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第16話「クローブの告白と、ローズマリーの崩壊」
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王城の大広間は、朝の光を受けて明るいはずなのに――どこか薄暗く感じられた。
高い天井。
赤い絨毯。
左右には、重々しい柱と、見守るように立つ騎士たち。
その中央、玉座の一段下に、椅子が二つ並べられている。
一つには、第二王太子クローブ・アルバード。
もう一つには、ローズ家令嬢ローズマリー・ローズ。
二人とも、両手を前で組まされていた。
縛られてはいない。
けれど、その場を動く自由はない。
正面の階段の上には、国王。
隣には王妃。
その左右には、側近と宮廷薬師長ホップ、そして――ミントとサフランの姿もあった。
緊張が空気を重くしている。
誰もが知っていた。
これから交わされる言葉が、“ただの家族の問題”ではなく、“国の形”そのものにも触れることになると。
「では――始める」
王の声が、大広間に低く響いた。
いつもより少し掠れている。
息子の命が狙われていたと知った父の声だった。
「クローブ・アルバード」
名を呼ばれ、クローブはゆっくりと顔を上げた。
その表情は、いつもの穏やかな微笑みを保っている。
けれど、その奥には、何かが少しだけ壊れた光が見えた。
「そなたが、夜哭百合のエキスを入手し、王城内に持ち込んだこと――
そしてローズマリー嬢の強壮薬にそれを混ぜるよう指示したこと、各方面の調査と証拠により、ほぼ明らかになっておる」
王の言葉は、容赦がない。
「まずは、それを認めるか否かを問う」
広間に沈黙が落ちた。
クローブは、ほんの一瞬だけ目を伏せ――それから顔を上げた。
「……陛下」
その声は、穏やかで、どこか他人事みたいに聞こえた。
「私は、そのような命令を出した覚えは――」
「まだ、嘘をつけるつもりか」
ホップが、静かに割って入った。
王に一礼してから、手に持った紙束を広げる。
「夜哭百合類似毒の反応は、王太子殿下の血液から複数回確認されました。
それと同時に、ローズ家より献上された強壮薬のサンプルから、同一波形の反応が検出されています」
さらに、ホップの視線がミントへ向いた。
「加えて――ミント・フェンネル嬢が協力してくれた成分分析の結果。
そこに含まれていた微量成分の組成比が、王家の地下保管庫に残されていた《夜哭百合研究試料》のデータと一致した」
ミントは、小さく息を飲んだ。
王家の地下には、過去にごくわずかな研究目的で保存された夜哭百合の試料が残っていた。
それとの比較を、ホップは夜通しで行ったのだ。
「そして――」
サフランが、一歩前に出る。
その顔には、いつになく硬い感情が浮かんでいた。
「夜哭百合のエキスが王城に運び込まれた日。
その日に“王家の地下保管庫への出入りを許可された者”は、ごくわずか。
記録に残っているうち、夜哭百合資料にアクセスできたのは、陛下と、研究監督役の私と――第二王太子クローブ殿下。
この三名のみです」
空気が、ぴきりと張り詰めた。
「私は、その日保管庫に入っていません。陛下も同様です。
出入り記録と、兵の証言が、そのことを証明しています」
視線が、自然とクローブへ集まる。
クローブは、しばらく黙っていた。
顔には微笑み。
瞳だけが、静かに揺れている。
「……記録は、消せないものだな」
ぽつりと呟いた。
「いや、消そうと思えば消せたのだろうが――私には、その覚悟が足りなかったということか」
「クローブ」
王の声が、わずかに震える。
「まだ、否定するか?」
「いいえ」
クローブは、ふっと微笑んだ。
その笑みが、どこか危うい。
「否定しても、もはや意味はないでしょう。
証拠も、証言も、整っている」
王妃が、手で口元を押さえた。
「では――」
王の握る拳が、白くなる。
「そなたは、何を考えて、我が子であるセージを――」
「陛下」
クローブが、そっと遮った。
言葉を挟まれる形になっても、王はあえて怒鳴らない。
ただ、じっと次の言葉を待つ。
クローブは、一瞬だけ天井を見上げた。
高い天井の絵画。
そこには、悠久の歴史と、英雄たちの物語が描かれている。
「私は、生まれた時から“予備”でした」
絞り出すような声だった。
大広間に、その言葉が落ちる。
予備。
その一語が、やけに重く響く。
「兄上――セージは、完璧でしたから」
クローブは、口元だけ笑った。
「勉強でも、剣でも、人への気配りでも。
小さい頃から、“王となるべき子”として、誰の目にもわかる輝きを持っていた」
幼い日の記憶が、彼の瞳に過る。
庭で、木の剣を振るう兄。
教科書を開き、真剣な顔で学ぶ兄。
侍女や兵に、同じ目線で話しかける兄。
「私は――その横にいる、“保険”でした」
王妃の肩が、ぴくりと揺れた。
「もし兄上に何かあった時のための。
もし兄上が病弱だったら、あるいは性格が王に向かないのなら、その時のための。
“いてくれたら安心だけど、そうでなければそれでいい”存在」
言葉は淡々としているのに、その奥には、長い年月分の毒が溜まっていた。
「誰かにそう言われたのか?」
王が絞り出すように問う。
「いや、はっきり言葉で聞いた覚えはありません」
クローブは、肩をすくめた。
「でも、空気って、あるんですよ。
食卓の並び。
侍女たちの目線。
家庭教師の態度。
政治の話になるとき、自然と僕ではなく兄上に振られる視線」
ミントは、無意識に息を呑んでいた。
