役立たずの魔女、転生先で最強魔導士に育てられ、愛されて困ってます

タマ マコト

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第15話 離れてみて分かること

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 王宮の朝は、塔の朝よりうるさい。

 行き交う侍従の靴音。廊下の向こうから聞こえる帳簿の読み上げ。庭で訓練している騎士たちの掛け声。

 フェルネウスの塔の、鳥の声と風の音だけの静けさとは、まるで別世界だ。

「……慣れる、しかないよね」

 ノワリエは、自分に言い聞かせるように小さく呟いた。

 王宮の一角にある客員魔導士用の部屋。必要最低限の家具と、仕事用の机と本棚。窓からは中庭が見える。

 悪くない部屋だ。日当たりもいいし、ベッドもふかふか。

 でも、何かが決定的に足りない。

(塔の、ちょっと埃っぽい匂いとか)

(アークが床に置いた本に足引っかけて「片付けろ」って怒鳴るマルタの声とか)

(階段の二十段目がちょっとだけ軋む音とか)

 そういう、どうでもいい“生活の音”が、ここにはない。

 ぽっかり、胸に穴が空いたみたいだ。

 ぐっと首を振る。

「よし、仕事」

 自分に言い聞かせて、ノワリエはローブを羽織った。

 王宮の廊下を歩く足取りは、まだぎこちない。すれ違う人の視線も、塔にいたときとは違う種類の重さを持っている。

「あれが……」 「フェルネウスの弟子……?」 「いや、今は客員魔導士ノワリエ様だろ」

 ひそひそ声。

 “アークの弟子”という肩書きは、王宮でも強力だ。尊敬と、警戒と、好奇心が、一斉にとんできて、肌がちくちくする。

 魔導士団本部に併設された宮廷魔導士の棟に入ると、空気が少しだけ変わった。

 魔力の匂いがする。

 塔とは違う、“人がたくさんいる研究室”の匂い。

「来たわね、ノワリエ」

 待ち構えていたのは、宮廷魔導士長ミレーユ・カルナ。

 赤茶の髪を高くまとめ、金縁の眼鏡をかけた女魔導士。三十代半ばくらいだろうか。鋭い目つきと、淡々とした物言いで、魔導士団全体を仕切っている。

 彼女の視線が、ノワリエをすっとなでる。

「時間ぴったり。上出来ね」

「えっと、おはようございます、ミレーユ様」

「“様”はいらない。ここの中では、立場はともかく“魔導士”としてフラットよ」

 そう言って、ミレーユは書類束をノワリエに放った。

「初日から書類の山!?」

「安心しなさい、実務もちゃんとあるから。……数日後の王都防衛結界の再調整、あなたの案を使うわ」

「えっ、本当に?」

「もちろん。フェルネウスの案をベースにしてるとはいえ、この補正式を考えたのはあなたでしょ」

 ミレーユは、ノワリエの書いた補足資料を指で弾いた。

「“アークの弟子”だからじゃない。“ノワリエ個人”として有能だから使うの」

 その言葉に、ノワリエの心臓がどくんと鳴った。

「……ありがとう、ございます」

「そこは素直に嬉しそうな顔をする」

「してるよ!」

「してない。眉間にシワ寄ってる」

「嘘!」

 思わず両手で顔を押さえる。

 ミレーユは、ふっと目を細めた。その顔は、想像していたよりずっと温かい。

「ここでは、あなたの失敗も成功も“あなたのもの”よ」

 静かに言う。

「フェルネウスの影に隠す気はないから、そのつもりで」

 ずっと欲しかった言葉だった。

 “誰かの付属品”じゃなく、自分個人として評価されること。

 嬉しさが胸にじんわり広がると同時に、別の苦さも滲む。

(アークも、同じこと言おうとしてたのかな)

 あの人は言葉が足りないから、いつも建前と心配でぐるぐるにしてしまうけれど。

 それでも、自分を誰かの武器としてじゃなく“人間として”見てくれていたのは、アークのほうが先だった。

(今さら気づくなよ……)

