聖女を追放した国が滅びかけ、今さら戻ってこいは遅い

タマ マコト

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第18話 ノルディアの聖女として、正式な誓い

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 その知らせは、ある朝、ノルディア王都の空がやわらかく晴れた日に、静かに告げられた。

「――正式に、聖女として?」

 リディアは、思わず聞き返していた。

 伝えに来たのは、レオン付きの文官――いつも淡々としている青年だ。
 彼は眼鏡の位置を指で直しながら、事務的な口調で告げる。

「はい。陛下が、国内外に向けて正式に宣言されるご意向です。
 “ノルディア王国は、聖女リディアを正式にこの国の守護者として迎える”と」

 その文面を聞いた瞬間、胸の奥が、きゅっと縮んだ。

(聖女――)

 あの国で散々擦り切らされた、肩書き。

 剥ぎ取られ、罵倒とともに捨てられた、名前。

 けれど今、その言葉は、不思議と以前ほど冷たく響かなかった。

「……わたしが、決めてもいいんですか」

 リディアは、小さく尋ねた。

「はい。陛下は、“嫌ならやめてもいい”と」

 文官は、そう言って少しだけ口元を緩める。

「“どのみちあの人は、聖女って呼ぼうが呼ぶまいが、誰かを助けてしまう人だからな”とも仰っていましたが」

「……レオンさんですね、それ絶対」

 苦笑が漏れる。

 目の前の選択肢は、もう“押しつけられるもの”じゃない。
 自分が「選ぶ」かどうかを問われている。

 胸の奥で、かすかな怖さと、同じくらいの期待が揺れた。



 式典の日取りは、一週間後に決まった。

 国内向けには「聖女就任式」、国外向けには「新たな守護者の任命式」として通達される。
 アルシェルドにも正式文書が送られたはずだが、そこにどういう感情が渦巻くかまでは、今ここからは見えない。

 代わりにリディアは、自分の感情と向き合うので精一杯だった。

「うわぁ……これは、まごうことなき“大イベント”ですねぇ」

 式典前日、侍女のナリアが、準備用の控え室で書類の山を見て呆れたようにため息をついた。

 そこには、式の順番、来賓の座席表、服飾の指定、音楽隊の曲目、祝辞の原稿案……などなど、目が回りそうな数の紙が並んでいる。

「……こんなに大掛かりにするつもりだったんですか?」

「陛下が“ほどほどでいい”って言ってたんですけどねぇ」

 ナリアは肩をすくめる。

「周りが“それは困ります!”って全力で拒否したんですよ。“新しい聖女就任式を質素に済ませるとか、後世に恨まれます!”って」

「後世に……?」

 そんなたいそうなものにされるほどの自覚は、まだない。

 ナリアはくすくす笑いながら、大きな布包みを持ち上げた。

「でも、そのおかげで、これが用意されました」

 布をほどくと――そこには、淡い青の衣が折りたたまれていた。

 透けるような薄手の生地と、光を受けて静かに揺れる刺繍。
 真っ白ではない。
 アルシェルドで着せられていた、あの“聖女の白”とは違う。

 ノルディアの空を思わせる、優しい青。

「……綺麗」

 思わず、息を呑んだ。

「純白じゃなくていいか伺ったら、陛下が即答で“青がいい”って仰いまして」

「即答だったんですか」

「“あいつに真っ白なんて着せたら、また“国の器”とか言い出すやつが出てくるだろう”って」

 あまりにもレオンらしい理由だった。

 ナリアがくっくっと笑う。

「“ノルディアの空の色でいい”って、仰ってましたよ。
 “この国で生きてる色にしたい”って」

 ノルディアの空。
 ここに来てから、何度も見上げた色。

 曇った日も、雪が舞う日もあったけれど――思い返せば、どの日の空も、アルシェルドで見ていた空より、どこか柔らかく感じられた。

 胸の奥で、じわりと温度が上がる。

「……着てみますか?」

「はい」

 衣を受け取る両手が、少しだけ震えていた。



 式典当日。

 ノルディア王宮の大広間は、いつもより明るく装われていた。

 高い天井からは、氷を模した灯りが下がり、陽光を受けてきらきらと揺れている。
 白と銀を基調とした装飾の中に、ところどころ淡い青のリボンが結ばれていた。

 その色は、リディアが纏っているドレスと同じ。

「……本当に、似合ってる」

 控え室の鏡の前で、ナリアが感嘆のため息を漏らした。

 リディア自身は、まだ慣れない姿に少し戸惑っている。

 淡い青のドレスは、派手すぎず地味すぎず、彼女の髪と瞳の色を柔らかく引き立てていた。
 胸元には、小さな白い刺繍で、ノルディアの紋章がさりげなく入っている。

 肩から掛かった薄いケープは、雪の羽衣みたいにふわりと揺れた。

「アルシェルドのときは……」

 ナリアが、鏡越しにリディアを見る。

「どんな衣装だったんです?」

「もっと……“聖堂の像みたいな”感じでした」

 リディアは苦笑する。

「真っ白で、重くて。
 動きにくいし、自分が自分じゃないみたいで……」

 あのときの衣は、「こうあれ」という押しつけそのものだった。

 清廉で、傷ひとつなくて、何も汚れていない存在でいろ、と。
 人間としてではなく、“象徴”として扱われるための布。

「今は?」

 ナリアの問いに、リディアは少しだけ考えて――笑った。

「今は、“わたしの服”って感じがします」

 動ける。
 息がしやすい。
 何より、この色が好きだと、素直に思える。

「よかった」

 ナリアが涙ぐみかけて、自分で慌てて目をこする。

「泣くのはまだ早いですよ?」

「これからですよねぇ、泣くタイミングなんていくらでもあるの……分かってるんですけど……」

 くすくす笑い合いながらも、時間は静かに進んでいく。

 やがて、扉をノックする音がした。

「そろそろだ」

 聞き慣れた低い声。

 レオンが扉の外に立っていた。

 ナリアがさっと頭を下げて下がると、レオンが一歩中に入ってくる。

 リディアの姿を見て、一瞬だけ目を丸くした。

「……ああ」

「変じゃ、ないですか?」

 不安になって尋ねると、レオンはすぐに首を横に振った。

「いや。よく似合っている」

 短く、でも迷いない声音。

「“ノルディアの空”だな」

「ナリアさんから聞きました。レオンさんが決めたって」

「俺は“青”と言っただけだ。そこから先の仕事は、服飾担当の功績だな」

 そう言いながらも、どこか満足そうだ。

 視線が、リディアの肩から裾までを丁寧になぞる。

「白じゃなくて、よかったか?」

「はい」

 即答した。

「真っ白だと、また“全部背負わなきゃ”って錯覚しそうなので」

「……それは困るな」

 レオンは苦く笑う。

「今日、君に誓ってほしいのは、“全部を背負う覚悟”じゃない。
 “自分で選んだ範囲で生きる覚悟”だ」

 その言い方が、いかにも彼らしかった。

「レオンさんは?」

「何がだ」

「今日、どんな誓いをするんですか」

 問い返すと、レオンは少しだけ目を逸らして――すぐに真顔に戻る。

「壇上で言うつもりの言葉は、もう決めてある」

「そうなんですね」

「聞いてからのお楽しみだ」

 少しだけ悪戯っぽく笑われて、胸がくすぐったくなった。



 大広間。

 左右の列席には、ノルディアの貴族、各地の代表、アルシェルドからの避難民の代表者たち、他国からの使節の姿もちらほら見える。

 前方には、王座と、その手前に広がる壇上。

 レオンが、王冠こそ簡素なものの、堂々とした姿で立っている。
 その隣には、淡い青の衣を纏ったリディア。

 足元から、視線が一斉に絡みついてくるのを感じる。

(大丈夫)

 隣には、レオンがいる。
 少し後ろには、騎士たち――カイルたちが控えている。

『だいじょーぶ、なにがあっても俺が斬るから』

 出発前にカイルが言った物騒な励ましを思い出して、ちょっとだけ笑いそうになる。

(何を斬るつもりなんだろう)

 そんなことを考えているうちに、大広間のざわめきが静まっていった。

 レオンが一歩前に出る。

「本日、ノルディア王国は――」

 低くよく通る声が、広間いっぱいに響いた。

「聖女リディアを、この国の正式な守護者として迎える」

 その宣言に、ざわめきが一段高くなって、すぐに静まる。

「彼女は、かつて隣国アルシェルドにおいて聖女と呼ばれ、その後――理不尽な形でその地位を奪われ、捨てられた」

 その事実を王自ら口にすることに、躊躇いはなかった。

「ノルディアとしては、その過去を“聖女としての資格”の欠如とは見なさない。
 むしろ、あらゆる重荷を背負わされ、祈り続け、それでもなお“人を救いたい”と願う心を捨てなかったことを――」

 レオンは、ちらりとリディアを見る。

「“この国の宝”として、迎えたいと思う」

 胸が、ぎゅっと熱くなった。

 “資格”ではなく、“心”を理由に迎えられている。

 アルシェルドでは、力の量と結果だけで測られ続けてきた。
 今、見られているのは、“何をしたいと思っているか”という部分だ。

「だが――」

 レオンは、そこで声のトーンを変えた。

「ここにいる彼女を、ただ“聖女”と呼ぶつもりはない」

 ざわり、と空気が揺れる。

「いいか、よく聞け」

 ノルディアの人々に向けられた、王としての声。

「彼女は、“ノルディアの道具”でも、“無償で奇跡を提供する泉”でもない。
 我々と同じ、この国で生きる一人の“リディア”だ」

 リディアは、目を瞬いた。

 まさか、式典の場でここまで言うとは思わなかった。

「だから――」

 レオンは、壇上でリディアのほうへ向き直る。

 驚いたことに、彼はそこで、ほんの少しだけ腰を落とし、リディアと目線の高さを合わせた。

 大勢の前。
 王としての威厳を見せなければならない場で。

 あえて、“同じ高さ”に立つ。

 心臓が跳ねた。

「リディア」

 名前を呼ばれただけで、胸が熱くなっていく。

「君の力を、国のために借りたい」

 その言い方は、命令ではなく、あくまで“お願い”だった。

「病に苦しむ者を助け、魔物に怯える者を守るために。
 この国の人々が、“明日”を信じられるように」

 そこまでは、“王”としての言葉だ。

 けれど、そこで一拍置いてから、レオンの声の響きが少し変わった。

「ただ、それ以上に――」

 視線が、ほんの少しだけ柔らかくなる。

「君が、この国で笑って生きていけるように」

 大広間の空気が、一瞬止まった。

 レオンの声だけが、静かに続く。

「王としてできる限りのことをする」

 その一言に、リディアの心臓がとんでもない速度で動き出した。

(ちょ、ちょっと待って)

 頭の中で、慌ててブレーキを踏みたくなる。

 今、さらっと、とんでもなくずるいことを言わなかっただろうか、この人は。

 “国のため”よりも、“君がここで笑って生きられること”を優先すると、
 王が国民の前で宣言したのだ。

 しかも、彼女の手を――。

 レオンの手が、そっと差し出される。

 淡い青の袖の先で、その手のひらが待っていた。

 迷いのない動き。

(……逃げない)

 リディアは、自分の手を伸ばした。

 触れた瞬間、軽く、でもしっかりと握られる。

 掌から伝わる熱が、腕を伝って胸まで一気に広がっていった。

 その後ろで――。

「……国王、自分でプロポーズみたいなこと言ってる自覚あるのか……?」

 小さな、しかし絶妙に通る声が、騎士団の列から漏れた。

 カイルだ。

 隣の騎士が「おまっ……!」と肘で小突く音まで、前方にいるリディアの耳に届いてしまう。

 ちょっと笑いそうになった瞬間、周囲の侍女たちの頬が一斉に赤くなっているのが視界の端に入った。

(わぁ……みんな、そう聞こえたんだ)

 他人事みたいに理解してしまってから、遅れて自分の顔まで熱を帯びていく。

 頬が、じんわりと火が差したみたいに赤くなるのが、自分でも分かった。

「……っ」

 思わず俯きかけたところで、レオンの指先が、握った手をきゅっと軽く圧した。

 顔を上げると、そこには、いつもの穏やかな青い瞳があった。

 照れも、冗談も、揶揄もない。
 ただ、「ここにいていい」と、全身で言ってくれている眼差し。

 その視線に、胸の奥で何かがふわりと浮いて――そのまま、柔らかい場所に落ちていった。

「……はい」

 喉がひりついて、声がかすれる。

 それでも、はっきりと答えた。

「この国で、生きたいです」

 ゆっくりと、言葉を紡ぐ。

「“聖女リディア”としてじゃなくても。
 “ノルディアのリディア”として、自分で選んだ場所で、誰かを助けていきたいです」

 それが、自分の正式な誓いだった。

 拍手の音が、どこからともなく起こる。

 最初は遠慮がちに、ぱらぱらと。
 すぐに、それは大きな波になって広がっていった。

 ノルディアの貴族たち。
 避難民たち。
 他国からの使節たち。

 それぞれ思惑は違うかもしれない。

 それでも、この瞬間だけは。

 ノルディアという国が、“ひとりの元聖女”を、自分たちの仲間として迎え入れた瞬間だった。



 式典が終わり、控え室に戻ったあと。

 リディアは、どっと疲れが出てソファに腰を落とした。

「……生きて帰ってきた」

「お疲れさまです、聖――いえ、リディア様」

 ナリアが慌てて慣れない呼び方を修正しながら、水の入ったグラスを差し出す。

「ありがとう、ナリアさん」

 喉を湿らせると、ようやく呼吸が落ち着いてきた。

 そこへ、勢いよく扉が開く。

「よぉ、正式聖女様」

「カイルさん。ノックという文化を学んでください」

「してるしてる、心の中で」

「意味ないじゃないですか」

 呆れながらも、カイルの顔を見た瞬間、なぜか安心した。

「さっきの、聞こえてましたからね」

「どれ?」

「“プロポーズみたいなこと言ってる自覚あるのか”」

「あっ」

 カイルの顔が、少しだけひきつる。

「……いやぁ、あれは、その、なんだ。つい本音が漏れたっていうか」

「周りの侍女さんたち、みんな真っ赤でしたよ」

「だろうな。俺も“うわこれプロポーズだわ”って思いながら聞いてた」

 あっけらかんと言われて、リディアの頬がまた熱くなる。

「……レオンさんに聞こえてませんでしたよね?」

「あの人、会場ではスイッチ入ってるからなぁ。どうだろ」

 カイルが首をひねる。

「でもまぁ、あの人なら聞こえてても“そう受け取られても仕方ないか”って顔で流しそう」

「それはそれで困ります」

「なんで?」

「……なんでもないです」

 自分でもよく分からない感情に、言葉が追いつかない。

 恥ずかしさと、くすぐったさと。
 胸の奥に、ほんのりと甘いものが漂っている。

(プロポーズ、みたい……)

