妹に全て奪われて死んだ私、二度目の人生では王位も恋も譲りません

タマ マコト

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第7話 穏便という名の逃げ道

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 王太子との茶会は、“儀式”だった。

 誰かが決めた手順。誰かが望んだ絵面。
 白いテーブルクロス、銀のティーセット、花の香りが強すぎる紅茶。
 窓の外には整えられた庭園。鳥の声まで計算されているみたいに、ちょうどいいタイミングで鳴く。

 ――ここは安全な場所。
 そう見せかけて、いちばん危ない場所。

 私はそう思いながら、指定された小広間へ入った。

「第一王女殿下、こちらへ」

 案内役の侍従が恭しく扉を開ける。
 中にはすでに、王太子アレクシス・ヴァレンロードが座っていた。

 柔らかな栗色の髪。整いすぎた横顔。
 笑顔は美しいのに、どこか薄い。
 優しい人間の顔というより、“優しい人間だと思われたい人間”の顔。

 前世の私は、その薄さに気づかなかった。
 気づけなかったのではなく、気づきたくなかった。
 だって私は王女で、婚約者で、国の未来の部品だったから。
 部品は、疑問を持ってはいけない。

「セレスティア。来てくれてありがとう」

 彼は立ち上がって、少しだけ頭を下げた。
 礼儀正しい。
 その礼儀正しさが、いつも私の心を鈍らせる。

「お招きいただき、光栄です。殿下」

 私は定型句で返し、席についた。
 椅子の背が硬い。
 硬さが、私の背筋をまっすぐにする。

 侍女が紅茶を注ぐ。
 湯気が立つ。
 甘い香り。
 スパイス。
 その瞬間、喉の奥がひりついた。毒の記憶が、香りに紛れて蘇る。

 私はカップに口をつけなかった。

 アレクシスは気づいたのか、気づいていないふりをしたのか。
 どちらにせよ、彼は微笑みを崩さずに言った。

「孤児院へ行ったと聞いたよ。……君は立派だ」

 その言葉は、褒め言葉の形をしている。
 でも中身は空っぽだ。
 具体がない。感情がない。行動がない。

 前世の私なら、そこに救いを見出してしまったかもしれない。
 “殿下は理解してくれている”
 “私を見てくれている”
 そんなふうに。

 今世の私は、違う。

「立派、という言葉は便利ですね」

 私は静かに言った。
 紅茶の香りに負けないくらい、淡々と。

 アレクシスの眉が、ほんの少しだけ動く。

「……そういうつもりでは」

「もちろん。褒めてくださったのは分かっています。ですが、立派と言われても、子どもの靴の穴は塞がりません」

 アレクシスは一瞬、言葉を失った。
 それから、困ったように笑う。

「君らしい。……真面目だね」

 まただ。
 真面目。立派。君らしい。
 全部、意味のあるようで意味がない。
 私の行動を、柔らかい言葉で撫でて終わらせる。
 それが彼の得意技。

「殿下は、私に何を望んでいるのですか?」

 私は直球で問うた。
 逃げ道を塞ぐ問い。
 彼が一番苦手なタイプの問い。

 アレクシスはカップを持ち上げ、ゆっくりと飲んだ。
 飲むことで時間を稼ぐ。
 答えを先延ばしにする。
 その動きだけで、彼の性格が分かる。

「……国のために、穏便に進めたい」

 来た。
 穏便。
 逃げ道の言葉。

 私は思わず笑いそうになった。
 穏便。
 それは、誰かの痛みを見ないふりするための言葉だ。

「穏便、とは具体的に?」

 私は首を傾げる。
 可憐な仕草に見えるように。
 でも声は冷たい。

「君が……大きく動かないことだ。君は注目されている。君が前に出れば、貴族たちが揺れる。民も揺れる。……国が揺れる」

「揺れるのは悪いことですか?」

「揺れれば争いが起きる」

「争いは、もう起きています」

 私は即答した。
 その言葉が、自分の口からこんなに自然に出るのが怖い。
 前世の私は、争いを“見ない場所”に押し込めていた。王城の壁の外へ。孤児院の暗い食糧庫へ。貴族の帳簿の隅へ。

 でも今世は違う。
 私は見た。触れた。覚えた。
 だから言える。

「飢えは争いです。利権は争いです。噂は争いです。殿下が穏便と言う時、それは“自分の周りだけ静かにしたい”という意味に聞こえます」

 アレクシスの顔色が揺れた。
 ほんの一瞬。
 でもそれは、彼の中で何かが崩れた合図。

「そんなつもりは……」

「つもりの話ではありません。結果の話です」

 私はカップに手を伸ばし、持ち上げた。
 でも飲まない。
 ただ、湯気を見つめる。
 安全に見える湯気の向こうに、私は毒の夜を見ている。

「殿下。あなたは王になる覚悟がありますか?」

 その問いは、刃だった。
 王太子に向けるには不敬な問い。
 でも私は王女だ。王女は、王の資格を問える立場でもある。
 母が生きていたなら、こういう問いを平然と投げただろう。
 私は、母の真似をした。