(……似てる)
田舎娘。
使用人薬師。
“いてもいなくても変わらない子”。
それを、クローブは“予備”という言葉で拾い上げている。
「私は賢かったから」
クローブは、淡い笑みを浮かべた。
「それを悟られないように振る舞いました。
“良き弟”として、兄上を立て、王家を支え、民のことを“考えているふり”をした」
それが、本当に「ふり」だけだったのか――誰も、今さら確かめようがない。
「でも、私の中にはずっと、“認められたい”という願いが消えませんでした」
その言葉は、ローズマリーの胸にも刺さった。
彼女の手が、ぎゅっとドレスの裾を掴む。
「“セージの弟だから”じゃなくて。
“クローブだから”必要とされたい。
“代わり”じゃなくて、“本物”になりたかった」
瞳の奥が、わずかに赤くなった。
涙の気配。
でも、それはこぼれない。
「そう思っていた時――夜哭百合の資料に触れたのです」
クローブの声に、薄く熱が混ざる。
「禁忌。
王家の管理下で、研究も許されない草。
“決して使われてはならない毒”」
ミントは、祖母のノートを思い出す。
『夜哭百合は、“人の欲”にくっつきやすい』
タイムの書いた一文が、胸の奥を冷やした。
「私はその時、思いました」
クローブは、ゆっくりと指を組んだ。
「“兄上が夜哭百合の毒に侵されて倒れ、それを唯一知り、対処できるのが私であったなら――
その時、初めて私は“予備”ではなく“必要な存在”になれるのではないか、と」
あまりに歪んだ願望。
誰かが息を呑む音が、はっきり聞こえた。
「だから、私は夜哭百合のエキスを“研究目的”という名目で取り寄せ、
ローズ家の令嬢にそれを渡し、“特別な強壮薬”を作らせた」
ローズマリーの肩が震える。
「ローズマリー嬢は、“評価されたい”と願っていましたからね。
夜会での失敗を取り戻し、王太子殿下の役に立ちたいと、強く願っていた」
「クローブ殿下……」
ローズマリーの声は、かすれている。
「私は、あなたに“殿下を助けられる薬師になれる”と言われて……」
「嘘は言っていないつもりでした」
クローブは、穏やかに続けた。
「夜哭百合のエキスは、ごく微量なら、確かに強壮効果をもたらす。
それは“助ける”ことにも繋がる可能性がある。
ただし、長期的に見れば――殿下の体は、確実に蝕まれていく」
王妃が、「やめて」と呟いた。
聞きたくない現実でも、もう耳をふさぐことはできない。
「私は、“その時”になったら、自分がそれを見抜き、“救いの手”を差し伸べるつもりでした」
クローブの口元に、皮肉な笑みが浮かぶ。
「夜哭百合の毒を知っている。
その毒を止める“唯一の存在”として、王家に、王都に必要とされる――そんな未来を、夢想したのです」
ミントの胸が、ずきりと痛む。
(自分で火をつけて、自分で消そうとして、それを評価されたい――)
その歪みが、あまりにも滑稽で、あまりにも哀しい。
「だが」
クローブは、ゆっくりと首を振った。
「私は、“毒の力”を、そして“夜哭百合に人の欲が絡んだ時の恐ろしさ”を、甘く見ていた」
ローズマリーの方をちらりと見る。
「ローズマリー嬢は、私の想像以上に、“認められたさ”に飢えていた。
夜哭百合のエキスを、“一滴”のはずから“ほんの少し多め”に変える程度には」
「そんなこと……!」
ローズマリーの否定は、弱かった。
自分でも、それが“ない”と言い切れない。
「それに、兄上は、私の予想以上に、自分を酷使した」
クローブの声が、かすかに震える。
「毒がなくても倒れていたかもしれないほどに。
夜哭百合は、その背中を少し押しただけかもしれない。
でも、“その少し”を選んだのは、私だ」
静まり返った大広間に、“予備”の独白が響く。
「私の願いは、“認められたい”だったはずなのに――
いつの間にか、“兄を消したい”に近づいていった」
王の手が、玉座の肘掛けを強く掴む。
「クローブ」
苦痛の混じった声。
「そなたは、我が子だ」
「それは、わかっています」
クローブは、わずかに微笑んだ。
「でも、私は――“王太子の弟”として、自分を見過ぎたのかもしれません」
少しだけ、ミントの方へ視線が向いた。
ミントは、息を呑んだ。
その瞳の中には、ほんの一瞬だけ、“羨望”に似た色が見えた。
『田舎で、自分の居場所を選んだ薬師』
『“誰かの予備”ではなく、“自分の店主”になれた少女』
そんなふうにクローブには見えていたのかもしれない。
◇
「ローズマリー・ローズ」
王の視線が、今度はローズマリーに向かう。
彼女は、すでに半分崩れかけていた。
目の下には涙の跡。
化粧も崩れ、いつもの完璧な令嬢の姿とは程遠い。
「そなたもまた、王太子の薬に関わった。
己の意思で夜哭百合を混ぜたのか、それともクローブにそそのかされたのか――
それは、どちらなのだ」
「それは……」
ローズマリーの喉が上下する。
クローブに「全部私のせいにしていい」と言ってもらった記憶がよぎる。
でも、その言葉に甘え切るには、自分の手が汚れすぎている。
「“どちらも”です」
かすれた声が落ちた。
皆の視線が集まる。
「クローブ殿下に、“特別な薬になれる”と言われて……夜哭百合のエキスを渡されて……
私の中の“評価されたい”が、“危険”を踏み越えてしまいました」
ローズマリーは、唇を噛み切りそうなほど強く噛んだ。
「だって、あの田舎娘ばかりが――!」
視線がミントに向かう。
「田舎娘ばかりが、“奇跡の薬師”と呼ばれて。
小さな村で薬を作っているだけなのに、兵士たちの間で噂になって。
王都の庶民にまで名前が届いて。
