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第17話 崩れていく玉座と、残るもの
しおりを挟むアルシェルド王国に戻る旅路は、来たときよりずっと短く感じた。
実際には同じ距離を、同じ馬車で、同じだけの時間をかけている。
けれどユリウスにとっては、感覚的に「一瞬」であり、同時に「永遠」だった。
終わった交渉。
得られなかった譲歩。
ただ一つ、「難民を受け入れる」というノルディア王の宣言だけが、胸の中で棘のように刺さっている。
(……何一つ、取り戻せなかった)
窓の外に、見慣れたアルシェルドの大地が広がる。
それなのに、どこか他人の国みたいに遠く見えた。
山の斜面は、以前より痩せている。
森の木々は、ところどころ黒く枯れていた。
畑の広がるはずの場所に、荒れ地が斑に混じっている。
ユリウスの胸に、重い石が積み上がっていく。
◇
王都の外壁が見えてきたとき――最初に耳に届いたのは、怒号だった。
「聖女を返せ!!」
「聖女様がいれば、こんなことにはならなかったんだ!!」
「王家が聖女を捨てたせいだろうが!!」
人の声。
叫び。
泣き声。
怒り。
呪詛にも似た罵倒。
城門前の広場には、民衆が押し寄せていた。
痩せた体。
破れた服。
腕の中でぐったりしている子ども。
杖をつきながら立っている老人。
皆、顔に疲労と、飢えと、絶望を貼り付けている。
駆けつけた兵士たちが柵を作って押しとどめているが、押し寄せる波は止まらない。
「開けろ! 城門を開けろ!!」
「聖女を捨てた王家に、何を頼めというんだ!!」
「前の聖女様を返せ!! 戻ってきてもらえ!!」
矛盾した叫びが入り混じる。
捨てた王家を罵りながら、その王家に「聖女を返せ」と叫ぶ。
感情の処理が追いつかない群衆の、本音と建前がごちゃ混ぜになった光景。
(……もう、ここまで)
ユリウスは馬車の中で目を閉じた。
「殿下、どういたしましょう」
従者の声が震えている。
「裏門からお回りすることも……」
「いい」
ユリウスは、ゆっくり首を横に振った。
「正面から入る」
「しかし、人々の怒りは……」
「俺が、選んだ結果だ」
その一言で、従者は黙り込んだ。
◇
馬車が門前で止まる。
扉が開き、ユリウスが姿を現した瞬間――ざわめきが爆発した。
「殿下だ!!」
「王太子様!!」
「聖女様は!? 前の聖女様は!?」
「連れてきたんですか!? それとも、また捨てたんですか!?」
怒りと期待が混ざった視線が、一斉に突き刺さる。
ユリウスは、深く息を吸い込み――何も言えなかった。
喉の奥に詰まった言葉が、一つも外に出てこない。
連れてこなかった。
連れてこられなかったのだ。
それを説明する言葉が、どれだけ用意できたとしても――
今ここで、そのどれもが「言い訳」にしかならないと分かっていた。
兵士たちが焦って叫ぶ。
「下がれ! 殿下のお通りだ!」
「押すな! 押すなと言っているだろう!」
それでも、人の波は止まらない。
「殿下ぁ!!」
一人の婦人が、押し寄せる人々の間から身を乗り出した。
痩せた腕。
その腕の中で、子どもがぐったりと力なく首を垂れている。
「うちの子が……熱で……村のお医者さんも薬も足りないって……!!」
声が震え、涙でにじむ。
「前の聖女様がいたら、きっと……!」
その叫びは、刃のようにユリウスの胸を切り裂いた。
(前の聖女)
リディア。
彼の頭に、あの少女の姿が浮かぶ。
祈り続けていた細い背中。
疲れ切っても笑おうとしていた顔。
「大丈夫です」と言いながら、ふらついていた足取り。
王都のどこかで、こういう子どもを、彼女は何度も救っていたのだろう。
今、その手はここにはない。
「……すまない」
かろうじて、それだけを呟いた。
「何が“すまない”だ!!」
別の男が叫ぶ。
「聖女様を追い出したのは、あんたらだろうが!!」
「“聖女は無能”って言ってたくせに、今さら“戻ってきてください”なんて、虫が良すぎるんだよ!!」
「陛下は病で倒れて、聖女様もいなくて、何が王家だ!!」
罵声が飛び交う。
ユリウスは、その全部を真正面から浴びた。
避けることも、耳を塞ぐこともできなかった。
(……これは、俺が選んできたものの結果だ)
聖女の交代。
公開断罪。
追放。
森。
あのときの決断が、今、こういう形で国を蝕んでいる。