 アレクシスは喉を鳴らす。
 それが、彼の答えの前の癖だと、前世の私は知らなかった。今世は知っている。
 彼は答えを出す前に、喉を鳴らして時間を稼ぐ。

「覚悟、という言葉は重いね」

「重いです。王は重いので」

「私は……国を守りたい」

「守るとは?」

「争いを起こさないことだ」

「争いを起こさないために、誰かを犠牲にする?」

 アレクシスの目が泳ぐ。
 逃げ場を探す目。
 その目が、前世の祝宴で私を見捨てた目と重なる。

 私は胸の奥が冷たくなる。
 怒りではない。失望の冷たさ。

「セレスティア」

 アレクシスが、少しだけ声を強めた。
 それは彼なりの抵抗だ。
 でもその抵抗は、私を止められない。

「君は……君は優しすぎる。だから傷つく。だから、私が代わりに……」

「代わりに、何を?」

 私は遮った。
 “代わりに”という言葉が嫌いだ。
 代わりに、守る。代わりに、決める。代わりに、背負う。
 その全部が、私の人生を奪った。

 アレクシスは口を開き、閉じた。
 言葉が出ない。
 彼は自分でも分かっている。
 代わりに何もできないことを。

「……君は立派だ。だからこそ、穏便に」

 また同じ場所に戻った。
 会話が輪を描く。
 堂々巡り。
 それが彼の戦い方。
 結論を出さずに相手を疲れさせ、相手が折れるのを待つ。

 前世の私は折れた。
 今世の私は折れない。

 私はカップをテーブルに置き、真っ直ぐ彼を見た。

「殿下。私はあなたの都合のいい未来ではありません」

 その言葉は、私の中でずっと膨らんでいた。
 毒の夜から。
 喉が焼ける痛みと一緒に。

 アレクシスの顔から、血の気が引いた。
 彼の微笑みが、初めて崩れる。
 崩れた顔は、人間らしかった。
 そして、その人間らしさは――弱さだった。

「……都合のいい、未来?」

「ええ。あなたが嫌われずに済む未来。決断しなくて済む未来。誰かが勝手に譲ってくれて、あなたは優しい顔のまま王になれる未来」

 私は淡々と並べる。
 言葉が一つずつ、彼の胸に落ちる。
 小石みたいに落ちて、波紋を作る。

「私は、そのための駒じゃない」

 沈黙。
 紅茶の湯気だけが、ゆっくりと立ち上る。

 アレクシスは手を握りしめた。
 指先が白くなる。
 彼は怒りたいのだろう。反論したいのだろう。
 でも彼は、怒り方を知らない。
 嫌われる反論をする勇気がない。

「……君は、私を責めているのか」

 やっと出た言葉。
 弱い声。
 被害者の声。

 私は首を振った。

「責めていません。確認しています」

「確認……?」

「あなたは、誰を守るのか。何を守るのか。守るために、何を失う覚悟があるのか」

 私は言いながら、胸の奥が少し痛んだ。
 前世の私は、彼に守ってほしかった。
 守ってほしい、と言えないまま、守られる“役”を演じていた。
 その歪みが、今ここで露呈している。

「……君は、変わった」

 アレクシスが呟く。
 その言葉だけは、少しだけ具体だった。

「はい。変わりました」

 私は即答した。
 変わった。
 変わらなければ死ぬ。
 私は一度死んだ。だから変わるしかない。

「殿下。今日の茶会の目的は何ですか? 私を慰めるため? 私を抑えるため? それとも……妹のため?」

 最後の言葉を出した瞬間、アレクシスの瞳が大きく揺れた。
 恐怖が覗いた。
 初めて見る恐怖。
 彼が自分の本心を暴かれる恐怖。

「……セレスティア」

 名前を呼ぶ声が、震える。
 その震えが、答えだ。

 私は立ち上がった。
 椅子が小さく鳴る。
 その音が、終わりの合図みたいに響いた。

「私はあなたを憎んでいません。……でも、信じることはもうしません」

 言い切ると、胸の奥が不思議なくらい静かになった。
 怒りが消えたわけじゃない。
 ただ、線が引かれた。

 アレクシスは立ち上がろうとして、止まった。
 彼は追いかけたいのだろう。
 でも追いかければ、今まで守ってきた“穏便”が崩れる。
 だから動けない。

「待ってくれ。君は……君はどこへ行く」

「民の前へ」

 私は振り返らずに答えた。
 振り返ったら、また同情してしまう。
 同情は、刃になる。自分を切る刃になる。

「君がそんなふうに動けば……国が……」

「国は、私が動かなくても壊れかけています」

 私は扉に手をかけた。
 冷たい金属。
 毒の金属臭が一瞬よぎる。
 私は目を閉じずに、開ける。

「殿下。あなたが守りたいのは“国”ではなく、“穏便な自分”です」

 最後にそれだけ言って、扉を閉めた。

 廊下の空気は、少しだけ冷たい。
 でも、その冷たさは毒じゃない。
 現実の冷たさだ。

 待っていたルーナが駆け寄ってくる。

「姫殿下……お顔が……」

「大丈夫」

 私は短く答えた。
 大丈夫じゃない。
 胸の奥が、少しだけ痛い。
 でも痛みは、進んでいる証拠だ。

 私は歩き出す。
 王太子の部屋から遠ざかるほど、肩の重さが減る。
 穏便という名の逃げ道から、私は降りた。

 ――守るべき人を守れない男。
 その隣に立てば、私はまた死ぬ。

 私は二度目の人生を生きる。
 だから、もう戻らない。

 紅茶の甘い香りが、背後で薄れていく。
 代わりに、春の風の匂いが入ってきた。
 その匂いは少しだけ苦くて、でも確かに生きている匂いだった。
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