地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

有賀冬馬

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王都を離れ、馬車に揺られて何日も旅をした。馬車の窓から見える景色は、今まで見てきた王都の華やかな街並みとはまったく違っていた。広がるのは、どこまでも続く森や、透き通った川。山々は雄大で、空はどこまでも青い。まるで、絵本の中に迷い込んだみたい。

最初は、不安でいっぱいだった。本当に私、この旅を乗り越えられるのかなって。でも、日を追うごとに、私の心は少しずつ軽くなっていくのを感じた。王都での冷たい視線も、カイル様の残酷な言葉も、遠く遠く離れていくみたいだった。

そして、ようやくおばあ様の住む村に到着した。小さな村だけど、みんなが温かく私を迎えてくれた。

「レネ、よく来たね」

おばあ様は、私の手をぎゅっと握りしめてくれた。その手の温かさに、涙が止まらなくなった。久しぶりに感じる、何のしがらみもない、ただただ温かい愛情。私はおばあ様の胸に顔をうずめて、声を出して泣いた。こんなに泣いたのは、本当に久しぶりだった。

おばあ様の家は、村の少し外れにある、小さくて可愛らしい家だった。庭にはたくさんの花が咲いていて、鳥のさえずりが聞こえる。王都の侯爵邸とは比べ物にならないくらい質素だけど、なぜかとても心が落ち着いた。

私はおばあ様と一緒に、畑仕事をしたり、森へ木の実を採りに行ったりした。おばあ様は、私に色々なことを教えてくれた。今まで知らなかった植物の名前や、季節の移り変わり。王都では感じることのできなかった、自然の息吹を肌で感じた。

ある日のこと、私はおばあ様にお願いして、村の近くにある泉へ出かけた。澄んだ水が湧き出す、とても美しい泉だと聞いていたから。

泉のほとりにたどり着くと、きらきらと光る水面が目に飛び込んできた。その美しさに、私は思わずため息をついた。

「きれい……」

水を掬い上げて、顔を洗う。ひんやりとした水の感触が、とても心地よかった。

その時だった。

「あの、大丈夫ですか?」

不意に、背後から優しい声が聞こえた。驚いて振り返ると、そこに立っていたのは、背が高くて、りりしい顔立ちの男性だった。きらめく銀色の髪に、吸い込まれるような紫色の瞳。王都で見てきたどんな貴族の男性よりも、ずっと落ち着いていて、それでいて力強い雰囲気を持っていた。

私は突然のことに言葉が出ず、ただ黙って彼を見上げていた。

「顔色が悪いようですが、何かあったのですか?」

彼は心配そうな顔で、私に問いかけた。その声は、カイル様のように冷たくなく、まるで温かい毛布に包まれるような優しさがあった。

「いえ、あの、大丈夫です。ただ、少し、驚いてしまって……」

私はかろうじて、そう答えた。彼に心配させてしまったことが、なんだか申し訳なくて。

「そうですか。もし何か困ったことがあれば、いつでも言ってください」

彼はにこりと微笑んだ。その笑顔は、どこか安心感を与えてくれる。今まで会ったことのないタイプの人だった。私は彼の優しさに、思わず胸がきゅんとした。

「あの、あなたは……?」

私は勇気を出して、彼の名前を尋ねてみた。

「私はユリアン。この辺りを巡回している者です」

ユリアンさん。彼の名前は、私の心にすっと染み込んでいった。これが、聖騎士団長ユリアンとの、初めての出会いだった。この時の私は、まさか彼が、私の運命を大きく変える人だなんて、想像もしていなかったけれど。

それから、私はユリアンさんと、たびたび村で顔を合わせるようになった。彼はいつも、村の人たちに優しくて、困っている人がいればすぐに助けてあげていた。私も、彼と少しずつ言葉を交わすようになっていった。

ある日、私が泉のほとりで本を読んでいると、ユリアンさんがやってきた。

「読書がお好きなんですね」

彼は、私の手元の本に目を留めた。

「はい。小さい頃から、ずっと」

「僕もです。この辺りは、あまり本が手に入らないので、珍しい本を読む機会は少ないのですが」

ユリアンさんは、本当に本が好きなんだな、と分かった。目がきらきらしていたから。私は、王都から持ってきた何冊かの本の中から、彼が興味を持ちそうな本を選んで、貸してあげることにした。

「もしよかったら、これを」

私は、古い物語の本を差し出した。

「いいんですか? ありがとうございます。大切に読ませていただきます」

ユリアンさんは、心から嬉しそうな顔をして、本を受け取ってくれた。その笑顔を見ていると、私の心も温かくなるのを感じた。

ユリアンさんと話す時間は、私にとって、かけがえのないものになっていった。彼は、私がどんなに話下手でも、じっと耳を傾けてくれた。私が刺繍の話をすれば、「素敵な模様ですね」と褒めてくれた。カイル様からは一度も言われたことのない、優しい言葉の数々。

彼の存在は、私の凍てついた心を、ゆっくりと溶かしていくようだった。





ある日、おばあ様が私に言った。

「レネ、ずいぶん明るくなったね。ユリアンさんといると、いつも楽しそうだ」

私はドキッとした。おばあ様は、何もかもお見通しなんだ。でも、嬉しかった。私の変化に気づいてくれる人がいるって。

「はい……ユリアンさんは、とても優しい方です」

「そうかい。あの子は、本当にいい子だからね」

おばあ様は、目を細めて微笑んだ。その顔を見て、私はふと、ユリアンさんのことをもっと知りたいと思った。彼は、この辺りで一体何をしているんだろう?