報告書の数字ではなく。
会議室の中の議論でもなく。
目の前の、人間の顔として。
痩せた頬。
乾いた唇。
怒りに歪んだ目。
涙に濡れたまぶた。
リディアを切り捨てたあの日、ユリウスは「国を守れる」と信じていた。
結果、守れなかったものの大きさを――今になって思い知らされる。
◇
玉座の間に戻ったとき、そこはもはや、王の間というより“病室”の延長だった。
天蓋のかかった寝台。
がらんと広い空間に、王の苦しげな呼吸だけが響いている。
「……父上」
ユリウスが近づくと、王はかすかに目を開けた。
「……戻ったか、ユリウス」
「はい」
「どうだった」
声は弱々しいが、その問いの刃はまだ鋭かった。
ユリウスは、一瞬だけ躊躇って――正直に言った。
「……何も。何一つ、“聖女として”のリディアは、戻ってきませんでした」
王の瞳が、わずかに揺れる。
「そう、か……」
それ以上、責める言葉は続かなかった。
責めたとしても、もう何も変わらないことを、王も分かっているのだろう。
ユリウスは、王の寝台の横で、拳を握り締めた。
(玉座は……)
視線を巡らせると、王座そのものはそこにある。
だが、それはもはや誰の重さも受け止めていない。
王は寝台に伏している。
王太子は、民衆の怒りを前に立ち尽くしている。
王家の威信は、門前の叫び声によって蝕まれていく。
形としての玉座は残っている。
けれど、“そこに座るという意味”は崩れかけていた。
王家が守れていないものが多すぎる。
そして何より――「守るべき存在だったはず」の少女を、自ら捨てた。
その一点が、玉座の根元を腐らせていた。
◇
一方、ノルディア。
国境付近の検問所は、今日も忙しい。
「次の方、順番に!」
「慌てないで! 怪我してる人、子ども連れはこっち!」
ノルディアの騎士たちと文官たちが、汗を拭いながら人の流れを整えている。
アルシェルド側からの道には、細い列ができていた。
荷車を押す者。
荷物を背負う者。
身一つで歩いてくる者。
共通しているのは――皆、何かを置いてきた目をしていること。
家か。
土地か。
家族か。
故郷か。
それぞれ違うものを失って、それでも前に進むために、ノルディアの国境を目指している。
「ここから先は、ノルディア王国です」
受付の文官が、一人ひとりに確認する。
「我が国の法に従うことを条件に、避難民として受け入れます。
定住を希望される方には、土地や仕事の斡旋も検討されます」
噛みしめるように、その言葉を聞く人たち。
「アルシェルド」という国の枠から外れる不安と、
「生きていけるかもしれない」という微かな希望と。
その二つを両手で抱えて、彼らは並んでいた。
◇
ノルディア王都の一角、臨時の救護所。
リディアは、今日もそこで人々の傷と向き合っていた。
「はい、次の方――あ、急ぎの子はこっち!」
熱でぐったりした子どもが、若い母親に抱えられて運び込まれる。
胸に手を当てて、呼吸の浅さを確かめる。
額に触れると、焼けるように熱い。
「大丈夫、大丈夫です。深呼吸してね」
子どもの耳元で、やさしく囁く。
母親は、今にも泣きそうな顔で、「すみません、すみません」と繰り返している。
「謝らなくていいですよ。ここまでよく連れてきました」
リディアは、にっこりと笑った。
掌を、子どもの胸の上にそっと置く。
冷たい泉から水を汲むように、自分の内側から魔力を引き出す。
以前ほど勢いよくは出てこないけれど――ノルディアで休んだぶん、魔力の質はむしろ澄んでいた。
薄い光が、掌からじんわりと広がっていく。
熱に浮かされた身体が、少しずつ落ち着きを取り戻す。
ごくりと唾を飲み込む音がして、浅かった呼吸がゆっくりと深くなる。
「……せん、せい……?」
子どもの目が、ぼんやりと開く。
ノルディアでは医療従事者を“先生”と呼ぶことが多い。
リディアはそれが少し面白くて、「わたしは先生じゃないですよ」と笑い返す。
「ここは……」
「ノルディアですよ。よく来ましたね」
簡単な説明をして、薬草の煎じ薬を渡す。
母親は、涙をぼろぼろこぼしながら何度も頭を下げた。
「本当に……本当に……」
「“聖女様”とか、“神様”とか言わなくていいですから」
リディアは、冗談めかして手を振る。
「わたしはただのリディアです。
ここで、ちょっとだけ魔法が使える人です」
そう言えることが、たまらなく心地いい。
