「華がない」と婚約破棄されたけど、冷徹宰相の恋人として帰ってきたら……

有賀冬馬

文字の大きさ
3 / 4

しおりを挟む
宰相府での生活にも、だいぶ慣れてきた頃。

朝早く起きて、お茶をいれて、書類を整えて、ゼノ様が来られる前に机の上をきれいにして……。それが、わたしの日課になっていた。

 

ゼノ様は、朝になると必ず「おはよう」と声をかけてくれる。

低くてやさしい声で、きちんとわたしの目を見て。

それだけのことなのに、胸がふわってあたたかくなって……なんていうか、うまく言えないけど……すごく、うれしいの。

 

「あの、ゼノ様……昨日お渡しした報告書、読んでいただけましたか?」

 

「もちろんだ。内容も良かった。特に、税制改革案の指摘、助かったよ」

 

「えっ、本当に……?」

 

「君は、まだ自信がないようだな。もっと、自分の判断に誇りを持っていい」

 

その言葉を聞いた瞬間、心の中で何かがキラキラって光った気がした。

なんで、そんなふうに信じてくれるんだろう。
わたしはただ、必死で頑張ってるだけなのに――。

でも、信じてくれる人がいるって、こんなにも心強いんだって、はじめて知ったの。

 

「……ありがとう、ございます」

 

わたしの声は、小さくて、ちょっと震えてしまった。

だけど、ゼノ様は、そんなわたしをちゃんと見ていてくれて……

 

「ナタリー」

 

「は、はいっ」

 

「君は……どうして、そんなに必死で努力する?」

 

突然の質問に、思わず目を瞬きました。

なんでって……そんなの……

 

「わたし……捨てられたくなかったから、です」

 

言ってしまってから、あっ、と口をおさえてしまった。

ゼノ様の前で、こんなこと、言うつもりじゃなかったのに……!

 

でも、ゼノ様は驚いたような顔をしたあと、ふっとやわらかく笑った。

それは、いつもの冷静な笑みじゃなくて――どこか、悲しそうで、優しい、そんな笑顔。

 

「そうか。……君は、あの男に、そんな思いをさせられたのか」

 

「……はい。でも、もう大丈夫です。あの頃みたいに泣いたりしませんから」

 

「……泣いてもいい。無理に強くなろうとしなくていい。君のままでいてくれれば、それでいい」

 

ゼノ様の言葉は、いつもまっすぐで、胸に刺さる。

そして、わたしの中の、まだ癒えていない傷に、そっと手を当ててくれるみたい。

 

わたし、気づいてしまったの。

ゼノ様のことを考えると、心がぽかぽかするの。
笑ってくれたらうれしくて、褒めてくれたら、もっとがんばろうって思える。

それって……それって……

 

「……好き、なのかな、わたし……」

 

ぽろっとこぼれた言葉に、自分でびっくりしてしまって、口を両手でおさえた。

でも、もう遅い。
胸の奥で、何かがほどける音がして――
やっと、素直な気持ちを見つけたの。

 

「ゼノ様……わたし……」

 

何かを言いかけたそのとき、ノックの音がした。

 

「宰相閣下、急ぎの文書が届いております!」

 

使用人の声が、現実を引き戻した。

 

「ああ、わかった。すぐ行く」

 

ゼノ様は、わたしにちらりと視線を向けてから、軽く微笑んで立ち上がった。

 

「続きは、また後で。……ちゃんと聞かせてくれ」

 

その言葉と笑顔が、あまりにあたたかくて。
わたしはその場に立ち尽くしたまま、胸を押さえてしまった。

 

ゼノ様――
わたし、きっと、あなたが――

 

 

その日の夜、ベッドに入ってからも、心臓がうるさくて眠れなかった。

カーテンの向こうで、月がやさしく光ってる。

ああ、どうしよう。
こんな気持ち、どうしたらいいの――。

 

でも、確かなのは。

わたしの心が、ゼノ様を好きになりはじめていること。

もう、戻れないくらい、深くて、やわらかい想いが……心を満たしている。








 

ゼノ様の言葉が、心の奥でずっと響いている。

「無理に強くならなくていい」って――
そう言ってくれたあの声を思い出すたびに、胸がぎゅうってなる。

 

こんなにやさしくされたの、いつぶりだろう。

お父様は厳しくて、褒めてくれることなんてあんまりなかったし、
お母様も、ずっと「女の子はおしとやかに」って言ってばかりで。

ラウル様は……最初はやさしい言葉をくれたけど、だんだん、「もっと美しくなれ」とか、「ドレスぐらい似合え」とか……そんなことばかり。

わたしが一生懸命勉強しても、興味すら持ってくれなかった。

 