“王都の薬より効くらしい”なんて――」
涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
「私は、王都で一番の薬学会に出て、完璧な論文を書いて、貴族の娘として恥ずかしくない勉強をしたのに。
それでも、“お飾りの令嬢薬師”だって言われて。
夜会で一度失敗しただけで、“やっぱり令嬢の遊びね”って笑われて」
その苦さは、本物だった。
ミントの胸にも、それはひどく刺さる。
(私だって――)
「だから、殿下のための特別な薬を作れば、全部ひっくり返せると思ったんです」
ローズマリーは、かきむしるように自分の腕を抱いた。
「“あの田舎娘”じゃなくて、“ローズマリー様の薬が殿下を支えた”って言われる。
そうしたら、私は“お飾り”じゃなくて、本当に必要とされる薬師になれるって……!」
嗚咽が混ざる。
「……私は、王太子殿下を殺そうとしたわけじゃありません。
本当に、“助けたかった”んです。
でも、“助けたい”と“認められたい”と“勝ちたい”が、全部ごちゃ混ぜになって――
夜哭百合の恐ろしさより、その気持ちを優先してしまった」
ミントは、拳を握った。
(わかる)
王都で誰にも認められなかった日々。
ローズ家で、“田舎娘”としか呼ばれなかった日々。
『私だって、王都では誰にも認めてもらえなかった』
その言葉が、心の中でくっきり浮かぶ。
(だけど――)
違いがあるとしたら、自分はそこで折れた。
折れて、逃げて、田舎に帰って、“新しい場所”を選んだ。
ローズマリーは――ここで、踏み込みすぎた。
王都にしがみついて、王都で勝とうとして、禁忌の毒に手を伸ばした。
「ミント・フェンネル」
王の呼びかけに、ミントははっと顔を上げる。
「そなたもまた、王都で使用人として働き、認められぬ苦しみを味わったと聞く。
今聞いたクローブとローズマリー嬢の言葉を、どう思う」
「どう、って……」
急に振られて、言葉に詰まる。
だけど、逃げたくなかった。
この場から目をそらしたら、あの日の自分から目をそらすのと同じ気がした。
「……どこかで、自分を見てるみたいだなって、思いました」
ミントは、正直に言った。
「田舎娘だからって、誰にもちゃんと見てもらえなかったこと。
いくら頑張っても、“有能ぶってるだけ”って言われ続けたこと。
“あの子がいなくなっても、誰も困らない”って空気の中で、息をしてたこと……」
ローズマリーが、はっと顔を上げる。
ミントの瞳の中には、彼女を責める色はなかった。
ただ、静かな共感と、別れ道を見つめるような視線だけがあった。
「私も、あのまま王都に残って、“認められたい”“見てほしい”“勝ちたい”だけを抱え続けてたら――
きっと、どこかで、毒に手を伸ばしてたかもしれません」
クローブの肩が、わずかに動いた。
「だから、怖くて逃げました。
ローズ家から追い出されたのもありますけど……
“ここに残ったら、自分が壊れる”って思って」
グリーンノートを開いた日のこと。
村長とデイジーの笑い声。
「ありがとう」と言ってくれた人たちの顔。
「田舎に帰って、村の人たちの“生活できるくらいには”を支える方を選びました。
王都で“すごい薬師”って言われるより、村で“助かったよ”って言ってもらえる方を大事にしたかったんです」
それが、ミントの選んだ道。
「クローブ殿下やローズマリー様が、弱さを抱えていたのもわかります。
認められたいって、すごく強い気持ちだから」
ミントは、少し俯いた。
「でも――」
顔を上げる。
その瞳には、はっきりした色が宿っていた。
「毒を混ぜた瞬間に、それは“人を救いたい”じゃなくて、“人を使って自分を救いたい”に変わっちゃうと思います」
静かな断罪。
ローズマリーの肩が、びくりと揺れる。
「救う側が、自分の心の穴を埋めるために患者さんを使ったら――
それはもう、“薬師”じゃない」
自分にも言い聞かせるように。
「だから……私は、その道を選ばなかった自分だけは、少しだけ誇りたいです」
王妃が、涙を拭った。
王は、長く息を吐き、玉座の肘掛けから手を離した。
「……もう十分だ」
重い声。
「クローブ・アルバード。
ローズマリー・ローズ」
名を呼ばれ、二人は震える足で立ち上がる。
王の瞳は、厳しくもあり、どこか哀しみに満ちてもいた。
「そなたらの抱えていた孤独も、劣等感も、今の言葉で少しは見えた。
しかし――罪は罪だ」
その一言が、ひどく静かに広間に落ちた。
「王太子の命を、毒という形で危険に晒したこと。
王家と民の信頼を裏切ったこと。
薬師として、決して踏み越えてはならぬ一線を越えたこと――」
王は、ゆっくりと立ち上がる。
「クローブ」
名を呼ぶ声が、父のものになった。
「そなたは、我が子だ。
愛おしい。
だが、王として、そなたを“そのまま王族として留める”ことはできぬ」
クローブは、静かに目を閉じた。
「……はい」
返事は、小さかったが、はっきりしていた。
「そなたの王族としての身分を、ここに剥奪する」
大広間の空気が、一瞬止まった。
「今後は、王族として城に留まることは許されぬ。
王家が管轄する修道院に身を送り、一生を贖罪と祈りに捧げよ」
修道院――世俗から切り離された場所。
権力も、栄光も、名声もない。
ただ、祈りと労働だけがある場所。
クローブは、ゆっくりと目を開けた。
その瞳に、恐怖もあったが――どこか、ほっとした色が混ざっていた。
(“予備”ではなくなる)
王族ではなくなる。
誰かの「代わり」として数えられることもなくなる。