“国を支える大いなる器”でもなく。
“王家の婚約者”でもなく。
ただ、人を助けるために手を伸ばす一人の人間。
その肩書きでいられることが、ありがたかった。
◇
救護の合間合間に、リディアはアルシェルドから来た人々の話を聞いた。
ある青年は、こう言った。
「……王都の近くの村にいたんです。
この一年くらいで、畑から取れるものがどんどん減ってって……
“聖女様の加護が弱まったせいだ”って、村の誰かが言い出して」
言い淀む。
「“前の聖女様を追放した王家の罰だ”って、言う人もいました」
責任の擦り合い。
噂。
信仰心と不安がごちゃまぜになった怒り。
リディアは、それを責める気にはなれなかった。
その怒りの矛先には、自分も確かに含まれていたから。
「怖くなったんです」
青年は、拳を握りしめる。
「“この国にいても、もう駄目なんじゃないか”って。
それで、弟と一緒に、ノルディアに――」
彼の弟は、今、隣のベッドで眠っている。
疲労と栄養不足で倒れていたが、命に別状はない。
リディアは、その弟の額を撫でてから、青年に向き直った。
「来てくれて、よかったです」
心からそう言う。
「アルシェルドを捨てたような気がして、まだ……ちょっとだけ、後ろめたいんですけど」
「生きる場所を選ぶことは、捨てることだけじゃないですよ」
リディアは、自分自身にも言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「“自分が生きられる場所”を選んだだけです。
それを責める権利は、誰にもありません」
青年は、しばらく黙っていたが――やがて、かすかに笑った。
「……そう言ってもらえると、少し楽になります」
その笑顔が、ノルディアの光に馴染んでいく。
リディアの胸にも、少しだけ温度が灯る。
(アルシェルドの“国”を救うことは、もうできないけれど)
目の前にいる“人”たちなら。
きっと、まだ間に合う。
◇
別の日。
救護所の片隅で、ひとりの老女が咳き込んでいた。
痩せた肩。
節くれだった指。
皺だらけの手の甲。
リディアがそっと手を添えると、その手ががしっと彼女の指を掴んだ。
「あんたが……前の聖女様かい?」
唐突な問いに、リディアは少しだけ身を固くした。
「どうして、そう思われます?」
「顔がね。似てるんだよ、あの頃、王都の広場で見た聖女様に」
老女は、目を細める。
「みんなが“聖女様、聖女様”って手を振ってる中でね、あんた一人だけ、すごく申し訳なさそうな顔をしてたんだよ」
「……申し訳なさそう?」
「“こんなに感謝されるほどのこと、してないのに”って顔だよ」
図星すぎて、思わず苦笑が漏れた。
(見られてたんだ、そんな顔)
聖堂から広場に出るとき、いつもモヤモヤしていた。
祈りを捧げたのは事実だけれど、それは自分一人の力じゃない。
神の加護だとか、大地の力だとか。
いろんなものが一緒になって奇跡が起きているのに、自分だけが持ち上げられている気がして、落ち着かなかった。
それを、ちゃんと見ていた人がいた。
「……はい。たぶん、その“前の聖女”です」
リディアは、静かに認めた。
老女の手が、少し強く彼女の指を握る。
「そうかい」
それだけ言って、老女は大きなため息をついた。
「悪かったねぇ」
「え?」
「うちら、あんたに全部押しつけてた」
老女の声は、枯れているけれど、芯があった。
「“聖女様が何とかしてくれる”“祈ってくれてるから大丈夫だ”って、好き放題言ってた。
誰一人、“あの子、いつか倒れるんじゃないか”なんて、ちゃんと考えてやらなかった」
「そんな……」
「王様も、偉い人たちも、同じだろうけどねぇ」
老女は、目を細めて遠くを見る。
「国がどうとか、政治がどうとかは、ばあさんには分からないよ。
でも、あんたの顔は、よく覚えてる」
リディアの胸が、ぎゅっと締め付けられた。
「わたし……」
こみ上げてくる感情を、うまく言葉にできない。
喉の奥で、何かがつかえている。
それでも、どうしても伝えたくて。
「ごめんなさい」
ぽつりと零れた。
老女が、驚いたように目を瞬かせる。
「……何がだい」
「守れなくて」
堰を切ったみたいに、言葉が溢れた。
「アルシェルドを。
みなさんの暮らしを。
病気を。
魔物を。
……全部、守りきれなくて」
それはずっと、心の奥底に沈めていた罪悪感だった。
“もっと祈っていれば”.