だけどゼノ様は、わたしの「努力」をちゃんと見てくれる。

わたしの「まじめ」を、褒めてくれる。

それだけで、こんなにも心があたたかくなるなんて……知らなかった。

 

でも――

 

そんなゼノ様にも、「過去」があるのだと知ったのは、次の日のことだった。

 

「ナタリー嬢。ゼノ様は少し遅れられるそうです」

朝の執務室で、侍従の方がそう言って去っていった。

珍しい……ゼノ様が遅れるなんて。

少し不安になって、書類にも身が入らず、ふと、使いの者たちの話に耳を傾けてしまった。

 

「……例の墓所に行かれたそうです」

「年に一度の……あの日、か」

「若き頃、家族を……」

 

その言葉に、胸がひやりとした。

ゼノ様が……家族を……?

 

わたし、何も知らなかったんだ。

ゼノ様の過去も、痛みも、なにも。

 

──気づけば、足が動いていました。

今、会いに行かなきゃ。どうしても、今。

わたし、あの人のそばにいたい。

そう思った。

 

 

馬車を降りたのは、城下から少し離れた静かな森の奥。

そこには、小さな石造りの礼拝堂と、きれいに手入れされた墓所があった。

しん、とした空気。

風の音だけが、優しく木々を揺らしている。

 

「……ゼノ様」

わたしは、そっと声をかけた。

 

ゼノ様は、小さな花束を手にして、ひとつの墓石の前に立っていた。

その横顔は、いつもの冷静な仮面とはまるで違って……とても、悲しそうで、さびしそうで……

 

「……すまない、ナタリー。こんなところまで来させて」

 

「いえ、どうしても……あなたに、会いたくて」

 

わたしの声は、少し震えていたかもしれなかった。

でも、ちゃんと伝えたかった。ここに来た理由を。

 

「……これは、妹の墓だ。七つのとき、熱病で死んだ」

 

「……妹さん……」

 

「家族はもう、いない。戦争で、親も失った。……私に残ったのは、地位と責任だけだった」

 

ゼノ様の言葉は、静かで、それでいて重くて。

知らなかった。
あの人がそんなにも深い孤独を抱えていたなんて。

 

「……あなたは、強いですね」

わたしがそう言うと、ゼノ様は小さく首を振りました。

 

「違うよ。私はただ、背負うしかなかっただけだ」

 

「……でも、それをずっと……ひとりで……」

 

もう、だめだった。

気づいたら、ぽろぽろと涙がこぼれていた。

それはきっと、ゼノ様の悲しみに触れたからだけじゃない。

自分でも気づかないうちに、わたしは、ゼノ様の心に寄り添いたいと思ってた。

もっと知りたいって思ってた。

 

「ゼノ様……あなたは、もうひとりじゃないです。わたしが……ここにいます」

 

そう言ったとき、ゼノ様がふいにわたしを見つめた。

その目が、ほんの少し揺れて……そして、優しく細められた。

 

「……ありがとう。ナタリー」

 

その言葉だけで、胸がいっぱいになった。

ああ、やっぱり……わたし、好きだ。

この人の力になりたい。
ただの側近じゃなくて、もっと深く、この人の隣に――

 

 

その帰り道、ゼノ様は珍しく、わたしにいろんな話をしてくれた。

昔、妹とよく花を摘みに行った話。

家族を失ってから、宰相になるまでの話。

……そして、心を閉ざしていた時間の話も。

 

そのすべてを、わたしは大事に胸にしまった。

 

夜、ベッドに入ったあとも、心のなかがぽかぽかして眠れなかった。

 

わたし、ゼノ様のことが……ほんとうに好き。

 

この想いが、いつかあの人に届きますように。

いつか、わたしの笑顔が、あの人の悲しみを少しでも癒せるように――。








あれから、ゼノ様とわたしの距離は少しずつ――でも、確実に近づいていった。

毎日の執務室でのやりとり。

ふとしたときに目が合って、視線をそらせなくなってきたのは、きっとわたしだけじゃない……はず。



「この文書、確認お願いします。お昼までに王太后陛下へ」

「うん。ありがとう、ナタリー。やっぱり君がいると、仕事がはかどるな」

 

ふふっ、と自然に笑みがこぼれてしまう。

前なら、「お役に立てて光栄です」って固く返してたかもしれないけど、最近は少し、気がゆるんできた気がする。

 

「ゼノ様も……お疲れではないですか? 無理されてるように見える日、あります」

「君はよく見てるな。本当に。……ああ、今日は少しだけ休憩をとろう。君も一緒に」

 

えっ、い、一緒に……!?