それが、どれだけ救いなのか、彼自身にもまだわからない。
ただ――。
「承知しました」
クローブは、まっすぐに王を見て言った。
「陛下。
父上。
……申し訳ありませんでした」
その言葉に、王は目を閉じた。
王妃が、そっと王の袖を掴む。
それ以上、何も言えない。
親としての言葉も、王としての言葉も、今はどちらも重すぎる。
「ローズマリー・ローズ」
王の視線が、次にローズマリーへ向く。
彼女は、完全に立っているのがやっとだった。
手は震え、膝も震え、目の下には影が落ちている。
「そなたの罪は、クローブほど直接的ではない。
しかし、夜哭百合の危険性を知りながら、己の名誉と評価のためにそれを用いた。
その結果、王太子の命を危険に晒したことに変わりはない」
ローズマリーの喉から、かすかな声が漏れる。
「私は……」
「薬師として、決定的に信頼を失った」
王の声は厳しかった。
「よって、そなたの薬師資格を、ここに剥奪する」
ローズマリーの世界が、足元から崩れた。
薬師資格。
それは、彼女にとって“自分の価値”そのものだった。
「今後、王都に留まることは許さぬ。
遠方の辺境領へ送り、一定期間――民のための奉仕活動に従事せよ。
病人の世話、障害を持つ者たちの介助、畑や作業場での労働――
己の手が、どれだけ“生活のため”に使われるべきものかを、そこで学ぶが良い」
“薬を作るため”ではなく。
“人の生活を支えるため”に。
ローズマリーの頬を、ぽろぽろと涙が伝い落ちた。
「……薬師として、やり直すことは、許されませんか」
その問いは、あまりにも弱くて、あまりにもわがままだった。
王は、しばらく黙り込んだ。
やがて、ほんの少しだけ声を柔らかくする。
「今すぐ、“薬師として戻ってこい”とは言えぬ。
だが、人の生活の側に身を置き続けるうちに――もし、本当に“人を救いたい”と思えるようになったのなら」
そこで言葉を切り、ミントの方を見た。
「グリーンノートのような場所で、誰かの徒弟として、一から学び直す道が、ないとも言い切れぬだろう」
ローズマリーの目が、大きく見開かれた。
「そなた次第だ」
王は、はっきりと言う。
「罰を受け、その中でなお“薬師として生きたい”と願うのか。
それとも、“令嬢だった自分”にしがみついて、何も得られぬまま終わるのか」
ローズマリーは、視線を落とした。
ミントの横顔が、視界の端に映る。
田舎娘で、追放されて、それでも“薬師”を捨てなかった少女。
自分は――そこまで強くなれるだろうか。
答えは、まだ出ない。
ただ、崩れ落ちそうな膝を必死に支えながら、かろうじて一言を絞り出す。
「……謹んで、お受けいたします」
その声には、まだプライドが混ざっていた。
でも、そのプライドは、少しずつ別の色に変わっていくのかもしれない。
◇
広間を後にし、ミントは長い廊下を歩いていた。
石の床。
冷たい空気。
でも、今は前より少しだけ軽く感じる。
「……疲れたか」
隣で歩くサフランが、ぽつりと聞いた。
「疲れました。
体というより、心がぐにゃぐにゃです」
「ぐにゃぐにゃか」
「はい。
クローブ殿下も、ローズマリー様も、どこかで“わかる”って思ってしまって……
でも、だからって許せるわけじゃなくて……ぐにゃぐにゃです」
ミントの表現に、サフランは小さく笑った。
「人の心なんて、だいたいそんなものだ」
「サフランさんも、ぐにゃぐにゃですか?」
「俺はもっとねじれてるかもしれない」
「それを自分で言える人は、案外まっすぐです」
「そうか?」
「そうです」
他愛ない会話。
でも、その一行一行が、さっきの重たい空気を少しずつ溶かしていく。
「……ミント」
ふと、サフランが立ち止まった。
「ん?」
「さっき、陛下に聞かれたとき、“毒を混ぜた時点で薬師じゃない”って言ったろう」
「言いましたね」
「それを、自分にも言い聞かせておけ」
サフランの瞳が、真剣だった。
「お前は、これからもっと注目される。
“奇跡の薬師”として持ち上げられて、“もっと強い薬”や“もっと派手な効果”を求められるようになるかもしれない」
それは、容易に想像できた。
王太子を救った薬師。
星を閉じ込めた滴薬。
噂は一人歩きする。
「その時――自分の心の穴を埋めるために、誰かを使いたくなったら」
サフランは、そっとミントの額を指で小突いた。
「今日のことを思い出せ」
「……はい」
ミントは、指先をそこに当てて、ぎゅっと目を閉じた。
“予備”だった王子。
“お飾り”だった令嬢。
そして、“田舎娘”だった自分。
それぞれが選んだ道と、その先に待っていたもの。
(私は――田舎の薬草店の店主でいい)
王都に呼ばれたとしても。
王太子の主治薬師になったとしても。
自分の根っこは、あの小さな店。
グリーンノートで、「生活できるくらいには」を支える薬師だ。
「……早く帰りたくなってきました」
ミントは、ぽつりと言った。
「村長とデイジーさんの顔、見たいです」
「帰ればいい」
サフランは、あっさり言った。
「殿下が完全に安定するまでは王都にいてほしいが、それが済んだら、ちゃんと帰れ。
王都に縛られる必要はない」
「サフランさんは?」
「俺は、王都に縛られてるからな。
たまに、田舎に逃げに行く」
「逃げに来てください。
“六割サフランさんのせい”って文句言う用意して待ってます」
「割合増えてないか?」
「気のせいです」
二人の笑い声が、石の廊下に小さく響いた。
その後ろで――
“予備”だった王子も、“お飾り”だった令嬢も、それぞれ別の道へ歩き始めようとしている。
罪は罪。
罰は罰。
