妹に全て奪われて死んだ私、二度目の人生では王位も恋も譲りません

タマ マコト

文字の大きさ
8 / 20

第8話 誠実の値段

しおりを挟む


 王城の外に出ると、空が広かった。

 息を吸うたび、喉の奥に残る痛みが少しだけ薄れる気がする。
 私はあの茶会の部屋に、甘い紅茶の匂いと一緒に“線引き”を置いてきた。
 王太子アレクシスの穏便という名の逃げ道。
 あれに巻き込まれたら、私はまた死ぬ。

 だから次。
 次の一手は、味方を増やす。
 それも、表の味方。堂々と並べる味方。

 ――ユリウス・カーヴェイン侯。

 前世で最後まで私に忠誠を尽くした男。
 忠誠というより、誠実さ。
 誰かに媚びるのではなく、筋を通すために立つ人間。

 そして、私が毒で死んだあと。
 彼は失脚した。
 家は潰れた。
 誠実さの代償として、すべてを失った。

 その“きっかけ”も、私は知っている。
 宰相グラディオが仕掛けた、帳簿と署名の罠。
 彼の清廉さを逆手に取った、卑怯な網。

 今世では、先にその網を焼く。

 馬車は王都の中心を抜け、貴族街へ入った。
 石畳は滑らかになり、家の壁は高くなる。窓のカーテンの質が変わる。人の匂いが薄くなり、代わりに香水の匂いが増える。
 同じ王都なのに、世界が違う。

 カーヴェイン侯爵邸は、古い家だった。
 新興貴族の派手さはない。庭園も、見せびらかす花より実のなる木が多い。
 門番の視線が硬い。
 “誰の使いか”を見極める目。

「第一王女殿下の御来訪である。通しなさい」

 同行した衛兵が名乗ると、門番の顔色が変わった。
 慌てて門が開き、屋敷の中へ案内される。

 廊下は静かで、絨毯が足音を吸い込む。
 壁に掛かった肖像画は、どれも派手な笑顔ではなく、真面目な表情ばかりだった。
 この家の性格が、絵に出ている。

 応接間へ通され、私は一人で待つよう言われた。
 侍女も護衛も、外。
 侯爵側の申し出だ。
 警戒しているのだろう。王女が来るだけで、罠の匂いがする。

 私はその警戒をむしろ歓迎した。
 誠実な人間は、簡単に信じない。
 信じないからこそ、信じたときに揺るがない。

 テーブルに置かれた茶菓子は質素だった。
 華やかな砂糖菓子ではなく、素朴な焼き菓子。
 私は手をつけない。飲食物に手をつけないのは、もう癖になっている。

 やがて、扉が開いた。

「……第一王女殿下」

 低い声。
 硬い声。
 そして、少しだけ疲れた声。

 入ってきた男は、背が高かった。
 黒に近い紺の礼服。飾りは最小限。金糸よりも、布の質で勝負するタイプ。
 髪は短く整えられているが、きっちりしすぎていない。
 目が鋭い。鋭いけれど、冷たい鋭さではない。
 “真実を見ようとする鋭さ”。

