃候補のリーゼ、実は不埒な噂が立っているらしいよ」
耳に入るその声は、嘲笑を含んでいた。
私はじっと我慢し、動揺を見せないように努めた。
「そうした噂は無視するに限るわ」
心の中でそう繰り返すしかなかった。
*
その日の午後、私はいつものように王太子様の元へ赴いた。
彼は図書室で書物に目を通していたが、私を見ると優しく微笑んだ。
「リーゼ、今日は少し話がある」
彼の真剣な表情に、私は胸の奥がざわついた。
「何でしょうか?」
静かに尋ねる私に、彼は小さく息を吐いた。
「最近、君のことで根も葉もない噂が流れている。心配だ」
「私もわかっています。でも、気にしすぎないでください」
私は手を差し出し、彼の手を握った。
「君が私を信じてくれるなら、僕も君を守る」
そう言って、王太子様は力強くうなずいた。
その言葉に、私は涙がこぼれそうになった。
*
その夜、私は自室で一人、窓辺に座っていた。
月明かりが私の顔を優しく照らしている。
「どうして、こんなに私に意地悪をするの?」
心の中で叫び、涙が頬を伝った。
でも、そのとき扉が静かに開き、侍女のクララが入ってきた。
「リーゼ様、今晩は。お元気ですか?」
彼女の目には心配があふれていた。
「クララ……ありがとう。少し疲れたの」
私は涙を拭いながら答えた。
「大丈夫。私たちにはあなたがいます。どんなに暗い夜でも、必ず朝は来ます」
クララの言葉に励まされ、私は再び力を取り戻した。
*
翌朝、王宮の庭園で、思いがけない訪問者と出会った。
「リーゼ様」
声の主は、昔からの友人であり、信頼できる騎士のカールだった。
「王太子様を守るために、陰謀の動きを察知しました。油断は禁物です」
私は彼の真剣な目を見つめ、覚悟を決めた。
「ありがとう、カール。これからも私を守ってください」
*
数日後、貴族たちの間でひそかに計画された陰謀が動き出した。
私に対する誹謗中傷が広がり、王太子様に不信感を抱かせようとする動きだった。
ある夜、私は密かにその情報を得て、王太子様に報告した。
「君のことを陥れようとする者たちがいる。だが、僕は君を信じている」
彼の言葉に、私は胸が熱くなった。
*
やがて、私は自分自身でも気づかないうちに、王宮の策略に巻き込まれていった。
だが、王太子様の信頼とクララ、カールたちの支えがあったからこそ、私は強くなれた。
毎日が試練の連続だったけれど、私は自分の運命を受け入れ、乗り越えていく決意を新たにした。
「私は、この試練を乗り越えて、必ず王妃になる」
心の底からそう誓い、私はまた歩き出したのだった。
21
あなたにおすすめの小説
追放された聖女は鬼将軍の愛に溺れて真実を掴む〜偽りの呪いを溶かす甘く激しい愛〜
有賀冬馬
恋愛
神託により「偽りの聖女」として国を追われ、誰も信じられなかった私――リュシア。でも、死を覚悟した荒野で、黒髪の美しい孤高の鬼将軍・辺境伯ディランに救われてから、すべてが変わった。
なぜか私にはだけは甘い彼。厳しいはずの彼の甘く優しい愛に包まれ、私は本当の自分を取り戻す。
そして明かされる真実。実は、神託こそが偽りだった。
神託を偽った者たちへの復讐も、愛も、全てが加速する。
【完結】「君を愛することはない」ということですが、いつ溺愛して下さいますか?
天堂 サーモン
恋愛
「君を愛することはない」初夜にそう言い放たれたクラリッサはとりあえず寝た。そして翌日、侍女のミーナからあるジンクスを伝え聞く。
―初夜の「君を愛することはない」いう発言は『溺愛』を呼ぶのだと。
クラリッサはそのジンクスを信じるでもなく、面白がりながら新婚生活を送る。けれど冷徹な夫・フリードリヒには誰にも言えない秘密があって……
【完結】契約結婚のはずが、旦那様の独占欲が強すぎます!