けれど、その先で、“どう生きるか”までは、まだ誰にも決められていない。
星眠り草の淡い光が、どこか遠くで、まだ静かに瞬いている気がした。
高い天井。
赤い絨毯。
左右には、重々しい柱と、見守るように立つ騎士たち。
その中央、玉座の一段下に、椅子が二つ並べられている。
一つには、第二王太子クローブ・アルバード。
もう一つには、ローズ家令嬢ローズマリー・ローズ。
二人とも、両手を前で組まされていた。
縛られてはいない。
けれど、その場を動く自由はない。
正面の階段の上には、国王。
隣には王妃。
その左右には、側近と宮廷薬師長ホップ、そして――ミントとサフランの姿もあった。
緊張が空気を重くしている。
誰もが知っていた。
これから交わされる言葉が、“ただの家族の問題”ではなく、“国の形”そのものにも触れることになると。
「では――始める」
王の声が、大広間に低く響いた。
いつもより少し掠れている。
息子の命が狙われていたと知った父の声だった。
「クローブ・アルバード」
名を呼ばれ、クローブはゆっくりと顔を上げた。
その表情は、いつもの穏やかな微笑みを保っている。
けれど、その奥には、何かが少しだけ壊れた光が見えた。
「そなたが、夜哭百合のエキスを入手し、王城内に持ち込んだこと――
そしてローズマリー嬢の強壮薬にそれを混ぜるよう指示したこと、各方面の調査と証拠により、ほぼ明らかになっておる」
王の言葉は、容赦がない。
「まずは、それを認めるか否かを問う」
広間に沈黙が落ちた。
クローブは、ほんの一瞬だけ目を伏せ――それから顔を上げた。
「……陛下」
その声は、穏やかで、どこか他人事みたいに聞こえた。
「私は、そのような命令を出した覚えは――」
「まだ、嘘をつけるつもりか」
ホップが、静かに割って入った。
王に一礼してから、手に持った紙束を広げる。
「夜哭百合類似毒の反応は、王太子殿下の血液から複数回確認されました。
それと同時に、ローズ家より献上された強壮薬のサンプルから、同一波形の反応が検出されています」
さらに、ホップの視線がミントへ向いた。
「加えて――ミント・フェンネル嬢が協力してくれた成分分析の結果。
そこに含まれていた微量成分の組成比が、王家の地下保管庫に残されていた《夜哭百合研究試料》のデータと一致した」
ミントは、小さく息を飲んだ。
王家の地下には、過去にごくわずかな研究目的で保存された夜哭百合の試料が残っていた。
それとの比較を、ホップは夜通しで行ったのだ。
「そして――」
サフランが、一歩前に出る。
その顔には、いつになく硬い感情が浮かんでいた。
「夜哭百合のエキスが王城に運び込まれた日。
その日に“王家の地下保管庫への出入りを許可された者”は、ごくわずか。
記録に残っているうち、夜哭百合資料にアクセスできたのは、陛下と、研究監督役の私と――第二王太子クローブ殿下。
この三名のみです」
空気が、ぴきりと張り詰めた。
「私は、その日保管庫に入っていません。陛下も同様です。
出入り記録と、兵の証言が、そのことを証明しています」
視線が、自然とクローブへ集まる。
クローブは、しばらく黙っていた。
顔には微笑み。
瞳だけが、静かに揺れている。
「……記録は、消せないものだな」
ぽつりと呟いた。
「いや、消そうと思えば消せたのだろうが――私には、その覚悟が足りなかったということか」
「クローブ」
王の声が、わずかに震える。
「まだ、否定するか?」
「いいえ」
クローブは、ふっと微笑んだ。
その笑みが、どこか危うい。
「否定しても、もはや意味はないでしょう。
証拠も、証言も、整っている」
王妃が、手で口元を押さえた。
「では――」
王の握る拳が、白くなる。
「そなたは、何を考えて、我が子であるセージを――」
「陛下」
クローブが、そっと遮った。
言葉を挟まれる形になっても、王はあえて怒鳴らない。
ただ、じっと次の言葉を待つ。
クローブは、一瞬だけ天井を見上げた。
高い天井の絵画。
そこには、悠久の歴史と、英雄たちの物語が描かれている。
「私は、生まれた時から“予備”でした」
絞り出すような声だった。
大広間に、その言葉が落ちる。
予備。
その一語が、やけに重く響く。
「兄上――セージは、完璧でしたから」
クローブは、口元だけ笑った。
「勉強でも、剣でも、人への気配りでも。
小さい頃から、“王となるべき子”として、誰の目にもわかる輝きを持っていた」
幼い日の記憶が、彼の瞳に過る。
庭で、木の剣を振るう兄。
教科書を開き、真剣な顔で学ぶ兄。
侍女や兵に、同じ目線で話しかける兄。
「私は――その横にいる、“保険”でした」
王妃の肩が、ぴくりと揺れた。
「もし兄上に何かあった時のための。
もし兄上が病弱だったら、あるいは性格が王に向かないのなら、その時のための。
“いてくれたら安心だけど、そうでなければそれでいい”存在」
言葉は淡々としているのに、その奥には、長い年月分の毒が溜まっていた。
「誰かにそう言われたのか?」
王が絞り出すように問う。
「いや、はっきり言葉で聞いた覚えはありません」
クローブは、肩をすくめた。
「でも、空気って、あるんですよ。
食卓の並び。
侍女たちの目線。
家庭教師の態度。
政治の話になるとき、自然と僕ではなく兄上に振られる視線」
ミントは、無意識に息を呑んでいた。
(……似てる)
田舎娘。
使用人薬師。
“いてもいなくても変わらない子”。
それを、クローブは“予備”という言葉で拾い上げている。
「私は賢かったから」
クローブは、淡い笑みを浮かべた。
「それを悟られないように振る舞いました。