 ユリウス・カーヴェイン侯。

 前世の最後、私の亡骸の前で膝をつき、震える手で私の指先を握った男。
 「申し訳ありません」と何度も繰り返し、最後に宰相に刃向かい、潰された男。

 私は息を吸った。
 胸が痛む。
 でも今は、感傷に溺れない。
 溺れれば、また失う。

「突然の訪問、失礼します。ユリウス卿」

 私は立ち上がり、丁寧に一礼した。
 彼が驚くほどの角度で。

 ユリウスは一瞬だけ目を見開き、すぐに表情を戻した。
 礼を返し、席に着くよう促す。

「……このような形でお会いするとは思っておりませんでした。殿下」

 彼の声には、距離がある。
“殿下”という呼び方は、敬意でもあるが、壁でもある。

「私もです。ですが、今会わなければならないと思いました」

 ユリウスは眉をひそめた。

「……理由を伺っても?」

 直球。
 遠回しな探りではなく、真正面からの問い。
 彼はそういう男だ。

 私は、ここで嘘をつかない。
 嘘をつけば、この男は一生私を信じない。

「宰相府が、カーヴェイン家に罠を仕掛けようとしています」

 ユリウスの目が鋭くなる。
 椅子の背が軋むほど、身体がわずかに前に出た。

「……根拠は」

「今は言えません。ですが、数日内に“監査”の名目で帳簿を求められます。そこで、あなたの署名があるはずの書類が出てくる。けれど、それは偽物です。署名を写したもの」

 ユリウスの指先が、テーブルの端を掴んだ。
 彼は怒りを抑えている。
 怒りより先に、警戒がある。

「殿下。失礼を承知で申し上げます。……それは、私を試しておられるのですか?」

「試す?」

「王女が侯爵家に“罠がある”と告げる。信じればこちらが動き、動けばこちらに罪が生まれる。政治の罠ではよくあることです」

 なるほど、と私は思った。
 前世の彼は、こういう疑いを口にしなかった。
 私を信じていたから。
 でも信じた結果、潰された。
 だから今世の彼は、疑う。疑って当然だ。

 私は頷いた。

「疑うのは正しいです。あなたはそうでなければいけない」

 ユリウスの眉が、わずかに動いた。

「……殿下?」

「私は今、あなたの誠実さを欲しています。誠実な人間は、簡単に信じない。だからこそ、信じた後に折れない」

 ユリウスの目が揺れる。
 誠実さを褒められることはあっても、必要とされることは少ない。
 誠実は“面倒”だからだ。利権を動かすには邪魔になる。

 私は続けた。

「あなたが失脚する“きっかけ”を、先に潰したい」

 ユリウスの顔が固まる。

「失脚……?」

 その言葉が、彼の胸に引っかかったのが分かる。
 彼は自分の家が強いとは思っていない。
 いつ潰されてもおかしくない、と常に覚悟している。
 だから“失脚”という言葉は、現実味を持つ。

「……殿下は、なぜそこまで」

 彼の声が低くなる。
 疑いが濃くなる。

 私は、ここで決めた。
 踏み込む。
 怖い。
 でも踏み込まないと、この男は動かない。

「私は未来を知っています」

 空気が止まった。
 焼き菓子の甘い匂いさえ、遠のいた気がした。

 ユリウスの目が、鋭さを増す。
 冗談と受け取るには、私の顔が真剣すぎるのだろう。

「……殿下。それは」

「信じなくていい。信じなくていいから、聞いて」

 私は手を上げて制した。
 私は感情で押す。
 論理だけじゃない。
 この男には、誠実さが必要だ。誠実さには感情がいる。

「私は近いうちに、毒で死にます。祝宴の夜に。遅効性の毒で、病死に見せかけられる。あなたは私を助けようとして、止められる。あなたは宰相に刃向かい、失脚する。家は潰れる」

 ユリウスの顔色が変わった。
 青ざめるのではなく、硬直する。
訓練された騎士みたいに、感情を凍らせる。

「……殿下。あまりに」

「荒唐無稽? 分かってる。でも、私が今ここにいる理由はそれしかない」

 私は息を吸い、次の言葉を選ぶ。
 これが一番大事。

「あなたは死ぬほど誠実です」

 ユリウスの目が揺れた。
 ほんの一瞬だけ。
 でもその一瞬が、硬い壁に入った小さな裂け目だった。

 誠実さを評価された経験が少ない男ほど、
 この言葉に弱い。
 なぜなら彼はずっと、誠実さで損をしてきたから。
損をして、それでもやめなかったから。

「……誠実、ですか」

 彼が呟く。
 自嘲が混じる。
 誠実は褒め言葉であると同時に、馬鹿にする言葉にもなる。
 “融通が利かない”
 “空気が読めない”
 そういう意味で使われることが多い。

