2 / 4
2
しおりを挟む
王都を離れ、馬車に揺られて何日も旅をした。馬車の窓から見える景色は、今まで見てきた王都の華やかな街並みとはまったく違っていた。広がるのは、どこまでも続く森や、透き通った川。山々は雄大で、空はどこまでも青い。まるで、絵本の中に迷い込んだみたい。
最初は、不安でいっぱいだった。本当に私、この旅を乗り越えられるのかなって。でも、日を追うごとに、私の心は少しずつ軽くなっていくのを感じた。王都での冷たい視線も、カイル様の残酷な言葉も、遠く遠く離れていくみたいだった。
そして、ようやくおばあ様の住む村に到着した。小さな村だけど、みんなが温かく私を迎えてくれた。
「レネ、よく来たね」
おばあ様は、私の手をぎゅっと握りしめてくれた。その手の温かさに、涙が止まらなくなった。久しぶりに感じる、何のしがらみもない、ただただ温かい愛情。私はおばあ様の胸に顔をうずめて、声を出して泣いた。こんなに泣いたのは、本当に久しぶりだった。
おばあ様の家は、村の少し外れにある、小さくて可愛らしい家だった。庭にはたくさんの花が咲いていて、鳥のさえずりが聞こえる。王都の侯爵邸とは比べ物にならないくらい質素だけど、なぜかとても心が落ち着いた。
私はおばあ様と一緒に、畑仕事をしたり、森へ木の実を採りに行ったりした。おばあ様は、私に色々なことを教えてくれた。今まで知らなかった植物の名前や、季節の移り変わり。王都では感じることのできなかった、自然の息吹を肌で感じた。
ある日のこと、私はおばあ様にお願いして、村の近くにある泉へ出かけた。澄んだ水が湧き出す、とても美しい泉だと聞いていたから。
泉のほとりにたどり着くと、きらきらと光る水面が目に飛び込んできた。その美しさに、私は思わずため息をついた。
「きれい……」
水を掬い上げて、顔を洗う。ひんやりとした水の感触が、とても心地よかった。
その時だった。
「あの、大丈夫ですか?」
不意に、背後から優しい声が聞こえた。驚いて振り返ると、そこに立っていたのは、背が高くて、りりしい顔立ちの男性だった。きらめく銀色の髪に、吸い込まれるような紫色の瞳。王都で見てきたどんな貴族の男性よりも、ずっと落ち着いていて、それでいて力強い雰囲気を持っていた。
私は突然のことに言葉が出ず、ただ黙って彼を見上げていた。
「顔色が悪いようですが、何かあったのですか?」
彼は心配そうな顔で、私に問いかけた。その声は、カイル様のように冷たくなく、まるで温かい毛布に包まれるような優しさがあった。
「いえ、あの、大丈夫です。ただ、少し、驚いてしまって……」
私はかろうじて、そう答えた。彼に心配させてしまったことが、なんだか申し訳なくて。
「そうですか。もし何か困ったことがあれば、いつでも言ってください」
彼はにこりと微笑んだ。その笑顔は、どこか安心感を与えてくれる。今まで会ったことのないタイプの人だった。私は彼の優しさに、思わず胸がきゅんとした。
「あの、あなたは……?」
私は勇気を出して、彼の名前を尋ねてみた。
「私はユリアン。この辺りを巡回している者です」
ユリアンさん。彼の名前は、私の心にすっと染み込んでいった。これが、聖騎士団長ユリアンとの、初めての出会いだった。この時の私は、まさか彼が、私の運命を大きく変える人だなんて、想像もしていなかったけれど。
それから、私はユリアンさんと、たびたび村で顔を合わせるようになった。彼はいつも、村の人たちに優しくて、困っている人がいればすぐに助けてあげていた。私も、彼と少しずつ言葉を交わすようになっていった。
ある日、私が泉のほとりで本を読んでいると、ユリアンさんがやってきた。
