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第15話 竜の告白
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夜明け前の空は、鋼の裏面みたいに冷たく光っていた。砦の上空に星は少し残り、地平の縁だけが薄く赤い。ローザは風の入口で、指先を土に置いた。銀花の薄い粉が、昨夜よりも深く土に馴染んでいる。芽は小さく身をすくめているが、芯は強い。息をひとつ、胸の底まで入れてから、覆い布を整えた。
鐘が鳴る前に、空気で分かった。来る。北の街道から重たい気配。雪が鳴って、金属が噛み合い、言葉にならない言葉が押し寄せてくる。
ローザが回廊へ出ると、カイゼルがすでに門前にいた。銀の瞳は澄んでいる。昨夜、彼の背に触れて確かめた熱は、今日は静かにしまわれていた。
「来る」
「うん」
「合図はしない。最初の“手”で返す」
村の人々も持ち場につく。ミルドは祈りの輪の傍で杖を握り、ゲルは井戸の布を見直し、テオは畝の石の角度を最後に確かめる。鉄の従者が配った油取り砂が通路に撒かれ、風の通り道を変える板が立てられた。
雪の向こうに、紺の外套の列。銀の符が連なり、ヴァレンの杖が無言で先端を上げる。彼の視線は昨日よりも厳しく、同時に穏やかでもあった。最小限の火。最短の術。迷いなく、正確に。
その斜め後ろで、マリアンヌがいた。金糸の裾に朝の光。彼女の目は冷たいまま、燃えている。飢えを、美しく見せる光。
「猶予は終わりよ」
彼女は馬上で笑い、指を鳴らす。術者たちの詠唱が始まり、空気が音を失っていく。
「結界、起こす」
ローザは契印に親指を当てた。浅い凹みに体温が落ちる。〈いる〉という返事が、皮膚のすぐ下で脈になった。風の入口から細い光が生まれ、砦の縁に膜を張る。銀花の結界。昨夜よりも密度がある。花弁が二重、三重に重なる。
ヴァレンの第一の術が、膜に触れる。圧が押してくる。均せ、均せ。王都の呼吸。膜がわずかに鳴り、砦の呼吸がそれを丸めて飲む。飲み込む音は、低い。地の音だ。
だが、正面からだけではなかった。側面。南の小道に人影。買収された兵の残りか。瞬間、火の花が砦の脇腹に咲いた。油の匂い。炎が二筋、壁に舌を伸ばす。
「南側!」
ゲルの怒鳴り声。ローザは駆け出し、陽だまりの壁を一枚外して風の向きに差し込む。水の皿を持ち上げ、火の脚に投げる。蒸気が鳴って白い幕。従者が砂を山にし、ミルドが杖で地を叩く。祈りの輪の火から蜂蜜の香りが上がり、恐れの匂いと混じって温度が変わる。
正面では、結界と術の押し合いが続いている。銀と紺が重なり合い、音のない音で世界の輪郭を削る。マリアンヌは直線の炎を二度、三度走らせ、ヴァレンは波を変調して揺さぶる。カイゼルは結界の縁に沿って歩き、風の綻びを指先で縫い合わせていく。彼の横顔に、昔の焼印の影が薄く重なった。けれど、影は今朝の光で輪郭を失いかけている。
「ローザ!」
叫び。振り向くと、南側の曲がり角から、銀の環が飛んできた。昨日のそれより刻印が濃い。直線の炎の中で鍛えられた、より強い縛り。狙いは彼女の手ではない。――カイゼルの胸。
時間が伸びた。ローザは走った。声が先に出る。
「カイゼル、さがって!」
だが彼は下がらなかった。彼は一歩前へ出て、結界の薄い縁と彼女の間に身を入れた。銀の環が空気を裂き、彼の胸をかすめ――かすめ、ではなかった。刺さらず、しかし通った。音が遅れて来る。ぬるい湿りが、空気の匂いを変えた。