「はい。あなたは折れない。曲がらない。だからこそ、折られる。……私はそれを、やめさせたい」

 ユリウスは黙って私を見た。
 その視線が、鋭く、深い。
 嘘を見抜こうとしている。
 でも同時に、希望を探している。

「殿下。もし私があなたの言葉を信じたとして……私は何をすればいい」

 彼の声が、少しだけ柔らかくなった。
 完全には信じていない。
でも“信じる可能性”を作った。
 それが大きい。

 私は頷いた。

「まず、あなたの家の帳簿を、あなた自身の手で整えてください。宰相府が介入する隙を作らない。署名はすべて二重に管理。書類はあなた以外が触れないよう封印」

「それは可能です。しかし……宰相府は強引に――」

「強引に来るでしょう。だから次。監査が来る前に、こちらから“透明性”を示す。民向けの支援の内訳を公開します。あなたの家が利権ではなく実務で動いていることを、先に世に出す」

 ユリウスの眉がわずかに上がる。
彼は理解が早い。
政治が嫌いなわけではない。政治の汚さが嫌いなだけだ。

「殿下は……民意を使うおつもりですか」

「そう使う。悪い?」

「いえ。……ただ、危険です。民意は刃になります」

「刃なら、握る」

 私は言い切った。
 カイの言葉が、胸の底で反響する。
 避けても来るなら、先に握れ。

 ユリウスは小さく息を吐いた。

「殿下。私は……あなたがここまで踏み込む方だとは」

「前は違った」

 私は正直に言った。
 前世の私なら、こんなことはできなかった。
穏便に、穏便に、と繰り返して、毒を飲んだ。

「……殿下。最後に一つ。あなたはなぜ、私を選ぶのですか。貴族なら他にもいる。もっと強い家も」

 彼の問いは、痛いほど真面目だった。
 自分が選ばれる理由を求めるのではない。
 “自分が足を引っ張る可能性”を恐れているのだ。
誠実な人間の恐れ。
巻き込んでしまう恐れ。

 私は彼を見て、静かに答えた。

「あなたは裏切らない。裏切れない。……それが必要だから」

 ユリウスの目が、また揺れる。
 今度は、少しだけ赤みが差した。
怒りではない。
照れでもない。
痛みだ。
自分の性格が“必要”と言われた痛み。

「殿下は、私を買いかぶりすぎです」

「買いかぶってない。私は見た」

「見た?」

「あなたが、最後まで私の味方だったのを」

 ユリウスは唇を噛んだ。
 そして、ゆっくりと頭を下げた。

「……分かりました。完全には信じられません。ですが……殿下が、嘘をつく必要のない目をしているのは分かります」

 その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなる。
 信じてほしい、という気持ちが叶った熱さではない。
 この男が“自分の誠実さ”で判断してくれたことへの熱さだ。

「協力します。できる限り」

 私は息を吐いた。
 これで一つ、盤面が動く。
まだ小さな動き。
でも盤面の端が、確かに揺れた。

「ありがとう、ユリウス卿」

 私は立ち上がり、もう一度礼をした。
 彼も立ち上がり、礼を返す。
 その動作が、儀式ではなく“同盟”に見えた。

 扉へ向かう前に、私は振り返った。

「ユリウス卿。最後に」

「はい」

「あなたは誠実でいることを、恥だと思わないで」

 ユリウスの目が、ほんの少しだけ柔らかくなる。

「……殿下こそ。どうか、ご無事で」

 その言葉が、前世の最後に聞きたかった言葉だった。
 でも今世では、ただの願いで終わらせない。

「無事でいる。約束する」

 私は屋敷を出た。
 空が広い。
 風が冷たい。
でもその冷たさは、毒の冷たさじゃない。
現実の冷たさだ。

 馬車に乗り込み、私は窓の外を見た。
貴族街の石畳が続き、その向こうに王城が見える。

 王城は相変わらず、何も知らない顔をしている。
でも私は知っている。

 誠実の値段は高い。
だからこそ、支払う価値がある。

 そして今世では、その値段を私が肩代わりする。
ユリウスを潰させない。
私を潰させない。

 盤面は、確かに動き始めていた。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

奪われ系令嬢になるのはごめんなので逃げて幸せになるぞ!