 自分にツッコミを入れながら、ノワリエは資料に目を通した。

   ◇ ◇ ◇

「ノワリエ殿、こっちだ」

 昼過ぎ、訓練場のほうから太く通る声が響いた。

 振り向けば、銀の鎧に身を包んだ騎士団長ユリウス・ヴァン・ローエンが手を振っている。

 短く刈り込んだ金髪に、笑うと目尻にしわが寄る快活な男。四十手前くらいだろうか。豪放磊落で、でも判断は鋭い。

「ユリウス団長、お疲れ様です」

「かしこまるなって、何度言ったら分かるんだお嬢ちゃん」

「お嬢ちゃんて年じゃなくなってきましたけどね」

「ほぉ? じゃあ“姉さん”と呼べばいいのか?」

「それも違うと思う!」

 訓練場には、王都防衛を担う精鋭騎士たちが並んでいた。

 今日は“結界展開の連携訓練”。

 騎士たちが防御陣形を組むのに合わせて、宮廷魔導士たちが障壁を張り、ノワリエはその調整役だ。

「魔力負荷の山を前線から半歩後ろに下げる。衝撃が来たときは、ここのラインで一度受けてから後衛に流すイメージで」

「お、おう……!」

 ノワリエが指示を飛ばすと、騎士たちは真剣な顔で頷く。

 最初は「フェルネウスの弟子だから」と遠巻きにしていた彼らも、何回か一緒に訓練するうちに態度が変わってきた。

 ノワリエの指示は、的確だ。

 無茶をさせない。

 前線の負荷をめちゃくちゃに上げない。

 でも、“ここぞ”というときに全員の力を一瞬にまとめる術式を、分かりやすく噛み砕いて説明する。

「前線が動きやすい魔法は、いい魔法だな」

 訓練の合間、ユリウスが肩を回しながら笑った。

「正直、辺境出身の俺には難しい理屈はさっぱりだが……命を預けていいと思える」

「そんな重い言い方されると緊張するんですけど」

「命はいつだって重いものだ」

 さらっと言われて、ノワリエは言葉に詰まった。

 ユリウスの周りには、若い騎士たちが集まってくる。

「ノワリエ殿、さっきの術式、僕にもメモしてもいいですか?」 「この前の防壁、助かりました! あれなかったら俺、腕吹っ飛んでました」

「え、あ、うん。ちゃんとミレーユさんにも確認してからでいいなら」

「フェルネウス様の弟子って聞いてビビってたけど、話してみたら普通にいい人だったっす」

「普通ってなに!」

 笑い声がこぼれる。

 ここでは、“フェルネウスの弟子”が最初のラベルでも、そのうち“ノワリエ”として認識される。

 そのことが、ノワリエの胸に小さな誇りを灯していく。

 でも――その影で、別の視線もひっそりと動いていた。

   ◇ ◇ ◇

「……フェルネウスの弟子、ね」

 王宮のとある一室。

 政治と陰謀の匂いが混じった薄暗い部屋で、いくつかの影が集まっていた。

 老齢の貴族。

 中堅官僚。

 若い魔導士。

 彼らは共通して、アーク・フェルネウスの存在を疎んじている勢力だ。

「最強の魔導士が王都にいる限り、軍権は王家に握られたまま……」 「こちらの兵力が育たん。何かあれば、結局すべてフェルネウス頼りだ」 「奴は王家に忠誠を誓っているわけではない。あくまで“ルキアン個人”に貸しを作っているだけだ」