彼の身体がわずかに沈む。膝が石を捉え、手が結界の縁に触れる。銀の瞳が一瞬だけ空を見て、すぐに彼女を探す。探し当てて、止まる。
「……大丈夫」
ローザは言った。自分に。指が震える。震えは止めない。震えは声。
「下がれ」
カイゼルが低く言い、唇の端に薄く血が滲む。
「お前は、結界を——」
言葉が切れた。彼の背で古い傷が呼吸を忘れ、胸の中で新しい傷が熱を持つ。ヴァレンの目が細くなる。マリアンヌの目が光る。彼女は美しい声で言った。
「見た? “竜”も血を流すのよ」
ローザは怒りの方向を探した。彼女に向けない。炎に向けない。自分に向けない。――呼ぶ。今、するべきことはひとつだけ。
彼女はカイゼルの前に膝をついた。周りの音が遠い。結界の鳴る音、雪の軋む音、祈りの火の小さな破裂。全部が遠くて、彼の息だけが近い。彼の胸の下、固い骨の動き。そこへ指を、恐る恐る置く。押さえない。触れるだけ。彼女の薬指の凹みが、彼の皮膚の上でほんの少し温かい。
「聞いて」
喉が乾いている。けれど、声は出た。
「私はここにいる。昔の火じゃない、今の火の中で。あなたの暴走でもない、あなたの“在る”の中で。狼の根、夜の印、勇気、救い、逆境の友――全部、あなたの中で呼吸してる。だから、帰ってきて。怒りの部屋から、今へ」
銀の瞳が、ほんの少し揺れた。胸の下の骨がわずかに大きく上下する。彼の中で古い音と新しい音がぶつかり、摩擦する。摩擦の火花が、彼の口から血に混じって零れる。
「……ローザ」
彼は名前を呼んだ。音が掠れている。掠れたまま、はっきりしている。
「わたしは、人を憎んでいた」
彼の声の上を、ひとつの火花が飛ぶ。ヴァレンの術が結界を押し、膜が軋む。ミルドの杖が応える。ゲルが「持て」と叫ぶ。テオが石を握り直す。全部が遠くて、全部が近い。
「人の言葉は嘘だと思っていた。火の夜に、約束は笑った。わたしは、牙だけ残して眠らないことを選んだ。眠らないと、怒りは増える。増えた怒りは、居場所を喰う。わたしは、自分の居場所まで喰っていた」
彼は息を吸い、痛みを飲み込むように目を細めた。銀の瞳に、砦の壁、風の入口、芽、そして彼女が映る。映り方は、昔と違う。昔は映すだけだった。今は、掴もうとしている。
「……だが、お前を愛してしまった」
時間が止まった。胸の奥の氷が、音もなく割れる。なぜだか、痛くない。割れ目に入った光が、熱に変わる。ローザは笑ってしまう。泣きながら笑うのは、身体のどの筋肉を使うのか、今日知った。
「遅い」
「そうだな」
「でも、間に合う」
涙が溢れた。彼女はそれを止めなかった。頬を伝った涙が、彼の胸の上に一滴、落ちる。落ちた瞬間、鱗の粉とふれ、契印の熱とふれ、銀花の膜とふれ――光になった。
小さな光。けれど、真白ではない。銀にわずかに温かい色が混じった光。光は粒になって彼の胸へ沈み、沈んだところから細い糸が伸びた。糸は彼の背の古傷へ走り、そこに残った焼印の熱と出会う。出会って、ほどける。ほどけた熱が、銀に変わる。銀は冷たくない。呼吸の温度だ。
ヴァレンが目を見張る。
「……媒介の“涙”」
結界が鳴った。銀花の膜が内側から一度膨らみ、砦全体が呼吸を深くする。王都の術が押していた波が逆に丸められ、雪の上へさらさらと零れ落ちる。幻火は音を消し、マリアンヌの直線の炎が結界の表で花弁に変わり、消えた。
彼の胸の血の色が、目に見えて薄まっていくわけではない。ただ、熱の質が変わった。痛みの上に別の温度が重なり、彼の呼吸が落ち着く。彼は眉間の力をほんの少し緩め、唇に驚くほど幼い微笑みを乗せた。
「……救われた」
「違う。引っ張っただけ」
「それを救いと言う」
ローザは泣き笑いのまま頷いた。
