意地悪な許婚はもういらない!私の幸せはもう誰にも邪魔させない

有賀冬馬

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その日、空はどこまでも青く澄みわたっていて、まるでわたしの心までも映しているみたいだった。

 アルフレッド様との距離が少し縮まったあの日から、わたしの世界はほんの少しずつ、でも確実に変わりはじめていた。

 仕事は忙しいけれど、それすらも充実して感じるようになって……。

 そんなある日の午後。
 わたしが文書整理をしていると、部屋の扉がノックされました。

「リディア様。お客様がお見えです」

「……お客様、ですか?」

 めずらしいことに、城の使用人さんがわざわざ私室まで来るほどの急ぎの用件。
 誰だろうと思いながら応接室へ向かうと――

 そこにいたのは、思いもしない人でした。

「……っ!? アマーリエ様……?」

 わたしの――元婚約者、ルーク様の母親。
 伯爵夫人、アマーリエ・バルティア。

 お美しい方ではあるけれど、その目にはいつも誰かを見下すような冷たい光があって、わたしはいつも苦手意識を持っていた。

 でも今、目の前にいる彼女は……まるで別人みたいに、疲れ切った顔で、目元は赤く腫れていた。

「リディア……いいえ、リディア様……どうか……助けて……」

「……助ける……? わたしが……ですか?」

 理解が追いつかず、ただ反射的に問い返したわたしに、彼女はすがるように両手を差し出してきた。

「ルークが……あの子が、捕まったのよ! あんな、くだらない横領に……うちの家名まで巻き添えにされるなんて……!」

「……横領?」

「そうよ! あの子、領地の税金を私用に使っていたって……! でも違うのよ、きっと誰かが、あの子に濡れ衣を着せたのよ! あの子にそんな知恵があるわけないでしょう!? リディア様、あなたならわかるわよね!?」