“もっと早く気づいていれば”.
“もっと上手く立ち回れていれば”。
そうすれば、アルシェルドはこんなふうに崩れずに済んだのかもしれない、と。
「王様たちが間違っていたのは、分かっています。
でも、わたしがもっとちゃんとしていたら――って、どうしても思ってしまって」
言いながら、涙が滲む。
「守れなくて、ごめんなさい」
その言葉を言った瞬間、自分でも驚くくらい、胸の奥がひりついた。
老女は、しばらく黙ってリディアの顔を見つめていた。
そして――ふっと、皺だらけの口元をほころばせた。
「……あんたのせいじゃないよ」
その言葉は、驚くほどあっさりしていた。
「え……」
「国が壊れかけてるのはさ、偉い人たちがそういうふうにしてきたからだよ」
老女は、肩をすくめる。
「ばあさんみたいな庶民から見てもね、“聖女様に全部押しつけすぎだなぁ”って思ってたんだ。
助かるときだけ“ありがたいありがたい”って頭下げて、
うまくいかないときは“聖女のせいだ”って言って」
あまりにも真っ直ぐな言葉に、リディアは息を呑んだ。
「そりゃ、神様だって怒るさね。
“あたしたちは何もしないけど、あんたが全部何とかしなさい”なんて、虫が良すぎる」
老女は、リディアの手をぽんぽんと叩く。
「あんたは、あんたなりに十分やったんだろ?」
「……分からないです」
リディアは、首を振った。
「足りなかったって言われ続けてきたから。
“十分”ってどこまでか、自分ではよく分からなくて」
「なら、もう、そろそろ“十分”ってことにしときな」
老女の言葉は、優しくも容赦ない。
「あんた一人が全部背負ってたら、世の中の人間みんな、楽しすぎだよ」
ふふ、と笑う。
「あんたの役目は、もう“誰かが拾ってくれた”んだろう? ノルディアで」
リディアは、はっとして顔を上げた。
レオン。
カイル。
ノルディアの人たち。
彼らが、「あの日の役目」をそのまま押しつけることなく、代わりに「一緒に支える」という形を見せてくれた。
レオンは王として、国の構造を変えようとしている。
カイルは騎士として、目の前の人を守っている。
文官たちは、地道な調整で社会の形を整えている。
“全部リディアに”ではなく、
“みんなで少しずつ”になっている。
「……そう、ですね」
ぽつりと呟くと、胸の奥で何かがゆっくりと溶けていくのを感じた。
(全部、わたしの責任じゃない)
やっと、その言葉を、自分で自分に許せた気がした。
これまでも、レオンたちに何度も言われてきた。
『君一人のせいではない』
『全部背負う必要はない』
そのたびに頭では理解したつもりだった。
でも、心のどこかで、「それでも」と自分を責め続けていた。
今、“アルシェルドから逃げてきた人”の口から、「あんたのせいじゃない」と言われたことで。
初めて、底のほうからふっと力が抜けた。
「ありがとう、ございます」
涙が一粒、頬を伝う。
老女は、それを見て笑った。
「礼を言うのは、こっちだよ。
あんたみたいな子に、また会えたんだから」
その言葉に、リディアは小さく笑い返した。
◇
その日の夜。
ノルディアの城の高台から、リディアは街の灯りを眺めていた。
隣には、いつものようにレオンがいる。
「……少し、顔が柔らかくなったな」
レオンが、静かに言った。
「え?」
「この数日、アルシェルドからの避難民を相手にしているあいだ。
ずっとどこか、自分を責める顔をしていた」
「そんなに分かりやすかったですか?」
「君の顔は、分かりやすい」
即答された。
思わず笑ってしまう。
「さっき、救護所から戻ってきたときは、“少しだけ荷物を下ろした”ような顔をしていたからな」