「あなたが言うなら、そう」
ヴァレンが杖を下ろした。術者たちの声が一段下がり、押し合いは緩む。老魔導師は静かに言う。
「退け。今日はこれまでだ」
「ヴァレン様!」
マリアンヌの声が跳ねる。
「まだ終わってないわ」
「終わっている」
ヴァレンは振り返らずに答えた。
「書にないものが、ここに生まれた。王の目に見せねばならん。だが、刃で測る類ではない」
彼の言葉は、脅しでも懇願でもなかった。ただの報告の口調。それが一番強い。隊列はゆっくりと下がり始める。マリアンヌはなおもこちらを見た。彼女の目が、初めて揺れた。飢えの中に、水を見た人間の目。彼女はそれを憎むように睫毛を伏せ、馬に踵を当てた。
静けさ。砦の石が、熱を吐き切って安堵の息をする。祈りの輪の火が、蜂蜜の香りを最後にひとつだけ上げて、灰の形に落ち着く。テオが小さく手を振り、ゲルが腰を下ろして空を見た。ミルドは杖を地に突き、低く呟く。
「生きた」
ローザは、まだ膝をついたまま、彼の胸の鼓動を指先で数えた。規則正しくなっていく。痛みは残っている。けれど、痛みの上に“在る”が戻ってきている。
「――愛してる」
今度はローザが言った。声は小さい。小さいのに、砦の隅々まで届いた気がした。彼の銀の瞳が、まっすぐに細く笑う。
「知っている」
「ずるい」
「遅いからだ」
ふたりの笑いは、火がないのに温かかった。彼はゆっくりと身を起こし、ローザの肩に手を置いた。指先が震えている。震えは止めない。震えは生。
「立てる?」
「立つ。立って、しまう部屋に鍵をかけ直す。それから……」
「それから?」
「お前の“まし”を手伝う」
「うん。畝をもう一本。井戸の布の結び直し。結界の縫い目を増やす。それと、あなたが倒れないように、椅子」
「椅子」
「必要」
彼は頷き、肩で笑った。笑いは短いが、深い。ローザは立ち上がり、土の匂いがする指で涙の跡を拭った。契印はまだ温かい。合図。距離の測り。胸の内側では、銀花の粉の音が小さく続いている。さっきよりも明るい。光は小さい。小さいけれど、確かにそこにある。
砦の上空を風がひとつ走り抜け、遠くの森の影が昼の色に変わる。王都は退いた。けれど、終わりではない。試された愛は、次の試練をきっと連れてくる。それでも、今は――勝ち取った一呼吸分の静けさを、胸いっぱいに流し込む。
ローザは風の入口に向かい、覆い布を持ち上げた。芽は、さっきより背が高い気がした。気のせいかもしれない。でも、気のせいで足りる日もある。彼女は芽に囁く。
「ねえ、聞いた? 大事なこと、言ってくれた」
芽は答えない。けれど、土が柔らかい返事をする。銀の粉が、光を細かく弾いた。ローザは振り返り、カイゼルと目を合わせる。互いに、笑う。昨日よりすこし深く、今日という日の終わりを受け入れるみたいに。
――愛は、血と嘘の中で試される。けれど、そのただ中で交わされた「帰ってきて」と「帰る」の往復は、刃より強く、炎より長い。銀花の結界は薄れ、砦の石に吸い込まれていく。それでも、呼べば来る。呼べる声は、もう二人の胸に根を下ろした。今夜はそれを抱いて、眠る。明日の“まし”を、また増やすために。
鐘が鳴る前に、空気で分かった。来る。北の街道から重たい気配。雪が鳴って、金属が噛み合い、言葉にならない言葉が押し寄せてくる。
ローザが回廊へ出ると、カイゼルがすでに門前にいた。銀の瞳は澄んでいる。昨夜、彼の背に触れて確かめた熱は、今日は静かにしまわれていた。
「来る」
「うん」
「合図はしない。最初の“手”で返す」
