妹に全て奪われて死んだ私、二度目の人生では王位も恋も譲りません

タマ マコト

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第9話 静かな刃、帳簿の戦争

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 帳簿は、血の匂いがする。

 紙とインクの匂いの奥に、誰かの生活が削られた匂いが混じっている。
 数字は嘘をつかない。つくのは人間だ。だから、数字の並びを見れば、どこで誰が噛んだかが分かる。

 私は今、王城の一室――公務室の片隅で、古い帳簿の山と向き合っていた。
 窓は開けてある。春の風が、紙の角をめくり、インクの乾いた匂いを運ぶ。
 ルーナは机の反対側で、震える指で書類を分類している。
 彼女の目の下には薄い影。私と同じだ。

「姫殿下……これ、孤児院向けの補助金の書類です」

 ルーナが差し出してくる。
 紙は薄い。文字は整っている。署名も綺麗。
 綺麗すぎる。
 王城の書類が綺麗なのは当たり前だけれど、“生活の匂い”がない綺麗さは、だいたい嘘だ。

「ありがとう。……置いて」

 私は書類に目を通し、ページをめくる。
 そこに記載された金額は、確かに大きい。
 けれど孤児院の食糧庫は、二週間しか持たない。
 靴は穴だらけだった。

 ――数字は合っているのに、現実が合わない。
 つまり、途中で消えている。

 その瞬間、窓の外から小さな石が飛んできた。
 カツン、と窓枠に当たり、床に落ちる。

 ルーナがびくっと肩を揺らす。

「ひっ……!」

「静かに。……いつもの」

 私は立ち上がり、窓辺へ寄った。
 庭園の影、植え込みの隙間。
 そこに“黒”が一瞬だけ見える。

 カイ。
 王家の影。
 彼は合図だけ残して消える。
 “今夜、来い”。そういう合図。

 私はルーナに視線を向けた。

「ルーナ。今夜、私は少し出る。あなたはここで書類の写しを作って。ユリウス卿の屋敷にも送る」

「姫殿下……危険です」

「危険は避けても来る」

 私がそう言うと、ルーナは唇を噛んだ。
 それでも頷く。
 彼女も少しずつ、“王城の外の現実”を知ってきている。

「……分かりました。姫殿下、必ず戻ってきてください」

「戻る。約束する」

 その約束が、最近やけに重い。
 重いけれど、必要だ。
 私は二度目の人生を、誰かのために使う。だから戻る。

 夜、東塔の旧回廊。

 前回より風が冷たかった。
 春は夜になると、牙を見せる。
 窓の隙間から入る風が、肌を刺す。

「来た」

 カイの声が、闇から落ちる。

 彼は柱にもたれていた。
 相変わらず、いるのにいないみたいな立ち方。
 目だけが、こちらを捕まえる。

「帳簿、動いた?」

「動かしてる。……あなたの言った通り、宰相府の金は“出てる”のに、現場に届いてない」

「そりゃそう」

 カイは淡々と言い、外套の内側から薄い束を取り出した。
 紙。
 写し。
 印。
 そして、臭い。
 インクの奥に、湿った土の匂いが混じっている。現場の匂いだ。

「これが、流用の経路」

 私は紙を受け取り、目を走らせた。
 孤児院補助金――王城から宰相府へ――“中間業者”を経由――食糧商へ。
 そして、その中間業者の名が、いくつも並んでいる。

 その中に、ひとつ、見覚えのある名があった。
 セドリック。
 宰相の子飼い。あの笑顔の文官。

「……やっぱり」

「やっぱりだろ」

 カイは肩をすくめる。

「孤児院だけじゃない。貧民街の施薬院、冬の炊き出し、災害備蓄。全部、同じ穴が開いてる」

 私は喉が乾くのを感じた。
 怒りが湧く。
 でも、怒りの方向が前世とは違う。
 前世の怒りは、誰かを殴りたい怒りだった。
 今の怒りは、穴を塞ぎたい怒りだ。
 壊されたものを戻したい怒り。

「公表する?」

 カイが聞く。
 試す声。
 前なら正義を叫べ、と言っているような声。

 私は首を振った。

「しない」

 カイの目がわずかに細くなる。

「意外」

「意外じゃない。公表したら、宰相は尻尾を切る。中間業者を潰して終わり。孤児院は明日からも腹が減る」

 私は紙を指で叩いた。

「必要なのはスキャンダルじゃない。仕組みの修正」

 カイは黙った。
 その沈黙は、否定じゃない。観察だ。

「まず、帳簿を整える。補助金を“物”で出す手続きに変える。中間業者を挟まない。支給の確認を現場から直接返させる。監査も独立させる」

 言いながら、頭の中で歯車が回る。
 仕組みの歯車。
 これを回せば、金の流れが変わる。
 変われば、利権が削れる。
 削れれば、宰相は焦る。

「……女王の仕事だ」

 カイがぽつりと言った。
 褒めてない、評価。
 でも今夜は、その言葉が胸に落ちた。

「正義を叫ぶのは簡単。叫んで気持ちよくなって終わり。でも王の仕事は、叫ぶ前に穴を塞ぐこと」

 私は言い切った。
 母が言いそうな言葉だ。
 そして私は今、母のいない世界で、母の役割を引き継いでいる。

 カイは紙束をもう一つ出した。

「あとこれ。宰相が握り潰した“苦情”の束」

 私は受け取った。
 薄い紙に、乱れた文字。
 役所に出された嘆願書。
 “食糧が届かない”
 “薬がない”
 “冬に子どもが死んだ”
 その一枚一枚が、叫びだ。
 叫びが握り潰され、紙の束になっている。