“良き弟”として、兄上を立て、王家を支え、民のことを“考えているふり”をした」
それが、本当に「ふり」だけだったのか――誰も、今さら確かめようがない。
「でも、私の中にはずっと、“認められたい”という願いが消えませんでした」
その言葉は、ローズマリーの胸にも刺さった。
彼女の手が、ぎゅっとドレスの裾を掴む。
「“セージの弟だから”じゃなくて。
“クローブだから”必要とされたい。
“代わり”じゃなくて、“本物”になりたかった」
瞳の奥が、わずかに赤くなった。
涙の気配。
でも、それはこぼれない。
「そう思っていた時――夜哭百合の資料に触れたのです」
クローブの声に、薄く熱が混ざる。
「禁忌。
王家の管理下で、研究も許されない草。
“決して使われてはならない毒”」
ミントは、祖母のノートを思い出す。
『夜哭百合は、“人の欲”にくっつきやすい』
タイムの書いた一文が、胸の奥を冷やした。
「私はその時、思いました」
クローブは、ゆっくりと指を組んだ。
「“兄上が夜哭百合の毒に侵されて倒れ、それを唯一知り、対処できるのが私であったなら――
その時、初めて私は“予備”ではなく“必要な存在”になれるのではないか、と」
あまりに歪んだ願望。
誰かが息を呑む音が、はっきり聞こえた。
「だから、私は夜哭百合のエキスを“研究目的”という名目で取り寄せ、
ローズ家の令嬢にそれを渡し、“特別な強壮薬”を作らせた」
ローズマリーの肩が震える。
「ローズマリー嬢は、“評価されたい”と願っていましたからね。
夜会での失敗を取り戻し、王太子殿下の役に立ちたいと、強く願っていた」
「クローブ殿下……」
ローズマリーの声は、かすれている。
「私は、あなたに“殿下を助けられる薬師になれる”と言われて……」
「嘘は言っていないつもりでした」
クローブは、穏やかに続けた。
「夜哭百合のエキスは、ごく微量なら、確かに強壮効果をもたらす。
それは“助ける”ことにも繋がる可能性がある。
ただし、長期的に見れば――殿下の体は、確実に蝕まれていく」
王妃が、「やめて」と呟いた。
聞きたくない現実でも、もう耳をふさぐことはできない。
「私は、“その時”になったら、自分がそれを見抜き、“救いの手”を差し伸べるつもりでした」
クローブの口元に、皮肉な笑みが浮かぶ。
「夜哭百合の毒を知っている。
その毒を止める“唯一の存在”として、王家に、王都に必要とされる――そんな未来を、夢想したのです」
ミントの胸が、ずきりと痛む。
(自分で火をつけて、自分で消そうとして、それを評価されたい――)
その歪みが、あまりにも滑稽で、あまりにも哀しい。
「だが」
クローブは、ゆっくりと首を振った。
「私は、“毒の力”を、そして“夜哭百合に人の欲が絡んだ時の恐ろしさ”を、甘く見ていた」
ローズマリーの方をちらりと見る。
「ローズマリー嬢は、私の想像以上に、“認められたさ”に飢えていた。
夜哭百合のエキスを、“一滴”のはずから“ほんの少し多め”に変える程度には」
「そんなこと……!」
ローズマリーの否定は、弱かった。
自分でも、それが“ない”と言い切れない。
「それに、兄上は、私の予想以上に、自分を酷使した」
クローブの声が、かすかに震える。
「毒がなくても倒れていたかもしれないほどに。
夜哭百合は、その背中を少し押しただけかもしれない。
でも、“その少し”を選んだのは、私だ」
静まり返った大広間に、“予備”の独白が響く。
「私の願いは、“認められたい”だったはずなのに――
いつの間にか、“兄を消したい”に近づいていった」
王の手が、玉座の肘掛けを強く掴む。
「クローブ」
苦痛の混じった声。
「そなたは、我が子だ」
「それは、わかっています」
クローブは、わずかに微笑んだ。
「でも、私は――“王太子の弟”として、自分を見過ぎたのかもしれません」
少しだけ、ミントの方へ視線が向いた。
ミントは、息を呑んだ。
その瞳の中には、ほんの一瞬だけ、“羨望”に似た色が見えた。
『田舎で、自分の居場所を選んだ薬師』
『“誰かの予備”ではなく、“自分の店主”になれた少女』
そんなふうにクローブには見えていたのかもしれない。
◇
「ローズマリー・ローズ」
王の視線が、今度はローズマリーに向かう。
彼女は、すでに半分崩れかけていた。
目の下には涙の跡。
化粧も崩れ、いつもの完璧な令嬢の姿とは程遠い。
「そなたもまた、王太子の薬に関わった。
己の意思で夜哭百合を混ぜたのか、それともクローブにそそのかされたのか――
それは、どちらなのだ」
「それは……」
ローズマリーの喉が上下する。
クローブに「全部私のせいにしていい」と言ってもらった記憶がよぎる。
でも、その言葉に甘え切るには、自分の手が汚れすぎている。
「“どちらも”です」
かすれた声が落ちた。
皆の視線が集まる。
「クローブ殿下に、“特別な薬になれる”と言われて……夜哭百合のエキスを渡されて……
私の中の“評価されたい”が、“危険”を踏み越えてしまいました」
ローズマリーは、唇を噛み切りそうなほど強く噛んだ。
「だって、あの田舎娘ばかりが――!」
視線がミントに向かう。
「田舎娘ばかりが、“奇跡の薬師”と呼ばれて。
小さな村で薬を作っているだけなのに、兵士たちの間で噂になって。
王都の庶民にまで名前が届いて。
“王都の薬より効くらしい”なんて――」
涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
「私は、王都で一番の薬学会に出て、完璧な論文を書いて、貴族の娘として恥ずかしくない勉強をしたのに。