 不満が、静かに渦巻く。

「そして――そのフェルネウスには、弱点ができた」

 ひとりが、薄く笑う。

「ノワリエ。異界から来たという、得体の知れない魔力を持つ少女」

「客員魔導士から、宮廷魔導士になれば、王宮の“駒”としても扱いやすい」

「だが同時に、奴にとっては“塔の外にある、たったひとつの心の拠り所”でもあるのだろう?」

 愉快そうな笑い声。

「弱点がある兵器など、もはや兵器ではない」

「上手く刺激してやれば……フェルネウスも動かしやすくなる」

「それに、あの少女の魔力も、ぜひこちらの手元で使ってみたいものだ」

 彼らの「興味」は、優しさではない。

 数字。

 戦略。

 権力。

 そのための「資源」としての興味だ。

「――くれぐれも、派手にやるな」

 ひとりが釘を刺す。

「ルキアン殿下に悟られぬよう、“少しずつ”だ」

 薄暗い部屋に、不気味な笑いが残った。

   ◇ ◇ ◇

 王宮での生活は、忙しかった。

 日中は魔導研究と訓練。

 夜は資料の読み込み。

 たまに、ルキアンからの呼び出しで、政治的な議論に同席させられることもある。

 気を抜く暇はほとんどない。

 それはいいことだと、最初は思っていた。

(忙しいほうが、余計なこと考えずに済むし)

 でも。

 忙しさの隙間から、ふとした瞬間に顔を出すものがある。

『冷めるぞ』 『魔力を回しただけで顔は赤くならない』 『そこは自分で考えろ』

 何気ない口癖。

 呆れたような言い方。

 怒ってるのか心配してるのか分からない、微妙な声のトーン。

 気づけば、そればかり思い出している。

 塔の階段を駆け上がる感覚。

 訓練場の石畳の冷たさ。

 バルコニーから見た王都の灯り。

 全部、アークの気配とセットで思い出される。

 夜、客室の天井を見上げながら、ノワリエはため息をついた。

「……なにこれ」

 胸の真ん中に、丸い穴が空いている感じ。

 そこに、何を詰め込んでも埋まらない。

 魔導論文を読んでも、ミレーユやユリウスと話しても、王宮の贅沢な食事を味わっても、穴はそのまま。

 塔の食堂で、少し冷めたスープを啜りながら、アークの文句を聞いていた時間のほうが、ずっと“満たされていた”気がする。

「……会いたい、のかな」

 言葉にした瞬間、胸がじんと痛んだ。

 認めたくなかった。

 塔を飛び出したのは、自分だ。

 「アークの傍にいることだけが、私のすべてじゃない」と言い切ったのは自分だ。

 なのに、離れてみたら、アークの不器用な優しさや、何気ない仕草が、どれだけ自分の生活の中心にあったか思い知らされる。

(だからって、それが“恋”とか、そういう類いのものかどうかは……)