「……おばあさんに、“あんたのせいじゃない”って言われました」
リディアは、今日あったことを簡単に話した。
守れなくてごめんなさいと言ったこと。
「国が壊れかけているのは偉い人のせいだ」と笑われたこと。
「もう十分だ」と言われたこと。
レオンは、黙って聞いていた。
「どうしてでしょうね」
灯りを眺めながら、リディアはぽつりと言う。
「同じことを、レオンさんたちにも何度も言ってもらってたのに。
アルシェルドから来た人に言われた途端、すとんって胸に落ちちゃって」
「人は、同じ言葉でも、“誰が言うか”で意味が変わるからな」
レオンは肩をすくめた。
「俺たちが言えば、“ノルディアでの新しい生活を肯定したい人間の言葉”になる。
アルシェルドから来た者が言えば、“過去を知っている人間の言葉”になる」
「……どっちも本当なのに」
「どっちも本当だからこそ、だろう」
レオンの横顔は、相変わらず穏やかだった。
「君は、“どこまで自分が責任を負うべきか”を、ずっと探していたんだ」
その言葉に、リディアは目を見開いた。
「責任って、そんな大層な」
「昔の君は、“自分の人生全部”を責任の範囲内だと思っていた。
今の君は、ようやく、“自分の両手で抱えられる分だけでいい”と思い始めている」
淡々とした分析。
図星で、言い返せない。
「君が手を伸ばせるのは、“目の前の人”までだ」
レオンは、街の灯りを指さす。
「千の灯りを、君一人で守る必要はない。
その代わり、一つの灯りに手を伸ばすなら、その灯りとちゃんと向き合えばいい」
その言葉が、不思議と胸に心地よく収まった。
アルシェルドの玉座は、崩れかけている。
国の枠組みも、王家の威信も、もう元には戻れないかもしれない。
それでも――。
ここには、まだ灯りがある。
ノルディアの街の灯り。
避難してきた人たちの灯り。
そして、自分の胸の奥で、小さく燃え続けている灯り。
(崩れていくものもあるけれど)
それでも、残っていくものもある。
誰かがくれた「ありがとう」。
「生きていてくれてよかった」という笑顔。
「あなたのせいじゃないよ」という言葉。
それら全部が、リディアの中に、静かに積み重なっていく。
「レオンさん」
「ん?」
「わたし、多分これからも、“自分のせいだ”って思う癖は消えないと思います」
「だろうな」
あっさり言われた。
「でも、そのたびに――」
リディアは、夜空を見上げる。
「今日のおばあさんの言葉、思い出します。“あんたのせいじゃないよ”って」
「いい記憶の残し方だ」
レオンが、少しだけ笑った。
「それから」
リディアは、隣を見上げる。
「レオンさんたちの言葉も、ちゃんと信じます。“全部背負う必要はない”って」
「光栄だな」
夜風が、二人の間を通り抜けていく。
崩れかけた玉座のある国と。
新しく灯りを増やそうとしている国。
その狭間で、元聖女リディアはようやく――
“自分だけが全部の責任を背負わなくていい”という、ごく当たり前の事実を、静かに胸に受け入れ始めていた。
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その激しいクレームを入れた
読者の一人が私だった。
異世界の追放予定の聖女の中に
入り込んだ私は小説の知識を
活用して対策をした。
大人しく追放なんてさせない!
* 作り話です。
* 長くはしないつもりなのでサクサクいきます。
* 短編にしましたが、うっかり長くなったらごめんなさい。
* 掲載は3日に一度。
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