それでも、“お飾りの令嬢薬師”だって言われて。
夜会で一度失敗しただけで、“やっぱり令嬢の遊びね”って笑われて」
その苦さは、本物だった。
ミントの胸にも、それはひどく刺さる。
(私だって――)
「だから、殿下のための特別な薬を作れば、全部ひっくり返せると思ったんです」
ローズマリーは、かきむしるように自分の腕を抱いた。
「“あの田舎娘”じゃなくて、“ローズマリー様の薬が殿下を支えた”って言われる。
そうしたら、私は“お飾り”じゃなくて、本当に必要とされる薬師になれるって……!」
嗚咽が混ざる。
「……私は、王太子殿下を殺そうとしたわけじゃありません。
本当に、“助けたかった”んです。
でも、“助けたい”と“認められたい”と“勝ちたい”が、全部ごちゃ混ぜになって――
夜哭百合の恐ろしさより、その気持ちを優先してしまった」
ミントは、拳を握った。
(わかる)
王都で誰にも認められなかった日々。
ローズ家で、“田舎娘”としか呼ばれなかった日々。
『私だって、王都では誰にも認めてもらえなかった』
その言葉が、心の中でくっきり浮かぶ。
(だけど――)
違いがあるとしたら、自分はそこで折れた。
折れて、逃げて、田舎に帰って、“新しい場所”を選んだ。
ローズマリーは――ここで、踏み込みすぎた。
王都にしがみついて、王都で勝とうとして、禁忌の毒に手を伸ばした。
「ミント・フェンネル」
王の呼びかけに、ミントははっと顔を上げる。
「そなたもまた、王都で使用人として働き、認められぬ苦しみを味わったと聞く。
今聞いたクローブとローズマリー嬢の言葉を、どう思う」
「どう、って……」
急に振られて、言葉に詰まる。
だけど、逃げたくなかった。
この場から目をそらしたら、あの日の自分から目をそらすのと同じ気がした。
「……どこかで、自分を見てるみたいだなって、思いました」
ミントは、正直に言った。
「田舎娘だからって、誰にもちゃんと見てもらえなかったこと。
いくら頑張っても、“有能ぶってるだけ”って言われ続けたこと。
“あの子がいなくなっても、誰も困らない”って空気の中で、息をしてたこと……」
ローズマリーが、はっと顔を上げる。
ミントの瞳の中には、彼女を責める色はなかった。
ただ、静かな共感と、別れ道を見つめるような視線だけがあった。
「私も、あのまま王都に残って、“認められたい”“見てほしい”“勝ちたい”だけを抱え続けてたら――
きっと、どこかで、毒に手を伸ばしてたかもしれません」
クローブの肩が、わずかに動いた。
「だから、怖くて逃げました。
ローズ家から追い出されたのもありますけど……
“ここに残ったら、自分が壊れる”って思って」
グリーンノートを開いた日のこと。
村長とデイジーの笑い声。
「ありがとう」と言ってくれた人たちの顔。
「田舎に帰って、村の人たちの“生活できるくらいには”を支える方を選びました。
王都で“すごい薬師”って言われるより、村で“助かったよ”って言ってもらえる方を大事にしたかったんです」
それが、ミントの選んだ道。
「クローブ殿下やローズマリー様が、弱さを抱えていたのもわかります。
認められたいって、すごく強い気持ちだから」
ミントは、少し俯いた。
「でも――」
顔を上げる。
その瞳には、はっきりした色が宿っていた。
「毒を混ぜた瞬間に、それは“人を救いたい”じゃなくて、“人を使って自分を救いたい”に変わっちゃうと思います」
静かな断罪。
ローズマリーの肩が、びくりと揺れる。
「救う側が、自分の心の穴を埋めるために患者さんを使ったら――
それはもう、“薬師”じゃない」
自分にも言い聞かせるように。
「だから……私は、その道を選ばなかった自分だけは、少しだけ誇りたいです」
王妃が、涙を拭った。
王は、長く息を吐き、玉座の肘掛けから手を離した。
「……もう十分だ」
重い声。
「クローブ・アルバード。
ローズマリー・ローズ」
名を呼ばれ、二人は震える足で立ち上がる。
王の瞳は、厳しくもあり、どこか哀しみに満ちてもいた。
「そなたらの抱えていた孤独も、劣等感も、今の言葉で少しは見えた。
しかし――罪は罪だ」
その一言が、ひどく静かに広間に落ちた。
「王太子の命を、毒という形で危険に晒したこと。
王家と民の信頼を裏切ったこと。
薬師として、決して踏み越えてはならぬ一線を越えたこと――」
王は、ゆっくりと立ち上がる。
「クローブ」
名を呼ぶ声が、父のものになった。
「そなたは、我が子だ。
愛おしい。
だが、王として、そなたを“そのまま王族として留める”ことはできぬ」
クローブは、静かに目を閉じた。
「……はい」
返事は、小さかったが、はっきりしていた。
「そなたの王族としての身分を、ここに剥奪する」
大広間の空気が、一瞬止まった。
「今後は、王族として城に留まることは許されぬ。
王家が管轄する修道院に身を送り、一生を贖罪と祈りに捧げよ」
修道院――世俗から切り離された場所。
権力も、栄光も、名声もない。
ただ、祈りと労働だけがある場所。
クローブは、ゆっくりと目を開けた。
その瞳に、恐怖もあったが――どこか、ほっとした色が混ざっていた。
(“予備”ではなくなる)
王族ではなくなる。
誰かの「代わり」として数えられることもなくなる。
それが、どれだけ救いなのか、彼自身にもまだわからない。
ただ――。
「承知しました」
クローブは、まっすぐに王を見て言った。
「陛下。
父上。
……申し訳ありませんでした」
その言葉に、王は目を閉じた。
王妃が、そっと王の袖を掴む。
それ以上、何も言えない。