村の人々も持ち場につく。ミルドは祈りの輪の傍で杖を握り、ゲルは井戸の布を見直し、テオは畝の石の角度を最後に確かめる。鉄の従者が配った油取り砂が通路に撒かれ、風の通り道を変える板が立てられた。
雪の向こうに、紺の外套の列。銀の符が連なり、ヴァレンの杖が無言で先端を上げる。彼の視線は昨日よりも厳しく、同時に穏やかでもあった。最小限の火。最短の術。迷いなく、正確に。
その斜め後ろで、マリアンヌがいた。金糸の裾に朝の光。彼女の目は冷たいまま、燃えている。飢えを、美しく見せる光。
「猶予は終わりよ」
彼女は馬上で笑い、指を鳴らす。術者たちの詠唱が始まり、空気が音を失っていく。
「結界、起こす」
ローザは契印に親指を当てた。浅い凹みに体温が落ちる。〈いる〉という返事が、皮膚のすぐ下で脈になった。風の入口から細い光が生まれ、砦の縁に膜を張る。銀花の結界。昨夜よりも密度がある。花弁が二重、三重に重なる。
ヴァレンの第一の術が、膜に触れる。圧が押してくる。均せ、均せ。王都の呼吸。膜がわずかに鳴り、砦の呼吸がそれを丸めて飲む。飲み込む音は、低い。地の音だ。
だが、正面からだけではなかった。側面。南の小道に人影。買収された兵の残りか。瞬間、火の花が砦の脇腹に咲いた。油の匂い。炎が二筋、壁に舌を伸ばす。
「南側!」
ゲルの怒鳴り声。ローザは駆け出し、陽だまりの壁を一枚外して風の向きに差し込む。水の皿を持ち上げ、火の脚に投げる。蒸気が鳴って白い幕。従者が砂を山にし、ミルドが杖で地を叩く。祈りの輪の火から蜂蜜の香りが上がり、恐れの匂いと混じって温度が変わる。
正面では、結界と術の押し合いが続いている。銀と紺が重なり合い、音のない音で世界の輪郭を削る。マリアンヌは直線の炎を二度、三度走らせ、ヴァレンは波を変調して揺さぶる。カイゼルは結界の縁に沿って歩き、風の綻びを指先で縫い合わせていく。彼の横顔に、昔の焼印の影が薄く重なった。けれど、影は今朝の光で輪郭を失いかけている。
「ローザ!」
叫び。振り向くと、南側の曲がり角から、銀の環が飛んできた。昨日のそれより刻印が濃い。直線の炎の中で鍛えられた、より強い縛り。狙いは彼女の手ではない。――カイゼルの胸。
時間が伸びた。ローザは走った。声が先に出る。
「カイゼル、さがって!」
だが彼は下がらなかった。彼は一歩前へ出て、結界の薄い縁と彼女の間に身を入れた。銀の環が空気を裂き、彼の胸をかすめ――かすめ、ではなかった。刺さらず、しかし通った。音が遅れて来る。ぬるい湿りが、空気の匂いを変えた。
彼の身体がわずかに沈む。膝が石を捉え、手が結界の縁に触れる。銀の瞳が一瞬だけ空を見て、すぐに彼女を探す。探し当てて、止まる。
「……大丈夫」
ローザは言った。自分に。指が震える。震えは止めない。震えは声。
「下がれ」
カイゼルが低く言い、唇の端に薄く血が滲む。
「お前は、結界を——」
言葉が切れた。彼の背で古い傷が呼吸を忘れ、胸の中で新しい傷が熱を持つ。ヴァレンの目が細くなる。マリアンヌの目が光る。彼女は美しい声で言った。
「見た? “竜”も血を流すのよ」
ローザは怒りの方向を探した。彼女に向けない。炎に向けない。自分に向けない。――呼ぶ。今、するべきことはひとつだけ。
彼女はカイゼルの前に膝をついた。周りの音が遠い。結界の鳴る音、雪の軋む音、祈りの火の小さな破裂。全部が遠くて、彼の息だけが近い。彼の胸の下、固い骨の動き。そこへ指を、恐る恐る置く。押さえない。触れるだけ。彼女の薬指の凹みが、彼の皮膚の上でほんの少し温かい。
「聞いて」
喉が乾いている。けれど、声は出た。