 必死な様子でまくし立てる彼女の姿は、まるで、かつての高慢な伯爵夫人とは思えなかった。

 でも……わたしの心には、冷たいものがじんわりと広がっていった。

「……申し訳ありません。ですが、わたしには何もできません」

「そんなっ……! だってあなた、アルフレッド様に気に入られているんでしょう!? あなたが頼めば、きっと助けてくださるはず……!」

「どうしてわたしが、ルーク様のために、アルフレッド様にお願いしなければならないのですか?」

 静かに、でもはっきりとそう言うと、彼女は凍りついたように黙った。

「わたしを下げて、見下して、婚約を破棄してきたのは……ルーク様、そしてあなたです。今さら都合のいいときだけ頼るなんて、虫がよすぎます」

「リディア……あなた……っ」

 アマーリエ様の声は、かすれたように震えていた。

 でもわたしは、もう、迷わない。

「どうかお引き取りください。今のわたしには……守るべき人がいます。アルフレッド様や、今のこの場所、そして……自分自身です」

 そのときだった。

「……立派になられたのですね、リディア様」

 廊下の奥から、落ち着いた声が聞こえてきた。

「アルフレッド様……!」

 アルフレッド様は静かに、けれど力強い足取りでこちらへと歩いてきて、わたしの隣に立ってくれた。

「この件は、すでに王家でも調査が始まっております。ルーク・クローディア侯爵の件は、法に則り、厳正に処理されます。いかなる情状酌量もありません」

「っ、そんな……!」

 アマーリエ様の声が、くずれるように小さくなった。

 そしてそのまま、ふらふらと立ち上がり、崩れた足取りで応接室を後にしていった。

***

 あのときのわたしの鼓動は、今でも忘れられない。

 本当の意味で心が晴れたのは。

 わたしが、アルフレッド様の隣で、ちゃんと「自分の意志」で誰かに「NO」と言えたから。

 過去を断ち切って、今を選べたから。

「よく、言えましたね」

 アルフレッド様が、優しく微笑んでくれた。

「はい……わたし、もう……過去にしがみつくの、やめます」

 アルフレッド様の手が、そっとわたしの肩に触れる。

 あたたかくて、やわらかくて――涙が出そうになった。

「ありがとう、ございます……わたし、あなたに出会えてよかった……」

 この気持ちは、もう誤魔化せない。
 きっと――これは、恋なんだ。









 あの日の夜のことは、たぶん……一生忘れられないと思う。

 わたしの中で何かが、ゆっくりと、でも確かに変わっていったから。

 アマーリエ様が帰ったあと、気が張っていたせいか、わたしはどっと疲れが押し寄せて、応接室のソファにぺたりと座り込んでしまった。

「……疲れた、かもしれません」

 そうつぶやいたときだった。
 ふわり、とあたたかいものが肩にかけられて。

「少し、休みましょうか」

 静かな声。
 アルフレッド様だった。

「わたしの部屋でお茶でも飲みませんか? ……もちろん、無理には言いません」

「……アルフレッド様のお部屋……?」

 わたしは、思わず顔を赤くしてしまった。
 だって、だってそれって、ちょっと……意味深すぎて。

「わ、わたし……その……」

 口ごもるわたしに、アルフレッド様はくすっと笑った。

「心配しなくても、危ないことはしませんよ。まだ、早いですから」

 ……え。
 「まだ」って、なに……? 「早い」って、えっ……!?

 顔が熱くなるのが自分でもわかった。
 でも、アルフレッド様の優しい声とまなざしに、どこか安心して――

「……はい。ご一緒させてください」

 わたしは、静かにうなずいた。

***

 アルフレッド様のお部屋は、思っていたよりもずっと落ち着いた雰囲気だった。
 重厚な家具や、壁の古地図。大きな本棚には歴史書や魔法の書物がぎっしりと並んでいて、まさに“知性”と“威厳”の詰まった空間。