「おばあ様、ユリアンさんは、一体どういう方なんですか?」

私が尋ねると、おばあ様は少し驚いたような顔をしてから、ゆっくりと話し始めた。

「あの子はね、聖騎士団長だよ」

「え……?」

私の頭は真っ白になった。聖騎士団長? あの、王都で騎士たちの頂点に立つ、勇敢で、高潔な騎士たちのリーダー? まさか、こんな辺境の地で、そんなすごい人に会えるなんて。

「だから、いつもこの辺りを巡回しているんだよ。王都から派遣されてね。治安を守ってくれているのさ」

おばあ様の言葉に、私はただ呆然とするしかなかった。まさか、あの穏やかで優しいユリアンさんが、そんなにも偉い人だったなんて。私は、自分の無知が恥ずかしくなった。同時に、今までユリアンさんに何気なく接してきたことが、急に恐ろしくなった。

彼を見上げると、いつもと変わらない優しい笑顔があった。彼の瞳は、私が今まで見てきたどんな人よりも、清らかで、そして強い光を宿しているように見えた。私は、彼への信頼と、そして少しずつ芽生え始めていた特別な感情が、より一層深まっていくのを感じた。

「あの……ユリアンさん」

「はい、レネさん?」

「その、聖騎士団長だなんて、知らなくて……」

私の言葉に、ユリアンさんは少し困ったように笑った。

「お伝えしていませんでしたね。すみません。でも、私の身分は、この辺りではあまり重要ではありませんから」

「そんなこと……!」

私にとっては、大事件だったのに。でも、ユリアンさんは、少しも偉ぶった様子がない。それが、ますます彼を魅力的に見せた。

それからの日々は、さらに穏やかに流れていった。ユリアンさんが聖騎士団長だと知っても、私たちの関係は何も変わらなかった。彼は、私がどんなに拙い言葉で話しても、いつも真剣に聞いてくれた。私の手芸の話も、真剣に相槌を打ってくれた。

一緒に森を散策したり、泉で釣りをしたり。時には、彼が騎士団での訓練の話をしてくれることもあった。私は、彼の言葉に耳を傾けながら、彼がどれほど国のために尽くしているかを知り、尊敬の念を抱いた。

そして、ある日の夕焼け空の下。

「レネさん。私、近々王都に戻ることになります」

ユリアンさんが、静かにそう告げた。私の心臓が、きゅっと締め付けられる。わかっていた。彼はいつか、王都へ戻る人だって。でも、いざその言葉を聞くと、胸の奥がぎゅっと痛んだ。

「そうですか……」

私の声は、ひどく震えていた。ユリアンさんは、私の表情をじっと見つめている。

「寂しく、なりますね」

精一杯、平静を装ってそう言ったけれど、私の目からは涙が溢れそうになっていた。

ユリアンさんは、何も言わずに、私の頭にそっと手を置いた。その手の温かさが、私の心をじんわりと包み込む。

「私もです。レネさんと過ごしたこの日々は、私にとってかけがえのないものでした」

彼の言葉が、私の心に温かく染み渡る。彼も、私と同じ気持ちでいてくれたんだ。それだけで、私の心は少しだけ救われた。

「でも、いつかまた、お会いできると信じています」

ユリアンさんのまっすぐな瞳が、私を見つめる。私は、その言葉に、希望を見出した。いつか、また会える。その日を信じて、私はここで待っていよう。





ユリアンさんの宮廷への帰還の日。村の人たちが皆、彼を見送りに来ていた。私も、おばあ様と一緒に、彼の姿を見つめていた。

「皆さん、本当にありがとうございました。この村での日々を、私は決して忘れません」

ユリアンさんは、深々と頭を下げた。その姿は、騎士の制服をまとい、辺境にいた時よりもずっとりりしく、威厳に満ちていた。けれど、私には、あの優しい笑顔のユリアンさんのままだ。

馬車に乗り込む直前、ユリアンさんは私の方を振り返った。そして、小さく微笑み、片手を上げて見せた。私も、精一杯の笑顔で、手を振り返した。彼の姿が見えなくなるまで、私はずっと手を振り続けた。

ユリアンさんが去ってからの日々は、少しだけ寂しかった。でも、以前のような絶望感はなかった。ユリアンさんとの思い出が、私の心を温めてくれたから。私は、再び読書や刺繍に没頭した。今度は、ユリアンさんに読んでもらいたい本や、彼に見てほしい刺繍を想像しながら。

そうして、どれくらいの時間が経っただろうか。辺境の地にも、少しずつ春の兆しが見え始めた頃だった。
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