「読書がお好きなんですね」
彼は、私の手元の本に目を留めた。
「はい。小さい頃から、ずっと」
「僕もです。この辺りは、あまり本が手に入らないので、珍しい本を読む機会は少ないのですが」
ユリアンさんは、本当に本が好きなんだな、と分かった。目がきらきらしていたから。私は、王都から持ってきた何冊かの本の中から、彼が興味を持ちそうな本を選んで、貸してあげることにした。
「もしよかったら、これを」
私は、古い物語の本を差し出した。
「いいんですか? ありがとうございます。大切に読ませていただきます」
ユリアンさんは、心から嬉しそうな顔をして、本を受け取ってくれた。その笑顔を見ていると、私の心も温かくなるのを感じた。
ユリアンさんと話す時間は、私にとって、かけがえのないものになっていった。彼は、私がどんなに話下手でも、じっと耳を傾けてくれた。私が刺繍の話をすれば、「素敵な模様ですね」と褒めてくれた。カイル様からは一度も言われたことのない、優しい言葉の数々。
彼の存在は、私の凍てついた心を、ゆっくりと溶かしていくようだった。
ある日、おばあ様が私に言った。
「レネ、ずいぶん明るくなったね。ユリアンさんといると、いつも楽しそうだ」
私はドキッとした。おばあ様は、何もかもお見通しなんだ。でも、嬉しかった。私の変化に気づいてくれる人がいるって。
「はい……ユリアンさんは、とても優しい方です」
「そうかい。あの子は、本当にいい子だからね」
おばあ様は、目を細めて微笑んだ。その顔を見て、私はふと、ユリアンさんのことをもっと知りたいと思った。彼は、この辺りで一体何をしているんだろう?
「おばあ様、ユリアンさんは、一体どういう方なんですか?」
私が尋ねると、おばあ様は少し驚いたような顔をしてから、ゆっくりと話し始めた。
「あの子はね、聖騎士団長だよ」
「え……?」
私の頭は真っ白になった。聖騎士団長? あの、王都で騎士たちの頂点に立つ、勇敢で、高潔な騎士たちのリーダー? まさか、こんな辺境の地で、そんなすごい人に会えるなんて。
「だから、いつもこの辺りを巡回しているんだよ。王都から派遣されてね。治安を守ってくれているのさ」
おばあ様の言葉に、私はただ呆然とするしかなかった。まさか、あの穏やかで優しいユリアンさんが、そんなにも偉い人だったなんて。私は、自分の無知が恥ずかしくなった。同時に、今までユリアンさんに何気なく接してきたことが、急に恐ろしくなった。
彼を見上げると、いつもと変わらない優しい笑顔があった。彼の瞳は、私が今まで見てきたどんな人よりも、清らかで、そして強い光を宿しているように見えた。私は、彼への信頼と、そして少しずつ芽生え始めていた特別な感情が、より一層深まっていくのを感じた。
「あの……ユリアンさん」
「はい、レネさん?」
「その、聖騎士団長だなんて、知らなくて……」
私の言葉に、ユリアンさんは少し困ったように笑った。
「お伝えしていませんでしたね。すみません。でも、私の身分は、この辺りではあまり重要ではありませんから」
「そんなこと……!」
私にとっては、大事件だったのに。でも、ユリアンさんは、少しも偉ぶった様子がない。それが、ますます彼を魅力的に見せた。
それからの日々は、さらに穏やかに流れていった。ユリアンさんが聖騎士団長だと知っても、私たちの関係は何も変わらなかった。彼は、私がどんなに拙い言葉で話しても、いつも真剣に聞いてくれた。私の手芸の話も、真剣に相槌を打ってくれた。
一緒に森を散策したり、泉で釣りをしたり。時には、彼が騎士団での訓練の話をしてくれることもあった。私は、彼の言葉に耳を傾けながら、彼がどれほど国のために尽くしているかを知り、尊敬の念を抱いた。