「私はここにいる。昔の火じゃない、今の火の中で。あなたの暴走でもない、あなたの“在る”の中で。狼の根、夜の印、勇気、救い、逆境の友――全部、あなたの中で呼吸してる。だから、帰ってきて。怒りの部屋から、今へ」
銀の瞳が、ほんの少し揺れた。胸の下の骨がわずかに大きく上下する。彼の中で古い音と新しい音がぶつかり、摩擦する。摩擦の火花が、彼の口から血に混じって零れる。
「……ローザ」
彼は名前を呼んだ。音が掠れている。掠れたまま、はっきりしている。
「わたしは、人を憎んでいた」
彼の声の上を、ひとつの火花が飛ぶ。ヴァレンの術が結界を押し、膜が軋む。ミルドの杖が応える。ゲルが「持て」と叫ぶ。テオが石を握り直す。全部が遠くて、全部が近い。
「人の言葉は嘘だと思っていた。火の夜に、約束は笑った。わたしは、牙だけ残して眠らないことを選んだ。眠らないと、怒りは増える。増えた怒りは、居場所を喰う。わたしは、自分の居場所まで喰っていた」
彼は息を吸い、痛みを飲み込むように目を細めた。銀の瞳に、砦の壁、風の入口、芽、そして彼女が映る。映り方は、昔と違う。昔は映すだけだった。今は、掴もうとしている。
「……だが、お前を愛してしまった」
時間が止まった。胸の奥の氷が、音もなく割れる。なぜだか、痛くない。割れ目に入った光が、熱に変わる。ローザは笑ってしまう。泣きながら笑うのは、身体のどの筋肉を使うのか、今日知った。
「遅い」
「そうだな」
「でも、間に合う」
涙が溢れた。彼女はそれを止めなかった。頬を伝った涙が、彼の胸の上に一滴、落ちる。落ちた瞬間、鱗の粉とふれ、契印の熱とふれ、銀花の膜とふれ――光になった。
小さな光。けれど、真白ではない。銀にわずかに温かい色が混じった光。光は粒になって彼の胸へ沈み、沈んだところから細い糸が伸びた。糸は彼の背の古傷へ走り、そこに残った焼印の熱と出会う。出会って、ほどける。ほどけた熱が、銀に変わる。銀は冷たくない。呼吸の温度だ。
ヴァレンが目を見張る。
「……媒介の“涙”」
結界が鳴った。銀花の膜が内側から一度膨らみ、砦全体が呼吸を深くする。王都の術が押していた波が逆に丸められ、雪の上へさらさらと零れ落ちる。幻火は音を消し、マリアンヌの直線の炎が結界の表で花弁に変わり、消えた。
彼の胸の血の色が、目に見えて薄まっていくわけではない。ただ、熱の質が変わった。痛みの上に別の温度が重なり、彼の呼吸が落ち着く。彼は眉間の力をほんの少し緩め、唇に驚くほど幼い微笑みを乗せた。
「……救われた」
「違う。引っ張っただけ」
「それを救いと言う」
ローザは泣き笑いのまま頷いた。
「あなたが言うなら、そう」
ヴァレンが杖を下ろした。術者たちの声が一段下がり、押し合いは緩む。老魔導師は静かに言う。
「退け。今日はこれまでだ」
「ヴァレン様!」
マリアンヌの声が跳ねる。
「まだ終わってないわ」
「終わっている」
ヴァレンは振り返らずに答えた。
「書にないものが、ここに生まれた。王の目に見せねばならん。だが、刃で測る類ではない」
彼の言葉は、脅しでも懇願でもなかった。ただの報告の口調。それが一番強い。隊列はゆっくりと下がり始める。マリアンヌはなおもこちらを見た。彼女の目が、初めて揺れた。飢えの中に、水を見た人間の目。彼女はそれを憎むように睫毛を伏せ、馬に踵を当てた。
静けさ。砦の石が、熱を吐き切って安堵の息をする。祈りの輪の火が、蜂蜜の香りを最後にひとつだけ上げて、灰の形に落ち着く。テオが小さく手を振り、ゲルが腰を下ろして空を見た。ミルドは杖を地に突き、低く呟く。
「生きた」
ローザは、まだ膝をついたまま、彼の胸の鼓動を指先で数えた。規則正しくなっていく。痛みは残っている。けれど、痛みの上に“在る”が戻ってきている。