 そこまで言葉を進めようとすると、頭がショートする。

「まだ、分かんない」

 枕に顔を押し付けて、ノワリエはもぞもぞと転がった。

 でも、分からないままでいられる時間は、長くなかった。

   ◇ ◇ ◇

「今日の議会、なかなか壮絶だったね」

 王宮の屋上庭園。

 夕暮れの空は、オレンジ色から群青へとゆっくりグラデーションを描いている。

 ノワリエは、石造りの欄干に寄りかかりながら、隣に立つルキアンを横目で見た。

 いつも完璧に整えられている銀髪が、今日は少し乱れている。礼服の襟元も、わずかに崩れている。

「壮絶ってレベル超えてたと思うけど」

「まぁね」

 ルキアンは、苦笑した。

 先ほどまで開かれていた貴族院との協議。

 税制改革案、防衛予算、農地の配分。どれも重要で、どれも利害の衝突だらけ。

 ノワリエは隅っこの席で、魔導関連の項目だけ補足説明する役だったが、それでも会話の熱量と殺伐さに胃が痛くなった。

「ルキアン、すごいなって思ったよ」

「どのへんが?」

「ちゃんと全員の話聞きながら、必要なところは譲って、譲っちゃいけないところは絶対折れないところ」

「それは王太子の仕事だから」

 淡々と言う。

 でも、その声には、うっすら疲労が滲んでいた。

「家に帰ったら、また父上と同じようなやり取りが待ってると思うと、さすがにちょっとげんなりするけどね」

「国王陛下とも?」

「基本的な方向性は同じなんだけどね。細かい手段で、どうしても衝突する」

 ルキアンは、欄干に肘を置き、空を見上げた。

「父上は、戦争の時代の人だから」

 ふっと笑う。

「僕は、戦争の“あとの時代”の人。どっちが正解ってわけでもないんだけどさ」

 言葉は軽くても、その裏にある重さはノワリエにも伝わっていた。

「……大変だね」

「大変だよ。王太子なんて、なりたいって言った覚えはないのに」

「やめたいって言ったことは?」

「一度だけあるよ。十歳のとき」

 ルキアンは、少し遠い目をした。

「“王太子をやめたい”って言ったら、父上に殴られた」

 ノワリエは息を呑んだ。

「それからは、言ってない」

 淡々と続ける。

「母上は、“あなたはできる子だから”って繰り返した。……そのたびに、どこか自分じゃない誰かになっていく気がした」

 完璧な笑顔。

 完璧な礼儀。

 完璧な判断。

 “王太子ルキアン・フロース”として求められる役割を、彼はずっと演じてきた。

 演じているうちに、本当の自分の感情がどこにあるのか、分からなくなりそうになりながら。

「ねえ、ノワリエ」

 ふいに名前を呼ばれ、ノワリエは顔を上げた。

 ルキアンの青い瞳が、真っすぐこちらを見ていた。

「僕はずっと、自分の居場所がなかった」

 静かな告白。

「王宮の中にいても、王族の中にいても、会議室にいても。どこにいても、“王太子としての僕”しか求められないから」

「……うん」

 ノワリエは、黙って耳を傾ける。

「でも、君は」

 ルキアンの声が、すこしだけ柔らかくなる。

「アークの隣にいる時だけ、とても幸せそうだ」

「……っ」

 息が止まった。

 ルキアンは、視線を空からノワリエへと移したまま、続ける。

「塔での君の顔、何度も見たわけじゃないけど」

 最初に会ったとき。王宮に来たとき。

 塔から連れてこられたノワリエは、不安そうで、でもアークを見上げる目だけは、どこか安心しきっていた。

「君がアークの隣で笑ってるとき」

 ルキアンの口元が、少しだけ震える。

「僕は、羨ましかったよ」

 ノワリエの胸が、きゅっと縮む。

「君には、“帰る場所”がある」

 ルキアンは、笑っていた。

 どこか寂しげに。

「君には、“誰かの隣でいるときの顔”がある」

 その顔は、決して自分の隣では引き出せなかった表情だと、彼自身が一番よく分かっている。

「それが、答えだよ」

 あまりにもあっさりと告げられて、ノワリエは言葉を失った。

「答え……?」

「君がどこで一番自然でいられるか」

 ルキアンは、目を細める。

「誰の隣にいる時に、一番息がしやすくて、一番うるさくて、一番楽しいか」

 ノワリエの頭の中に、塔の光景が一気に流れ込んでくる。

 食卓。

 訓練場。

 書斎。

 バルコニー。

 そこにいるアークの横顔。

 呆れた顔。

 怒った顔。

 ふっと笑った顔。

『君は塔の魔力を安定させている』 『隣に立たせるために、今はまだ守っているだけだ』