親としての言葉も、王としての言葉も、今はどちらも重すぎる。
「ローズマリー・ローズ」
王の視線が、次にローズマリーへ向く。
彼女は、完全に立っているのがやっとだった。
手は震え、膝も震え、目の下には影が落ちている。
「そなたの罪は、クローブほど直接的ではない。
しかし、夜哭百合の危険性を知りながら、己の名誉と評価のためにそれを用いた。
その結果、王太子の命を危険に晒したことに変わりはない」
ローズマリーの喉から、かすかな声が漏れる。
「私は……」
「薬師として、決定的に信頼を失った」
王の声は厳しかった。
「よって、そなたの薬師資格を、ここに剥奪する」
ローズマリーの世界が、足元から崩れた。
薬師資格。
それは、彼女にとって“自分の価値”そのものだった。
「今後、王都に留まることは許さぬ。
遠方の辺境領へ送り、一定期間――民のための奉仕活動に従事せよ。
病人の世話、障害を持つ者たちの介助、畑や作業場での労働――
己の手が、どれだけ“生活のため”に使われるべきものかを、そこで学ぶが良い」
“薬を作るため”ではなく。
“人の生活を支えるため”に。
ローズマリーの頬を、ぽろぽろと涙が伝い落ちた。
「……薬師として、やり直すことは、許されませんか」
その問いは、あまりにも弱くて、あまりにもわがままだった。
王は、しばらく黙り込んだ。
やがて、ほんの少しだけ声を柔らかくする。
「今すぐ、“薬師として戻ってこい”とは言えぬ。
だが、人の生活の側に身を置き続けるうちに――もし、本当に“人を救いたい”と思えるようになったのなら」
そこで言葉を切り、ミントの方を見た。
「グリーンノートのような場所で、誰かの徒弟として、一から学び直す道が、ないとも言い切れぬだろう」
ローズマリーの目が、大きく見開かれた。
「そなた次第だ」
王は、はっきりと言う。
「罰を受け、その中でなお“薬師として生きたい”と願うのか。
それとも、“令嬢だった自分”にしがみついて、何も得られぬまま終わるのか」
ローズマリーは、視線を落とした。
ミントの横顔が、視界の端に映る。
田舎娘で、追放されて、それでも“薬師”を捨てなかった少女。
自分は――そこまで強くなれるだろうか。
答えは、まだ出ない。
ただ、崩れ落ちそうな膝を必死に支えながら、かろうじて一言を絞り出す。
「……謹んで、お受けいたします」
その声には、まだプライドが混ざっていた。
でも、そのプライドは、少しずつ別の色に変わっていくのかもしれない。
◇
広間を後にし、ミントは長い廊下を歩いていた。
石の床。
冷たい空気。
でも、今は前より少しだけ軽く感じる。
「……疲れたか」
隣で歩くサフランが、ぽつりと聞いた。
「疲れました。
体というより、心がぐにゃぐにゃです」
「ぐにゃぐにゃか」
「はい。
クローブ殿下も、ローズマリー様も、どこかで“わかる”って思ってしまって……
でも、だからって許せるわけじゃなくて……ぐにゃぐにゃです」
ミントの表現に、サフランは小さく笑った。
「人の心なんて、だいたいそんなものだ」
「サフランさんも、ぐにゃぐにゃですか?」
「俺はもっとねじれてるかもしれない」
「それを自分で言える人は、案外まっすぐです」
「そうか?」
「そうです」
他愛ない会話。
でも、その一行一行が、さっきの重たい空気を少しずつ溶かしていく。
「……ミント」
ふと、サフランが立ち止まった。
「ん?」
「さっき、陛下に聞かれたとき、“毒を混ぜた時点で薬師じゃない”って言ったろう」
「言いましたね」
「それを、自分にも言い聞かせておけ」
サフランの瞳が、真剣だった。
「お前は、これからもっと注目される。
“奇跡の薬師”として持ち上げられて、“もっと強い薬”や“もっと派手な効果”を求められるようになるかもしれない」
それは、容易に想像できた。
王太子を救った薬師。
星を閉じ込めた滴薬。
噂は一人歩きする。
「その時――自分の心の穴を埋めるために、誰かを使いたくなったら」
サフランは、そっとミントの額を指で小突いた。
「今日のことを思い出せ」
「……はい」
ミントは、指先をそこに当てて、ぎゅっと目を閉じた。
“予備”だった王子。
“お飾り”だった令嬢。
そして、“田舎娘”だった自分。
それぞれが選んだ道と、その先に待っていたもの。
(私は――田舎の薬草店の店主でいい)
王都に呼ばれたとしても。
王太子の主治薬師になったとしても。
自分の根っこは、あの小さな店。
グリーンノートで、「生活できるくらいには」を支える薬師だ。
「……早く帰りたくなってきました」
ミントは、ぽつりと言った。
「村長とデイジーさんの顔、見たいです」
「帰ればいい」
サフランは、あっさり言った。
「殿下が完全に安定するまでは王都にいてほしいが、それが済んだら、ちゃんと帰れ。
王都に縛られる必要はない」
「サフランさんは?」
「俺は、王都に縛られてるからな。
たまに、田舎に逃げに行く」
「逃げに来てください。
“六割サフランさんのせい”って文句言う用意して待ってます」
「割合増えてないか?」
「気のせいです」
二人の笑い声が、石の廊下に小さく響いた。
その後ろで――
“予備”だった王子も、“お飾り”だった令嬢も、それぞれ別の道へ歩き始めようとしている。
罪は罪。
罰は罰。
けれど、その先で、“どう生きるか”までは、まだ誰にも決められていない。
星眠り草の淡い光が、どこか遠くで、まだ静かに瞬いている気がした。
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