そして、ある日の夕焼け空の下。
「レネさん。私、近々王都に戻ることになります」
ユリアンさんが、静かにそう告げた。私の心臓が、きゅっと締め付けられる。わかっていた。彼はいつか、王都へ戻る人だって。でも、いざその言葉を聞くと、胸の奥がぎゅっと痛んだ。
「そうですか……」
私の声は、ひどく震えていた。ユリアンさんは、私の表情をじっと見つめている。
「寂しく、なりますね」
精一杯、平静を装ってそう言ったけれど、私の目からは涙が溢れそうになっていた。
ユリアンさんは、何も言わずに、私の頭にそっと手を置いた。その手の温かさが、私の心をじんわりと包み込む。
「私もです。レネさんと過ごしたこの日々は、私にとってかけがえのないものでした」
彼の言葉が、私の心に温かく染み渡る。彼も、私と同じ気持ちでいてくれたんだ。それだけで、私の心は少しだけ救われた。
「でも、いつかまた、お会いできると信じています」
ユリアンさんのまっすぐな瞳が、私を見つめる。私は、その言葉に、希望を見出した。いつか、また会える。その日を信じて、私はここで待っていよう。
ユリアンさんの宮廷への帰還の日。村の人たちが皆、彼を見送りに来ていた。私も、おばあ様と一緒に、彼の姿を見つめていた。
「皆さん、本当にありがとうございました。この村での日々を、私は決して忘れません」
ユリアンさんは、深々と頭を下げた。その姿は、騎士の制服をまとい、辺境にいた時よりもずっとりりしく、威厳に満ちていた。けれど、私には、あの優しい笑顔のユリアンさんのままだ。
馬車に乗り込む直前、ユリアンさんは私の方を振り返った。そして、小さく微笑み、片手を上げて見せた。私も、精一杯の笑顔で、手を振り返した。彼の姿が見えなくなるまで、私はずっと手を振り続けた。
ユリアンさんが去ってからの日々は、少しだけ寂しかった。でも、以前のような絶望感はなかった。ユリアンさんとの思い出が、私の心を温めてくれたから。私は、再び読書や刺繍に没頭した。今度は、ユリアンさんに読んでもらいたい本や、彼に見てほしい刺繍を想像しながら。
そうして、どれくらいの時間が経っただろうか。辺境の地にも、少しずつ春の兆しが見え始めた頃だった。
最初は、不安でいっぱいだった。本当に私、この旅を乗り越えられるのかなって。でも、日を追うごとに、私の心は少しずつ軽くなっていくのを感じた。王都での冷たい視線も、カイル様の残酷な言葉も、遠く遠く離れていくみたいだった。
そして、ようやくおばあ様の住む村に到着した。小さな村だけど、みんなが温かく私を迎えてくれた。
「レネ、よく来たね」
おばあ様は、私の手をぎゅっと握りしめてくれた。その手の温かさに、涙が止まらなくなった。久しぶりに感じる、何のしがらみもない、ただただ温かい愛情。私はおばあ様の胸に顔をうずめて、声を出して泣いた。こんなに泣いたのは、本当に久しぶりだった。
おばあ様の家は、村の少し外れにある、小さくて可愛らしい家だった。庭にはたくさんの花が咲いていて、鳥のさえずりが聞こえる。王都の侯爵邸とは比べ物にならないくらい質素だけど、なぜかとても心が落ち着いた。
私はおばあ様と一緒に、畑仕事をしたり、森へ木の実を採りに行ったりした。おばあ様は、私に色々なことを教えてくれた。今まで知らなかった植物の名前や、季節の移り変わり。王都では感じることのできなかった、自然の息吹を肌で感じた。
ある日のこと、私はおばあ様にお願いして、村の近くにある泉へ出かけた。澄んだ水が湧き出す、とても美しい泉だと聞いていたから。