 あの言葉を思い出すだけで、胸の奥が熱くなる。

 王宮にいる間、何度も無意識に胸を押さえていたのは、出番をなくした魔力のせいじゃない。

 ぽっかり空いた穴の中心にいるのは、最初からずっと同じ人だった。

「あ、たし……」

 声が震えた。

「私、アークのこと……」

 恩人。

 師匠。

 家族。

 その全部を、一言でまとめる言葉。

 喉元まで出かかっているのに、怖くて、最後の一音が出てこない。

 ルキアンは、優しく微笑んだ。

「言わなくていいよ、今は」

「え……」

「君が自分で気づけたなら、それで十分だ」

 青い瞳の奥に、わずかな痛みが混じる。

「僕が君にしてやれるのは、せいぜい“鏡”になるくらいだから」

「鏡……」

「そう。君自身の気持ちを映してあげるための鏡」

 彼は、空を見上げる。

「君の視線は、仕事の話をしているとき、僕のほうを向いてくれる」

 ノワリエは顔が熱くなる。

「でも、心のどこかでは、ずっと別のほうを向いてる」

「そ、そんなこと……」

「あるよ」

 ルキアンは、軽く肩をすくめた。

「王太子やってるとね、人の“視線の向き”には敏感になるんだ」

 冗談めかした言い方でも、目は笑っていない。

「君が王宮に来たとき、正直嬉しかった」

 静かに告げる。

「でも同時に、“いつか君は塔に帰るんだろうな”って分かってた」

 その確信が、ずっと彼の中にあった。

「……ごめん」

 ノワリエは、ぽつりと呟いた。

 謝りたくなる。

 アークを傷つけて、ルキアンを利用して、自分の答えを見つけようとしている自分が、ひどく身勝手に思えた。

「謝らなくていい」

 ルキアンは、首を振った。

「君は、自分の足でここまで来た。それだけで、十分に立派だよ」

 優しい言葉。

 王太子としてではなく、一人の青年としての言葉。

「ただ――」

 ルキアンは、少しだけ意地悪そうに笑った。

「君が、自分の気持ちに気づいた以上。アークのほうにも、ちゃんと気づかせてあげないとね」

「えっ」

「僕が言うまでもなく、あの人はとっくに気づいてるだろうけど」

 アークが、バルコニーで漏らした本音。

『簡単には手放せないだろうな』

 あのときの瞳の熱。

 ノワリエの胸の中で、何かがカチリと噛み合った。

「……ルキアン」

「何?」

「ありがとう」

 それしか言えなかった。

 自分の心を映してくれたこと。

 居場所のない王太子が、それでも自分の居場所を見つけている自分を羨ましがってくれたこと。

 それが、ノワリエにはひどく切なくて、同時にありがたかった。

「礼を言われるようなことはしてないよ」

 ルキアンは、空を見上げたまま言う。

「僕はただ――」

 ふっと笑う。

「好きな子がどこを向いてるのか、ちゃんと分かっておきたかっただけだ」

 その一言が、風に溶けていく。

 ノワリエの心臓が、音を立てて跳ねた。

 恋心に気づく痛みと、誰かの恋心を突きつけられる痛み。

 ふたつの痛みが胸の中でぶつかって、涙になりそうになる。

 でも、零さなかった。

 代わりに、胸の奥の穴に、ひとつの言葉が静かに落ちてくる。

(私、アークが――好きなんだ)

 恩人としてでも、師匠としてでもなく。

 一人の男の人として。

 塔を飛び出して、王宮に来て、ルキアンに“鏡”を突きつけられなければ、きっと一生気づけなかった。

 離れてみて、初めて分かることがある。

 遠くに来て、初めて見える景色がある。

 夕暮れの屋上庭園で、ノワリエはそっと目を閉じた。

 フェルネウスの塔。

 そのバルコニーに立つ黒いコートの男の横顔を思い浮かべる。

(帰りたい)

 初めて、はっきりと言葉になった。

 仕事としてではなく。

 義務としてでもなく。

 「好きな人がいる場所に、帰りたい」と。

 その想いが、静かに胸の奥に燃え始める。

 塔へ向かう道は、決して平坦じゃないだろう。

 宮廷魔導士という選択。

 アークの過去。

 ルキアンの立場。

 それら全部が絡み合って、“恋”だけではどうにもならない現実が待ち受けている。

 それでも――

(もう、逃げない)

 離れてみて分かったことを、今度はちゃんと抱きしめて。

 ノワリエは、星の瞬き始めた空を見上げた。
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