……そんなふうに言われたら、ドキドキが止まらない。

いけない、いけないって思っても、ゼノ様の隣にいると、どうしても心が跳ねてしまう。

 

ふたりきりの控えの間で、温かいお茶を出していただいて、しばしの休息。

窓から見える庭の花が、風に揺れていて、空は明るく晴れていて。

 

「ナタリー、今日は髪、いつもと違う結い方だな。……よく似合ってる」

 

「っ……! あっ、はいっ……侍女のエミーが、たまには変えてみたらって……!」

 

「ふふ、いい侍女さんだ」

 

うそ。もう無理。
こんなにやさしく言われたら、わたし、舞い上がってしまう。

頬が熱くなってきて、視線を合わせられなくて、思わずお茶に口をつけた。

 

「……ナタリー、私の話、もう少し聞いてくれるか?」

 

「はいっ。なんでも、お話しください」

 

そう言ったら、ゼノ様は少し黙って……そして、ぽつりと口を開いた。

 

「……私は、感情を表に出すのが苦手でね。ずっと、強く見せないといけない立場だったから。……でも、君といると、なぜか話したくなる」

 

「……それは、きっと。ゼノ様が、わたしのことを信じてくださっているから……」

 

「……ああ。そうだな。私は、君を信頼している。そして……」

 

そこで、ゼノ様の言葉がふいに止まった。

沈黙。心臓が、ドクン、ドクンと鳴る音が聞こえるくらい静かだった。

 

「そして……?」

 

わたしが小さく問いかけると、ゼノ様は、まっすぐこちらを見た。

その瞳の奥に、隠しきれない何かが揺れていた。

 

「……いや。今は、やめておこう」

 

「……え?」

 

「君が、もっと自分の気持ちに気づいてから……そのときに、伝えるよ」

 

それって、どういう意味……?

わたしのなかに、小さなざわめきが生まれて、でもその正体がまだわからなくて。

ただ、胸の奥でふわっと広がるこの感情が、きっと「恋」なんだろうって、ぼんやり思った。

 

それからも、ゼノ様とわたしは毎日を一緒に過ごして。

誰にも言えない秘密のような、ふたりだけの時間が増えていって――

そして、ある日、とうとうあの人が、わたしの前に再び現れた。

 

それは、晴れた午後のこと。

書類を届けに外へ出ていた帰り、街角の貴族通りで――

 

「……ナタリーじゃないか!」

 

あの、耳障りな声。

嫌でも忘れられない、わたしの元婚約者――ラウル。

 

「こんなところで何をしてる? 貴族の通りは庶民が歩くには場違いだぞ?」

 

まるで昔と同じ、偉そうな態度。

だけど、今のわたしは、もう前のわたしじゃない。

ラウルの言葉に、胸をざわつかせることなんて――しない。

 

「失礼します。お仕事中なので」

 

そう言って通りすぎようとしたそのとき。

 

「待てよ、ナタリー。おまえ、今はあの宰相の側近だって? へぇ……出世したもんだなあ?」

 

にやにやと薄笑いを浮かべるその顔が、まるで落ち目の劇役者みたいで、見ていて哀れだった。

 

「……ゼノ様に無礼な口をきくのは、おやめください」

そう言って、わたしはラウルに背を向けてその場から去った。

わたしの声は震えてなかった。

強く、はっきりと、言えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

運命の番より真実の愛が欲しい

サトウミ
恋愛
田舎娘のゾーイは龍族の王子・シャウロンの『運命の番』だった。 ロマンチックな恋を夢見るゾーイは『運命の番』であるシャウロンと会えるのを楽しみにしていた。 しかし、シャウロンはゾーイに対して素っ気ない。 運命の番だからといって、必ずしも愛し合う関係だとは限らないらしい。 それを悟ったゾーイは、シャウロンのもとから去ることを決意した。

短編 お前なんか一生結婚できないって笑ってたくせに、私が王太子妃になったら泣き出すのはどういうこと?

朝陽千早
恋愛
「お前なんか、一生結婚できない」 そう笑ってた幼馴染、今どんな気持ち? ――私、王太子殿下の婚約者になりましたけど? 地味で冴えない伯爵令嬢エリナは、幼い頃からずっと幼馴染のカイルに「お前に嫁の貰い手なんていない」とからかわれてきた。 けれどある日、王都で開かれた舞踏会で、偶然王太子殿下と出会い――そして、求婚された。 はじめは噂だと笑っていたカイルも、正式な婚約発表を前に動揺を隠せない。 ついには「お前に王太子妃なんて務まるわけがない」と暴言を吐くが、王太子殿下がきっぱりと言い返す。 「見る目がないのは君のほうだ」 「私の婚約者を侮辱するのなら、貴族であろうと容赦はしない」 格の違いを見せつけられ、崩れ落ちるカイル。 そんな姿を、もう私は振り返らない。 ――これは、ずっと見下されていた令嬢が、運命の人に見初められる物語。