 私は歯を食いしばった。
 喉の奥が熱い。
 それは毒の熱じゃない。怒りの熱。

「……これを握り潰したのが、宰相」

「正確には、宰相府。宰相は握り潰す“仕組み”を作った」

 カイの言い方が、少しだけ冷酷だった。
 でも正しい。
 悪は人間の顔をしているとは限らない。
 悪は、仕組みの顔をしている。

「殿下」

 カイが言った。
 その呼び方が珍しい。
 いつもは姫さん、とか、あんた、とか。
 今夜は、少しだけ真面目だ。

「宰相を潰すなら、今だ」

「潰す」

 私は呟いた。
 その言葉が、口に馴染んできているのが怖い。
 でも綺麗事を守るためには、汚れる覚悟がいる。

「潰すのは、宰相“本人”じゃない。宰相府の穴。利権の歯車」

 私は紙を折り、懐にしまった。

「明日から、手続きを変える。孤児院補助金は現物支給。帳簿は二重管理。監査は王女直属で動かす」

 カイは頷かない。
 ただ、目で見ている。
 私が本当にやるかどうか。
 言葉で終わる王女は山ほどいる。

「……いい」

 カイが短く言った。
 それだけで、彼の“合格”が分かる。

「じゃあ次。あんたが動いたら、宰相も動く。動いたら、俺が尻尾を掴む」

「尻尾って?」

「王妃の件に繋がる尻尾」

 私は一瞬、呼吸が止まった。
 母の死。
 それがここに繋がる。

「……まだ言えない?」

「まだ。あんたが先に折れると困る」

「折れない」

「折れる顔もする」

「性格悪い」

「影だから」

 私は思わず笑いそうになった。
 でも笑わない。
 今夜は笑いより、決意が必要だ。

 私は旧回廊を出て、自室へ戻った。
 ルーナが起きて待っていた。目が赤い。心配で眠れなかったのだろう。

「姫殿下……!」

「大丈夫。帰った」

 私は彼女の肩に手を置き、紙束を机に置く。

「ルーナ、これ。明日から動く。あなたも忙しくなる」

「……はい」

 ルーナは紙を見て、顔色を変えた。
 苦情の束。
 子どもの死。
 冬の飢え。
 彼女の目に、涙が浮かぶ。

「……ひどい」

「ひどい。でも、ひどいで終わらせない」

 私は彼女の涙を止めない。
 涙は弱さじゃない。
 現実に触れた証拠だ。

 翌日から、私は静かに動いた。

 公表はしない。
 叫ばない。
 ただ手続きを変える。
 帳簿を整える。
 確認の仕組みを作る。

 王城の役所はざわついた。
 “第一王女が口を出してきた”
 “宰相府の案件に手を入れた”
 噂は燃えない。燃やさないから。
 でも、ゆっくりと染みていく。

 ユリウス卿からも返事が来た。
 彼は私の提案に沿って、自家の帳簿を整え始めた。
 誠実な男は、動きが速い。
 一度決めたら、迷わない。

 孤児院には、現物が届き始めた。
 麦袋。豆袋。薬草。糸。靴。
 院長からの報告書は短い。
 でも一行だけ、震える文字があった。

『子どもが、笑いました』

 それを読んだ瞬間、胸の奥が熱くなる。
 私はそれを“成果”として扱わない。
 当たり前を戻しただけだ。
 でも当たり前が戻ると、人は笑う。
 その事実が、何よりの報酬だった。

 ――そして、宰相府。

 グラディオ・フェルゼンの執務室では、別の空気が流れていた。

「……第一王女が、手続きを変え始めました」

 セドリックが報告する。
 笑顔は薄い。汗が額に光る。

 グラディオは椅子に深く座り、指を組んだ。
 穏やかな顔。
 慈悲深い顔。
 だがその瞳の奥は、冷たい。

「正義感に燃えた復讐者か」

 彼は低く呟く。
 “復讐者”。
 彼にとってそれは、感情で暴れ、いずれ自滅する存在のこと。
 だから彼はそう言いたいのだ。
 第一王女の動きを“私怨”に落とし込みたい。

 だが――どこか違和感がある。

「しかし……」

 グラディオの口元がわずかに歪む。
 笑みではない。
 警戒の歪みだ。

「彼女は叫ばない。晒さない。見せしめにしない。……ただ、穴を塞ぐ」

 それは復讐者のやり方ではない。
 復讐者は目立つ。気持ちよくなるために、派手に斬る。
 だが彼女は、黙って骨を折っている。

「これは、私怨ではないな」

 グラディオは静かに結論づける。
 その声に、初めて焦りの影が混じった。

「……構造を壊しに来ている」

 彼がそう呟いた瞬間、窓の外で風が鳴った。
 まるで、王城の空気が少しずつ変わっていく音みたいに。

 私はその頃、自室で次の書類に赤線を引いていた。
 赤は、血の色。
でも私は血を流したくない。
流したくないからこそ、赤線を引く。
ここで止める。ここで塞ぐ。ここで守る。

 静かな刃。
帳簿の戦争。
私は叫ばないまま、世界を変え始めていた。
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