 でも、驚いたのは――

「このお花……生花ですか?」

「はい。リディア様のように、優しく咲くものが好きで」

「えっ……」

 あまりにさりげなく、あまりに自然に、そんなことを言うものだから。
 わたしはどう反応していいかわからなくなって、ただ、俯いてしまった。

「……そんなふうに言われたの、初めてです」

「そうですか? では、これからは何度でも言います」

「っ、アルフレッド様……!」

 ――ずるい。そんなの、反則です。
 優しくて、誠実で、わたしの気持ちをこんなに丁寧に扱ってくれる人なんて、いままで、誰一人いなかった。

「リディア様が、今日きっぱりと自分の意志で拒絶されたのを見て……とても、誇らしく思いました」

「誇らしい……わたしが?」

「ええ。あなたは、もう過去に縛られていない。自分の未来を、自分で選べる人です」

 わたしの胸の奥が、ぎゅっと締めつけられたみたいだった。
 でも、それは苦しさじゃなくて――あたたかい、何か。

「……アルフレッド様。わたし……自分に、自信なんて、なかったんです。誰かに必要とされることも……夢みたいで……」

 そのとき、アルフレッド様がそっとわたしの手に、触れた。
 強くも、弱くもない。とてもやさしい、ぬくもり。

「あなたは……もう、必要とされています。わたしが……心から、あなたを求めています」

「……っ……」

 胸の奥から、こみあげてくる想いを、もう抑えきれなかった。
 涙が、ぽろりと、頬を伝って落ちる。

「アルフレッド様……ありがとう、ございます……」

 わたしの手を包む彼のぬくもりが、すべてをあたためてくれた。
 この人の隣でなら、わたしは、もう迷わなくていい。
 もう泣かなくていい。

 そう、心から思えた夜だった。










 朝の光が窓からやさしく差し込んでいるのに、わたしの胸の中は、ざわざわと波立っていた。

 その日は、城中にひそやかな噂が駆け巡っていた。あの、かつての婚約者――エドワルド侯爵が、公の場で大きな恥をかかされたというのだ。

 わたしは、使用人から小声で聞いた話を反芻しながら、自分の部屋の窓辺に座っていた。

「ルーク子爵は、王の前で完全に暴かれたそうです。横領の証拠も、隠蔽しようとしたことも、ぜんぶ……」

 ため息が出た。

 かつては、あんなに自信たっぷりで、わたしを見下していたあの男が。今や、すべてを失って崩れ落ちているなんて。

 胸の奥に、じわじわと湧き上がる感情があった。

 それは、ただの復讐心じゃなくて。

 わたしはもっと……強くなったんだって、感じたかった。

***

 午後になって、アルフレッド様が城に戻られたとき、わたしは声を震わせて言った。

「アルフレッド様……あの、ルーク子爵は、もう……完全に破滅したんでしょうか?」

 彼は優しくわたしの手を握り、真剣な眼差しで答えてくれた。

「はい。もう取り返しのつかないところまできています。領地も没収され、爵位も剥奪されるでしょう」

「……それでも、かわいそう……なんて思ったりしますか?」

 恥ずかしくて、でも素直な気持ちを隠せずに訊いた。

「最初はわたしもそう思いました。でも……リディア様、あなたがこれまで耐えたこと、傷ついたことを思い出してください」

 アルフレッド様の言葉に、胸が締めつけられる。

「ルーク子爵は自分の都合だけで、あなたを傷つけました。そして今、自分の罪から逃げることもできずにいます」

 そう、わたしはもう、泣いてばかりの弱い子じゃない。

「……わたしは、もう、負けません」

 そう心の中で強く誓った。

***

 夜。アルフレッド様と並んで庭を歩きながら、わたしはぽつりと言った。

「アルフレッド様。どうして……わたしを守ってくれるんですか?」

「リディア様の強さに惹かれたからです。あなたは誰よりも優しく、誰よりも真っ直ぐです。僕は、そのすべてを守りたい」

 わたしの胸はあたたかくなって、涙が自然にこぼれた。

「ありがとう……アルフレッド様。わたし、本当に幸せです」

「リディア様、これからも一緒に歩きましょう。どんな困難も、僕が支えます」

 その約束に、わたしは強くうなずいた。

 そして、心の中に新しい光が灯った。

 










 朝日がゆっくりと昇りはじめたころ、わたしは窓のそばに立っていた。

 外の空気はまだひんやりしていて、草木の匂いがふわりと鼻をくすぐる。

「今日も、いい一日になりそうだな」

 わたしは小さく笑った。

***

 ここまで来るのに、たくさん泣いて、傷ついて、怖かった。

 でも、もう大丈夫。

 だって、アルフレッド様がそばにいてくれるから。

 あの人のやさしい声を思い出すと、胸がぽかぽかあたたかくなる。

「リディア様」

 庭に咲く花のそばで、アルフレッド様が笑いかけてくれた。

「おはようございます、アルフレッド様」

 わたしは礼儀正しく答えるけど、心はドキドキしていた。

「今日は、あなたに伝えたいことがあるんです」

「な、なんでしょう?」

 アルフレッド様の真剣なまなざしに、胸が高鳴った。

「リディア様、これからもずっと、一緒に歩んでほしい。結婚してください」

 その言葉に、わたしは思わず目を見開いた。

「……えっ」

 しばらく声が出なかった。

「わたしと……結婚してくれるんですか?」

「はい。あなたと未来を築きたい。どんなことも、二人で乗り越えられると思うから」

 アルフレッド様の誠実な声に、涙がこぼれた。

「わたしも……アルフレッド様と一緒に歩みたい。ずっと、ずっと」

 そう言って、わたしは彼の手を強く握った。

***

 あのときのルーク子爵のことは、もう過去のこと。

 彼がどんなに嫌なことを言っても、わたしの心はもう揺らがない。

 それに、いまのわたしには、大切な人がいるから。

「アルフレッド様、ありがとう。わたし、あなたのことを心から信じてる」

「リディア様、これからも一緒に笑って、泣いて、幸せを分かち合おう」

 そう誓った瞬間、わたしの胸の中に、新しい光が満ちていった。

***

 これからどんなことがあっても、わたしは負けない。

 過去に縛られず、自分の力で未来を選ぶ――そんな強さを手に入れたから。

 そして何より、わたしは幸せになる権利がある。

「ありがとう、わたしの人生」

 そう心の中でつぶやきながら、わたしは新しい一歩を踏み出した。

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