22時完結
恋愛
契約結婚のはずが、冷徹な旦那様の独占欲が強すぎて、毎日が予想外の展開に。
心優しい私は、彼の冷酷な態度に傷つきながらも次第にその愛に溺れていく。けれど、旦那様の過去の秘密と強すぎる愛情に、私はどう対処すればいいのか…?波乱万丈な日々の中で、二人の関係は一歩一歩進んでいく。果たして、彼の独占欲が私を束縛するのか、それとも二人で幸せな未来を築けるのか?
【完結】契約結婚のはずが、冷酷な公爵の独占欲が強すぎる!?
22時完結
恋愛
失われた信頼を取り戻し、心の壁を崩していく二人の関係。彼の過去に迫る秘密と、激しく交錯する感情の中で、愛を信じられなくなった彼は、徐々にエリーナに心を開いていく。
平民出身の地味令嬢ですが、論文が王子の目に留まりました
有賀冬馬
恋愛
貴族に拾われ、必死に努力して婚約者の隣に立とうとしたのに――「やっぱり貴族の娘がいい」と言われて、あっさり捨てられました。
でもその直後、学者として発表した論文が王子の目に止まり、まさかの求婚!?
「君の知性と誠実さに惹かれた。どうか、私の隣に来てほしい」
今では愛され、甘やかされ、未来の王妃。
……そして元婚約者は、落ちぶれて、泣きながらわたしに縋ってくる。
「あなたには、わたしの価値が見えなかっただけです」
【悲報】氷の悪女と蔑まれた辺境令嬢のわたくし、冷徹公爵様に何故かロックオンされました!?~今さら溺愛されても困ります……って、あれ?
放浪人
恋愛
「氷の悪女」――かつて社交界でそう蔑まれ、身に覚えのない罪で北の辺境に追いやられた令嬢エレオノーラ・フォン・ヴァインベルク。凍えるような孤独と絶望に三年間耐え忍んできた彼女の前に、ある日突然現れたのは、帝国一冷徹と名高いアレクシス・フォン・シュヴァルツェンベルク公爵だった。
彼の目的は、荒廃したヴァインベルク領の視察。エレオノーラは、公爵の鋭く冷たい視線と不可解なまでの執拗な関わりに、「新たな不幸の始まりか」と身を硬くする。しかし、領地再建のために共に過ごすうち、彼の不器用な優しさや、時折見せる温かい眼差しに、エレオノーラの凍てついた心は少しずつ溶かされていく。
「お前は、誰よりも強く、優しい心を持っている」――彼の言葉は、偽りの悪評に傷ついてきたエレオノーラにとって、戸惑いと共に、かつてない温もりをもたらすものだった。「迷惑千万!」と思っていたはずの公爵の存在が、いつしか「心地よいかも…」と感じられるように。
過去のトラウマ、卑劣な罠、そして立ちはだかる身分と悪評の壁。数々の困難に見舞われながらも、アレクシス公爵の揺るぎない庇護と真っ直ぐな愛情に支えられ、エレオノーラは真の自分を取り戻し、やがて二人は互いにとってかけがえのない存在となっていく。
これは、不遇な辺境令嬢が、冷徹公爵の不器用でひたむきな「ロックオン(溺愛)」によって心の氷を溶かし、真実の愛と幸福を掴む、ちょっぴりじれったくて、とびきり甘い逆転ラブストーリー。
「幼馴染は、安心できる人で――独占する人でした」
だって、これも愛なの。
恋愛
幼い頃の無邪気な一言。
「お兄様みたいな人が好き」――その言葉を信じ続け、彼はずっと優しく隣にいてくれた。
エリナにとってレオンは、安心できる幼馴染。
いつも柔らかく笑い、困ったときには「無理しなくていい」と支えてくれる存在だった。
けれど、他の誰かの影が差し込んだ瞬間、彼の奥に潜む本音が溢れ出す。
「俺は譲らないよ。誰にも渡さない」
優しいだけじゃない。
安心と独占欲――その落差に揺さぶられて、エリナの胸は恋に気づいていく。
安心できる人が、唯一の人になるまで。
甘く切ない幼馴染ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる