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第19話「最初の旅路、枯れた谷と小さな奇跡」
しおりを挟むフィルナを出た朝は、妙に静かだった。
誰かが大袈裟に見送ってくれるでもなく、花束を持たされるでもなく、盛大な旗なんて一本もない。
代わりにあったのは――
「道中で死ぬなよ」
マリアの、その一言だけだった。
「縁起でもない……でも、気をつけます」
クレアが笑うと、マリアはふい、と視線を逸らした。
「死にそうになったら、“助けてください”って言え」
その言葉に、胸がじんとする。
「はい。そのときは、全力で叫びます」
「……叫び声が聞こえたら、どうにかする」
“どうにか”の中身は、たぶんまた反逆スレスレなんだろうけれど。
そこを詳しく聞かないのが、今のクレアの優しさだった。
「じゃ、クレア」
ノエルが、荷物袋をぽんと叩いてくる。
「最初の行き先は、“干からびた谷”ね」
「言い方」
「間違ってねえだろ。“昔から干ばつに苦しむ谷”って、役所言葉にすると眠くなるんだって」
「それは……分からなくもないですけど」
フィルナから西へ数日歩いた先。
小さな谷間にある集落が、長いこと水不足に苦しんでいる――そんな噂を、行商人から聞いていた。
世界樹の灯りに意識を落としてみると、その一帯だけ、大地の声がひび割れている感じがする。
(ここから、かな)
最初の一歩をどこに置くか。
この場所を選んだのは、きっと偶然じゃない。
世界樹の声も、そこに静かに頷いていた。
《渇キ、長ク続イテイル》
《ダガ、水ハ、マダ死ンデイナイ》
(……なら、起こしに行かなきゃ)
そんな気持ちで、クレアはフィルナの門をくぐった。
背後から、賑やかさが追いかけてくる。
「クレアお姉ちゃーん! お土産忘れないでねー!」
「魔女水ー! 魔女水ー!」
「だから魔女って言わないの!」
子どもたちの声。
村人たちの笑い。
マリアの「仕事に戻れ」の怒鳴り声。
全部を背中に受けながら、クレアは小さく手を振った。
「行ってきます」
今度は、本気でそう言えた。
◇ ◇ ◇
谷へ向かう道は――ひたすらに、乾いていた。
最初の一日は、まだ緑があった。
フィルナに近い森の名残。
背の低い木々と、強い日差しをなんとか受け止めようとしている草花。
けれど、二日目、三日目と進むうちに、世界の色はどんどん減っていった。
土は赤茶け、石は白く剥き出しになり、枯れ木が骨のように突き出している。
風が吹けば、砂埃がざっと舞い上がり、喉の奥に張り付く。
「……喉、乾く」
水筒をひとくちだけあおぐ。
舌先がやっと潤う程度で、残りの水量がやけに気になる。
「これで“水不足の谷に行って水を出してください”って、けっこう罰ゲームだよね……」
自分で選んだくせに、愚痴が漏れる。
でも、不思議と足取りは軽かった。
暑い。
喉も渇く。
汗もじんわりにじむ。
それでも、身体のどこかに“前に進みたい”という火が灯っていて、足を止めることを許してくれない。
(あの頃とは、違う)
白い天蓋のベッド。
重たいカーテン。
薬草の匂い。
少し歩いただけで息が上がっていた過去の自分を思い出して、クレアは苦笑した。
(あの頃は、“動けない身体”が鎖だった)
今は違う。
身体は、むしろよく動く。
動けてしまうからこそ、どこまで行くかを自分で決めなきゃいけない。
(でも――)
荷物袋の紐を握る指先に、力がこもった。
(今の鎖は、“外から”じゃなくて、“内側”にある)
家の期待。
世間体。
「こうあるべき」という見えない手。
王都でそれがどれだけ重たかったか。
どれだけ、自分の呼吸を奪っていったか。
そして今――
「……切ったんだもんね、わたし」
誰もいない道で、小さく呟く。
王に向かって、「私の人生は、私のものです」と言った。
エルフォルト家に向かって、「所有物ではない」と宣言した。
あのとき、胸の奥でぷつりと切れた何かは、痛みと同時に、軽さも連れてきた。
足元の土が、ぎゅっと音を立てる。
気づけば、谷は目の前だった。
◇ ◇ ◇
谷、と言っても、あまり劇的な景色ではなかった。
地面が少し凹み、その周囲を、低い崖が半円状に囲んでいる。
そこに、小さな家々が寄り添うようにして建っていた。
……はずだった場所。
実際に目に入ってきたのは――色を失った風景だった。
屋根の板は乾ききってひび割れ、壁の土は崩れかけている。
かつて畑だったらしい土地には、枯れた茎と、抜け落ちた根の残骸が転がるばかり。
何より、空気そのものが重かった。
水の匂いが、しない。
人はいる。
けれど、その足取りは遅く、視線は地面に落ちている。
バケツを提げて歩く男。
干からびた洗濯物を取り込む女。
膝を抱えて地面をいじる子ども。
みんな、生きてはいる。
けれど、どこか“これ以上の未来”を期待していない目をしていた。
(……“諦めた色”だ)
王都で見た欲望の色とも違う。
フィルナで見た、“今日をなんとか生きるぞ”という熱とも違う。
ここには、“期待をするのはもう疲れた”という色が濃く漂っている。
クレアは、胸の奥がきゅっと縮まるのを感じた。
「旅人?」
声をかけられて顔を上げる。
痩せた青年が、こちらを見ていた。
日に焼けて、腕は骨ばっている。
けれどその目だけは、ぼんやりとした警戒心を宿していた。
「はい。フィルナのほうから来ました」
「フィルナ……あの森の瘴気が晴れたって噂の?」
「えっと……はい、多分、そのフィルナです」
どこまで詳しく説明するべきか迷っていると、青年は自分で納得したように頷いた。
「物好きだな。こんな場所まで」
「干ばつが続いていると聞いて、来てみたくなって……」
クレアが言いかけると、青年は、あからさまに「またか」という顔をした。
「あー……水占いだの、雨乞いだの、そういうのなら間に合ってるぞ」
手の甲で額の汗を拭う。
「どこそこの祈祷師がどうだ、どこそこの加護持ちがどうだって、何人も来た。
“ここに泉が湧くはずだ”“神が助けてくれる”ってな」
言葉に、荒んだ笑いが混じる。
「結局、水は湧かねえし、祈ってる間に井戸の水は減ってくし、その祈祷師とやらは“土地の穢れが強すぎた”とか言って帰っていく。……そんな話ばっかだ」
「……そう、なんですね」
「だから、“何もしないで通り過ぎる”ってんなら、それでいい。
勝手に谷を見て、勝手に“可哀想な村だ”って同情して、勝手に帰ればいい」
青年の口調は、棘があるようでいて、どこか疲れ切っていた。
怒る元気すら、もう残っていない――そんな感じ。
クレアは、胸元のペンダントをぎゅっと握った。
「……“可哀想”って言いに来たんじゃありません」
「じゃあ何しに」
「“見に”来ました」
そこだけは、はっきり言えた。
「実際に、この土地がどんなふうに苦しんでいるのか、ちゃんと自分の目と、耳と、手で確かめに来ました」
「……変なこと言うな」
青年は眉をしかめた。
けれど、その眉間の皺の奥で、ほんの少しだけ興味の光が灯るのが見えた。
「中心の井戸は、どこですか?」
「中心ってほど立派じゃねえが……」
青年は、ため息をついて谷の奥を顎で指した。
「集落の真ん中に、昔は泉だった場所がある。今はただの穴だ」
「ありがとうございます」
クレアは、頭を下げて歩き出した。
青年がぶつくさ言いながらついてくる。
「どうせ無駄だぞ。何度も言ってるけどよ」
「無駄でも、見なかったことにはできないので」
「……あんた、フィルナの人間にしては、ずいぶん頑固だな」
“フィルナの人間”という響きに、少し嬉しくなるのを隠しきれなかった。
◇ ◇ ◇
谷の中心に、その“穴”はあった。
直径、三メートルほど。
石で縁取られた、丸い窪み。
もともとは泉だったのだろう。
水が溜まり、周囲に草が生え、子どもたちが水遊びをし、大人たちが桶を満たした場所。
今は、底が見えている。
ひび割れた土。
ところどころに、昔の水位を示す線。
ぴしりと乾いた沈黙。
その周りに、数人の村人が腰を下ろしていた。
年老いた男。
腕の細い女。
痩せた子ども。
みんな、穴を見つめていた。
何か期待しているわけでもなく、ただ――“そこにしか目を向けるものがない”というふうに。
(……水の匂いが、ほとんどしない)
クレアは、泉跡の前に立つ。
風は熱く、唇は乾いている。
でも、不思議と喉の渇きが、“自分のものだけじゃない”ように感じた。
(この土地全体が、「喉が渇いた」と言ってる)
世界樹の灯りに、意識を落とす。
足元。
土。
その下の、もっと深い層。
何十年、何百年も前は、きっと水が流れていた。
地中をゆっくりと進む細い川のように。
でも、どこかでせき止められ、道を変えられ、今は眠ってしまっている。
《水脈、死ンデハ、イナイ》
世界樹の声が、低く囁く。
《深ク、深ク、眠ッテイル》
(起こせる?)
《優シク、呼ベバ》
クレアは、泉の縁に膝をついた。
乾いた石の冷たさが、膝を通して骨にまで沁みる。
両手を、そっと土に触れさせる。
ひび割れた大地は、ぱさぱさしていて、指先がすぐに白くなった。
けれど、その奥には――まだ、ほんの少しだけ、ひんやりとした何かが眠っている。
クレアは、深く息を吸い込む。
王都の謁見の間で、耳に押し付けられた「国のため」「家のため」という言葉は、今は遠い。
ここにあるのは、ただひとつ。
(目の前のこの土地が、苦しいって言ってる)
それだけ。
この谷の村人は、まだクレアを信じていない。
「また何か言いに来た」としか思っていないかもしれない。
それでも――
「……大丈夫。信じてなくていいです」
土に触れたまま、クレアは小さく笑った。
「“信じてください”って押し付けるのは、王都と同じになっちゃうから」
自分に向かって言い聞かせるような言葉。
村人たちの視線が、ちらちらと集まってきているのを感じる。
でも、視線の重さに押し潰されはしない。
かつて自分を縛っていた“家の期待”や“世間体”じゃない。
今、クレアが信じるのは――
(“わたしがこうしたいって思ってること”だけ)
目の前の、干からびた土地。
遠くの、まだ見ぬ枯れかけた森や湖。
それらを、少しでも楽にしてあげたいという、自分の願い。
ただそれだけを、ぎゅっと胸に抱え込む。
「……聞こえますか」
土の奥に向かって、囁く。
「ずっと長いこと、苦しかったですよね」
ひび割れた地面に、指先を沈める。
ぱき、と小さな音。
その隙間から、冷たい何かが、かすかに息を吐いた。
「眠ってる水の皆さん」
自分でも、ちょっと変な呼び方だと思う。
でも、言葉にしたほうが、胸の中の“願い”が形になる。
「もし、まだ少しだけ、流れる力が残っているなら――」
胸の奥の灯りが、強く脈打つ。
世界樹の根が、ゆっくりと土を撫でるような感覚。
「一度だけでいいから、顔を出してくれませんか」
村の子どもたちが、穴の縁から身を乗り出して、クレアを見ている。
「ねえ、またお祈り?」
「水、出るの?」
「……わかんない」
正直に、クレアは答える。
「“出るはずです”とも、“出ます”とも言えません。
でも、“出てほしい”って、本気で願ってるのは確かです」
願うことしかできないのなら、せめて、その願いだけは嘘にしたくなかった。
両目を閉じる。
世界が、暗闇と土と、水の気配だけになる。
深く、深く、意識を沈める。
地表の熱。
その下の、硬い岩。
さらにその奥の、冷たい層。
そこに、細い水の筋が横たわっていた。
かつては流れていた水脈。
今は眠って、ほとんど動いていない。
冷たく、静かで、でも――完全には死んでいない。
(……ここ)
クレアの意識が、その水脈にそっと触れる。
水は、驚いたように身を震わせた。
《ダレダ》
声にならない声。
ただの感覚。
「クレアです」
心の中で答える。
「世界樹の末裔だって、言われました」
水脈が、微かにざわめく。
《ミドリノニオイ》
《昔、知ッテイル》
世界樹が全盛期だった頃。
その根が張り巡らされていた時代。
水と木と土は、もっと近かった。
今は、ずいぶん離れてしまった。
でも、完全に忘れたわけじゃない。
「あなたがここにいるの、感じました」
クレアは、優しく語りかける。
「上では、みんな、渇いています。
人も、土も、風も。
もう一度だけ、一緒に流れてくれませんか」
《疲レタ》
水脈が、くぐもった声で言う。
《何度モ、呼バレタ》
《何度モ、掬ワレタ》
《マタ、枯レル》
その疲弊は、痛いほど分かった。
ここに住む人たちも、同じように“呼ばれては裏切られ”を繰り返してきたのだろう。
「そうですね」
クレアは、土の中の冷たさごと、その疲れを受け止める。
「いつかまた、枯れるかもしれません」
《……》
「でも、それでも。
“今ここで渇いている人たち”の喉を、少しでも潤せたら――それだけで、あなたの流れには意味があると思うんです」
王都で言われた、“数万の命とお前一人の自由、どちらが重いか”という言葉が、ふと頭をよぎる。
あのときは、胸の奥の何かが切れそうになるくらい重たかった。
でも今――
(比べない)
クレアは、静かに思う。
(“誰のために”なんて、天秤にかけたくない)
この水脈が、今ここで目覚めるかどうかは、世界全体から見れば、些細なことかもしれない。
それでも――
「わたしは、見たいんです」
土に触れた指先に力が入る。
「この谷で、子どもたちが水で遊ぶところ。
人たちが“明日の畑の話”をしてるところ。
その笑い声を、一度でいいから聞きたい」
それは、“国のため”でも、“家のため”でもない。
ただの、クレア個人の願い。
世界樹の灯りが、胸の中で一際強く光った。
《……ソウカ》
水脈の声が、ぷつりと変わる。
《昔、ソウイウ声デ、呼バレタコトガアル》
遠い記憶。
世界樹の根が、地中深くを撫でていた頃。
険しい山の村で。
風の強い岬で。
雪解けの遅い高地で。
誰かが、ただ“ここで生きたい”と願って、水脈を呼んだ。
《懐カシイ》
水が、ゆっくりと身じろぎする。
《一度ダケ、起キヨウ》
その言葉と同時に――
泉跡の底で、空気の密度が変わった。
クレアは目を開ける。
ひび割れた土の間から、ぽつり、と何かが浮かび上がった。
透明なもの。
それが、光を反射してきらりと光る。
「あ……」
最初は、一滴だった。
干からびた穴の底に、ぽつん、と落ちる雫。
次の瞬間、ひび割れの隙間から、もう一滴。
また一滴。
やがて、それは小さな線になって、ちょろちょろと流れ始めた。
「水だ……!」
誰かが叫んだ。
クレアの背後で、空気が一気にざわめく。
「おい、見ろ!」「本当に……」「水が!」
泉の底に、少しずつ水が溜まっていく。
土の色が、濃く変わる。
ひび割れが、すこし甘く湿る。
最初は、足首すら浸からないくらいの深さだ。
それでも、水は確かに“そこにある”。
乾いた谷の空気が、一瞬だけ冷たくなった。
匂いが、変わる。
長いこと忘れていた“水の匂い”が、鼻先をくすぐる。
「うわっ……!」
さっきの子どもたちが、我慢できずに穴の中へ降りていった。
裸足で、ぴちゃり、と新しい水を踏む。
「冷たいっ!」「ほんとに水だ!」
「飲むな!」
慌てて大人が叫ぶが、その声にも笑いが混じっていた。
クレアは、泉の縁からそっと身を引いた。
土から手を離す。
世界樹の灯りが、胸の中で静かに落ち着いていく。
(やった……のかな)
正直、どれくらいの量を引き出せたのかは分からない。
この水が何日持つかも、これだけで谷全体の渇きが解決するわけじゃないことも知っている。
でも――
「……顔を出してくれて、ありがとう」
心の中で、水脈に礼を言う。
水は、静かに涼しさで返した。
「まさか、本当に……」
さっきの青年が、クレアの隣で呆然と呟いた。
目が、泉からクレアへと移る。
驚き。
困惑。
まだ信じ切れない迷い。
いろんな感情の色が、混ざっていた。
「……何をしたんだ」
クレアは、少しだけ考えてから答えた。
「“お願い”しました」
「は?」
「土の下で眠っていた水に、“一度でいいから起きてください”って」
青年は、「冗談はやめろ」と言いかけて――やめた。