 本当に。

 “国のために”と言いながら、“君の笑顔を優先する”と宣言するなんて。
 ずるい。
 ずるすぎる。

 でも――嫌じゃなかった。

 むしろ、その言葉に救われたのは、自分自身だ。



 その夜、式典の余韻がまだ残る時間。

 レオンと二人で、高台に出た。

 昼間は人々で賑わっていたが、今は静かだ。
 街の灯りが、宝石みたいにちらちらと瞬いている。

「疲れたか?」

「正直、すごく」

 素直に答えると、レオンが小さく笑った。

「よくやった」

「レオンさんこそ」

「俺は立って喋ってただけだ。君のほうがよほど大変だった」

「いえ、あの台詞はずるいと思います」

「どれだ?」

「“君がこの国で笑って生きていけるように”ってところです」

 拗ねたように言うと、レオンが一瞬だけ目を丸くする。

「……ああ」

 そのあと、ほんの少しだけ視線を逸らした。

 珍しく、言葉を探しているようだった。

「まずいことを言ったか?」

「まずいというか……」

 リディアは、夜風を吸い込んでから、正直に言った。

「“国のため”と“わたしのため”を、ちゃんと分けて考えてくれてるのが、嬉しかったです」

 レオンが、こちらを見る。

「アルシェルドでは、いつも“国のため”が先に来ていました。
 “リディアのため”なんて言葉は、一度も聞いたことがなかったので」

 その言葉を口にした瞬間、胸の奥で何かがきゅっと締め付けられた。
 でも、それに負けないくらい、今は温かいものも同時にある。

「だから……ちょっと、涙出そうになりました」

「出してもよかった」

 レオンは、やわらかく言う。

「それに」

 彼は夜空を見上げた。

「君が笑っているほうが、俺も仕事がしやすい」

「そこなんですね、理由」

「王の精神状態は、国の安定に影響するからな」

 真顔で言われて、笑ってしまう。

「でも、そうやって、“一緒に都合よく”考えてくれるのは、ありがたいです」

「一緒に?」

「わたしも、わたしの笑顔を大事にしたいですから」

 ノルディアでの生活。
 今日の式典。
 避難民の笑顔と、老女の言葉。

 その全部が、少しずつ過去の傷を上書きしている。

 森で雨に打たれた夜も。
 剣を向けられた恐怖も。
 公開断罪の冷たい視線も。

 消えはしない。
 ちゃんとそこにある。

 けれど、今――。

「レオンさん」

「ん?」

「今日、“聖女として”誓いを立てたの、後悔してませんか」

 ふと、不安になって聞いてみる。

「大事な国の守護者として、こんなに“人”として面倒くさい元聖女を迎えてしまって」

「全く」

 間髪入れずに返ってきた。

「むしろ、“人として面倒くさい”からこそ、信用できる」

「褒めてます?」

「もちろん」

 レオンは、少しだけ口元を緩めた。

「“国のため”という綺麗な言葉だけで動く聖女は、いずれどこかで壊れる。
 “自分のため”“誰かのため”という、小さな理由を大事にできる人間のほうが、長くこの国を守ってくれる」

 その言葉に、胸がじんわりと熱くなる。

「……わたし、長くここにいてもいいですか」

 自分でも驚くくらい、自然に出た言葉だった。

「聖女としてとかじゃなくて。
 ただのリディアとして、ずっと」

「追い出す理由が見当たらない」

 レオンはあっさりと言う。

「君が“もうここにいたくない”と思うまでは――いや、それでも、きっと俺は手放したがらないだろうな」

 さらっと、とんでもないことを言った。

 心臓がまた忙しく動き出す。

「だから、できれば」

 レオンの視線が、少しだけ真剣さを増す。

「長く、ここにいてくれ」

 それは、さっきカイルが言ったように、プロポーズの言葉に聞こえなくもない。

 けれど今のリディアにとっては――
 何よりも欲しかった、“居場所の保証”だった。

 誰かの所有物としてではなく。
 役に立つからではなく。

 「ここにいてほしい」と言われること。

 その温度が、森の冷たい雨の記憶を、少しずつ溶かしていく。

「……はい」

 夜空を見上げながら、リディアは静かに答えた。

「長く、ここにいます」

 アルシェルドでついた傷は、消えない。
 今でもふとした瞬間に疼く。

 でも、その傷の上に、今日の誓いが重なった。

 ノルディアで笑う日々。
 誰かを癒やす時間。
 レオンの言葉。
 カイルの騒がしさ。
 ナリアたち侍女の温かい視線。

 それら全部が、“今の幸福”として、少しずつ過去を上書きしていく。

 崩れた玉座の向こう側で――。

 ノルディアの空の下、淡い青の衣を纏った聖女リディアはようやく、自分の意思で立つ場所を選び、その場所で生きていくことを、正式に誓ったのだった。
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