泉のほとりにたどり着くと、きらきらと光る水面が目に飛び込んできた。その美しさに、私は思わずため息をついた。
「きれい……」
水を掬い上げて、顔を洗う。ひんやりとした水の感触が、とても心地よかった。
その時だった。
「あの、大丈夫ですか?」
不意に、背後から優しい声が聞こえた。驚いて振り返ると、そこに立っていたのは、背が高くて、りりしい顔立ちの男性だった。きらめく銀色の髪に、吸い込まれるような紫色の瞳。王都で見てきたどんな貴族の男性よりも、ずっと落ち着いていて、それでいて力強い雰囲気を持っていた。
私は突然のことに言葉が出ず、ただ黙って彼を見上げていた。
「顔色が悪いようですが、何かあったのですか?」
彼は心配そうな顔で、私に問いかけた。その声は、カイル様のように冷たくなく、まるで温かい毛布に包まれるような優しさがあった。
「いえ、あの、大丈夫です。ただ、少し、驚いてしまって……」
私はかろうじて、そう答えた。彼に心配させてしまったことが、なんだか申し訳なくて。
「そうですか。もし何か困ったことがあれば、いつでも言ってください」
彼はにこりと微笑んだ。その笑顔は、どこか安心感を与えてくれる。今まで会ったことのないタイプの人だった。私は彼の優しさに、思わず胸がきゅんとした。
「あの、あなたは……?」
私は勇気を出して、彼の名前を尋ねてみた。
「私はユリアン。この辺りを巡回している者です」
ユリアンさん。彼の名前は、私の心にすっと染み込んでいった。これが、聖騎士団長ユリアンとの、初めての出会いだった。この時の私は、まさか彼が、私の運命を大きく変える人だなんて、想像もしていなかったけれど。
それから、私はユリアンさんと、たびたび村で顔を合わせるようになった。彼はいつも、村の人たちに優しくて、困っている人がいればすぐに助けてあげていた。私も、彼と少しずつ言葉を交わすようになっていった。
ある日、私が泉のほとりで本を読んでいると、ユリアンさんがやってきた。
「読書がお好きなんですね」
彼は、私の手元の本に目を留めた。
「はい。小さい頃から、ずっと」
「僕もです。この辺りは、あまり本が手に入らないので、珍しい本を読む機会は少ないのですが」
ユリアンさんは、本当に本が好きなんだな、と分かった。目がきらきらしていたから。私は、王都から持ってきた何冊かの本の中から、彼が興味を持ちそうな本を選んで、貸してあげることにした。
「もしよかったら、これを」
私は、古い物語の本を差し出した。
「いいんですか? ありがとうございます。大切に読ませていただきます」
ユリアンさんは、心から嬉しそうな顔をして、本を受け取ってくれた。その笑顔を見ていると、私の心も温かくなるのを感じた。
ユリアンさんと話す時間は、私にとって、かけがえのないものになっていった。彼は、私がどんなに話下手でも、じっと耳を傾けてくれた。私が刺繍の話をすれば、「素敵な模様ですね」と褒めてくれた。カイル様からは一度も言われたことのない、優しい言葉の数々。
彼の存在は、私の凍てついた心を、ゆっくりと溶かしていくようだった。
ある日、おばあ様が私に言った。
「レネ、ずいぶん明るくなったね。ユリアンさんといると、いつも楽しそうだ」
私はドキッとした。おばあ様は、何もかもお見通しなんだ。でも、嬉しかった。私の変化に気づいてくれる人がいるって。
「はい……ユリアンさんは、とても優しい方です」
「そうかい。あの子は、本当にいい子だからね」
おばあ様は、目を細めて微笑んだ。その顔を見て、私はふと、ユリアンさんのことをもっと知りたいと思った。彼は、この辺りで一体何をしているんだろう?