目の前で、泉が生まれている。
それが現実だという事実を、無視することはできない。
「……加護持ち、か?」
「そう、みたいです」
クレアは、少し照れながら頷いた。
「世界樹の」
途端に、周りの空気が変わる。
年老いた男が、ぽつりと呟いた。
「昔話で聞いたことがある……世界樹の末裔が、世界を歩いて傷を癒していたって」
「そんな大層なものかどうかは分かりませんけど」
クレアは、苦笑した。
「でも、“目の前の土地を少し楽にする”ことくらいなら、なんとか」
そのとき――
「あっ!」
泉の中で遊んでいた子どもが、小さく叫んだ。
「見て! これ!」
彼の足元から、小さな緑が顔を出していた。
ひび割れた土の隙間から、細い芽。
まだ頼りないけれど、確かに“生きようとしている”力がそこにある。
「草だ……」
誰かが呟く。
「こんな谷の真ん中で」
もうひとつ。
またひとつ。
泉の周りに、点々と緑が増えていく。
水脈が目覚めたことで、土の奥に眠っていた種たちも、一緒に目を覚まし始めていた。
谷の空気が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
今までずっと“下を向いていた”人たちが、泉と草を見つめるために顔を上げる。
それだけの変化が、こんなにも胸を打つなんて知らなかった。
クレアの目に、じんわりと熱が滲む。
「……泣いてるのか?」
隣でノエルが、半ば呆れたように聞いた。
「だって……」
クレアは、涙を誤魔化す気力もなく、素直に言った。
「こういうことが、したかったんだもん」
王都で、英雄だの道具だのと呼ばれることじゃない。
エルフォルト家を高めるための飾りになることでもない。
ただ、こうやって。
目の前の、苦しんでいる土地に寄り添って。
少しでも楽にして。
そこに生きる人たちが、ほんの少しだけ「明日の話」をできるようにする。
そういう、小さな奇跡を積み重ねていくこと。
「ねえ」
泉の中で遊んでいた子どもが、水を両手ですくってこちらに向けてきた。
「お姉ちゃんも飲む?」
太陽を反射してきらめく水。
その向こうで、子どもの目が、久しぶりに“期待の色”を宿していた。
クレアは、そっと微笑む。
「ありがとう」
両手を伸ばして、その水を受け取る。
ひんやりとしていて、驚くほど甘かった。
喉を通って、胸の奥に落ちていく水の一滴一滴が、世界樹の灯りと混ざり合って、じんわり温度を上げていく。
(ああ)
ただの一滴なのに。
ただの一つの泉なのに。
こんなにも、胸がいっぱいになる。
(こういうことが、したかったんだ)
王都のバルコニーから見下ろした光の海のことを思い出す。
あの街を救うことも、きっといつか必要になるのかもしれない。
でも、今は――
この小さな谷で生まれた、小さな泉と、小さな草と、小さな笑い声。
それが、世界で一番大きな奇跡みたいに思えた。
「……クレア」
ノエルが、ぽん、と肩を叩く。
「なにか?」
「いや」
彼は、いつもの調子で笑った。
「“やるだろうな”とは思ってたけどさ。
想像よりかなり、ちゃんとやってて、ちょっとムカついた」
「どういう感情ですかそれ」
「褒めてる」
「伝わりにくいです!」
笑いながら、肩で涙を拭う。
谷の風が、少しだけ冷たくなった。
乾いた大地に、生まれたばかりの水の匂いと草の匂いが混ざる。
その匂いを胸いっぱいに吸い込みながら――
クレアは、自分が選んだ“旅人としての最初の一歩”が、間違っていなかったと、静かに確信していた。
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