「――愛してる」
今度はローザが言った。声は小さい。小さいのに、砦の隅々まで届いた気がした。彼の銀の瞳が、まっすぐに細く笑う。
「知っている」
「ずるい」
「遅いからだ」
ふたりの笑いは、火がないのに温かかった。彼はゆっくりと身を起こし、ローザの肩に手を置いた。指先が震えている。震えは止めない。震えは生。
「立てる?」
「立つ。立って、しまう部屋に鍵をかけ直す。それから……」
「それから?」
「お前の“まし”を手伝う」
「うん。畝をもう一本。井戸の布の結び直し。結界の縫い目を増やす。それと、あなたが倒れないように、椅子」
「椅子」
「必要」
彼は頷き、肩で笑った。笑いは短いが、深い。ローザは立ち上がり、土の匂いがする指で涙の跡を拭った。契印はまだ温かい。合図。距離の測り。胸の内側では、銀花の粉の音が小さく続いている。さっきよりも明るい。光は小さい。小さいけれど、確かにそこにある。
砦の上空を風がひとつ走り抜け、遠くの森の影が昼の色に変わる。王都は退いた。けれど、終わりではない。試された愛は、次の試練をきっと連れてくる。それでも、今は――勝ち取った一呼吸分の静けさを、胸いっぱいに流し込む。
ローザは風の入口に向かい、覆い布を持ち上げた。芽は、さっきより背が高い気がした。気のせいかもしれない。でも、気のせいで足りる日もある。彼女は芽に囁く。
「ねえ、聞いた? 大事なこと、言ってくれた」
芽は答えない。けれど、土が柔らかい返事をする。銀の粉が、光を細かく弾いた。ローザは振り返り、カイゼルと目を合わせる。互いに、笑う。昨日よりすこし深く、今日という日の終わりを受け入れるみたいに。
――愛は、血と嘘の中で試される。けれど、そのただ中で交わされた「帰ってきて」と「帰る」の往復は、刃より強く、炎より長い。銀花の結界は薄れ、砦の石に吸い込まれていく。それでも、呼べば来る。呼べる声は、もう二人の胸に根を下ろした。今夜はそれを抱いて、眠る。明日の“まし”を、また増やすために。
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S級冒険者PT『疾風の英雄』
電光石火の攻撃で凶悪なモンスターを次々討伐して瞬く間に最上級ランクまで上がった冒険者の夢を体現するPTである。
龍狩りの一閃ゲラートを筆頭に極炎のバーバラ、岩盤砕きガイル、地竜射抜くローラの4人の圧倒的な火力を以って凶悪モンスターを次々と打ち倒していく姿は冒険者どころか庶民の憧れを一身に集めていた。
そんな中で俺、ロイドはただの盾持ち兼荷物運びとして見られている。
盾持ちなのだからと他の4人が動く前に現地で相手の注意を引き、模擬戦の時は2対1での攻撃を受ける。
当然地味な役割なのだから居ても居なくても気にも留められずに居ないものとして扱われる。
今日もそうして地竜を討伐して、俺は1人後処理をしてからギルドに戻る。
ようやく帰り着いた頃には日も沈み酒場で祝杯を挙げる仲間たちに報酬を私に近づいた時にそれは起こる。
ニヤついた目をしたゲラートが言い放つ
「ロイド、お前役にたたなすぎるからクビな!」
全員の目と口が弧を描いたのが見えた。
一応毎日更新目指して、15話位で終わる予定です。
作品紹介に出てる人物、主人公以外重要じゃないのはご愛嬌()
15話で終わる気がしないので終わるまで延長します、脱線多くてごめんなさい 2020/7/26
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