婚約破棄されたので、もう誰の役にも立たないことにしました 〜静かな公爵家で、何もしない私の本当の人生が始まります〜

ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として、 完璧であることを求められ続けてきた令嬢エリシア。 だがある日、彼女は一方的に婚約を破棄される。 理由は簡単だった。 「君は役に立ちすぎた」から。 すべてを失ったはずの彼女が身を寄せたのは、 “静かな公爵”と呼ばれるアルトゥール・クロイツの屋敷。 そこで待っていたのは―― 期待も、役割も、努力の強要もない日々だった。 前に出なくていい。 誰かのために壊れなくていい。 何もしなくても、ここにいていい。 「第二の人生……いえ、これからが本当の人生です」 婚約破棄ざまぁのその先で描かれる、 何者にもならなくていいヒロインの再生と、 放っておく優しさに満ちた静かな溺愛。 これは、 “役に立たなくなった”令嬢が、 ようやく自分として生き始める物語。

「誰もお前なんか愛さない」と笑われたけど、隣国の王が即プロポーズしてきました

ゆっこ
恋愛
「アンナ・リヴィエール、貴様との婚約は、今日をもって破棄する!」  王城の大広間に響いた声を、私は冷静に見つめていた。  誰よりも愛していた婚約者、レオンハルト王太子が、冷たい笑みを浮かべて私を断罪する。 「お前は地味で、つまらなくて、礼儀ばかりの女だ。華もない。……誰もお前なんか愛さないさ」  笑い声が響く。  取り巻きの令嬢たちが、まるで待っていたかのように口元を隠して嘲笑した。  胸が痛んだ。  けれど涙は出なかった。もう、心が乾いていたからだ。

婚約破棄されたので、元婚約者の兄(無愛想な公爵様)と結婚します

ニャーゴ
恋愛
伯爵令嬢のエレナは、社交界で完璧な令嬢と評されるも、婚約者である王太子が突然**「君とは結婚できない。真実の愛を見つけた」**と婚約破棄を告げる。 王太子の隣には、彼の新しい恋人として庶民出身の美少女が。 「うわ、テンプレ展開すぎない?」とエレナは内心で呆れるが、王家の意向には逆らえず破談を受け入れるしかない。 しかしその直後、王太子の兄である公爵アルベルトが「俺と結婚しろ」と突如求婚。 無愛想で冷徹と噂されるアルベルトだったが、実はエレナにずっと想いを寄せていた。 婚約破棄されたことで彼女を手に入れるチャンスが巡ってきたとばかりに、強引に結婚へ持ち込もうとする。 「なんでこんな展開になるの!?』と戸惑うエレナだが、意外にもアルベルトは不器用ながらも優しく、次第に惹かれていく—— だが、その矢先、王太子が突然「やっぱり君が良かった」と復縁を申し出てきて……!?

地味で役に立たないと言われて捨てられましたが、王弟殿下のお相手としては最適だったようです

有賀冬馬
恋愛
「君は地味で、将来の役に立たない」 そう言われ、幼なじみの婚約者にあっさり捨てられた侯爵令嬢の私。 社交界でも忘れ去られ、同情だけを向けられる日々の中、私は王宮の文官補佐として働き始める。 そこで出会ったのは、権力争いを嫌う変わり者の王弟殿下。 過去も噂も問わず、ただ仕事だけを見て評価してくれる彼の隣で、私は静かに居場所を見つけていく。 そして暴かれる不正。転落していく元婚約者。 「君が隣にいない宮廷は退屈だ」 これは、選ばれなかった私が、必要とされる私になる物語。

醜貌の聖女と呼ばれ、婚約破棄されましたが、実は本物の聖女でした

きまま
恋愛
王国の夜会で、第一王子のレオンハルトから婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リリエル・アルヴァリア。 顔を銀の仮面で隠していることから『醜貌の聖女』と嘲られ、不要と切り捨てられた彼女は、そのまま王城を追われることになる。 しかし、その後に待ち受ける国の運命は滅亡へと向かっていた——

虐げられたアンネマリーは逆転勝利する ~ 罪には罰を

柚屋志宇
恋愛
侯爵令嬢だったアンネマリーは、母の死後、後妻の命令で屋根裏部屋に押し込められ使用人より酷い生活をすることになった。 みすぼらしくなったアンネマリーは頼りにしていた婚約者クリストフに婚約破棄を宣言され、義妹イルザに婚約者までも奪われて絶望する。 虐げられ何もかも奪われたアンネマリーだが屋敷を脱出して立場を逆転させる。 ※小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。

処理中です...