よもぎ
ファンタジー
とある伯爵家の令嬢アリサは転生者である。薄々察していたヤバい未来が現実になる前に逃げおおせ、好き勝手生きる決意をキメていた彼女は家を追放されても想定通りという顔で旅立つのだった。

どうぞお好きに

音無砂月
ファンタジー
公爵家に生まれたスカーレット・ミレイユ。 王命で第二王子であるセルフと婚約することになったけれど彼が商家の娘であるシャーベットを囲っているのはとても有名な話だった。そのせいか、なかなか婚約話が進まず、あまり野心のない公爵家にまで縁談話が来てしまった。

逆転した王女姉妹の復讐

碧井 汐桜香
ファンタジー
悪い噂の流れる第四王女と、 明るく美しく、使用人にまで優しい第五王女。

当て馬令嬢は自由を謳歌したい〜冷酷王子への愛をゴミ箱に捨てて隣国へ脱走したら、なぜか奈落の底まで追いかけられそうです〜

平山和人
恋愛
公爵令嬢エルナは、熱烈に追いかけていた第一王子シオンに冷たくあしらわれ、挙句の果てに「婚約者候補の中で、お前が一番あり得ない」と吐き捨てられた衝撃で前世の記憶を取り戻す。 そこは乙女ゲームの世界で、エルナは婚約者選別会でヒロインに嫌がらせをした末に処刑される悪役令嬢だった。 「死ぬのも王子も、もう真っ平ご免です!」 エルナは即座に婚約者候補を辞退。目立たぬよう、地味な領地でひっそり暮らす準備を始める。しかし、今までエルナを蔑んでいたはずのシオンが、なぜか彼女を執拗に追い回し始め……? 「逃げられると思うなよ。お前を俺の隣以外に置くつもりはない」 「いや、記憶にあるキャラ変が激しすぎませんか!?」

両親に溺愛されて育った妹の顛末

葉柚
恋愛
皇太子妃になるためにと厳しく育てられた私、エミリアとは違い、本来私に与えられるはずだった両親からの愛までも注ぎ込まれて溺愛され育てられた妹のオフィーリア。 オフィーリアは両親からの過剰な愛を受けて愛らしく育ったが、過剰な愛を受けて育ったために次第に世界は自分のためにあると勘違いするようになってしまい……。 「お姉さまはずるいわ。皇太子妃になっていずれはこの国の妃になるのでしょう?」 「私も、この国の頂点に立つ女性になりたいわ。」 「ねえ、お姉さま。私の方が皇太子妃に相応しいと思うの。代わってくださらない?」 妹の要求は徐々にエスカレートしていき、最後には……。

言いたいことはそれだけですか。では始めましょう

井藤 美樹
恋愛
常々、社交を苦手としていましたが、今回ばかりは仕方なく出席しておりましたの。婚約者と一緒にね。 その席で、突然始まった婚約破棄という名の茶番劇。 頭がお花畑の方々の発言が続きます。 すると、なぜが、私の名前が…… もちろん、火の粉はその場で消しましたよ。 ついでに、独立宣言もしちゃいました。 主人公、めちゃくちゃ口悪いです。 成り立てホヤホヤのミネリア王女殿下の溺愛&奮闘記。ちょっとだけ、冒険譚もあります。

私は愛する人と結婚できなくなったのに、あなたが結婚できると思うの?

あんど もあ
ファンタジー
妹の画策で、第一王子との婚約を解消することになったレイア。 理由は姉への嫌がらせだとしても、妹は王子の結婚を妨害したのだ。 レイアは妹への処罰を伝える。 「あなたも婚約解消しなさい」

【完結】虐げられて自己肯定感を失った令嬢は、周囲からの愛を受け取れない

春風由実
恋愛
事情があって伯爵家で長く虐げられてきたオリヴィアは、公爵家に嫁ぐも、同じく虐げられる日々が続くものだと信じていた。 願わくば、公爵家では邪魔にならず、ひっそりと生かして貰えたら。 そんなオリヴィアの小さな願いを、夫となった公爵レオンは容赦なく打ち砕く。 ※完結まで毎日1話更新します。最終話は2/15の投稿です。 ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています。

処理中です...