「おばあ様、ユリアンさんは、一体どういう方なんですか?」
私が尋ねると、おばあ様は少し驚いたような顔をしてから、ゆっくりと話し始めた。
「あの子はね、聖騎士団長だよ」
「え……?」
私の頭は真っ白になった。聖騎士団長? あの、王都で騎士たちの頂点に立つ、勇敢で、高潔な騎士たちのリーダー? まさか、こんな辺境の地で、そんなすごい人に会えるなんて。
「だから、いつもこの辺りを巡回しているんだよ。王都から派遣されてね。治安を守ってくれているのさ」
おばあ様の言葉に、私はただ呆然とするしかなかった。まさか、あの穏やかで優しいユリアンさんが、そんなにも偉い人だったなんて。私は、自分の無知が恥ずかしくなった。同時に、今までユリアンさんに何気なく接してきたことが、急に恐ろしくなった。
彼を見上げると、いつもと変わらない優しい笑顔があった。彼の瞳は、私が今まで見てきたどんな人よりも、清らかで、そして強い光を宿しているように見えた。私は、彼への信頼と、そして少しずつ芽生え始めていた特別な感情が、より一層深まっていくのを感じた。
「あの……ユリアンさん」
「はい、レネさん?」
「その、聖騎士団長だなんて、知らなくて……」
私の言葉に、ユリアンさんは少し困ったように笑った。
「お伝えしていませんでしたね。すみません。でも、私の身分は、この辺りではあまり重要ではありませんから」
「そんなこと……!」
私にとっては、大事件だったのに。でも、ユリアンさんは、少しも偉ぶった様子がない。それが、ますます彼を魅力的に見せた。
それからの日々は、さらに穏やかに流れていった。ユリアンさんが聖騎士団長だと知っても、私たちの関係は何も変わらなかった。彼は、私がどんなに拙い言葉で話しても、いつも真剣に聞いてくれた。私の手芸の話も、真剣に相槌を打ってくれた。
一緒に森を散策したり、泉で釣りをしたり。時には、彼が騎士団での訓練の話をしてくれることもあった。私は、彼の言葉に耳を傾けながら、彼がどれほど国のために尽くしているかを知り、尊敬の念を抱いた。
そして、ある日の夕焼け空の下。
「レネさん。私、近々王都に戻ることになります」
ユリアンさんが、静かにそう告げた。私の心臓が、きゅっと締め付けられる。わかっていた。彼はいつか、王都へ戻る人だって。でも、いざその言葉を聞くと、胸の奥がぎゅっと痛んだ。
「そうですか……」
私の声は、ひどく震えていた。ユリアンさんは、私の表情をじっと見つめている。
「寂しく、なりますね」
精一杯、平静を装ってそう言ったけれど、私の目からは涙が溢れそうになっていた。
ユリアンさんは、何も言わずに、私の頭にそっと手を置いた。その手の温かさが、私の心をじんわりと包み込む。
「私もです。レネさんと過ごしたこの日々は、私にとってかけがえのないものでした」
彼の言葉が、私の心に温かく染み渡る。彼も、私と同じ気持ちでいてくれたんだ。それだけで、私の心は少しだけ救われた。
「でも、いつかまた、お会いできると信じています」
ユリアンさんのまっすぐな瞳が、私を見つめる。私は、その言葉に、希望を見出した。いつか、また会える。その日を信じて、私はここで待っていよう。
ユリアンさんの宮廷への帰還の日。村の人たちが皆、彼を見送りに来ていた。私も、おばあ様と一緒に、彼の姿を見つめていた。
「皆さん、本当にありがとうございました。この村での日々を、私は決して忘れません」
ユリアンさんは、深々と頭を下げた。その姿は、騎士の制服をまとい、辺境にいた時よりもずっとりりしく、威厳に満ちていた。けれど、私には、あの優しい笑顔のユリアンさんのままだ。
馬車に乗り込む直前、ユリアンさんは私の方を振り返った。そして、小さく微笑み、片手を上げて見せた。私も、精一杯の笑顔で、手を振り返した。彼の姿が見えなくなるまで、私はずっと手を振り続けた。
ユリアンさんが去ってからの日々は、少しだけ寂しかった。でも、以前のような絶望感はなかった。ユリアンさんとの思い出が、私の心を温めてくれたから。私は、再び読書や刺繍に没頭した。今度は、ユリアンさんに読んでもらいたい本や、彼に見てほしい刺繍を想像しながら。
そうして、どれくらいの時間が経っただろうか。辺境の地にも、少しずつ春の兆しが見え始めた頃だった。
1,441
あなたにおすすめの小説
下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~
イシュタル
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。
王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。
そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。
これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。
⚠️本作はAIとの共同製作です。
地味令嬢を馬鹿にした婚約者が、私の正体を知って土下座してきました
ほーみ
恋愛
王都の社交界で、ひとつの事件が起こった。
貴族令嬢たちが集う華やかな夜会の最中、私――セシリア・エヴァンストンは、婚約者であるエドワード・グラハム侯爵に、皆の前で婚約破棄を告げられたのだ。
「セシリア、お前との婚約は破棄する。お前のような地味でつまらない女と結婚するのはごめんだ」
会場がざわめく。貴族たちは興味深そうにこちらを見ていた。私が普段から控えめな性格だったせいか、同情する者は少ない。むしろ、面白がっている者ばかりだった。
顔も知らない旦那様に間違えて手紙を送ったら、溺愛が返ってきました
ラム猫
恋愛
セシリアは、政略結婚でアシュレイ・ハンベルク侯爵に嫁いで三年になる。しかし夫であるアシュレイは稀代の軍略家として戦争で前線に立ち続けており、二人は一度も顔を合わせたことがなかった。セシリアは孤独な日々を送り、周囲からは「忘れられた花嫁」として扱われていた。
ある日、セシリアは親友宛てに夫への不満と愚痴を書き連ねた手紙を、誤ってアシュレイ侯爵本人宛てで送ってしまう。とんでもない過ちを犯したと震えるセシリアの元へ、数週間後、夫から返信が届いた。
※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
※全部で四話になります。
追放した私が求婚されたことを知り、急に焦り始めた元旦那様のお話
睡蓮
恋愛
クアン侯爵とレイナは婚約関係にあったが、公爵は自身の妹であるソフィアの事ばかりを気にかけ、レイナの事を放置していた。ある日の事、しきりにソフィアとレイナの事を比べる侯爵はレイナに対し「婚約破棄」を告げてしまう。これから先、誰もお前の事など愛する者はいないと断言する侯爵だったものの、その後レイナがある人物と再婚を果たしたという知らせを耳にする。その相手の名を聞いて、侯爵はその心の中を大いに焦られるのであった…。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
【完結】悪役令嬢の反撃の日々
ほーみ
恋愛
「ロゼリア、お茶会の準備はできていますか?」侍女のクラリスが部屋に入ってくる。
「ええ、ありがとう。今日も大勢の方々がいらっしゃるわね。」ロゼリアは微笑みながら答える。その微笑みは氷のように冷たく見えたが、心の中では別の計画を巡らせていた。
お茶会の席で、ロゼリアはいつものように優雅に振る舞い、貴族たちの陰口に耳を傾けた。その時、一人の男性が現れた。彼は王国の第一王子であり、ロゼリアの婚約者でもあるレオンハルトだった。
「ロゼリア、君の美しさは今日も輝いているね。」レオンハルトは優雅に頭を下げる。
心を病んでいるという嘘をつかれ追放された私、調香の才能で見返したら調香が社交界追放されました
er
恋愛
心を病んだと濡れ衣を着せられ、夫アンドレに離縁されたセリーヌ。愛人と結婚したかった夫の陰謀だったが、誰も信じてくれない。失意の中、亡き母から受け継いだ調香の才能に目覚めた彼女は、東の別邸で香水作りに没頭する。やがて「春風の工房」として王都で評判になり、冷酷な北方公爵マグナスの目に留まる。マグナスの支援で宮廷調香師に推薦された矢先、元夫が妨害工作を仕掛けてきたのだが?
双子の姉に聴覚を奪われました。
浅見
恋愛
『あなたが馬鹿なお人よしで本当によかった!』
双子の王女エリシアは、姉ディアナに騙されて聴覚を失い、塔に幽閉されてしまう。
さらに皇太子との婚約も破棄され、あらたな婚約者には姉が選ばれた――はずなのに。
三年後、エリシアを迎えに現れたのは、他ならぬ皇太子その人だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる